2004年の日記のページ



('04.12.31)今日は大晦日らしく朝方は雪。お片づけ&掃除モードで、肝心なものは片づかないのだが、部屋はこざっぱりした。あちこち年内に連絡すべきところは皆、調整が付き、これで年越しはOK。
 今夜の作業に備えて、夕方は一眠り。

 今年はどんな年だったか、まとめてみようとしてもなかなか難しい。
1.旅行はあちこちした。ハンブルク、沖縄、ベトナム、そして東京は7回くらい。何か旅先が日常化してきた感じもあり、楽な反面旅情みたいなものは少し薄まる。
2.友人が増えた。特にオーディオがらみと音楽がらみ。
3.マンションの土壌汚染問題で努力するも、問題の複雑さと住民の質のバラツキでとてもまとまらず。気持ち的にはこの集合住宅は終の棲家にならぬと見極めをつけ、理事会も飛び出した。
4.沖縄志向が高まる。今年は沖縄の光の明るさを発見した。
5.母の衰えが目立った。
6.初めての自主企画コンサートを実施し、「オフィス・オンダ」を立ち上げた。次回は5月6日にタブラも入ったインド音楽「新緑のラーガ」。
7.うまくいかないこともいくつかあった。人間は難しい。

 総じてよく遊んだ年だった。マンションの理事会に縛られなくなったので、来年は日程的な自由度が増す。一方で、しがらみや自分が動いて立ち上げる責任も出てきている。
 人生は短いと言うことをつくづく実感している今日この頃、来年も美しいものや感動させるものを求めて、まじめに遊ぼうと思います。皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

※1日から3日まで母の所へ行くので、更新はお休みです。

('04.12.30)メメルスドルフ達が奏でる14世紀末から15世紀初めのルネサンス末期の音楽(フランスとイタリア)にどっぷりと浸りながら、年賀状の画面を作る。何でかというとよく分からないのだけれど、僕の今年のテーマは「虹」。虹の色は7色ではなく物理的には無数のスペクトルがあるのだそうだ。国により民族により色数と表現は違うが、とても特別なものであることには違いがない。

 龍が空に帰るときは、虹が立つのだそうだ。

('04.12.29)正月はいろいろ考えたいことや、読みたいものがある。おまけに年賀状はこれから作る。よって、年内なら今日までにもろもろを片づけておかなければならない。オーディオ関係などで年内に見極めしておかなければならないことをいくつか、釈迦力でやっつけた。疲れた。でも、成果あり。これで来年のイメージもわく。
 それにつけても、財務面の準備が来年の最大の課題になりそうだ。正月は主に経済関係の本と雑誌を読む。それと沖縄関連かな。

 年賀状はいろいろ考えたが、もう現役ではないし、来た人にだけハガキを出すことにした。今つきあっている人たちは圧倒的にメールなので、メールで送ろうと思う。
 今日は久しぶりに東京の友人とスカイプでたらたらと長話した。やっぱり話するのが一番早いって。

('04.12.28)今日は迎春準備の買い物に行く。といっても、カレンダーなど細々としたものを買っただけだが。相変わらずメールが多いのでまずお返事が先行。
 そういえばベトナムも旧暦で動いていて、正月は新暦の1月1日だけが休みだと言っていたが、イスラム、中国、インドの文化圏は全て旧暦がベースだ。僕らがいかに偏った西欧的環境にいるかが、これだけでも分かる。

('04.12.27)どうもまだ「恢復期」は続いているようだ。こういうときは体の中からエネルギーがわいてこないし、何をしてもあまりスカッとしないし、決まらない。年賀状もまだ手をつけていないが、もうすぐカムバックできるような気がする。眠い。

('04.12.26)雨よ降れ、この乾いた心に
雨よ降れ、この冷え始めた大地に
雪が包まない限り、大地は暖かくはならぬ
ならば、せめても雨よ降れ、雪の前触れとして
森々と降り積む雪が全てを覆い尽くしたならば、僕はかしこで眠りにつこう
夢もなく、畏れもなく
ただ眠ろう
ただ休らおう

春など知らぬ

('04.12.25)昨日から眠くて眠くて、すぐ寝てしまう。体が要求しているのだと思う。いろいろ嫌なものはたくさんあるが、必要でなければ、見なければいいわけだ。そうすれば、ストレスはずいぶんと減る。
 でも自分の心の中はいつまでも見ないわけにはいかない。心も冬に戻ろうとしている。何に別れを告げようとしているのか。身を守るように少し狷介になる僕がいる。

 今日は片づけごとをしながら、眠り、少し食事をし、音楽を聴いた。旧YMOというか「ヒューマン・オーディオ・スポンジ」。坂本教授、高橋幸宏、細野晴臣+コーネリアス(小山田圭吾)が素敵だった。コンピュータなのだけれど、随所に手が加わっていて暖かい手触り。僕はYMOよりもこちらの方が好きだ。

('04.12.24)イヴの今日は、一日中アンプいじりとオーディオ三昧にふけった。何も考えずに、手を動かし、電圧を測り、音を聞く。この間のいろんな心のアクをゆっくりと洗い流す。

 その一方で、世界ではある男の野望が達成されつつあるように思う。ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン。
1.今話題になっているユーコス(モービル・エクソンに次ぐ世界第2位の埋蔵量)を吸収により実質的に国有化して、石油市場を支配する。ユーコスを吸収するとみられる親会社は世界でも有数の天然ガス埋蔵量を誇るからガス市場も同様。石油やガスが欲しい中国もこれには対抗できないから、きわめて有効な外交カードができあがる。
2.ロシアはなぜウクライナの選挙に介入するのか?
答:ロシアの選挙はこの前のウクライナよりもっと公正でないから。そして、ウクライナで公正な選挙が実施されれば、ロシアでも同様の要求が起き、プーチン政権の基盤が揺るぎかねないから。

 世界のヴォラティリティは増加の一途をたどっているようだ。ユーコス問題の後の歯止めは、アメリカの裁判所の判断=ブッシュの根性だけだ。ブッシュに根性などあるわけはないが。

('04.12.23)11月以降のマンション理事会運営のあまりの拙劣さに心底嫌気が差し、本日付で理事を辞任した。
1.経緯整理や事実確認の怠慢。勉強会すら開かない。その状態で平気で無定見な意見を表明する愚劣さ。
2.あまりの拙速。無知・無能・無定見な財界ボス。
3.組合内世論についての無神経さ。

 特に今期の新理事メンバーでは迷走するのは目に見えているし、そんなばかげた猿芝居につきあってはいられない。本日他に理事1名、監事1名が辞任しているが、表向きの理由はともかく、底にあるのは同様の強い不信感だ。
 これで馬鹿どもの猿芝居、いや蛸芝居か、を見ずにすむ。やれやれ。

('04.12.22)明日に向け準備は万端。電話等が飛び交って、結構時間がかかった。明日は3人が動く。
 そして今夜は好きせんの忘年会。新しい人が沢山来ていて、とても面白かった。こういう人を集めてくる主催者にエール!

 それにしてもニュータイプにはニュータイプの悲しみがあるんだよ。伊達や酔狂でやってんじゃねえんだ。自分探しの中で、やむにやまれずそうなっているんだよ。なあ、シャア少佐。

('04.12.21)昼前にSkypeで東京の方といろいろ話をする。メールもいいが、やっぱり直接やりとりするのが一番早いし、間違いがない。いろいろなことが少しずつ固まっていく。
 昼からは、資料をまとめ、配布して一段落。これで一区切り付いたと言えるかな。古いアンプのことでいろいろやりたいことはあるのだが、一つずつ確認しながらやっていった方が良いと思うので、図面や現物を長めながら当分は考え中になるだろーな。でもこれも大人の楽しみ方という気がして、悪くないなあ。やはり、英国系は素敵だ。
 

('04.12.20)帰国後、一定休養すべきところ、うろうろしていて疲れが残っているので、今日も寝太郎。午後に電話で起きてから、もぞもぞと動き出す。
 やはり片づけるものを片づけないとすっきりしないので、がんばって資料作り。バージョンの違うオフィス間の貼り付けは微妙に難しいところがある。何とか夜までに片づいて、明日配布できる。それから、お土産を届けて、夜はアンプいじり。古いアンプの音質と部品の関係を確かめたかったので、交換して音を聞く。うむ、古いパーツもなかなかのものだ。

 目を開けてしっかり遊ぶことが、今の僕の仕事だ。いろんな事や人に飛び込んでみようと思う。人生は本当に短い。体は重くなり、心は固くなる。

('04.12.19)昨日早朝、ベトナム(ホー・チ・ミン)から帰国しました。
また、ぺージを起こして報告します。タイトルは、「グッド・モーニング・サイゴン」

帰りの短い夜行便は、少し寝たらすぐに起こされて、疲れもあって帰宅後バタンギュー。言うものの、たまたま目が覚めてタイミングが合ったので、どうしても聞きたいオーディオ機器をヘロヘロで聞きに行ったりもして、そのほかは昨日は寝こけてしまった。

 今日は今日とてオーディオのオフ会。楽しい1日だった。まだ、疲れがあるので、早く寝~~ます。

('04.12.13)11日はブリティッシュ・ハードロックナイト。夕方から友人ががLP持ち寄りで集まり、Ten Years After 、Rolly Galagerなどという渋いものからかけ始める。改めて見直したのは、White Sankeの"Is this love"。それと、アイルランドだがU2の"New Yaers Day"。
 雪鍋は大好評で雑炊まで、ほぼ完食。生姜とニンニクを鶏つみれにやや多めに入れたのが良かったようだ。同じマンション7階でも進行中の別宴会ともドッキングして行ったり来たり、いやよく飲み食べた、しゃべった。
 12日は仕事で、バロックリュート&ギターと東シベリアのトゥバ族の民族音楽のコンサート。モンゴルに似た喉歌(フーメイ)と独特の弦楽器たち。こんなにも違った世界が一緒になると別の新しい世界が出来る。音楽は多様で、そしてすばらしい。

 という最中に、別にタスクが2件あったので、そちらを優先して更新もさぼりました。なにせ、明日からはベトナムなので、そっちも準備しなければならないし。今日は、1件片づけてもう1件はエイヤアで蹴リ出して、音楽など聴きながらゆっくりとパッキングでもしますわい。

 ※14~18日とホー・チ・ミンに行きますので、更新はお休みします。

('04.12.10)今日は母と一緒に天神橋のベトナム料理屋で昼食。今度ホーチミンで作る料理も実際に食べてみて、ずいぶんイメージがわいた。エスニック系はあまり好きではない母が、結構喜んで食べてくれて良かった。母を見送ってから買い出し。
 明日の宴会は生春巻きなど作ってみようかな。

('04.12.9)今日は病院での定期検査(血圧急上昇。トホホ。)の後、ホー・チ・ミンのホテル・バウチャーの受け取りにJTB、以前のユーロTCの繰り戻しにシティ・バンクに行ったり、買い物もあってあちこち動いた。でも、夜の作業で一つ大きな宿題がほぼかたちになったので、気分は少し軽くなった。血圧上昇の原因も分かっているが、はてさてどうしたものか。いっそ乗っ取り返してやろうか。

('04.12.8)映像について書いたら、3人の方からいろいろ情報提供や「こんなのあるよ。」というメールをいただいた。おかげでいろんな角度から整理することが出来た。とてもありがたい。
 こういう人たちがおられることに、つくづく感謝。

 スクリーンをつけたままにしていたら、お泊まりにきた母が、「映画みれるんやねえー」と口を開けていた。長谷川一夫とかも買っておいた方がいいかなあ。


映像についての続き。

プロジェクターについての注釈

 我が家のは阪神優勝セール(懐かしい!)の時に格安で買った旧型のPiano。
400ANSIルーメンと暗く、コントラストも低いがフィルムライクなしっとりした画に定評ありとのふれこみだった。
ハイビジョンは未対応。
 パソコンからのDVI-D入力はあるのだが、我が家のパソコンにはDVI-D端子付きのグラフィックボードがない。仮につけるとしても、デスクトップは別室にあり、ノートにはDVD-ROMドライブもなく、スペック的にやや不安あり。

 でも考えて見れば、PCベースでやれば、映像は今のマランツから切り離してグレードアップできるな。山本さんとこを見習ってチャレンジしようかな?、と考えたが、問題は音声だ。つまりWindowsノートからLPCMをデジタル出力してDACに入れなければ、音声はグレードダウンする。つまり、サウンドカードも必要と言うことになる。

1.ノートのCDドライブをDVD-ROMドライブに換装。
2.ノートにDVI-D端子付きのグラフィックボードをつける。
3.音声も重視であれば、デジタル出力のサウンドカードをつける。
ただし、ノートにはPCカードスロットは1枚のみ。(3までやるとすれば、インターフェースの問題あり。)


 で店に聞いて調べてみたが、Wuindowsもデスクトップならグラフィックボード、サウンドボードを使って十分可能。ただし、DVIケーブルは長く延ばすと劣化するので、長さには制限がある。我が家の別室からは出来ない。
 ノート用のそういうPCIグラフィックカードは「見たことがないし、聞いたこともない。」。DVI-D端子付きのノートもごく少数の機種しかないらしい。また、USB2.0接続のサウンド・モジュールで音声はデジタル出力できるが、TOSリンクの光出力だそうだ。このあたりはさすがのマック!

