いまんとこ元気で何とかやってます。
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暑中ON見舞い
「よしなしごと」と「」オーディオ&音楽日記」を2つ書くのはいささか面倒で、オーディオ中心になってしまうのも困りもので、この際1本化しようとブログ風ページ「ON爺の独り言」を立ち上げましたので、今後はそちらに書きます。
なお、こちらはアーカイブとしてそのまま置いておきます。2009年盛夏
('09.8.10)刃(やいば)は自身が刃である事に傷つかぬと思うのか?血を流さぬと思うのか?
旅は終わった。静かな日々に帰ろう。湖水が静かに岸辺を打ち、風がさざ波にかたちを変えるところ、イニスフリーの。
('09.8.7)フランク・ハーバートの「デューン(砂の惑星)」シリーズで読んだのだけれど、宰相(だったっけ?)が銀河帝国皇帝にお伺いを立てる場面。(文章は記憶なのでテキトーでご勘弁。)
宰相「某辺境星域が議会か憲法かいずれかを求めておりますが、いかがいたしましょうか?」
皇帝「では議会を許可せよ。」
宰相「何故に議会かお伺いしてもよろしいでしょうか?」
皇帝「議会は買収も出来る。しかし憲法は一度制定されると簡単に変更できず一人歩きするからだ。」
どんなサークルも仲の良い間は決めごとなど必要ない。しかし、人も入れ替わりややこしくなると人間は必ず自分に都合の良いように勝手に解釈しようとする。また、それでなくてもいちいち議論するのはしんどいことこの上ない。決めごとを作っておくことは、そういう意味でも不安定性をある程度は緩和できるし、エネルギーの節約にもなる。
('09.8.5)今日はオカンがショートステイでお泊まりに行ってくれたので、半日まるまる音楽を楽しんだ。ときたまうっとうしい雑音を思い出したら「散れ!散れ!」だ。
以前タクシーの中で見つけた「いつも怒っている社長さんたちに」という小冊子には大笑いして、身につまされた。「出来ない人に視野を広く持て!と言っても、押しつけと受け取られるだけで、所詮は無理な話です。愚かな人に賢くなれ!と言ってもそんなにすっと変身できたら誰も苦労はしません。」だから結局は元から良い人材集めしかないという、人材紹介会社の冊子でした。
そら人間は急には変われんわなあ。そこを求めてしまうから怒るんやねえ。「求めない」、つまり人生あきらめが肝心やね、うん。人生至る所青山在り、やからね。あちこちに在るがな。
('09.7.30)Webの便利な事って、先に書いてさえいなければ後出しじゃんけんが出来ることだと、最近気がついた。でも結局、たらればとかはどうでも良くて、ちゃんと学習できればいいわけだ。次からはちゃんとやろうね。
('09.7.29)雑音にはそれなりに対処はするが、心の平安も乱れるし、ペースが狂う。第一時間が余りに勿体ない。雑音に対しては発生源を元から断つか、それが出来なければアイソレーションつまり十分な距離を置くしかない。早くすっきりしたいものだ。
('09.7.27)体調が悪いと砂を噛むようなことと、物事がまだ良かった時期だけが思い出される。思うにバランスとか塩梅というのは時として責め言葉だし、時として逃げ言葉だ。それが意味するのは、自分のバランスや塩梅が適切なモノだという誰かの主張がある、ということだけだ。問題は具体的な中身なんだが。
韜晦せよ。竹林の中へ、修道院の中へ。
('09.7.25)大阪はなー、今日は天神祭やねん。遊ぶでー。(すみません、明日から仕事します。)
('09.7.19)ここのところ、生活を朝昼型にしようと、結構無理をしていたので時間的には結構きつかったりした。昨日原稿を1本あげたので、あと2本。今日1本はまとめるつもりなので、週明けの様子を見て送ろうと思っている。
なんだかんだ言いながらも多少遊びながらやっている。合間合間の遊びはとても楽しい。だんだんやっていることの中身が分かりにくくなっていることもあり、しがらみも含めて書けない事の方が増えてきたが、それもまたちゃんと整理してまとめてからの方が良いだろ。迷惑さえかけなければ、内容をちゃんと分かっているなら、何をやっても良いんだよ。所詮は遊びですから。
('09.7.13)風が吹いた。僕はもっともっと自由になれる。自由にやる。
('09.7.11)■昨日はフインランド映像の英文字幕和訳を一つイメージあわせで仮納品した。ラップランドの自然などの説明が多く、かなりポエティックな言葉を多用しているので、言葉選びをするのがとても楽しく、クリエイティブな時間を過ごさせてもらった。アホなオーディオの話より、よっっぽど楽しい。
■今日は横浜から遊びに来てくれた友人と神戸の酒蔵でのコンサートに行き、ピリオド楽器でのモーツアルトとベートーベンのヴァイオリンソナタを楽しむ。終わってから大阪に戻って焼き肉→イタリアンバールのお定まりのコースで舌鼓を打つ。
明日は彼と1日遊ぶのだ。
■帰ってから「ぐっちーさん」のブログで見たのだが、これには笑った。いやー名~古屋は都会だわ。
http://www.hi-ho.ne.jp/bassan/gallery-flash/nagoya.swf
大阪も「終わっとるくさい」なんて言われっぱなしにせずに、なんかせなあかんがな。あかんやろな。
('09.7.9)パリや仙台から届いたLPをクリーニングして順次聞きながら、サイトチェックをしたり、Vistaの音声の仕組みのまとめた書き方を考えたりする。作業は後に送る。
そしてフィンランド映像の字幕翻訳に取りかかる。(済みません、遅れてます。ペコッ。)けっこうクリエイティブな一日ですが、デスクワークが続くので、途中で動きながら身体をほぐす。
('09.7.7)最近週の内半分くらいは早く寝ている事もあり、体調は悪くない感じになってきた。とにかく昼の間にできるだけ集中力のいる作業をすませておけば何とかなりそうだが、今日のように夕方デイサービスから帰ったオカンに邪魔されると怒りたくはないが怒ってしまう。何せ3分から5分に1回は何か聞かれるからね、考え事が出来ないのだ。夜、寝かせてからやると遅くなるし、ええい、明日の話でなんくるないさー。
といっても急ぎの作業が入ると、どんどん遅れていくものもあるけど、顔を思い浮かべながら決めるしかないさー。七夕だしねー。
('09.6.30) 本が出たりすると、あちこちのブログを見る度に沢山の人が支えてくださってるんだということが、ひしひしと分かる。感謝の一言であります。
('09.6.27)久しぶりに映像作家の友人と大阪OAPで会い、9月中旬に予定している日芬上映シンポジウム「いつもの風景~日本とフィンランド、映像で綴る地域文化交流プロジェクト」で上映するフィンランドの映像2点の英語字幕・日本語訳の仕事の依頼をいただく。
勿論、僕は専門家ではないが、まあ一昨年アルヴァ・アアルトのスタジオも見てきたし、土地勘があるということでありがたくお受けした。テキストの一部とPALのDVD2点を預かり、かえってから少し見る。昔はPALだと再生できる機器が少なくて大騒ぎしたものだが、今やPCではあっさりと再生するものだ。
これから何回見る事になるだろう。僕はこういうクリエイティブな時間が大好きだ。
('09.6.26)この日記も2つに分けておく意味が薄れてきている。60才記念にブログ形式移行を真剣に考えよう。シンプルな暮らしにはシンプルな形が合うと思う。書くところがあると、書いてしまうと言うこともあるし。
嵐は過ぎて、ようやく僕は自由になった。独りで立つことのしんどさもあるが、しかし背中や周りを気にせずに振り回されずに進めることは本当に嬉しい。僕には野心も、功名心も人の仕事を取るような意図も全くない。出来ることをして、そしてするならば良い仕事をしたい、と思うだけだ。今の僕の心の平安は結局はそういうところに根ざすものだ。
そして、今僕が考えているのは、静かな生活だ。Still Life. 日々これ勉強と音楽。考えること。そして迫り来る老いへの対応。これは不自由な身体を抱える身としては、とてもとても切実なことだ。折角田園公園や遊歩道があるのだから、できれば日々散歩ゆっくりとできるようにしたい。Well
Living is the perfect revenge. 良く生きることが最高の見返しだとか。大事なのはこれからであり、気分を変えた方が勝ちなのだ。無駄なことにエネルギーを使いたくはない。
そして、新しい出会いや道のこともあるが、少なくともこれまで築いたもの、壊したくないものは大事にする努力をしよう、と思っている。いろいろ気も遣ってあれこれやっているンだけど、まあ、大切にしたいという個人的な気持ちでやっているのだから、少なくとも僕は「求めずに」いこうと思う。結局、人間は気持ちなのだ。気持ち、ね。通じるものがなければ、いくら格好つけてもそれだけのことだ。
('09.6.25)最近野菜に凝っている。いや非道いもので、トマトもレタスも全部水耕栽培で文字通り水みたいなものだ。この前イタリアンのシェフに教えてもらったボンゴレのパスタではフレッシュのトマトを使うんだけど、それは綺麗にソースに溶けていくからなんだなあ。Sigh!