(結論)デスクトップをプロジェクターのそばに持って行かないと、WindowsではDVI-D出力のHTPCは困難。Power Book買おうかなー?う~~~ん。

 悩んでしまったが、当分は減価償却ベースで現状で行かざるを得ないと思う。
 現状でスムースなグレードアップはハイビジョンの映画番組をD-VHSで録画して再生することだが、D-VHSデッキにはDVI-D出力がなく、プロジェクターがハイビジョン対応していないので、コンポーネントで送ってもD1レベルに落ちてしまう。

 映像は次世代DVD(NECからはパソコン用のHD-DVDドライブが来年発売される予定。)とそのインターフェースがある程度出そろってから、プレーヤー、プロジェクターの選定も含めて真剣に考えようと思う。音声もちゃんと聞きたいしね。


('04.12.7)何事にもバランスというのはとても大切だと思う。思い立って、映像用のケーブルを何種類か試した。コンポーネントが情報量としては多いのだが、うちのプロジェクター(PLUS/Piano)ではむしろ中途半端なアラが目立つ。結局、端子がしっかりしているMITのS端子ケーブルが一番安定してフィルムライクな美しい画になった。高精細画像ではなく、ムービーをみるなら、とりあえずこれで事足りるだろう。

 その後、急いで駆けつけたギャラリーでの、画家のトークでは、久しぶりにオーソドックスな西欧的教養を持った人の話を聞けた。理屈と実作の間を振り子のように揺れながらの「原理」探しと自分探し。
 今の若い人は「スタイル」を探す前にプリンシプルを求めるような、こういうビルドゥンクス・ロマン的な自己形成に興味があるのだろうか?多少違っても、探し物は続いていくと思うのだが。

('04.12.6)来週、マイルを使ってベトナムに行くので、その関係の電話やメールをする。ホーチミンだけなので、現地のツアー会社に伝統音楽の夕べや、家庭料理を学ぶツアーなどを申し込む。特に目的があるわけではないが、関心があるのは小乗仏教の生活への根付き方、そして風土。勿論、美味しい食べ物。
 ホーチミンは熱帯モンスーン気候なので、12月でも平均気温は25℃あまりだそうだ。トラン・アン・ユンの映画のような美しい風景としめった空気に出会えるだろうか?

('04.12.4)今日は午後一からオーディオ仲間のオフ迂回。三々五々メンバーが集まってくる。酒も出るし、料理もするし、いろいろと談論風発。終了は午後11時半。いやあ、よく音楽とオーディオの話だけで、これだけやってるよね~~。すいません、結構酔ったりしているので、この程度で。m(_ _)m
 ふあ~~。

('04.12.3)ビートルズの中で1枚選べと言われたら、「アビーロード」。
 では1曲は?
 悩んだ末に、ホワイトアルバムから「ディア・プルーデンス」

ディア・プルーデンス、目を開いて見上げてご覧よ。
ディア・プルーデンス、光に満ちた空をご覧。
風は柔らかく吹き、鳥たちは歌い、
君は全てのものの一部なのだ。
ディア・プルーデンス、目を開いて見上げてみないか?

('04.12.2)口内炎のことを書いたら、昨日、口腔のプロ、つまり歯医者さんのオーディオ仲間が東京から、「薬送ろうか?」と忙しい中わざわざ電話をくださった。いや、本当にじんとくる。ありがたい。おかげさまで、今日はだいぶ良くなりました。もう少しだと思います。
 今日は今日とて、知識豊かな大先輩にいろいろ話を聞かせてもらえて、とても勉強になった。こういう、展望の広がりが得られるのは、すばらしいことだ。
 出会いに感謝。

('04.12.1)昨日も体調悪く、何とか企画書は送り、体を動かさないよう、じっとしながら、いろんな資料の整理をした。口内炎がうっとうしい。何とか睡眠はとれているので、少しずつ良くなってくるだろう。
 それにしても、夕べ作った『ナーベラーとアンチョビのペンネ』は美味しかった。ナーベラーの汁が独特の旨味になっている。ゴーヤのようにこちらでも簡単に手にはいるようになって欲しいが、無理だろうなあ。

 今日は、午後から結構大事な会議があり、夜は京都で八重山民謡の唄者を捕まえて話をしなければならない。ともかくも、すべき事をやろう。
 それにしても、もう12月。時間の過ぎるのは早い。

('04.11.30)ごめんなさい、どこかで吐き出しておかなければならない、固い話。
少し前のAERAで映画監督・崔洋一の事を読む。新作「血と骨」について「『在日』という視点から見るのでなく、誰もが右へならえした時代に己の欲望に忠実に生きた人間がいた。取りざたされる暴力に出はなく、その意志に魅力を感じた。」と彼は言う。
 「月はどっちに出ている」(面白くてやがて悲しいいい映画だった。)で韓国にはじめて招かれたとき、在日としての恨み節や涙話を期待して、朝鮮籍からの転向声明を求める韓国マスコミに対し、彼はぶち切れる。
 端的にくくってしまうと、彼の「アイデンティティ」は彼自身のものであり、その一部分の拡大を強要される事への反発といえるかも知れない。

 では「アイデンティティ」は社会的にどこまで共有されるものか?
 だれもが軽く使う手あかにまみれた言葉だが、本来は、アメリカの心理学者・精神分析家エリクソン( 1902-1994)が提唱した概念で、「私」を「私」たらしめ、一貫性、同一性を与えているものは何か、ということへの意識、自己確信、のようだ。つまり自分が自分であることの証。他者や社会によって承認され、認識される自己の同一性(すなわち身元)も当然関係する。

 注意しなければならないのは、個人の心理を単純に社会へ当てはめてしまうことの危うさだ。社会心理学の難しい点がここにありそうだ。(この点を開き直ると、宮台真司の様に「何でも知っていて、何でも分かっていて、何にでもコメントできる学者」ができあがるのだろう。)
 つまり、アイデンティティというのは発達過程で各個人が「獲得していく」ものなのだ。既に「そこにある」ものではない。では、「社会全体としての、民族としてのアイデンティティ」を括る(くくる)事が出来るのか?たとえば、ユダヤ人にはユダヤ教という、一応のバックボーンがあり、内外から規定されてしまう人種的なプレッシャーがある。
 日本人の「社会全体としての、民族としてのアイデンティティ」を括ることは出来るか?社会や自然への「共生」という名の自己規定の一億総回避という、この曖昧さの海の中で、縦糸とする何かがあるのか?

(この項終わり。やれやれ。)


('04.11.29)朝からいろんなメールに返事を書いたりしていたが、どうも調子が悪い。口内炎が治らず、だるい。こんなときこそ睡眠が必要なのに、よく眠れない。午後はほとんど死んでいた。夕方カムバックして、パソコンや冷蔵庫などの電源周りの片づけと企画書作りをする。なんか疲れた。パワーが出ない。

 でも夕食に作った『ナーベラー・チャンプルー』はなかなか美味しくできた。同汁(ドゥージル)と言うんだそうだが、ナーベラー(沖縄産の柔らかいヘチマ)から水分が出て、これに島豆腐を入れて、味噌で仕上げて美味しくまとまる。どちらかと言えば、白味噌を多めにする方が僕の好みだ。『ゴーヤとパンチェッタのペペロンチーニ』にもこういう野菜を少し入れればまとまりが良くなるんだろうなあ。ナーベラーはこちらでは手に入らないし、水分は少ないがズッキーニくらいかな。あるいはパスタのゆで汁か。またトライしよう。

('04.11.28)どうも疲れが残っているようなので、午後から元町に気功をしてもらいに行く。思ったほどには痛くはなく、だんだんと改善されていっているのかな、と思っていたらやっぱり痛いところは痛い。
 終わってから、東亜食堂でママさんとおしゃべりしながら、遅い昼食を取る。お土産の豚まん下げて南京町へ野菜を買いに行くが、あいにくと休みで、おししそうなメロンパンなど買って帰る。ふぬ~~。

('04.11.27)結局、打ち合わせに集まるメンバーは読みの通りだった。後は、じゃあ、即興でやるだよ~~~。はてさて、スリルとサスペンダー。ぱちん。
 今夜のメニューは濃い豆乳とにがりで堅めにつくった『島豆腐とトマトのカプレーゼ』。窪田家でいただいたシークワサーを絞る。そして、国際通りのヘリオス酒蔵のメニュー「ゴーヤとスーチカーのペペロンチーニ」にヒントを得て、『ゴーヤとパンチェッタのペペロンチーニ』
 スーチカー(豚の塩漬け)からかなり水分が出ていたので、より熟成したパンチェッタ(イタリアンベーコン)なら、よりパスタらしい仕上がりになると読んだ。結果はまあまあ。ゴーヤの苦さが少し唐突な感じがするので、これをどう他の素材でくるむか。ヘリオスのはスーチカーの水分がスープっぽい感じを醸し出していたが、鷹の爪が効きすぎでこれもどうかなー。ま、上等さー。

('04.11.26)今日は忘年会の会場下見、と言うか、楽しく飲んでしゃべって笑いながら、1日が終わった。日々是好日。

('04.11.25)昨夜、沖縄から帰阪しました。いろんな出会いがありーの、いろんな音を聞き-の、いろんな所へ行きーの、いろんなものを食べーの&飲みーの、いっぺんには書けないので、またページこさえよーかのー?ま、てーげーにして、後から考えよっか。
 とりあえずは、オーディオ日記をご覧あれ。
 皆さんに感謝。m(_ _)m

('04.11.19)明日から沖縄に行きます。いろいろと声をかけてくれる人がいるので、楽しみがいっぱいある。携帯と国際通りあたりの地図さえあれば、それだけで十分。島の風を思い切り吸い込んでこよう。
 ※20~24日は沖縄行きで、更新を休みます。

('04.11.18)いやあ、ぶっ飛んでしまった。UAの日比谷野音でのライブ(BS2)。UA=「花」、UA=「殺す」両義のスワヒリ語。1972年大阪生まれ。自他共に許す雨女。圧倒的な声と存在感。
 突然の雷雨の中、雷の音にコラボして喜色満面で雄叫びながら、ライブは始まる。意味よりもイメージを重ねていく彼女の声と言葉は、猛雨の中に弾んで、いくつものリズムをたたき出すミュージシャン達とスリリングな即興を繰り広げていく。雨の中を笑顔で飛び、ステージの水たまりを裸足の彼女が歩く。ディーヴァ(女神)という言葉は彼女にこそふさわしい。
 ディープで個人的な心情よりももっと大きな世界に向い始めた、この大阪弁丸出しの歌姫は、もっと大きな何かになっていくだろう。オエイ!