で、駅前の高島屋には「はちきん(土佐弁でお転婆)」という生産者名入りブランドがあって、ここの野菜がとても美味しい。特に大蒜のみずみずしく味の濃いこと!おまけに、あまり高くない。となりには「くらよし農協」のこれも生産者名入り野菜が置いてあって、これも悪くない。
遅い時間に行くともうないので、頑張って早めの時間に行き、その品揃えを見て、夕食の献立を考えたりする。ああ、沖縄のまちぐあー(市場)や福島の「畑んぼ」が恋しい。
('09.6.20)片方が持ち出し一方の人間関係は長続きしない。少なくとも何処かでリセットしておかないと、両方が行き詰まる。なのに気配を察すると自分に不利なことは受け入れないように喚くのが人間と言うものだ。結果だけを求めるとそうなる。いささか飽きた。
('09.6.19)日曜日がフリーになったので、土日に遊びに行けるが、なぜか音楽を聴きたいと、いま強く感じる。まあ、あとで考えよう。
('09.6.18)米エディー・バウアー、破産法申請 負債4億2700万ドル
「北米にある約370店の大半は営業を続ける見通し。約8600人いる従業員の大部分も引き継ぐ。」
よく知られていて、通販で何度も利用したブランドがどんどん破綻したり、再編しつつある。正直底入れにはほど遠いと思うが。
('09.6.16)朝まだき、ふと目覚めかけると突然の雨。おお、初夏の朝に雨とはまた風情な、と思いきや雷も落ち始める。そうか6月だったのだ、もう夏だなと思いつつ、洗いざらしのコットンのシーツの感触を楽しみ、まどろむ。
黎明に しとどの雨と 雷(いかづち)と うつつに聞こゆ 夏や水無月
('09.6.15)今日は夕方にオカンが来るがそれまではフリーなので、片付け毎をしたり、昼寝をしたり、本を読んだりと久方ぶりの休日モード。やはり無理をするのは良くないと改めて思う。義理が廃れば、でそういう時もあるやろ、まー、しゃーないわな。
夕方ダウンロードしたバランス接続の英文資料を読む。そうやがな、こういうのが欲しかったんやがな。日々是勉強。
19日にMOOKが出たら、遊びに行こう。手近に京都か神戸にでも1泊で行こうか。
('09.6.14)■最近、宇宙船で独り虚空のなかを行く夢を見る。
我が由来の星は Sagitarius。まっしぐらに飛ぶ射手座。
寂しいが、それは何処にいても同じで、白鳥座や鯨座のほうかららしき電波もやってくるし、むしろ爽快感の方が勝っている。
ブラックホールの向こう側はどうなっているのか?いや、そもそも向こう側があるのだろうか?
■そして「ブレードランナー」の最後でロイ・バティ(ルトガー・ハウアー)がデッカード(ハリソン・フォード)を助け上げて語る言葉を思い出す。(本当の主人公はロイだと僕は思っている。)
I've.....seen things...
...you people wouldn't believe.
Attack ships on fire off the shoulder of Orion.
I watched C-beams.....
....glitter in the dark near the Tanhauser Gate.
All those...moments will be lost...
in time....
like tears...
in the rain.
Time ...to die.
おれは見てきた。
お前ら人間には信じられぬ事どもを。
オリオン座のはずれで炎上した戦艦。
おれは見た
Cビームがタンホイザー・ゲート近くの闇の中で輝くのを。
そういう瞬間も時とともにやがては消える
雨の中の涙のように。
死ぬときが来た。(拙訳)
■Death is a lonely business.
死ぬときはひとりぼっちなのに、何故人は独りで生きることが出来ないのだろう。
('09.6.13)爆睡、また爆睡。で、家の片付け事をしたり、社会復帰しつつあります。
('09.6.8)買ったもののずっとしまい込んでいたマイクロソフトのゲーマー用の「サイドワインダーマウス」を、常用のiMacでこの半月ばかり使っている。
物理的な重量配分や、電子的な解像度まで変更・設定できるので、いろいろやってみると移動がとても楽だ。小さくて軽いマウスは結局すべてを手でコントロールせねばならず、結構疲れるものだ。「サイドワインダー」だと、マウスをほいっと投げるのに近い感覚で動かしていけるので、かえって疲れが少ない。
どうやら僕はマウスも高解像度が好きなようだ。
('09.6.7)オーディオベーシックのMOOKは今週前半が最後の山場のようなので、予定は一切入れずに何かあったら対応出来るようにしている。
ここ何ヶ月かの持ち持ち感というか、タスクがようやく片付くのは嬉しい反面....、ま、いっか。
いろいろと気持ちの上で捨てるものは捨て拾うものは拾い整理したので、心は随分と軽くなった。要するに大切なのは音楽で、その余はほとんどどうでも良いのだ。態勢は整った。音楽に浸ろう。
随分と成り行き任せであった諸々の生活のことも、ちゃんと立て直しをしていかねばならない。大体が、全てはシームレスな一つの暮らしなので、何をどうと言うこともなく流れる物は流れていくので、それは泡沫(うたかた)のようでもあり、また川の流れのように川面と川底は少し違う物なのだ。
久方ぶりにクールな自分を取り戻した気がする。やはり自分のペースで歩まないと、何かがずれる。
Let it go, let it flow. Just the way I am.