('04.11.17)豊橋から来客。昼間の時間を縫って遊びに来てくださった。限られた時間だったが、いろんな話をした。本当はもっと話したかったのだが、子供さんの世話もあり、あっという間に帰る時間。
 いろんな方から、声がかかるのは本当に嬉しいことだ。東京からも、目黒・自由が丘案内するよ、とか、大阪へ襲撃に行くぞ、とかメールをいただいている。とにかく、せっかくの出会いだからできるだけいろんな話をしたい。


美ら島(ちゅらしま)から

話したいことがいっぱいあった。
最初に言う言葉はこれしかなかった。
でも、もういい。
卒業の時期だ。
僕は何も考えず、僕のやりたいことを、ゆっくりと一生懸命にやろう。
それだけでいい。
時はどんな形で過ぎていくのだろう。
時は何を忘れさせ、そして残すのだろう。
南風(はいかじ)が、いつかそれを告げるだろうか?
北風(にしかじ)が、いつかこの日々を思い出させるだろうか?
美ら心(ちゅらぐくる)響かせて島渡る風のように。


('04.11.15)お泊まりに来ている母の調子が今日はなかなか良い。物忘れはするが、それを織り込んでやってるような所もあり、久しぶりにいろいろな話もしたりする。スターバックスのコーヒーはとてもお気に入りで良かった。


('04.11.14)狐に油揚げで愚か者は追従に乗り、下世話に通暁せるおつもりの裸の王様はげに甘き見通しにて踏みだす事となり、竹林の賢者はきれい事の限りにて、ほぼ読みの通り。またの二の舞にはまりたる友は 本人承知の故、致し方なし。これからの迷走の日々で、身内から叩かれることは必定なれど気づきもせず。我らは覚悟を決めて見定めようぞ。いざ踊られよ、うつけにたわけ。


('04.11.13)今日は昼一からウエディング・パーティー。ギャラリー全体を贅沢に使った、手作りのパーティーだが、新郎を含むミュージシャン、ケイタリングしてくれたレストランやソムリエ達は皆プロで、良い感じだった。良い友人が沢山いてくれると言うことは、本当に幸せなことだと思う。
 エレクトリックではいまいちブルージーにならないのが残念だったが、新郎の演奏を遠目に聞きながら、人当たりの良い若いソムリエに内緒のワインもあけてもらって身内でワイン談義にふけったりして、とても美味しかったし楽しかった。
 お土産もいただいて、家に帰ったら眠くて結局一寝入りしてしまったが、考えたら6時間以上飲んでるんだもんなあ。明日からは、また節制。と言っても、朝から気分悪くなりそうな予感もするが、考えない、考えない。


('04.11.12)14日に向けて整理を少し。期待せずに流れを見よう。
 明日はウエディング・パーティー。会場に行くと、キーボードやPAの準備をしたり、テーブルの準備をしたりしていた。人が集まってくれることは、それだけで十分凄いことだと思う。
 それにしても、暑いなあ。冬は来てくれるのかねえ。世界的に異常気象なのだけれど、馬鹿や強突張りや魑魅魍魎も跋扈してこの星の上は何かざわついている。遥か上から見れば、緑なす地球に濁った赤色や鈍色の霞があちこちにかかっているやもしれぬ。
 でもまあ、とりあえずはウエディングだー!


('04.11.11)昼前に定期検診。数値は概ね良好。中性脂肪とγ-GTPはやはり、ビールとワインを控えねばと言うことだろうが、もう少しカロリー表を眺めて考えようか。
 帰ってきてから、昨日アスクルから届いたスターバックスのコーヒープレスでハウスブレンドのコーヒーを入れ、ホイップミルクも作ってラテを飲む。美味である。
 忘年会の会場も早めに押さえておく。気が早いと言うよりも、美味しいものを皆で安く食べたいと思えば、取られる前に確実なところを取りに行くのが一番と言うだけのこと。ほこほこ。


('04.11.10)今夜は近所で1年間お疲れさん会。こんな風にまともな人ばっかりだと、ご近所も平和なんだが......。


('04.11.9)昨日はいささか冴えなかったので、「何にもない日」にして、更新もしなかった。
 今日は「待っていたものが届いた日」。まず昼前に、プリアンプ用の電源トランスがようやく届いた。昼食後組み込む。すばらしい音だ。
 その間に、オーダーしていたスーツが届く。今の生活だと、よほど体型が変わらない限り、スーツやジャケットは今ある分で死ぬまで行けるので、実は買わないつもりだった。でも、ネクタイをしないとはいえ、多少はフォーマルなものが必要なので、いろいろ探して先月東京に行ったついでにマオカラーを1着オーダーしてきた。きめ細かく質問されながら決めて行ったので、多分香港で作るよりいい物が出来たのではないかと思う。


('04.11.7)さても、さても役者は揃うたがの。馬に鹿に蛸に狐とは、夷狄の韓神にてもあるまいに、こはいかな妖かしぞ。いざ、( )芝居の幕開けか、呵々大笑よ、ご同輩。


('04.11.6)今日は心斎橋で大阪ハイエンドオーディオショー。収穫があったようなないような、まあ平和な一日。


('04.11.5)子供のほっぺたって、とてもきめ細かく柔らかい。お腹やおしりもそうだった。多分、小さな細胞がぎゅっと詰まっているから、あんなにつややかで滑らかなのだろう。どの親も皆知っている、もう決して帰ってこない手触り。


('04.11.4)焼酎の湯割りは、燗酒と同様苦手だ。冷やでも匂いのきついものもだめ。泡盛というのは、いろいろあるけど、適度な薄さにして氷が溶けていくのを楽しみながら、ゆっくり飲む酒だと想う。ワインはもちろん、料理を考えなければならないけど、泡盛はさっぱり傾向なので、料理とのマッチングは広いと思う。
 今日は中味というモツ料理やジューシーという雑炊を食べられなかったのが心のこりだ。やっぱり、大正で店をはしごするのが、食べたいものを食べるこつだなあ。家から少し遠いのが玉に瑕だが、行きたくなるんだなあ、これが。

('04.11.3)ここ数日眠くて堪らないが、体が休息を要求しているのだろう。今日はいろいろと片づけながら、ほとんど音楽を聞き続ける贅沢な1日。沖縄の雑誌を読んだりもする。土曜日には沖縄から可愛いお客さまが来る。明日は部品を探しがてら買い出しに出かけよう。

 今、これを書いている時点で大統領選はケリー252、ブッシュ254で、仮投票があるもののオハイオは難しそうだ。またブッシュがやるとしたら、お粗末な人格の馬鹿がつくりだす悲惨がさらに拡大するのだろう。ケリーはともかくエドワーズは良さそうな気がするんだが。


('04.11.2)birdの「九月の想い」、東京・池上本門寺ライブ。
「季節がゆっくり移り変わるよに   君の気持ち変わるかな
あたたかな風が花達を咲かすよに 私の心に夢を」
ここんとこ考えなくなっていたものが、少し揺らめき出す。
ふむ。

('04.11.1)友よ、君の戦いに拍手を送ろう。
いろいろなものを背負いながら、君は意地と心意気でこまでやってきた。
卑劣な攻撃や愚かな言挙げにもめげず、君は知恵を凝らしながらここまでやってきた。
この世に卑怯者と愚か者と暴力が絶えることはない。
そして不必要な血もまた流す必要はない。
戦うに時があり、休むに時がある。
そして杯を傾ける時もまた、いつか。


('04.10.31)これに控えしは太郎冠者にてござる。さてもこの余は、高みの見物と参ろうか、のうご同役。


('04.10.30) 新しい才能に出会う。ダニエル・ハーディング、30歳、イギリスの指揮者。BSアナログでマーラー室内管を振ったベートーベン5番を聞いた。熱くて、しかもしなやかで集中力の高い、5番。祝祭的なフィナーレが凄い。
 アンコールでやった4番の4楽章も、わくわくするすばらしい推進力。こなすオケも凄いが、それを要求して振り切ってしまうハーディングのパワーも素敵だ。

 写真では老けて見えるが、まだ童顔の彼がひたすら音楽する姿は、たとえば西本智実などより遙かにパワフルで美しいと思う。
 わくわくしながら、彼を聞きに行きたいものだ。


('04.10.29) 堤幸彦「恋愛寫真」。とてもいい映画だと思う。NYで死んだフォトグラファーの恋人の足跡をたどってゆく青年。彼もカメラマンなのだが、いろんな街や人の表情の切り取り方が凄い。IWGP(池袋ウエストゲートパーク)以来、街を撮らせたらピカイチのセンスの持ち主だと思っていたが、その通りだった。彼にしては少し甘めなところもあるが、でも良い映画だと思う。広末涼子も相変わらず切れが良くて素敵だ。

 友人の紹介で譲ってもらったアンプがこれまた、よくひろがるナチュラルな音で、自然な街の音がとても良かったこともあるだろう。友に感謝。


('04.10.28)さても面白きことになりそうな、秋の夕暮れよ。
「一期は夢よ、いざ狂え。」(山崎正和「世阿弥」)

('04.10.26)昨日から泊まりに来ていた母が、クリーニングを取りに行って、新聞を取ってくるのを忘れた。その顔があまりにおかしかったので、二人で抱き合って大笑いした。そうだ、笑えるときには笑い飛ばしてしまおう。


('04.10.25)友が死んだ。46歳。何とも言葉がない。
人は儚い。


('04.10.24)自分が持っていないものではなく、持っているものを数える。死んだ子の年は数えない。
これって、長生きの秘訣かも知れない。より幸福になれるかも知れない。


('04.10.23)日記を二つ書くのは、結構アクロバティックなところもあるのだけれど、一つ色にしか染まらない日もある。
オーディオ日記をご参照ください。


('04.10.22)てーげーに、このままで多分行けるんだろうと、ここんとこずっと考えている。昨日みたいに小難しいことを考えなくても、日々は楽しくすぎていく。

('04.10.21)何度も書いているけれど、僕は雨が好きだ。涙が溶けて見えなくなるからではなく、命の巡りや豊かさをそこに感じるからだ。濡れながら歩くのも大好きだし、雨上がりの日曜日の午後などは、美味しい紅茶をいれたりして、ほこほこと幸福感に浸ることも出来る。
 「死ぬまでにしたい10のこと」("My Life Without Me")の冒頭は主人公が雨に打たれるところから始まる。雨に打たれながら、水浸しになりながら、彼女は命を感じる。とても心に染み入る良い映画だ。僕などは、「思ったよりも長い人生だ、なかなか終わらない。」などとほざきながら、「もう終わりだよ。」と言われればパニくるのだろうな。
 答など無いとりあえずの疑問:僕は死に行くときに、誰のことを思い浮かべる事が出来るのだろうか?