('09.6.5)爆睡して何とか社会復帰しました。ふあ。
オーディオも人間の営みだから、当然バブルもある。それは貪欲(Greed)のバブルだ。
何かを得るには自分の時間と労力を割いてスキルを身につけるか、お金を払うか、いずれにせよ何らかの代償を払わずに得られるはずがない。ところが、知識もスキルもお金もなしに、音だけは良くしたい。当然そんなことは成り立たないのに、バブリーに欲望だけは膨らませる。そしてそれが可能だと錯覚させるなら、罪作りとしか言いようがない。だから注意の上にも注意が必要だが、一端火が付いてしまうと、まずどうしようもない。
('09.6.4)朝オカンをデイサービスに送り出して、ほっとしてまた寝る。夕べはしんどかったので早めに寝ていたら、また妄想だらけのオカンが何度も起こしに来て、辛かったので凄く疲れた。で、とにかく寝んと物理的に保たんという訳です。やれやれ。
('09.6.3)方や中国で主席に会い、米国債よろしく、の根回しをするガイトナー財務長官。方やリーマンの蜂の一刺しと同じく根拠のない底入れ見通しの与謝野大臣。
まあ、ガイトナー氏もいろいろあろうが、我が同胞の大局観とポリシーの無さにうんざりしてしまう。
校正稿も出して、後は最終確認と発刊。いよいよだ。
('09.5.29)【美味しい野菜サラダの作り方】
1.野菜
最近会社が、あるいは農業法人が、都市部の空きスペースを利用したりして、付加価値の高い農産物生育事業進出する動きがあり、社会経済的には非常に喜ばしい話だ。
しかし一消費者としては全然期待していない。これらは殆どが水耕栽培であり水を食べているようなもので、レタスやトマト、ルッコラは勿論、三つ葉や大葉でさえ水くさくて味が薄くてまずい。要するにいくら各種ミネラルを混ぜた水でも土には絶対に敵わない。
まあ、最近出てきているベビーリーフなんか、まだかなりマシな方だ。デパ地下なんかで生産者の名前表示のあるもので、そこそこの値段のものが大体良かんべ、です。ああ、野菜の元気さと美味しさだけで沖縄や福島は良いなあ、と思う。
2.オリオ
オリーブオイルかサフラワーオイルですが、間違っても薄く高いだけの「高級品ざあますオリーブオイル」なんて買ってはいけない。徳用瓶もほぼ全滅。いまのところ、僕的にはサルバーニョです。これが駄目になったらギリシャから直接買おうかと思っとります。
3.ドレッシングなんか死んでも絶対に作らない。
ボウルに材料を入れてかき回す、などと言うことはそれぞれの味をまるめるだけで損の極みです。スペインのマンマはある手順で、オリオ→塩→胡椒→レモンと「上からかけて」行きます。
4.作り方
(1)最初にオリオ
野菜に軽くオリオをかけて手でよく混ぜ合わせる。
※野菜に直接塩をかけると、「シオシオのパー」でしゃきっとした野菜がげんなりします。
(2)塩をかけて混ぜ合わせる。
手でつまんだら塩がまばらでややワイルドな感じ。上品に満遍なく行き渡らせるにはソールトミルを使う。
(3)胡椒をペッパーミルで上からかける。
その都度削る。山葵と同じ。出来合の粉を買うのは、カスを掴むようなものです。
(4)レモンを搾ってかける。
この量が難しい。塩の量との塩梅で、最初は少なめにかけて、味を見てレモンを増やせばよい。
(5)仕上げにオリオを適量かける。
オリオはけちらないこと。その意味でも「高級品ざあますオリーブオイル」はけちってさらに薄味になる。
Buon appetito!
('09.5.28)■物事は何とかまともに動き始めたようだ。
プロデューサーというものは常に全体を考えなければならない。そして己の思いやわがままは創造性の方に振り向ける、つまりこんな事をやって欲しい、こんなとを見てみたい、などアーティストに対する要求として出すのが一番で、己自身が前面に出張ったりしたらうまく行かなくなる。自分だけで出来ないことをやるには、必要な環境を整え、人を上手く使う事だ。
アーティストというのは馬鹿だから創る事しか考えておらず、身辺些事を任せられるなら喜んで飛び込む生き物だ。だからプロデューサーはぐっと飲み込んで、腹を括ってやらせればよいし、行きすぎたときは真剣に注意すればいい。例え処遇が大したことなくても、プロデューサーの熱い思いがあれば、多少のことは我慢してアーティストは付いてきてくれる。
要はそれだけのケツの穴の大きさがあるかどうか、それだけだ。
■栗本薫(くりもと・かおる、本名=今岡純代=いまおか・すみよ)さんが26日、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。56歳だった。
One by one, the good die young. いい奴ばかり若くして死んでいく。
人ごとではない。この間、ずっと余生の生き方を考えている。
もう一生分の我慢はとっっくにした。だからどうせ道半ばでくたばるなら、我慢したまま死ぬなんてのはまっぴら御免だ。疲れてくたばりそうだが、それでも俺は真っ当さを求めて闘う。
('09.5.27)■最近嬉しいのはオカンとの関係がスムースに行っていることだ。相変わらずだが、とにかく話を聞いてやる、何もしなくて良いからただ長生きしてくれと頼む、できるだけそばによってゆっくりと優しく話す、それだけで随分と柔らかくなってきた。夕べも酒を飲みながら話をした。こちらも結局は気分が良いので助かる。でもまあ、不安で一杯だろうに、ある意味ではオカンは限られた能力で適応しようとしてよくやってると思う。例え仮構された世界でも、オカンにとってはそれがいま生きている世界で、気持ちの支えなんだろうから、とりあえず受け止めてやるしかない。
■毎年この時期には「お気に入り」の整理をする。今年もいくつか、もう見ないサイトやブログを消した。
■逆に見たいのにサーバがトラぶっているのか見えないブログもあったりして、世の中はうまく行かない。ネットでもちゃんと呼吸は分かるから、不思議なものだ。
('09.5.26)orz なんでも良いから、とにかくうまく行ってほしい。願っているのはそれだけだ。まあ、早晩明らかになるだろう。
今回は僕の責任ではないのに(責任ある者は誰だ!)、どうにかこうにか整理したところへ、変な突っかかりを入れられて、非常に哀しかった。よほど僕が偉そうに上から物を言っている、と思いこんだ見たいだが、でも前後の文脈も読めない分からんちん人間に何を言っても無駄だ。こういうのはブーたれるだけで結局なにもしないし出来はしないのだ。悔しかったらちゃんとやって見せてみろ。
まあでも気を使ってくださる方もいて、どうやら仲間も増えそうなので、トータルしたらややプラスか。まあ、麻雀じゃないが原点以上でで終われるなら良しとしよう。