('04.10.20)台風だ。いつも夜の間に来て、朝はもう行ってしまっているので、リアルタイムにその中にいるのは何か新鮮な感じがする。水分の大盤振る舞い。
 空は暗く、窓を開けると湿った空気が動き出す。
 昔はブリキの看板が飛んだり、木が倒れたりして結構危なかった。その分、遊び場も拡がったけど。こんなにのほほんと安全でいいのかな、と言う気もする。でもまあ、明日は洗濯が出来そうだ。


('04.10.19)どうも疲れが抜けず、あまり片づかない。一方で、午後中ずっと待っていたのに、NTTは来ず、電話で抗議してようやく5時半過ぎに来る。アサヒステレオの社長に、NTTの株を絶対売るよう再度勧めよう。こんな会社に将来はないと。
 パリ盛況の話が唯一の明るい話、でもないが今日は早く寝よ。


('04.10.18)昨夜は最終の新幹線を予約して、東京駅で待ち合わせた友人と、ぎりぎりまでビールを楽しむ。昔よくやったパターン(笑)。
 友人に恵まれて、とても楽しく濃い駆け足東京。帰ってきたら、メールは溜まっているし、すぐ仕事でバタバタだが、平尾雅子さんが来てくれて、とても良いヴィオラ・ダ・ガンバのコンサートが出来てそれもまた楽し。
 皆に感謝。深謝。


('04.10.14)海路の日和かどうかはともかく、待てばいろいろ動きはある。役者が増えるのがおもしろいが、守りも必要だし。

 ※15~17日は東京行きなどで更新を休みます。


('04.10.13)また早朝目が覚めてしまうが、電話がかかってくることが分かっているので、作業をしながら待つ。案の定で打ち合わせに出向く。
 少し仮眠を取って、また電話があって、それから打ち合わせ。ふむ、決断の時。こんなもんだろう。あちこち電話をするが反応が早いので、志気は高いと思う。汗ばむと思えば、秋の日はあっという間に過ぎる。

('04.10.12)朝から定期検査に行く。先月の検査はドイツから帰ってきて3日後という時期なのだが、その割にはまあまあ。懸念していた中性脂肪の方もそれほどではない。
 一方で、家にいる時のアルコールの取り方を考えなければならないと思う。糖質70%カットというのを飲んでいたのだが、要するにのどごしだけのビール。そこで、味わいように「よなよなエール」というのを買ってみた。これはカロリーはモロだが、味が濃く楽しめる。それを1杯だけにして、後は泡盛。
 要するに、やめたらすべて解決するのだけど、やめられたら苦労はないワケで。(-_-;)


('04.10.11)映画「デブラ・ウインガーを探して」を見る。40歳を超えたロザンナ・アークエットが仕事(女優)と生活(恋愛や結婚、母親業など)は両立できるのか?という疑問を持って、いろいろな女優にインタビューする。
 評論家的にはいろいろ言い様はあるだろうが、とてもいい映画だと思った。醜い老男優はあり得ても、ブスの女優はいない、ハリウッドの男どもは女優を分類するときに、「やれるかどうか」というのを常に考えている、年齢・加齢(aging)へのおそれと整形手術の誘惑。ここがすばらしいのだが、彼女たちは確固たる品位(dignity)を持ってこれらを語る。
 デブラ・ウインガーは「自分の引退はノーを言うものではなく、いままで二の次と考えていたことにイエスを言うものだった。....いま、私が出たい、見たいと思う映画はアメリカでは作られていない。」と語る。J.フォンダは49本の出演映画中8本で実現できた、最高の創造的場面について、語る。
 おそらく彼女たちが言いたかったことは、自分たちは役者であり、物作りの担い手であり、創造的な生活がしたいのだ、ということだろう。ハリウッドのシステムや大衆のスター幻想とのバッティングはもちろんあるにしても。

 誰かいい女と話をしたくなった。電話してみようかな?


('04.10.10)今日はオーボエとフルート・トラヴェルソ、チェンバロのコンサート。若くて才能ある人たち、なかでもオーボエはとても歌心というか、ノリがあって良い演奏だった。打ち上げで、いろんな話をする。やはりレコーディングがあると、まず間違いなくやろうという意識で守りに入ってしまうのは致し方ないようで、ライブは失敗もあるがおもしろい、というのが聞く方も演奏する側も一致したところだ。
 やはり、名演奏というのはなかなか出来ない。オーディオのおもしろさと難しさはその裏返しのようなものだ。


('04.10.9)ブリュッセル・パリ巡業組から留守中の一部引き継ぎをする。コンセプトブックの出来がとても良い。携わっている人のセンスと力の入れ方が伝わってくる。この世界の中だけで浸っていられたら、心地よいだろううなあ、と思う。結局、どこの国でもベースになる精神風景というものは、そんなに一貫したものでもなければ、論理的なものではないのだろう。何となく、や曖昧さは絶対あるのだろう。でも、「何故?」と問いつづけることは、どこの国でも少数派でい続けるということだ。
 昼からは新作スピーカーの試聴兼宴会。とてもよくできた自作で、緻密な計算と良い耳が作り出した、とても細やかでかつクリアな音。いつも思うのだけれど、宴会は宴会だけの方がいい。料理もしながら、音楽も両方とも回すのは、ちと厳しい。その点、よく知っている人とはとてもやりやすい。何も考えず、よく飲み、よく食べた。明日からはまたダイエット。
 Yeah, Band on the run.


('04.10.8)昼から母と、お約束の大お掃除大会。「アチャラ製の掃除機は扱いが難しい。」ということで、掃除機はあきらめてくれた。母があちこち拭き掃除する中を、掃除機をかける。ダイソンを使うといつも思うのだけれど、我々はゴミとホコリの上で暮らしている。
 でもまあ、ピカピカになって、雨が降り始める中、母を桜宮まで送っていく。
 12月に上海に行こうかと思ったけれど、それは来春母と行こうかと思う。花の蘇州や無錫など、暖かい季節がよいだろう。
 「水の蘇州の花散る春を、惜しむか柳がむせびなく」(蘇州夜曲)


('04.10.7)「ゴースト・イン・ザ・シェル」の「人形使い」に言われるまでもなく、「人はただ記憶によって個人たりうる。」つまり、人格というのは、かなりの部分が記憶でできている。
 母を見ていると、そうなんだろうなあ、と感じるときがある。料理をしている最中に、味付けしたかどうか自信がなくなる、というのもつらいものだろう。でも、今日気づいたのだが、それをカバーしようとして負荷を軽くするのは、結局良くないようだ。
 信じて任せる。そしてぐっと飲み込む。少しくらい塩辛かったからって、それがなんだ。何たって、俺を産んだ人なんだから大丈夫だ。


('04.10.6)母がお泊まりに来ています。今日はやたら早起きしてしまって、眠いので、また改めて。

('04.10.5)半日パソコンの前で作業していたら、いろいろ整理できたがさすがに疲れた。最近体重は、ようやく元に戻り、少し減る傾向が続いている。考えてみたら、長い間着るものはほとんど買っていないし、その必要もなかった。もっとがんばって、服代がかさむくらいになりたいものだ。

('04.10.4)今夜は隣のギャラリーでのパーティー。シェフからいろいろ教えてもらったのが大収穫。

('04.10.3)今日はジョアン・ジルベルトの来日2回目のコンサート2日目。やっぱり定刻には始まらない。例によって本人がまだ来ていないとのアナウンスがあり、あちこちで暖かい笑いが拡がる。ジョアンの意向で、空調を止めた館内はやや暑く、そのなかで本や雑誌を読んだり、おしゃべりしたり、ワインやビールを飲んだり、あるいは寝たり、皆思い思いにジョアンがやってくるのを待つ。普段のコンサートと違い、どことなく祝祭的な雰囲気がある。一緒にチケットを取った友人は姿を見せない。昨日の仕事の呼び出しの状況からして、無理なのだろうと思う。
 始まったのは、結局40分遅れ。長身の老人がギター片手にひょうひょうと現れ、「三月の水」を歌い始める。一瞬の弛緩も感じなかった昨年よりは、少しよれたというか、ほころびが見えるようになった感じだったが、「黒と銀のレポート」あたりになってくると、流石のジョアンだ。盛大な拍手が起こるたびに、ためらうようにそれを振り切るように次を歌い始めるジョアンだが、開始40分くらいで、とうとうステージ上で動かなくなる。照明も心得たもので、青のスポット1本に切り替える。それでもオーディエンスは皆知っているので、拍手は鳴りやまない。20分ほどして、照れくさそうにジョアンがまた歌い始める。「悲しみには終わりがないけれど、幸せには終わりがある。」
 2時間で終わって退場し、おしまいのアナウンスも始まったので、さすがにオーディエンスは「これで終わりなのー?」という雰囲気濃厚で、すぐにジョアンが出てきてアンコールを2曲。いろいろあったけれども、それでもやはり皆何とはなしに喜んで帰るという、不思議なコンサートでした。
 年齢というものを感じてしまう瞬間があったのも事実だが、その時の流れも唄になろうとしている。ロングリブ!ジョアン。


('04.10.2)昨日は、午後から堺筋本町へ人形劇を見に行き、1時間ほど立ち見して、すぐ家に帰る。こうしていても、いまは小屋側の意識で見ているのが、気がつけばおかしいところだ。
 オーディオ関係の友人が相前後して2人遊びに来て、あれやこれや鳴らしながら話をする。1人は仕事の関係で呼び出しが入り、急遽福知山にとって返すことになる。大変な仕事だ。
 もうお一人とは初対面なのだが、オーディオ・音楽という共通項があって利害関係はないし、お互いワインが好きなので、気がつくと、終電ぎりぎりまでいろいろと飲みかつ話込んでしまう。(2人でワイン2本。泡盛少々。)大体、僕の場合はたいていの人とはそうなる。増して、同じスピーカーを使っているのだから、お互い身にしみて分かっていることがいくつもある。
 また、落ち着いたらお二人の所へも遊びに行かせてもらいます。


('04.10.1)明日はオーディオの関係の友人が2人遊びに来る。今日の午後はミーティングを終えて、その準備で買い出しに出たり、部屋を片づける。お客様が来ると、家の中がすっきりとなって気持ちがいい。
 その休憩がてら、昨日友人からいただいたCDを聞きながら、ライナーや雑誌記事を読み始めると、これは一筋縄ではいかない話だと言うことが分かる。14世紀から15世紀にかけてのイタリアやフランスの古楽。それを数少ない文献から復元して、音楽としてよみがえらせる。
 過去はすべてが既に定まったものではなく、新たに発見するものでもあった。過去にもまだ開拓されていない豊かなフロンティアがあった。そういう新鮮な発見の喜びが伝わってくる美しい演奏。
 ペドロ・メメルスドルフ率いる「マーラ・プニカ」(=柘榴/ざくろ)


('04.9.30)友人というのはありがたいもので、まずはパリからのメール。「遊びに来てや」も含め、配慮の数々。深謝。
 東京からは、古楽の入手困難なCDを何枚も、雑誌コピーと一緒に送ってくれる。こんなにもらっていいのかなあ、と思いつつ早速お返しに珍しい楽器の録画DVD-Rを1枚送る。
 長らく悩んでいた寝室のAV用アンプもネットでのおしゃべりのついでに、解決できそうになってきた。
 こういうのは、友人がいなければ絶対に拡がらない世界。気分が明るくなってくる。

('04.9.29)9月24日の日記に、オーディオのメル友から感想をいただいた。基本的には同意見で、編集学校の校長先生も批判的にみておられた。そのメールの中でのこれは誠に慧眼。(すみません、初めての無断引用メールです。)
 『「日本語はあいまいな言語である」というのがあります。これは正しくありません、「日本語はあいまいに使うことが可能な言語である」です。』
 まさにその通りだと僕も思う。
 学校でも論理的な思考法や、ディベート的な論理の展開方法を教えない。しかし、それこそが日本人の基本的な精神風景だと、最近思い始めてきた。そもそもアニミスティックでいろいろなイメージが未分化なまま、我と彼とを対置せず、「何となく」くるんでしまう、という風景。「何事のおわしますかは知らねども」。この中で自己完結していれば安全で、これはこれで心地よく、美しい世界。

 しかし、日本人のアイデンティティに「自然との共生・一体感」があげられたりするが、日常生活を見ると実態は全く逆になりつつあるのではないか。これから高齢少子化社会に移行して、労働力不足があらわになったとき、馬鹿な政治家や経済人は「移民」で補え、などと言い出すだろう。違う世界の違う文化の外国人、特に移民のような定住外国人と共生していくためには、「感性」だけでは対応できない。非我の違いをふまえたコミュニケーション能力が必要だ。まずは自己認識と相対化。


('04.9.28)フランソワーズ・サガンが死んだ。彼女のデビューは本当に鮮烈で、冒頭のエリュアールの詩もインパクトがあったが、「悲しみよこんにちは」の新潮文庫に載っていた彼女の写真を飽かず眺めたことがある。
 もう途中で同じ様なストーリーばかりになって読まなくなってしまったが、いちばん好きだったのは「ブラームスはお好き」だ。超絶美形の青年が実は性的不能のサイコパス的殺人者。主人公の中年ハリウッド女優は彼が事故にあったベッドの上で、長い話をする。彼は彼女の年齢を聞き、驚いたことに彼女はそれまで隠し通していた年齢を素直に白状する。彼は彼女の手を取り、言う。「あなたはこれまで生きてきた。それは立派な実績だ。」そして、そっと彼女の手を彼女に返し、目を閉じて「なにか詩を聞きたい。」と小さな声で言う。彼女は書斎に行き、ガルシア・ロルカの詩集を取ってきて声に出して読みはじめる。
 良く覚えている本は捨ててしまうので、記憶の細部は少し違っているかも知れないが、僕がとてもとても気に入っているパッサージュだ。
 アデュー、フランソワーズ.