('09.5.24)辛いことが続くけれども、舵を切るとずっと前に決めた以上は仕方がないので、ゆっくりと積年の思いを吐き出す。
大事なのは大局観であり、全体像だ。つまりは海図だ。これがちゃんと整理されていなかったら、起こっている現象について的確な位置づけが出来なくなる。そうなると各自が個人的文脈で口々に言挙げする状態、つまりはバベルが到来し、やがては訳の分からないカオスに至る。そのエネルギーが強いほどカオスのなかのコモン・スレッドを見つけなければ呑み込まれてしまう。カオスの淵に立ってコモン・スレッドを見つめ、分かりやすくマストを立てて帆を張り舵をとるのが、キャプテンのあるいは航海長の仕事だ。
陸地は遠く未だ見えず、海は波高く荒れたままだ。諸卿の、冒険者達の航海の無事を心から祈る。一路平安。
('09.5.21)在米の友人がワシントンでの「ティツイアーノ展」と塩野七生「ルネッサンスとは何であったのか」についてブログ(「ティツィアーノを観に行く」Tuesday, May 19, 2009)に書いていたので、僕も書く事にした。と言っても、画家の方は名前しか知らず後者の方で、なにしろアシジの聖フランチェスコとフリードリッヒ2世で幕が開くので最初は少し面食らったが、読み進むにつれて拡がる世界に心を奪われる。読みやすく短いけれど新たな視野を得られるような本は、ありそうでなかなか無いものだ。
大切なのは大局観だと、いつもこの人の著作を読む度に思う。でも車で20分でナショナルギャラリーがあるってのは良いなあ。
('09.5.15)(承前)もう一冊の、素晴らしく広大な視野の物語について語ろう。山本弘「アイの物語」(角川文庫)。裏表紙を引用させていただこう。
「人類が衰退し、マシンが君臨する未来。食料を盗んで逃げる途中、僕は美しいアンドロイドに出会う。戦いの末に捕らえられた僕に、アイビスと名乗るそのアンドロイドは、ロボットや人工知能を題材にした6つの物語を、毎日読んで聞かせた。アイビスの真意は何か?なぜマシンは地球を支配するのか?彼女が語る7番目の物語に、僕の知らなかった真実は隠されていた」
6つの物語中では、最後の第6話、はじめての介護用アンドロイドと老人達と看護師達との美しい物語「詩音が来た日」が圧巻で、心を打つ。これだけでも十分に凄いと思った。
しかし第7話では唖然とする展開が待ち受けていた。人類は皆認知症であり、仮構世界の中で己の存在を唯一無二として正当化拡大しコミュニケーション能力に欠けていること、その結論がこれとは、最後まで読んだときには本当に唸ってしまった。ネタ晴らしは面白くないので、是非読んでいただきたい。繰り返し読むに耐える本だ。
そしてアイビスは何故彼を選んだのか?それは彼が「語り部」であり、「物語りの力」を理解しているからだ、と彼女は答える。そして彼には新しい道ができる訳だが、「物語」というのはフィクションであっても人を動かす力がある。だが、「情動」に働きかけるコミュニケーション能力と、認識に至る認知能力とは同じではない。彼の進路も、残った人類の進路も、また同じ問題に突き当たるのは目に見えている。それでも繰り返しトライするのは何故か?「アイ」の物語とは、アイビスの、AI(人工知能)の、I(私)の、そして愛の物語だからだと僕は思う。
('09.5.13)昨日は福島の友人達の心づくしの山菜で天ぷらを造り、またお土産の銘酒もいただいてオカンはすっかりご機嫌になり、夕食後はうつらうつらしていたので、さっさと寝かせる事にした。こっちも寝たら、変な直に目が覚めてしまい、おかげで今日は一日変な調子だった。
さて、2冊の本について書きたいと思いつつ、このところ時間がなかったので、今日明日と書いてみたい。今日は大井玄『「痴呆老人」は何を見ているか』(新潮選書)。
昨年12月15日の日記に書いているように、認知能力の低下とその周辺症状(被害妄想、夜間せん妄、幻覚、攻撃的人格変化など)は、結局老人を取り巻く家族や近隣などの人間関係や文化によって発現の仕方や程度が相当違う、ということにまず惹かれて読み始めた。
そして、認知機能が低下している状態では、何を話しかけるかという「言葉」よりも、話しかける口調や表情など「情動」に働きかける要素の方が老人に与える影響力がずっと大きいということ、さらに、認知症の老人は記憶力や認知能力の低下によって外部の世界と「つながる」能力が失われていくので不安と苦痛のまっただ中で生きて行かなくてはならず、過去の記憶などに基づき「本人にとってより苦痛の少ない世界を仮構していく」わけで、それを否定するのではなく、仮構は仮構としても周囲がとりあえずはそれを受け止める事で、老人はずっと穏やかに生きていくことが可能になる、ということが、オカンの問題を抱える僕にとっては非常に参考になった。
実際、ゆっくりと柔らかい言い方で言えば難聴のオカンも結構よく聞き分けてくれる。
だが、本書の特長は老人を起点として、文化や人そのものの認識論の問題という大きな視点を持っている事だ。大乗仏教の錦論である「唯識」など面白い点はたくさんあるが、まずは人は過去の経験や文化的基盤に基づいて周囲の環境世界を認識しており、なかでも見えるものを見ているのではなく、見たいものを見ている、つまり世界を「仮構」している、その意味では『我々は皆、程度の異なる「痴呆」である。』という視点は強烈に重要だと思う。
もう一つは「引きこもり」というのはかなり日本固有の現象で、伝統的な日本社会で好ましいとされてきた「やさしい、おとなしい、まじめ、几帳面、正直、素直、内向的、細かい、考え深い、神経質、内気.....」な性格の「繊細な」人達が圧倒的に多く、それは他者とつながっていくことによって安心感を得る「つながりの自己観」の感性の持ち主であること。そして従来からあった老人の認知能力の低下を「認知症」として病気化していったように、苦痛をすぐに病気として整理してしまう傾向が最近は顕著だが、引きこもりは基本的には決して病気ではなく、教師や友人達など他者とつながりたいのにつながれない、自立していくことも出来ない中での懸命の回避行動であり、豊かさと引きこもりに容認的な優しい文化のある日本固有の現象だという切り口だ。
そして、その背景には日本社会が従来の「つながりの自己観」から、アメリカ的な自立性を最優先する「アトム的自己観」への転換をしていく中で、「自立能力」を養う教育が欠けてきたことがある、という指摘はもの凄く考えさせるものがある。思うにそれは客観化であり言語化であり論理的思考能力の養成だろう。同時に言葉の限界を弁えたコミュニケーションの確立だろう。確かにその通りだと思うが、では基本的に日本人に希薄なものをどうして奮い起こすことができるのだろう?
そういう点では著者が多少ノスタルジックに肯定する江戸社会の「閉鎖系・循環系」の社会が好ましいという感覚に、僕は賛成しない。大江戸八百八町の警官が少数なのに機能していたのは、ある意味では密告がまかりとおる息苦しい社会があったからであり、そんなものに与(くみ)する気にはなれない。グローバリズムは既に定着しつつあり止めようがない。別にアメリカ流である必要はないが、国際的にやっていこうとするならば自分が何者でその基本的利害は何処にあるかという事を明確に示せなければやって行けるはずがない。「何ごとのおわしますかは知らねども」でつながる感性だけでは、これだけ複雑多様化した諸問題の解決に当たれるはずがないではないか。
再度言おう。それは客観化であり言語化であり論理的思考能力の養成だろう。同時に言葉の限界を弁えたコミュニケーションの確立だろう。
だが我が同胞は先送りと思考停止の中で、選ぶというよりも楽な方に、つまりは引きこもりのように内向きに選択と判断を回避して、ゆっくりと沸いていく水の中での「茹で蛙」になりつつあるように僕は思う。
('09.5.11)少し疲れてはいるが、オカンがショートステイに行って静かな時間をくれたので、映画など見る。「エリザベス/ゴールデンエイジ」 女優では僕は2人のケイトが好きだ。ブランシェットとウインスレット。ブランシェットの方はボブ・ディランを演じたりしているので、こちらも楽しみだ。あるいはクリスティン・スコット・トーマスと言ったら分かっていただけるだろうか?
もう1本は「L change the World」。松山ケンイチも好きだ。
柔らかいものが何か僕の中で渦を巻いている。何かが生まれようとしている。新しいフェイズが始まるような、何かが静かにやってくる様な、そんな気がする。
僕は吉本ばなな風に言うと脳の筋肉を使いすぎる人間なので、興味を持ってハイになればいくらでも行けるので、身体が分離してしまってツケばかり溜まり、時々ひどく手こずってしまう。でも、こういう時は静かにゆっくりと何も考えずに過ごせそうだ。肩の力を抜こう。
平穏がいつも在りますように。この星の生きとし生けるもの全ての上に祝福の在らんことを。
('09.5.10)う~~美味しかった、楽しかった。満足であります。
('09.5.8)明日はコンサート&焼き肉&ワインと忙しいので、明後日の我が家での集いに向けて今日は泉ヶ丘駅前に食材の買い物に行った。福島から全国で金ラベルを取ったくらいの銘酒を送って下さったので、それを軸にメニューを考える。とは言え、音楽の方もディスクを取っ替え引っ替えしなければならないので、あまり当日手のかかるものは出来ない。
で、圧力鍋でつくる鶏ベースの中華粥と、日本酒でも白でもバリ美味しいストレートパスタに決めた。香菜も油条(ユウティアオ)もないけれど、福島から山菜も持ってきてくださるようお願いしたので、それも活かして仕上げたい。
('09.5.6)ああ、大阪にいて良かったと思うことがしばしばある。例えば僕はゴシップというのが大嫌いだ。誰と誰が、とかいうのは聞いたら一応引き出しの中に参考にしまってはおくが、別に知りたいとも思わないし、話したいとも思わない。ましてや巻き込まれるのはまっぴら御免蒙りたい。もし東京にいたら、遅かれ早かれ巻き込まれているだろう。もっと他に話すことは無いのか、もっと探すべき情報はないのか、やれやれ。
自分のペースと距離で考えられるというのは、とても助かる。不便なのは情報がすぐには入ってこなかったり、相談するタイミングが難しかったりする事だが、これは大きなペースで呼吸していればいい。なに、東京というのは少なくとも僕の関心のある世界では、もうニュースの中心でも震源地でもなくなりつつあるからだ。例えば経済では、アメリカにとって見れば日本は米国債を安心して押しつけられる相手であり、今の日本に提案力や発信力がないのは明白ではないか。オーディオにしても同じ、というかもっとひどいかも知れない。いい美術展は絶対東京だが。
世はグローバルになりつつある。情報は離散する。ちゃんと見るところさえ見ていれば、地方にいても問題ないのだと、最近思えるようになってきた。勿論それなりの努力を前提としての話ですが。
('09.5.4)今週のオカンは被害妄想の塊だ。堪らん。
('09.5.2)忌野清志郎がん性リンパ管症のため東京都内の病院で死去。58歳。 人ごとじゃない。まいるぜ。
('09.4.29)GW初日。清々しい気分で仕事に励み、残すところあと1本。自分の中で消化したコンセプトや言葉であれば、コンパクトにまとめられる。
今日は早く寝よう。
('09.4.27)一丁上がり!うっしゃあ!
('09.4.26)限られた期間の中で機器の可能性を見極めようといろいろやってみる。時間的には結構厳しいものだな、と思う。
何事も期限のある仕事は難しい。僕の場合はさっさと早めに片付けるか、ぎりぎりになってテンションを高めて一気に乗り切るかどっちかになる。
明日は月曜日だから、朝からあちこちメールや電話で情報が飛び交い、それでまた動きが見えるだろう。
('09.4.23)春には新しい出会いもあるさ。というような慰めがだんだん通じなくなるのが、年をとると言うことでもある。ままよ、流れていこうかね。おいら南海渡り鳥(難解じゃねぇぞ)。
('09.4.16)メタボも何とかしなければならないので、生活改善のため早く寝る事にして朝型に移行しようとしているが、なかなか上手くいかない。また、そういう時に限っていいアイデアが浮かんだりする。困ったもんだ。
('09.4.14)昨日は仮案も含めて原稿を2本あげて送った。あとまだ大小3つあるが、とにかくリラックスしよう。
いろいろ考えたら、1年のうち半分を沖縄で、半分を大阪で暮らすというのは良いかもしれない。一度に2つのシステムを転がすのはどうも僕には向かないのだが、場所が違えばすんなりとできるかも。とか言っても、オカンがいるから無理な話だけどね。どこにでも流れていけるようになった頃にはもうヘロヘロになってるんじゃないかと、何となく思うし。
でも、どこかに流れていくのは結構好きになってきた。あの空港での手持無沙汰(「てもちぶたさん」って言ってた子がいたなあ。)な「何処にでも行ける」空白感が好きだ。なんでも良いからイタリア行くさ~。秋かねえ。9月中旬以降なんかいいだろね。トスカーナの秋、フィエゾーレの丘と見晴るかすアルノー川。夕暮れのカンパニーレの鐘の音。ふむむ、しばしは幸福な想像にゆらりと流れていこう。
('09.4.13)▼ヤマモッさんが昔の物物を前に処分を検討中らしい。知らない間にいろんな物が貯まっていくわけだ。
僕は来年60才になる。この年になると、自分が死んだらオーディオ機器やレコードなんかを誰に整理してもらうのか、と言うことをちゃんと考えなくてはならない。遺言も本当にどうするのか、独り者はこういう時に考え込んでしまう。カタツムリ達の引取り先をどうするのか。お金の問題では無いんだよね。
▼平穏な日々が戻ってきた。しみじみと有り難い。原稿は順調に上がりつつある。校正が恐ろしいが、今は考えないことにする。
ああ、音楽が聴けて本当に有り難い。ぬちぐすい(ウチナーグチで「命の薬」)だ。
▼僕は明らかに思い詰める北方気質で、だから南の島々に惹かれるのだろう。だが、何処にいても結局は同じだと分かってきたし、必要とされるなら踏みとどまってとことん頑張ってしまうだろう。あれこれ考えて、ぎりぎりまで我慢するストイシズムみたいなものはこの年になっても変わるはずがないし、ラティーノになるにもそれなりの器量が要る。
('09.4.10)風邪ひいて体調悪し。ツケが回ってきたので、仕方ないと思う。俺もアホやなあと思いながらも、ケーブルをいじったりする。長生きはせんな、と思うが、まあいまさら仕方ないさあー。
('09.4.9)▼何とか原稿を2本あげて送った。小品はマイナーポエットがずっと懐で暖めても良いだろうが、長編はある程度の所からは目を換えてみてもらった方が、良いものが出来るように思う。