('04.9.27)君は夕暮れの紅殻の中に思いが潰えていくのを見つめたことがあるか?
君はつるべ落としの夜がいきなり夏の死を告げるのに立ち会ったことがあるか?
君は曇り空のかすかな星が夜明けの光に融けていくのを座してただ見上げたことがあるか?
何の役にも立たぬこれらのことどもは、ただ日々の埋め草にすぎぬのか?
風が通り抜ける音のほかに、飢える魂がうたえる唄はあるのか?
逃げてはならない。
生きていくためには、名前のない心の中の闇に正面から向き合う他はない。
たとえ涙ぐらいしかくれてやるものがなかったとしても。


雨は優しい。


('04.9.26)最近不調気味。どこかバランスが少しずれている。体重もなかなか減らない。ドイツで胃が少し大きくなったようで、節食しても効果が出にくい。

 なんだかんだ言いながら今日は父の墓参り。奈良の五條まで久しぶりに単線に乗る。時間がかかったので、夕方に友人の見舞いには行けなかったが、彼岸と此岸を電車が横切ったのはどの辺だったろうか。


('04.9.25)我が家でいま一番快適な場所はベランダだ。適度に風があり、緑がよく映える。おそらく猫がいたら真っしぐらにこの辺でひねもすのたりするだろう。と言いながら、昨日からパソコン周りを整備している。ワインをこぼして使えなくなっていたスピーカーを別のアンプにつなぎ、音出しをする。タイムドメインミニよりもELANあたりを小出力の真空管アンプで鳴らすと心地良いだろうが、もったいないので手持ちで対応。

 スカイプという無料音声通話ソフトをインストールし、昨日買ってきたヘッドセットにつなぐが、マイクが反応しない。ノートパソコンでは反応したので、デスクトップの音声の問題であることは間違いないが、ドライバの削除などいろいろやってみてもだめ。サポートに電話してみよう。「男の人っておもちゃが好きねえ。」という声が聞こえそうだが、かまうもんか。


('04.9.24)ある建築家の茶室についての講演記録を読んでいてだんだんと腹が立ってきた。建築家としては数寄屋を始め該博な知識をお持ちのようだ。おそらく、デザインセンスも優れておられるのだろう。でも論理展開はなっていない。日本は「座る文化」なのだそうだ。そしてそれは「結跏趺坐」つまり禅的な宗教的要素のために中国よりも精神性が高まったのだそうだ。そして、座るために靴を脱ぐのが文化なのだそうだ。(笑)
 仏教や多神教などを都合の良いときだけ持ち出してきて、あとは「慣習」や建築物を自分たちの精神性や感性を優れたものとして称揚する根拠にする。精神性についての全体像はどこにあるのか?精神的なバックボーンは何なのか?いいとこ取りなら誰でもできるではないか!

 念のために言うと僕は日本人の感性や文化を非難したり、おとしめているのではない。それ自体の中に自己の全体像を語りうる文脈やツールがないことを嘆いているのだ。「感性」しか語れない、「感性」しか語るものがない状況を嘆いているのだ。本居宣長がキリスト教神学を剽窃したように、外部からのツールや体系を導入しなければ全体像を語れないのはなぜなのか?おそらく「禅」を用いてならそれは可能だろう。しかし、葬式の時にしか必要としない程度の宗教の位置づけしかない国民がそれを主張できるのか?
 頼むから誰か答をくれ。

 ハンブルクであった日本生まれのドイツ人が言っていたように、結局個人としてのアイデンティティしか可能性はないと思い始めたところだ。


('04.9.23)スピネットという小型のチェンバロ。いろんな形があるが、今日はとても小型でしかも美しいのに出会った。しかも音もクリアで低音もしっかりとしている。制作者の方に値段を聞くと買うことのできる範囲の価格だった。場所は取らないし、しかも音が良く、軽いとあっては、もし僕がバッハなど弾けたら即注文していただろうな。もちろん、調律など苦労は絶えないはずだけれど、楽器を弾ける人っていいなあ、と今日も思ってしまう。
 (右の写真は同型の小型スピネットのイメージ。イギリスのEarly Music Shopの、なんとキットだそうだ。)


('04.9.22)夜、たまり場のショットバーに陶芸品評会という名目で集まり、よく飲んだ。こんなに飲み会が続くと、また体重が増えてしまう。でもなんだかんだ言って続くんだよね、こういうのが。
 おもしろかったのはゲームを何人かでやったとき。関心のあるなしもあるのだろうが、性格がもろに出る。なるほど。


('04.9.21)昨日はヴァイオリニスト大谷玲子さんを囲む会。お手伝いの感じで行ったのだが、受付があまりに要領が悪すぎて、いつのまにやらお金の責任者になってしまい、結局パーティーではあまり料理を食べられずに、そそくさと引き継いで、友人のライブに飛んでいく。
 ちょっと舞台が高すぎて、ライブハウスとしては違和感を感じないでもない。弦を切ったりするアクシデントはあったが、バンドは好調だったので、まずは重畳。
 後の二次会では、空きっ腹に飲んだのがこたえて、白川夜舟をやってしまった。でも、沖縄ではみな店でよく寝るらしくって、それも良いなあなどと思ってしまったのは里心か。

 今日は不調気味なので無理せず、母と掃除を済ませて、帰る母を見送った。人間は本当に年老いて少しずつ子供に返っていくのかも知れない。それを支えるのが家族の役割なんだろう。少しずつ心を引き締める。


('04.9.19)今日も今日とて静かな日。村上春樹の新作は、いろんな作品群のなかの一コマといった感じで、都会の夜と彼の世界のメタファーが重ねられてはほどかれていくという趣だ。なじんだ世界ではあるが、さほどのインパクトはなかった。

 母と隣のビルでお昼ご飯した後の午後は、久しぶりにアンプいじり。思ったよりもスムースに良い結果が出た。夕食は、鰯のオリーブオイル炒め+ニンニクと胡椒のソース、韮と香菜とさい干しのごま油和えサラダ、厚揚げ焼き、と少しオイリーな献立にしたので、当然ビール。ぷは~~~。

('04.9.18)今日はお泊まりの母とゆっくり過ごし、昼から買い物に行く。同じスーパーでマンションの方と立て続けに出会い、帰りを車で送ってもらえてラッキー。
 長崎五島列島とおぼしき良い剣崎イカを見つけたので、それを刺身に切り、げそは湯引きの刺身、ワタは黒作りの塩辛にする。湯葉、青梗菜の炒め物などと一緒に日本酒が進む夕食だった。
 夜は村上春樹の新作を読む。なかなか静かな良い1日。


('04.9.17)写真はブレーメンの聖ペトリ大聖堂

 ロンドン郊外でロマネスクの小振りな教会に入った時には、人がいなかったのでグレゴリオ聖歌を歌ってみたりして、その響きに病みつきになった。
 ハンブルクでは有名な聖ミヒャエリス教会など行く時間がなかったので、ブレーメンでリ-プフラウエンや聖ペトリなどの教会に行けたのはとてもうれしかった。
 ゴシックの大聖堂は「飛梁(とびばり)」という大アーチがとてもとても高く美しく、本当にすばらしい空間だ。人がいるので、ごく小さく声を出してみたが、なんと長く美しいエコーが天井に昇っていき、ゆるやかに消えていくことか。隣のギャラリーなどこれに比べたら超ミニチュアだ、といっても比べることさえ詮ないが。

 グレゴリオ聖歌は単旋律だから、ホールなどで聞くと寂しくて落ち着かない。でも、こんな空間ではエコーがさらにエコーに、そして声に重なっていき、包まれるように多層の響きの海の中に拡がってゆくことになる。
 まことに、神が人間にエコーを返してくれるように。神に包まれるように。御言葉をかなえさせたまえ。

 時間と空間が区別なく融け合って流れていく世界がここにもある。


('04.9.16)いろいろな人がいろいろな立場(利害だけでなく)でたゆたっている。話を十分できなかったのが残念だが、とてもおもしろい。こういう人たちは流れには乗ってくれるから、どういう流れを作り出すかが結局は問題なだけだ。
 余韻というのは、それぞれのパーソナルな感覚の総合だから、結局はテイストの問題だし、誤差の範囲だ。問題はお金をいつ、どういう形で請求するかと言うことだ。そのためには何らかの芸をしなければならないのだろうか。はてさてワンというかニャンというか。これは、好みの問題ではない。現実の手順の問題だ。


('04.9.15)お昼前から、明日のパーティーの打ち合わせ。皆の粘り腰で人数は少しずつ増えてくる。案内状を送ったのがたった半月前でこれだけ集まるのだから、たいしたもんだと思う。人徳というか、ネットワークの効用か、はたまた業界の人たちのキャラと臭覚か。明日は仕事しながら、ただゆっくりとホールの中を泳いでみよう。何が見えるかな?

 一方で、IMFもハーバードのR.サマーズもアメリカの経常収支赤字が永続できず、早晩ドルが急落するおそれを強く警告している。
 今、損切りすべきか?そこで買いを入れるか?答:僕はトレーダーではない。長期トレンド=リスクの分散で考えよう。しかし、悩ましいのは悩ましい。


('04.9.14)いろいろ考えて作成し、明日に備える。パーティーの方も人数が少しずつ増えてくる。
 体重がやはり増えていてなかなか減らない。今日定期検査に行ったときお医者さんもそう言っていたが、昼からビールを飲みたくなるのもドイツ後遺症かも知れん。(「元からやろー!」の声あり。)和食・縦メシと節食。う~~、それにしてもなかなか応えるもんだ。


('04.9.13)月の満ち欠けを知りたいと思い、「ムーンクロック」というユーティリティを入れている。たとえば次の新月は14日の23時で、満月は28日の22時。
 月のない夜は自分の心を見つめる夜なのかもしれない。


('04.9.12)何となくお休みだよ~~。ハンブルク歌劇場のモーツアルト「魔笛」の話はオーディオ日記参照。


('04.9.11)写真はブレーメンのリ-プフラウエン教会の薔薇窓。
     この下に巨大なパイプオルガンがある。

 10日朝にハンブルクから帰国。昨日の午後は昼寝して、実は今日も今日とてやたら眠く一人時間差攻撃の調整中。寝ても久しぶりにいやな夢を見たりするので、芯がほぐれるにはもう少し時間が必要かも。

 クリーンで安全な街であり、オープンな感じが充溢している。ブレーメンに1日遊びに行ったとき、初めて旅をしているという気分になったくらいで、今回のハンブルクでは異国にいるという感じがほとんどしなかった。連れがいて仕事があったことや、日本人の方とたくさんお会いしたこと、下手な英語で用が足りたこともあるだろうが、とても不思議な気持ちだった。
 オックスフォードにいるときの感覚に近いものがある。たぶん、ニューヨークではこうはいかないだろう。

 デジカメのバッテリーが充電不足であえなくダウンして、撮りたかったものも写真にとれていないし、簡単に思いつくままに。

1.緑の多さ。飛行機から見ていても郊外は本当に別荘地のようで、市内を歩いても緑の多さに圧倒される。

2.ハンブルクは戦災でかなり焼けており、再建した建物も多いそうだが、やはり歴史的な建築物は多く、ドイツ第2の都会でもこれだけの遺産が残されている。


3.ビールはおいしい。軽く冷やしたくらいで、とても味がよく分かり、いろんな旨味や苦さが心地よく広がっていく。ピルスナー系やヴァッサー系のきめ細かさも、ダーク系のソリッドさもとても楽しい。フルーツのようなアルスターも印象的だった。僕はビールに関しては断然ドイツに軍配を上げる。結局、ワインはあまり飲まなかった。リースリングは確かにおいしいが、すべての食事にこれというわけにはいかない。赤の役割をビールが果たしているのだろう。