▼「音と戯れる会」の改訂名簿を送り、新年度会費を払い込んだ。各地の皆さんと交流をしていきたい。また遊びに行きますからね。
▼むしゃくしゃしてる時の衝動買いで、ちょっと高い買い物しちゃったんで、当分は節約っす。でもめったにしない衝動買いをたまにすると結構面白い。買い物も俺のペースで、生きてる内にやっちまうんだもんね。
('09.4.8)一つめの山を越えつつある。明日には2本リリースしたいし、多分できるだろう。
静かすぎて、なにかあるような気がしている。はてさて。
('09.4.7)あー、あほらし。疲れた。さて精魂込めた仕事しよ。今日明日はオカンがショートステイでお泊まりなので、集中できる。がんばって1本できれば2本上げたいと思っている。
そして、遊びの時間の再構築だ。いますぐにでもしたいのは、オキナワで買ってきて以来そのままになっているル・クレジオの2冊を読むこと。アフリカとパリと彼の時間に浸りたい。5月9日にはフルートとチェンバロのコンサートがあり、福島・愛知から友人が来られるので終了後焼き肉&イタリアンバールの、翌日の我が家でのオフ会も含め楽しんでもらいたいと思っている。
4月25日にも友人が来られる予定なので、できるだけそれまでに仕事の目鼻を付けたいと思っている。
気になっているオーディオ機器を1台安くなっている内に買と注文した。さてどう凄いのか。オーディオ以外にもやりたいことがいろいろ山積しているのだが、これもひとつひとつ息を吹き込んでいこう。
英語には「A good Life is the perfect revenge.」という表現がある。良き人生を送ることが最大の復讐だ、という意味だ。もともと僕は足引っ張りは大嫌いな人間だからそんな事は絶対にしない。楽しくやろうぜ。
('09.4.6)入っていた予定は全てキャンセルした。他にどないせっちゅうねん?
と言いながらも、いつまでも怒り続けてはいられないし、心配してメールをくれる人もあり、信頼してくれる人達もいるので、短慮は避ける事にした。第一身体が保たない。
しかし昨日今日の話ではないし、もう指一本動かさないという決断にはなんの変わりもない。
なんで何も分かってない他人に振り回されて、気を揉んで、時にはそれをフォローしたりしなくちゃいけねえんだ。大したもんじゃないが、こいつは俺の人生だ。
('09.4.5)真っ最中。忙し。花見も欠席じゃ。う゛う゛。
('09.4.4)約束は果たすとしても、このままでは保たないので、今日幾つかのことを切り捨てた。それらなしでやっていく覚悟を決めたと言うことだ。うんざりした。僕は自由を目指す。
('09.4.3)少し元気が出てきたので、いろいろ片付けてMS Office Personal 2007をiMacのWindows側ににインストールした。今のOfficeXPだとPDFへのエクスポートも出来ないが、これだとそれが出来てなおかつMac側のOpenOffice.orgでも綺麗に開くことができる。さすがに図形は多少動いたりするが、これはバージョンの違うOfficeでも起こりうることなので、何とか許してもらえるだろう。
オープンソースの時代だし、と多少のこだわりはあったが、手を入れてもらいやすいように汎用性を持たせる事の方が大事だし、20周年記念優待パッケージなんてのも安くて1万円以下だったし、久しぶりのインストールとなった訳だ。
さてマストを立てて帆を上げようかね。
('09.4.1)調べなければならないことはまだ山のようにあり、いいブラウザは必要不可欠なので、Internet Explorer 8 とSafari 4 ベータ(英語版)をインストールした。IEはかなりマシになった感じで、Safariもいい感じで動いている。IEはWindows全体に関与しているので、全体も少しスムースになる。
あとリサーチに常用のブラウザはFireFox、Google Chrome、Opera、LunaScapeで、お友達閲覧用にSlepnirという面子だ。いやあ、ブラウザ開発競争もユーザーとしては悪くない。
ほんではシコシコと見ていこうかね。
('09.3.31)今、僕には殆ど欲というものがない。本当に求めていることは、平穏な心で音楽を聴きたいと言うことと、何かするのであれば「可能な範囲で」、納得できるように、できるだけ意味あるようにやりたい、ということだけだ。でも、この意味というのが人によって違うから世の中は難しい。
そう、淋しさには名前も無いのだった。
('09.3.30)一区切り付いたのと、あれやこれやで疲れがどっと出てここ2日爆睡状態だった。
僕は舞台裏に触れるのが好きではない。これだけ苦労したとか、頑張ったとか、思いを込めたとか、それは本人が抱きかかえていく物だと思っている。とくにものづくりではできあがりが勝負だ。
ただこの何ヶ月間、新しい分野で筋道を立てた説明の仕方を考え続けていて感じたのは強烈な孤絶感だった。わかる人がほとんど回りにおらず、いても自説で固めていたり、こちらのフィールドに出てくる気がなかったりがわかっていたから聞く気もなく、結局英米に出したメールの返事が一番事態を明確にしてくれたし、玉石混淆だが玉のような情報のサイトやフォーラムもあった。
ネタはたくさんあっても、難しいのは、そういうコンセプトを分かりやすくどうまとめるかだ。誤りがあってはいけないし、過度な省略も問題だが、過度な説明は焦点をぼやかせる。シンプルにして、かつヴィジュアルを活用して目で見て大体のコンセプトを理解してもらうようにすること。
iTunesの機能は見事だが、何故音質はいまいちなのか?それはコアになるサウンドエンジンにあれだけの機能を被せてしまったからだ。同じように事をして角を矯めて牛を殺すような事を僕はしたくない。
('09.3.27)今日は親父の命日でオカンの91回目の誕生日。一族うち揃って、といっても弟と姪っ子との4人だけだが、奈良県五條市のお寺にお参りに行く。住職さんもよれてきて今や前期高齢者。
時間が止まったような古い町並み。やっぱこういうところには暮らせんわ、と改めて思いながら、じゃあフランスやイタリアの村はどうなんだべ、などとつい考える。どっちにしろ何か大きな仕事を抱えてでもいないと保たないだろうな。ブルブル。
('09.3.22)週末は雑誌の取材であちこち移動しながら、濃い日々を過ごした。確かに時代はいろんな意味での転換期で、難しいが一方でやりがいもある。
('09.3.17)ここんとこ"panic"という言葉が普通にあちこちで使われはじめている。実体経済のシュリンク、企業間金融の縮小、どうにもかなりやばいらしい。
ちょっといろいろ想定しておいた方が良いかもしれない。
今日は仕事の方を1本出稿したので、少し気分的に楽になる。生のまま沢山スレッドを抱えているとどうも落ち着かないのだが、こればかりは最新の情報を集め続けて音も聞いたりして内容の充実をしていく他はないので、息の長い作業だ。でも新しい切り口を見つけたりすると、本当に嬉しい。
僕はやはり「ものづくり」の世界が好きだ。
('09.3.13)善良な一市民として確定申告を提出して、心斎橋の東急ハンズにアルミ板をオーダーしに行く。本当はそこで帰りたかったが、ついでなので頑張って日本橋へ買い出しに行き、アサヒステレオに寄ったりする。雑誌など読んで、自分が今やってることがほとんど理解されていないんだなという事を改めて実感する。よっしゃ肩の力抜いて気合い入れて行こうかね。
('09.3.12)とうとうTOPIXが700円を切っちまったよ。そりゃ日本に愛想づかしめいた気持ちに外人さんもなるよな。
('09.3.3)デッドラインが伸びて随分と気持ちの余裕が出来た。それで今日はPCも開かずオーディオいじり。
久しぶりに見ると相変わらずやのう、とか、小沢秘書逮捕、むむ、とか、いろいろあっても、なんだかねえ。
('09.2.25)週に何日も地元の本屋さんには行くけれど、僕は遠い街の本屋さんに行くのが大好きだ。那覇では久茂地パレットの7階のリブロ。
入ってすぐのコーナーには須賀敦子、ル・クレジオ、チェ・ゲバラ、白州正子・次郎、伊丹十三などが並んでいる。ね、分かるでしょ?
今回はノーベル賞を機に復刊されたらしきル・クレジオを3冊買った。まだ「砂漠」しか読んでいないが、おそろしく豊穣で色彩的なイメージ、無尽蔵と思われるほどの豊富な語彙が、実に鮮やかだ。
「地上には何もなかった。まったく何もなく、誰もいなかった。彼らは砂漠に生れ、他のどんな道も彼らを導くことはできなかった。彼らは何も言わなかった。何も望んでいなかった。風は砂丘の上に誰もいないかのように、彼らの上を、彼らのあいだを吹いていた。黎明時から休まず歩き通してきたので、疲労と渇きが彼らを外皮のように包んでいた。換装が唇や舌をこわばらせていた。飢えが彼らをげっそりと痩せさせていた。話すこともできなかった。ずっと以前から砂漠のように無言になり、太陽が虚ろな空に燃えると、身体は光りに充ちみち、星が凝結する夜が来ると、氷みたいに冷たくなった。...............疲労困憊した隊伍の殿(しんがり)に、小銃を抱いた男の息子のヌールが、母や姉妹に先立って歩いていた。その顔は日焼けのために暗く、黒ずんでいるが、きらきら輝く眼はむしろ人間離れしていた。」
「それから美しいのは水だ。夏の真盛り、雨が降りだすとき、トタンやタール・フェルトの屋根の上に水が流れ、ドラム缶や樋のなかにやさしい歌声がおこる。雨が降り出しそうな晩、ララは谷間か、海の上空に拡がる雷の轟きを聞く。」
(「砂漠」望月芳郞訳、河出書房新社)
前世紀のベルベル人のモロッコでの反乱や、そのずっと後の現代や、背景は変わっても圧倒的な神話的イメージはむしろ抜きがたい縦糸のように生と死の物語を紡いでいく。
今年読んだ中でもっとも美しい言葉。
またいつか案内人の息子ヌールや海辺の砂丘の街に住むララに会いに行こう。サハラの風と共に生まれ生きる人達に。
('09.2.24)あらら本当に円安になってきたよ。良い材料無いもんなあ。
避難通貨の円に揺らぎ、一転して円売り材料探しに躍起
('09.2.19)お~円の高評価は短かったのかね~、何でGDPが年率換算12%も落ちるのか?
結局は消費と投資が落ちたからっしょ。アホな政治家と役人を食わせるのも大変なんだよ~って言えないよね。
「海外勢の日本株離れ鮮明、GDP落ち込み・遅い政策を嫌気」
「日本国債の保証コスト上昇、円の安全通貨としての地位喪失を示唆か 」
※20~23日と沖縄に行きますので、更新を休みます。
('09.2.12)オーディオ仲間で内科のドクターが気遣って電話をくれる。四方山話をするが、この電話でほとんどリカバリしたようなものだ。友達は有り難い。得難い。
やはり切り捨てるべき事は切り捨てて、放置プレイだな~。
('09.2.11)うう、十二指腸が痛い!夕べはあまりよう眠れんかった。いつも内科でもらっている痛み止めでは効かず、薬局までガスター10を買いに行き、間を置いて2包飲んでようやく納まる。が、夜中にまた痛むだろう。なんかのツケだろうが、1日2包までの制限あっても飲んでやり過ごすしかねえだろ。寝ゆ。
('09.2.10)ロシアもリスケですか。リスケジューリングつまり債務の返済繰り延べですが、民間債務で最大36兆円繰り延べ。これは大口債権者の欧州関係が堪えるだろうなあ。ロシアもアイスランドへ融資なんて言ってるどころじゃない。(北方領土交渉するなら今がチャンスかも。)
どっちにしてもオバマさん待ちですなあ。皆そこから再出発。できることを祈るのみ。
('09.2.6)おお、まずはルーブルから逝くかね。
「ルーブル安でロシアが正念場、レンジ防衛できなければ信用失墜」
「米金融大手ゴールドマン・サックスのビニアー最高財務責任者(CFO)は4日、金融危機対策のための緊急経済安定化法に基づき、資本注入された100億ドル(約9000億円)の公的資金を返済する意向を表明した。 オバマ政権は同日、公的資金による救済を受ける金融機関幹部の年収の上限を50万ドルに制限する方針を発表したが、政府による規制を避け、財務の健全性をアピールする狙いとみられる。(産経より)」
こちらで拝見。おお、根性あるじゃん。でなきゃ資本主義とは言えんよな。
エルピーダメモリに日航だって? 前から思ってたけど、ホントこの国はアホばっかだな。他にすること見えないのかね。最後のチャンスをふいにするのが明らかだな、こりゃ。
('09.2.4)よく言った、バラク・フセイン・オバマ!『米大統領「見直し必要」 景気対策のバイアメリカン条項』
僕は全面的に支持する。
『フィッチがロシアを「BBB」に格下げ、原油安や資本流出で』
『ルーブル売りはユーロ売りに通ず』
をいをいイワンや。建前より欲得づくでルーブルよりドルでエリート層自ら資本流出。でも建前ではコンプレックスまみれだから、牙を剥いたときには何でもするから怖いと思うよ。
('09.2.2)今年の冬はちょっと健康対策めいたことをやっている。ひとつはお茶の水のヤマモッさん特製「生姜シロップ」。いやお湯で薄めても結構濃厚で、身体がほかほかしてくる感じが大変によろし。
「自分で作れば?」と言われてたのだけど、メンドイので「そんなん言わんと作ってェ~な~。」お願いして作ってくれる事になりにけり。神空にしろしめす。世は全て事も無し。
もう一つはこれもオーディオのついでに仕入れたネタで「かないまる」さんがダイエット用にお薦めの「桑の葉茶」。苦そば茶は売り切れで入手できなかったので、とりあえず桑の葉茶を入手した。煮出すと繊維分たっぷりで、ちょっと癖があるのでプーアル茶とほぼ半々にしている。ま、飲み始めなのでまだ分かりませんが、なんとなく良い感じです。
('09.1.27)個人的に思うことはあるが、読んでおくべきものの一つだと思います。
ジム・ロジャーズ―すべては、欧米からアジアへ動く
('09.1.26)「英テレグラフ紙は24日の電子版で、英経済は金融サービス産業への依存度が非常に高いため、他の経済よりも深刻な打撃を受けるとの専門家の意見を報じた。」
金融立国も難しいものだ。でもかなりヤバイのは間違いない。
焦点:米国債利回りが年初から上昇、バブル崩壊しつつあるとの見方