4.ソーセージ・ハム類はおいしいが、さすがに毎日は堪らん。パンも期待したほどではなかった。ということで、後半は中華、ベトナム、タイなどのアジアンエスニックに避難した。

5.ハンブルクはドイツ人にとっても「住みたい町」ナンバーワンだそうで、分かる気がした。もちろん、あちこちクリーンでないところやディープなところもあって、何回も行かなければ分からない面もあるのだろうが、こんなに居心地良くても僕にはあまり長期に住みたいとは思えなかった。
 なぜか?う~~ん、なにか届かない感じというか、もどかしい感じがするんだよね。でもいいところだと思う。


('04.9.3)いろいろ片づけて、結局夜の理事会に間に合うように何とか帰る。11時半までやって戻ってみたらメールの山。最優先のみ片づけて風呂はいって寝る。おーし、機内で寝ようか。

※4日~10日の間ハンブルクに出張しますので、更新休みます。

('04.9.2)9月に入って急速に秋めいてくる。今日は雨模様なので、Tシャツ1枚では「肌寒さ」と言う言葉を思い出す。

 ハンブルクでの上映会のシナリオを読んでいて、先日聞いた水墨画家の方の言葉とリンクがつながった。紙に白=胡粉を塗らない。そして、紙の地の色に選び抜いた青墨につけた筆をおろしていく。その「にじみ」は紙や湿度や環境により偶然のように変わっていく。
 つまり「余白」を塗りつぶさない、あるいは表現しない、と言うことだろう。余白と辞書を引くと”Space”と出てくるが、強いて英語表現すれば”Surplus Space”ということになるのかな。でも余剰ではないんだ、それは直接表現していないだけで、描かれているものと「それを包み込んでいるもの」との饗応というか響き合いなのだ。
 そしてそれが、「余韻」になる。”Aftertones”、大好きな言葉だ。余韻が心の中にたゆたっている中で、次の表現が「ゆっくりと」入ってきて、また響き合い新たな余韻を作りだす。まるで、サステイン・ペダルを踏み続けながら優しく弾き続けるピアノのように。
 モンスーン・アジアにはおそらくこういう感覚は大なり小なりあって、日本だけの感覚ではないような気がする。しかし、包み込み包まれる関係性と、響き合いと、ミニマルな視点、あるがままの空間と自分たち、多様性と「受け入れる力」。まずはそれらを再発見してもらえるように提示することだ。
 いってみれば建築物を造る作業だ。第2幕には、そこに「住み手」が登場しなければならない。感性をどうパワーとして、生活者としての「仕組み」として具体化していくか。そこが、各自の再発見と工夫の旅になるのだろう。

('04.9.1)今日は旧の職場に顔を出す。顔なじみのメンバーが戻ってきたり、情勢は厳しいが相変わらずと言えば相変わらずのゆったりした感じ。このHPも見てくれていて、話も早くありがたい限りだ。
 その後、千林の方に友人のお見舞いに行く。こちらはずっと厳しいが、強い人だからつらい決断も乗り越えてカムバックしてくれるだろう。いろいろあっても、生きていることが大先決だ。生きていればいいことも必ずある。

('04.8.31)昨日は台風もあって外出を見合わせたので、今日は携帯で連絡を取りながら、外回りで用件をすませる。やはり暑い。ハンブルクの涼しさ、寒さ(?)がなんだか待ち遠しいような気もする。
 明日もいろいろと出かけなければならない。まあ、明日あさってくらいですませておかないと時間がない。

('04.8.30)海外に行くとき、特に一人旅の時には、本は必需品だ。メシが出てくるまでの時間つなぎ、だいたいが半日くらいしか航続距離がないので歩き疲れての休憩やホテルでの仮眠前のひととき、何かを待つときなど、気分転換もかねて役に立つ。前回ロンドンに行ったときは「海辺のカフカ」だった。次には「新古今和歌集」だと思っていた。外国の街角でピュアに日本的なイメージに浸るのも悪くない気がする。落差の中で見つかることもあるかもしれない。もっとも、今回のハンブルクでは出番はないような気がするが、文庫本の一冊くらいいいよな。

('04.8.29)逝く夏を惜しみ、くる秋を心待ちて口ずさみぬるを。(私)

黄昏の軒端の荻にともすれば穂に出でぬ秋ぞ下にこととう
桐の葉もふみ分けがたくなりにけり必ず人を待つとならねど
                               (式子内親王)


('04.8.28)今日は元町へ気功に行き、そのあと西班牙料理屋での「ロルカ詩祭」へ行く。午後5時始まりなので、もしやと思ったら、案の定「イグナーシオ・サンチェス・メヒーアスに捧げる弔歌」から朗読が始まる。4人の詩人が立つが後半の2人は良くない。詩の言葉は、照れたり、おのれの言葉に酔って語られるべきではないと思う。それは、何か(少なくとも自分)と対峙して、空気を賦活させるようなものでなければと思うのだが。後半の創作詩の朗読はパスする。
 朗読の伴奏もしていた、筑前琵琶と日本胡弓の演奏はレパートリー的にもっと違う音が聞きたい気がするが、なかなか興味深かった。特に日本胡弓の音の変化がおもしろい。緩いテンションの楽器は、いろんな音が出て楽しい。すぐではないにしても、企画が立てられるかもしれない。


('04.8.26)最近、エレーヌ・グリモーというピアニストに関心を持っている。34歳、サガンのデビュー当時を思い出させるいかにもフランス的な美人。鋭敏すぎる感受性を8歳の時に出会ったピアノに救われ、天才少女としてしか扱わない周囲との軋轢の苦悩をオオカミにいやされる。オオカミを保護する施設を作るために、マンハッタンでピアノも持たない極貧生活を送り、ニューヨーク近郊で施設を個人で運営する。
 先日彼女のCD5枚組を買ったのだが、デビュー盤(15歳)のラフマニノフの「音の絵」では、今年の来日時のショパンと見まがうほどの完成度がほぼ既に達成されている。ラヴェルのコンチェルト2楽章のアルカイックな美しさ。やはりこの人は天才なんだと思う。

 でも彼女について一番印象に残っているのは、11年間一緒にいる恋人についてインタビューで聞かれたときの答えだ。
 「ひとりでがんばるよりも、誰かと成長するほうがよほど難しい。でも、相手と変化を分かち合えるというのは、とてもすばらしい感覚なのです。」
 僕について言えば、成長と言うよりもキャッチボールをしたい。言葉や思いをやりとりしながら受け止めて、ゆるやかに静かに流れてゆきたい。

('04.8.25)先日、次の企画コンサートに向けてインド音楽のお二人とイメージあわせの話をした。四月、大川沿いのまだ桜が少し残る季節に、打楽器、それも最高のタブラ奏者も交えて、花咲く春の祭りのラーガなどやれたら最高に楽しいだろうなあ、とイメージはだんだんと形をとってきた。
 インド音楽についても少しコンセプトが見えてきたが、それはまたゆるりと勉強していこう。

 先日の琵琶とサックスのコンサートの時も思い、インド音楽のお二人もそう感じてくれたのだが、プロデューサーの役割はミュージシャンとコミュニケートして演奏会の形やコンセプトを緩やかに隈取り、彼らが演奏に専念できる環境を作ること。そして、MCとしては観客にイメージを広げるためのキーワードを提供することだと思う。この前のキーワードの一つは「シルクロード」だった。多様な世界の響きが様々な風に乗って伝わってくるイメージ。
 「花祭り」だろうか、次のイメージは。お釈迦様に甘茶をかける。世界は祝福されてあってほしい。


('04.8.24)誰が風を 見たでしょう。
僕もあなたも 見やしない。
けれど木の葉(=心)が ふるえたとき、
風は通りすぎていたのです。(拙訳)

Who has seen the wind?
 Neither I nor you;
But When the leaves hang trembling
 The wind is passing thro'.
(Christina Rossetti "The Wind")

('04.8.23)ようやく秋の兆しが感じられる日差しになってきた。もう夏も逝こうとしている。ほっとするようで何かしら悲しい。夜長の祝祭は終わりを告げ、冬を身近に感じながら世界は急速に色を変え始める。その変化の早さに、時として取り残された名残りのように、人だけが吹く風に揺れ続ける。

 よく寝てもまだ十分でないくらい寝た後、昨日の続きで頼まれていた資料を作る。古代ケルトあたりに夏の死の祭りがなかったのか、それともあれは冬の死、つまり春の祭典だったか、などと考えつつ。その後、昨日からお泊まりにきていた母と、夕食でお出かけ。といっても、隣のビルだが。丸鍋がなかなかおいしかった、特に雑炊が美味。

('04.8.22)昨日の午後から夜は元町で東亜食堂をベースにうろうろした。なんかこういうゆるゆるした午後の過ごし方って、アジアンチックでなかなか楽しい。それにしても、夕方からはよく食べ、よく飲んで、よくしゃべった。今日の夕方になってようやく普段の感じに戻ってきた次第。日々是好日。


('04.8.20)実は今回はCドライブのみ再インストールした。他ドライブのデータは一切さわらずにすんだわけで、それはよかったのだが、予想していたとおり、Windowsのカーネルとのパスが切れたので、アプリとしては認識されていない。しかも、「ファイルと設定の転送ウイザード」のせいか、中にはexeファイルが消えているものすらある。

 ということで、時間が空いたらアプリも順次再インストール。中には、アップグレード版なのに旧バージョンを捨ててしまっているとか、プロダクトキーが見あたらないとか、お笑いぐさもあるが、こういうのはなくても何とかなるアプリだったので、逆にすっきりして良いかも、と割り切る。要はOS中心に余計なものは入れないこと。毎回同じこと言ってるが。(^_^;)

 Active-Xはじめインターネットからのダウンロードファイル・ファイルの方はこれまで常駐ソフトで監視・記録していたので気にはなるが、記録しているだけではゴミ掃除はできない。視点を変えて対スパイウエアソフト"Spybot - Search & Destroy"を導入した。日本語対応しているので画面はわかりやすく、アップデートすると日本語ヘルプもインストールできる。チュートリアルだけ読んで早速スキャンすると6個の問題ファイルが見つかったので削除する。再インストール後、実質動き出して1~2日なのにこの状況。う~~む。
 スキャンも凄く早い。でも今日スキャンしたら、また5個不正なレジストリ修正が見つかった。残念ながら、自動アップデート機能はないので、少なくとも週1回はアップデートしなければならないが、動作も速くトイレに立つ間でも十分可能なので、Ad-Awareのように常駐させるよりもマシンの負担は軽くて良いだろう。自動アップデート以外は、圧倒的にSpybotのほうが使い勝手や機能はよいので、まめにアップデートしてスパイウエア探しをするとしよう。

('04.8.19)ここ1月あまりのパソコンは、起動時などフリーズ気味で、どうもおかしいと思っていた。あの手この手でなだめすかしながら、アップデートをしているうちに落ち着くだろうと思っていたら、だんだんと深刻になってくる。これは生半可なことではないと、分かったのが17日。夜打ち合わせがあったので、中断して戻ってきてからリカバリ作業を続ける。修復インストールをかけるが、LANとサウンドのドライバがインストール段階で入らず、2回やったが、WMIのサービスが立ち上がらないなど、デバイスドライバはOKだがOSがシステム的におかしくなっている。ここでもうすぐ朝になったので、疲れ果てて仮眠をとる。
 18日の午後からは、勉強がてらマイクロソフトと何回も相談してあれこれリカバリを試みるが打開できず、最終的に再インストールを決断する。「ファイルと設定の転送ウイザード」を働かせて、情報を集めている間に再度休息をとる。
 夕食後再インストール。これ自体は非常にスムースにいく。まっさらのクリーンインストールしたXPのなんと清々しく、サクサク動くことか。

 原因は特定できないが、内部でアプリがかみ合っていたためだろう。今回、再インストールするときに改めて見ると、もう忘れている不要なユーティリティやフリーソフトが結構入っている。常駐もそれなりに多い。2年半特に大きなトラブルもなく、XPが堅牢なカーネルを持っているからと過信したのがいけなかった様だ。

 もう少しメンテに時間はかかるが、ほぼ日常に戻った感じだ。いろいろと、勉強になった。

('04.8.18)いやあ、ひどい目にあいました。Windows XPがおかしくなって、復旧に努めたものの、結局再インストール。これまでの経験を生かして、いろいろ確かめながら2日がかりでなんとかしたものの、疲れましたわい。詳細後報します。もう、寝ゆ~~。

('04.8.16)酒を止めて足かけ5日。暑い中出かける体調ではないので、理事会の準備がてら昨日に続きひたすらハンブルクの勉強をする。驚くことに日本語でかなりの情報が検索出来る。いかに日本人が沢山訪れているかがよく分かる。ルフトハンザ(マイルのカードは"Miles & More"!)は勿論、フランクフルト空港の日本語のページがある。ハンブルク空港は英語ページしかなく、フラッシュを使った着陸風景からはいるバーチャル・エアポートという凝ったページもある。もっとも、そのわりには分かりにくいが。商工会議所の場所が分からないが、そのうちに見つかるだろう。
 9月5日から歌劇場では「魔笛」をやっている。ミュージカルはそんなにメジャーなのはなさそうだ。ロンドンよりもずっとスムースにネット上で情報の事前把握が出来るような気がする。

 現地は朝夕肌寒くなりはじめているようだ。多分空を超えて一気に秋の中に飛び込むのだろうな。空港へ降り立ってみれば既に欧羅巴は秋。湖畔の街はどんな秋色なんだろう。

('04.8.15)朝、お腹が減っていたが体調があまり良くないので、ご飯を温めてお粥を作る。中華スープをベースにとろっとさせて、香菜を刻んで入れる。中華風菜粥のできあがり。胃に優しい。食後には烏龍茶を喫する。好好(ハオハオ)。

 言葉は難しい。電話では伝えきれない気持ちや思いっていっぱいあるよな。少しもどかしいが、そんな事もあるさ。ゆっくりと前に進もう。なんくるないさー。
 
('04.8.14)疲れがどっと出てきた感じで、ひたすら寝ている。気持ちを整理し、決めることを決めて、いくつかのことはスローダウンする。そういう調整期なんだなとしみじみ思う。世間はお盆だし、こちらも静かにゆるりとまいろう。

('04.8.13)宿題のようになっていた預かりもののアンプのレストアが終わった。盆明けに発送したら、もうフリーだ。嬉しい。
 もっと大事な事がある。言うべき人にちゃんと言わなくてはならないことがある。僕にははるかに大事なことだ。

('04.8.12)今夜は桜宮駅前でちょっとした飲み会というかお話し合い。本題は10分足らずで終わり、後はあーでもない、こーでもない、でもこんな話もあるでよ~、というディープな話がえんえんと続く。例えば、デジタルオーディオの話。光ファイバーの中で光はどんな感じで曲がっていくのだろうか、とか電子1個分で出来る信号伝送体系はあり得るのかとか。理論とファンタジーの境界線。
 凄く気宇壮大な話でもあり得るのだけれど、与太話でもあり得る。どちらなのか定かでなくなり始めたところで、よい子はおうちに帰る。ん~~、新月は月曜日の話か~~。ほあ~~~~。

('04.8.11)絶食をして昼前に定期検査でお医者さんに行く。血糖関係の数値は安定して低く、ほぼ問題ないとのお達し。中性脂肪も一時より低くなっているものの、今回はまた上がっている。総コレステロールにいたっては基準値以下なので、下がりすぎているぐらいだ。訳が分からないのだが、治療の効果と食養生の効果はそれなりにあるようだ。もう少し規則正しく眠れたら、もっと安定するような気もするが、努力しよう。
 やはり、BOWSは効いていると思う。スーパーアミノBOWSはダメダメだったが、レギュラーのBOWSは摂取カロリーを押さえてくれるので、ついつい食べ過ぎてしまう宴会の時とか、少しハイカロリーなものを食べた後にしっかりのむと、効果が大きい。市販では結構高いのだが、ネットで安いところを見つけたので、健康のために続けている。
 ビールを控えればもっと効果的なんだが、こんなに暑いとビールなしでは生きていけないしな~~。


('04.8.10)深江橋で連れが製作した短編フィルムの一挙4本上映会。4本通してみるといろんな事が見えるし、イメージと結構違うところが浮かんできたり、大変面白い。打ち上げから3次会まで行ってしまったが、結構さわやかに目を覚ました。気持ちの中にあったこわばりみたいなものが、ゆっくりと溶け始めているのが分かる。

 日本人には突き詰めたアイデンティティー概念なんてものはないし、「感性」はそれだけでは問題解決にはつながらない、と言うのが基本的な僕の意見だ。それは「間」などに代表される、例えば空間や自然のような共有物に対して、心象風景として直接つながる感性はあるが、一方では「入会制」のように共有物を大事にし維持するような社会的仕組みが失われているところに、現れていると思う。感性はそれなりに残されているのかもしれないが、社会的にそれをどう機能させてどんな共生関係を作り上げていくかというプランが、具体的にはほとんど無い。
 例えば、都市の消費社会の中で自然との共生をどう作っていくのか?外国人のような、こういう「感性」を直ちに共有出来ない人たちと、どう共生関係を作っていくのか?

 答えの一つは「環境」あるいは「エコロジー」だろう。ある部分では似たような感性を持つネイティブ・アメリカン達の考え方もトレースしてみた方が良いな。彼らの中には、自然との共生の他に自然やいろんな力への「畏れ」もある。世界遺産に指定された熊野が神(達)の宿る場所として畏れられたように。

 でも、まずは認識するところから始まるのだから、そういう「感性」が自分の中にあることを気づく、あるいはそういう「センス」や「価値観」があることを知る、そういうところから始まるものなのだろう。都会の中で、それが具体に反映された建築物を造るのは、棟梁達の仕事だ。都市計画を作るのは、プランナー達の仕事だ。考え方は、誰の仕事なんだろう?

('04.8.9)夕べは久しぶりにまとまった時間眠ることが出来た。いくつかの事を確認し、決断した昨日から今日にかけては、後で振り返れば多分とても重要な1日になるだろう。
 最近、気持ちが波立ち続けていたことは自覚していた。いろいろ事が多かったこともあるが、なぜ心底くつろげないのか、その理由が見えてきた。
 大体僕は見切りを付けるのが早すぎる傾向がある。つまり、辛抱がない。本当は待つのが大の苦手だ。だから、無理をしても結論を出しに行ってしまう。無理をすれば心がささくれ立つ。当たり前のことだ。一度に2つのことは考えられないし、人を振り回したりもしてしまう。

 手が届かないと思い、1枚1枚薄皮をはぐように終わらせていった思いを、この間少しずつゆっくりと暖めながら見つめ直した。本当に大切なのは何なのか?本当に必要なのは何なのか?
 もう遅いのかもしれない。しかし勇気を出すのは、多分いましかないだろう。

('04.8.8)今日は昼から元町へ。好きにせん会の気功ツアーの段取りを兼ねて気功をしてもらう。さすがに要領が分かってきて、痛いがそれを受け入れる準備が出来るようになっている。
 終わってから、豚まんを土産に買って、「本館」牡丹園で餃子(韮のと、野菜のと)と海鮮焼売を買い込み、南京町の三木商店でインサイ(香菜)を、堂記で特製焼き豚を買う。おまけにディープなワインショップでカレーに合わせるワインを見つけてしまった。
 てなわけで色々買いこんで、はたと食いきれないかもと気づく。で、ご近所さんも巻き込んで臨時の夕食会。世は全てこともなし。

('04.8.7)今朝はまた早くに目ががさめてしまった。最近続けて長い時間眠れない。濃いコーヒーを飲んで、お礼状のメールなどをあちこちに打って、電話してまた寝る。
 昼から昨日のコンサートの整理したりしながら、ゆっくりと過ごす。夕方には学会で大阪に来ていた友人が遊びに来てくれた。オーディオの話が中心だが、随分と話し込んでしまう。最近の自分は友人に恵まれていると今日も思う。

 DAT(デジタル・オーディオ・テープ)を届けてくださったので、昨日のコンサートのライブ録音を聞くことになった。ホールの天井の高さが感じられるのはなかなか凄いと思う。流石によく録れている。自分の声は骨やあちこちに共鳴して振動しているので、実際には随分細く高く聞こえるというのは分かっていたが、こうしてオーディオ装置で聞いてみると恥ずかしいものだ。やっぱり偉そうな感じに聞こえるんだな、と改めて思った。
 さて、次はインド音楽か、はたまたサックス、琵琶か。当分楽しんで考えよう。物作りは楽しい。

('04.8.6)琵琶とソプラノサックスのコンサートが無事終わった。今回は企画からやらせてもらったので、平家物語は絶対入れて欲しいとか、インド音楽もやって欲しいとか、いろんな要望を織り込んでもらえた。個人的には平家物語の安徳天皇・建礼門院入水の下りを聞けたことが凄い収穫だと思っているが、本当はシルクロードやインドの大地の風の音を実感してもらえたことだろう。

 多様な価値を認め合い、お互いに共生していく。我々が普段知っている音楽とは違う世界を実感することで、そんな気持ちにつながるならば、こんなに嬉しいことはない。
 世界には良い音楽が他にもいっぱいある。もちろん欧米にもそれはある。その発見の旅の糸口になれるならば、こんなに素敵なことはない。
 何よりもオレには支えてくれる良い友達がいる。今日はそんな仲間たちの一員になれたような気がした。こんなに幸せなことはない。今日はとてもいい一日だった。

('04.8.5)脚の調子は良いので嬉しい。これならハンブルクの街を歩けそうな感じがしてきた。

 だが、かすかな期待は裏切られた。スタッフ・ミーティングとやらに行くが、要するに女子大の同好会じゃないか。結局は分かってないし、立場だけは敏感に守って思いつきで平気で物を言う。一貫性のなさの自覚がない。若い人もいたのでそれなりに抑制はしたが、やはり終わりだ。あばよ。

('04.8.4)琵琶とソプラノサックスのコンサートがいよいよ明後日になった。インドの横笛バーンスリーと通奏低音の弦楽器タンブーラも加わって、よりカラフルで深い響が聞けると思う。予約も少しずつ増えてきて、とても嬉しい。
 今日はプログラムを作成した。色上質が切れていたので、通常紙にコピーしたが、まあ手作りということで許して頂こうと思う。

 いろいろやっている内に、PCが一瞬フリーズして制御が効かなくなるのが、頻繁になってきた。タスクマネージャーを見るとCPU利用率が異常に高くなっているので、何かがバックグラウンドで働いているとしか思えない。どうも16ビットアプリのからみではないかと、目星をつけ、スパイウエア対策ソフトのAd Awareを起動させてスキャンした。結局、12個のクッキーファイルが怪しいと出たので、それらを削除した。
 その後はこの現象は全く起きていないので、多分、この辺が原因だと思う。油断もすきもあったもんじゃない。

('04.8.3)久しぶりに、本当に久方ぶりに心がふるえた。アメリカのソプラノ、シルヴィア・マクネアーのパリ・シャトレ座公演。ボブ・ディランの詩ジョン・コリリアーノが作曲した「自由の鐘」。ディランはこんなに深い詩をかく人だったんだ。少し長いが、引用させてもらおう。
 そして、そのままアカペラで「いつまでも若く」(同じコンビのこれも泣かせる曲)を歌い出すシルビアの演出と歌唱力、それを拍手もせずに聞き続ける聴衆。そうだ、僕はこんなふうに美しく、胸しめつけるものを見つけるために、自由になったんだった。