あかんやないか~。
('09.1.25)オバマ就任以来、マーケットは踏み絵を迫っているのか、あるいは「Too big to finance.」という現実に直面しはじめているのか。
抜本策には超巨額な経費が要る。それを本当にまかなえるのか?資本主義の本家で銀行国有化というわけにも行かんだろうし。かくて....。
('09.1.24)こりゃあ、本当に最悪の場合を想定する必要が出てきたね。といっても何もできんがね。節約ぐらいか。だったら家でまだちゃんと聞けていないレコードを聴けば良いので、僕の場合はほとんど問題ない。問題はドル暴落したら貿易規模が減少するから生活物資が値上がりすること。つまりコストプッシュインフレが考えられる。これは本当に電気代も含めた倹約しかない。やれやれ、今はまだ恵まれているなあ。
何とか保ってほしいなあドルと米国債。
('09.1.21)危うし欧州。時限爆弾かも。
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/e/1317cb58ff1f479a18c0f3e12bf91804
http://ensaigaisai.at.webry.info/200901/article_8.html
お後は中東欧の不良債権、新興国向け不良債権が続く予定。
('09.1.15)明日からちょこっと東京さいくだよ。ということで、16~18日と更新を休みます。
('09.1.12)日曜日は電源について話と実作の講座をやってみたけれど、いろんな人がおられる中でのバランスのとり方のさじ加減が難しい。
前日ホテルでちゃんと寝たくせにまたまた爆睡してしまいました。ま、とりあえず一山越したね。
('09.1.9)ヤフオクで落としたMacBookクロが届いたので、昨日はなんやかやの片手間に設定をした。これで我が家の現用コンピュータは常用のiMac、音楽・映像用MacBook
Pro、ちんたら寝室用MacBookクロと3台全てMacになった。もっともWindowsの方が使う比率は少し高いが。
実はいろいろな紆余曲折のあげく余ったチャイニーズBTOを寝室でちょこちょこっと使っていたのだが、これが不安定なのが最近またおかしくなってきてだんだんとストレスが貯まってきた。 まあ、無ければないで何とかなるのだけれど、長い間それでやってると結構データも貯まってくるし、「夜は深更 和机でちんたらとネットするもいとをかし」で悪くない。それに暖かくなってきたら、ベランダなどで鳥の声をききながらもちんたらしてみたい。
で、ヤフオクをみていたらCoreDuo 2GHz・HDD120GB・メモリ1GB・USキーボードのが出ており、これならネットブックに少し足して買えるくらいだし、MacBook
Proで余っていたメモリ2GBも活用できる。届いてみると外観はそこそこの使用感でこんなものだろう。が、実際に使ってみるとWindowsでもやっぱり良いわ、Macは。これは使ったことがない人は分からないと思うが、ハードがしっかりしているので動きがとても安定していて危なげがない。Dellなんてとても使ってらんない気分になる。チャイニーズBTO君は控えのストレージとして時々出番あるよろし。
当然こういうのは音楽再生にも大きな影響がある。DAWソフトのようなヘヴィーなのを使ったときには如実にそれが現れる。フリー・ヴェンダーなんて嘘だよ、まったく。
('09.1.7)年末から年明けにかけて、いつになく密度の高い日々が続いている。もともと僕は先へ先へと考えて少しやりすぎるくらい手を打ってしまう人で、準備をやりすぎるのかも知れない。でも日程の決まっていることはやらなければ行けないし、お仕事となれば尚更だ。
とはいえ、朝にめっぽう弱いのになぜ暖かくなるのを楽しみにしているかと言えば、鳥たちの声だ。うちの斜め向かいが公園で、近隣は大きな公園が数珠繋ぎで遊歩道が出来ているので、朝は鳥たちが沢山来る。何でそういうのが好きかと言えば「鳥は一緒には鳴かない」からだ。つまりてんでんばらばらに好きなように鳴く。もちろん声の高さも違うので、結果、ポリリズム・ポリフォニーのややこしい音楽みたいなものになる。
僕はこういう同時並行的に違ったタイミングでいろんなことが起きる、というのが大好きで、例えばアヴァンギャルド系のジャズやバリ島のケチャのようなのが凄く楽しい。それら全てをトレースしようとして結局は出来きらないのだけれど、何かを上空の鳥と地表の虫との両方の視点から見ているようで、わくわくする。
まあ、ビョーキと言われればそれまでですが、こういう多様性と偶発性に満ちた世界は好みだなあ。タイミングが読めないから面白いのであって、分かりすぎる予定調和は退屈だ。
('09.1.3)フィンランドの写真を見返していると、いろんなことを思い出した。やはり旅に出るのは良い。自分の中のいろんなものが相対化されてきて、大事なものは何かと気がつけば考え始めている。
街も好きだ。ある程度以上都会でないと、どうも僕には辛いところがある。かといってせっかく出かけるのだからキンキラしたものは好きではないので、要はセンスの良さだ。いろんな文化や無駄な時間や道楽心がさりげなく示す粋さ加減が好きなのだ。そういうのを見つけると心に活がはいる。
('09.1.1)あけましておめでとうございます。
昨年は変化と出会いの年でした。今年も多分その流れは続くだろうと思います。
一つ一つを大切にしてやって行きたいと思います。
今年も相変わりませずよろしくお願いいたします。
今日は弟の家でオカンと姪っ子(オカンの孫)とアメリカから来たその友達と一緒に鍋をつついてきました。
明日からまたオカンがお泊まりです。
このHPを始めて足かけ7年目が巡ってきて、寒いですが、まあ何とかやっております。
雑詩三首 (王維)
君自故郷来 君 故郷より来たる
應知故郷事 まさに 故郷のことを知るべし
来日綺窗前 来日 綺窓の前
寒梅着花未 寒梅 花を着けしや未だしや