「自由の鐘」    ボブ・ディラン

日没の終わりと 真夜中に鳴る鐘との間に
雷はとどろき 僕らは扉の影に身をひそめた
壮大な稲妻の鐘が 音にまで足跡を残し
自由の鐘がきらめいたようだった

暴力を使わない戦士に栄光あれ
武力を避け飛び去る者に輝きあれ
僕らは弱者と夜の兵士のために
きらめく自由の鐘を見つめたんだ。


街々の溶けた溶鉱炉で
僕らは思いがけず 顔を隠して目撃した
吹き付ける雨を前に 婚礼の鐘のこだまが
稲妻の鐘の中に 溶けて消えるのを

心優しい者のために 情け深い者のために
精神の守護者たちのために 鐘は鳴る
自分のいるべき時を超えて
見上げれば 自由の鐘が輝いていた。


雹(ひょう)が荒々しく襲い来るなか
空の詩は 驚嘆の中に溶けた
巨大な鐘にしがみついていた詩が
そよ風でなく 稲妻と雷の鐘だけを残して
僕らがその音を聞き 最後の一瞥(いちべつ)をくれたとき
鐘の音が止まるまで 僕らは魅せられた

反抗する者のために 放蕩者のために
不運な者 見捨てられた者のために
いつもぎりぎりのところで燃えている者のために
見上げれば
見上げれば 自由の鐘が輝いていた。



('04.8.2)このHPの内容が最近あまり明るくないので、6日のコンサートがらみのメールでも皆心配して「無理するな。」と言ってくれる。

('04.8.1)「金持ち喧嘩せず」の意味が最近ようやく分かってきた。
1,金持ちには皆、いい話しかしない。→情報が穏健なほうに偏っている。
2.誰も金持ちには喧嘩を売らない。→喧嘩をする必要が無くなる。
3.自分でネゴする力が大きい。→喧嘩ではなく、交渉で片づけようとする。
だから、誰かに「こうやっておけ。」と、言いっぱなしに出来るし、そうなる。あるべき論で生きていくことが出来る。
 こういう連中はなかなか自覚しないんだよなあ。
 You are so smart, OK.  So do it by yourself alone!

('04.7.31)内線電話の設定を変えて、雑音の出る古い電話機をはずし、新しくヤコブ・イェンセンのシンプルな美しい電話機(停電の時でも使える)を外線(ISDN)側に接続した。同時に、ブロードバンドルータをBフレッツ専用で、IP電話をサポートしているタイプに交換した。おかげで、ルータとIP電話アダプタとの間でビジーになったり、外からかけてもつながらなかったりするような電話に関するトラブルは今のところ全くない。よしよし。

('04.7.30)とにかく、おれは遊ぶ。時間はたっぷりある。

('04.7.29)暑”いがや~~。朝から出とらすっと、こりゃーまー暑っつーてかんわ。
 何かなまりでもしなければ、あまりに毎日暑いと言ってるので、変化すらない感じだ。そー夏バテご用心。自覚してます。

('04.7.28)自分の欠点など分かっている。人が追いついてくるまで待てないことだ。こうなればこうと、いくつものシミュレーションをやって、答えを出してしまう。

('04.7.27)体調悪し。絶不調。う~~つらいが、夜の理事会に出なくちゃ。これでハンブルクに行けるかどうか、目途がつきそーだ。
 Oh No! My Buddha! Only heaven can wait for love.

('04.7.26)今日はフラウト・ディリット=リコーダーとチェンバロのコンサート。リコーダーの「音を安定して正確な音程で届けるのは至難の業だが、今日は改めてそれを実感した。木の楽器の精妙さと複雑さ。でも、プラスティックでは絶対に聞けない音がある、
無伴奏の潔さには、改めてアーティストが立ち上がる姿勢の良さを感じた。

('04.7.25)今日は天神祭だが、午前中も打ち合わせがあって、結構疲れていた。宴会の途中で寝るんじゃないかな、と思っていたが、予定のパスタ2種を作ってお開き。若干不調だったが、無事楽しく終わったことを喜ぶべきだろう。
 明日は仕事もあり、多分いろんな動きがあるだろう。夏も過ぎるのは早そうだ。
 ゆく夏は いずくにおわす 光かな

('04.7.24)畳の件でお世話になった建築会社の女性から、6日のコンサートの件で電話。話している内に、会社を辞めた、という。もともと個人営業で会社に加わっていたのが色々あって、独立するという。情勢は厳しいようだが、ストレスを溜めるよりはずっと良い、残りの人生そんなに長くないんだから、云々でそちらの話が長くなる。
 そう、自分のダメなところや限界は一杯あるし、人もそうだ。でも、出来ることなら、鬱々と悩みを抱える人生からは逃げ出した方がいい。ストイックな性格の人間はそういうことに罪悪感を感じたりする。僕もそうだったが、今はハッキリと言い切れる。「大体でいいんだよ。」

('04.7.23)「暴力は無能なものの最後のよりどころである。」(ハインライン)

('04.7.22)今日は心と体といろんな事のメンテ日。いつまでも同じようなことばかりやってられない。
 少しゆっくり寝て、届いたLPを整理して、仕方なく買ったWord 2003をインストールする。(バージョン問題でえらく時間をロスするが、なぜか心安らいだりするから自分がどんなに疲れているかが分かる。)
 ブリティッシュ・ハードロックを鳴らす。パープル、レインボウ。少し発散する。パソコンの動きが少し良くなる。気分が良い。この間、高利の債券や預金などを随分見逃している。ポートフォリオを再構築しなければならない。思えば遠くまで来てしまったモンだ。自分と大切な人たちのことをもっとちゃんとしなければならない。人生の残り時間はそう長くないのだ。

('04.7.21)エミリ・ディキンソンの詩の一節

Something in a Summers Afternoon         夏の午後の中に潜む何か
A Depth                            それは深さ
A Perfume                          それは香り
An Azure                           それは空の青
Transcending Ecstacy.                  天にも昇る至福  (拙訳)


('04.7.20)この前タクシーの中で、「週に2回以上社員を怒鳴りつける経営者の皆様へ」という小冊子を読んで思わず笑ってしまった。社員採用のプランニングをする会社の冊子で、「頭の悪い人に賢くなれと言っても、それは無理です。コミュニケーション能力の低い人に相手の気持ちは分かりません。全ては採用の段階で決まります。」という訳だ。

 この通りのことが世の中にはいっぱいある。でもコミュニケーション能力も高く、頭も良いのに、問題点が分からないというケースもある。例えば、管理者としての大局観。情報をどう管理し共有し、分担して事に当たるかというセンス。
 
 ハッキリ言って、主婦の手作り感覚の延長でやっている人は、自分や誰かが気が付くかどうかと言う気配りの問題として、これをとらえる。「それ以外はうまく言っているのに。」という訳だ。システム的にうまく行ってないからミスや問題が起こるのに、こういう事への感性がないから学習能力もない。
 こっちも努力してつなげるわけだが、正直言ってつきあいかねる時がある。でも分からないんだろうなあ。まッお客さんとかに迷惑かけないようにだけはしてよね。やれやれ。

(続き)パーキンソンの法則関連だったと思うが、「無能レベル」という概念がある。係長としては素晴らしいが、社長としてはダメ、というのからその逆まで、組織の要求するレベルに本人の資質・能力が追いつかなくなるレベルをさす。組織の中で揉まれていると、否応なしにこういう事を考えざるを得なくなるわけで、みな口には出さないまでもどこかで考えていることだ。勿論僕にもその限界はあり、一応自覚はしているつもりだ。

 その人がそのポストにとどまる限り、その人の能力が組織の限界になるわけだ。例えば規模が拡大して人や情報の管理が追いつかなくなる場合などはその典型だし、異業種に参入して異なるお客や情報を並行的に処理しなくてはならなくなった場合などもそうだ。
 
 要は人が、情報が、お客が、お金が、どう動いており、誰がどのような権限と手段でそれを管理しているか、そのシステムというか仕組みがハッキリと頭の中に浮かばなくてはならない。勿論、全部を自分でやることは出来ないので、スタッフやコンピュータやいろんな手段を援用するわけだ。そして、情報を吸い上げる一方、自分が持っている情報を組織にタイムリーかつ効果的にフィードバックしなくてはならない。それが人任せで出来なくなったり、成り行きになっていたら危ないわけだ。そうだろ?あー、分からないか。

(続きの続き)
人をアサインする、つまり必要な時・所に配置すると言うことは業務の基本中の基本だ。それが出来ていなかったり、テキトーな成り行きになっているような組織は組織といえない。
 情報をどう共有するかは、臨機応変な対応や効率的な仕事には不可欠だし、それが出来ていればモラルアップも出来る。単に1枚の予定表でよい。月1回程度のスタッフミーティングでよい。そこから始まるものがあるだろう。問題が生じてからも、それすらも出来ない、しないと言うことは管理者の怠慢以外の何物でもない。
 想像力が働かない、働かせないという事は致命的な欠陥であり、それを自覚出来ないと言うことは管理者失格だ
  これでも分からんか?やれやれ。終わり。


('04.7.19)昨日から母が来てくれているのだが、昨日は仕事(お客さんが我慢してくれて良かった)、今日はずっとパソコンを叩きっぱなしで、ゆっくり相手する間がない。せめてもと、夜は沖縄料理を食べに行く。オリオンビールで喉を潤して、おしゃべりでもしよう。

('04.7.18)一つのスペースを複数目的に使うことはなかなか難しい。例えば、いま隣のギャラリーのホールに入っているオブジェは素晴らしいアートだ。しかし、コンサートをやる立場から見れば、ハッキリと障害物だ。そこで何とかコンサートを出来るのは、ひとえにアーティストが優しくて、お客さんが優しいからだ。それをはき違えるやつがいたら、アートに関わる人間の資格などない。

('04.7.17)一昨日の日記に都々逸のことを書いたら、早速東京から2件反応あり。好きな人って結構居るのかもしれない。どちらかと言えば江戸情緒なので、東京の方が愛好者は多いんだろうなあ。関西は長唄、浄瑠璃なんだろうが、これは難しいらしい。
 短くて、素人でもテキトーに出来る、というのが楽しい所なんだろうな。では、東京の方々から教えて頂いた素敵なのを。

たんと売れても 売れない日でも 同じ機嫌の 風ぐるま
「この鳥は 粋な声して人足とめて 手を出しゃお前は 逃げるだろ」


('04.7.16)バカはどこにでも居る。だが、権利と義務の概念すらなく、きれい事だけ言って建前に逃げる日本人はどうしてこんなにダメなのか。こんな奴らの曖昧なアイデンティティなど俺には信用出来ない。本居宣長が神道のためにキリスト教神学からアイデアを剽窃したのは有名な話だ。のっぺらぼうな大きな布で出来た穴のような日本人の精神。総じて日本人にはムード的な感覚しかなく、プリンシプルもない。「アイデンティティ」などはじめからないのだ。(これは」八つ当たりではない。)
 
('04.7.15)暑い。パソコン打つのも、議論するのも飽きてきた。疲れてきた。明日はギャラリートークに行くぞ。俺の時間は俺の時間だ。俺にも人生を取り返す権利ぐらいあるだろう。

('04.7.14)最近、ふっと思い出して都々逸(どどいつ)をまた口ずさみはじめている。大昔、ちょっとかじっただけなのだが、もともと歌詞が決まっているだけで、メロディーはフリーなので、ほとんど即興のように唄える。と言っても聞き覚えのうろ覚えだし、地声の発生は苦手なんだが、まあごまかす程度か。色々歌詞を調べてみると、僕の好みのちょっと仄かに艶っぽいというのが結構ある。この年になって初めてそういう粋さ加減が、実感として分かってきた。こういうのはやっぱり呼吸なんだなあ。

 「三千世界の 烏を殺し 主と朝寝が してみたい」(高杉晋作)
 「恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす。」

('04.7.13)朝から出て、また戻り、何でこんな暑い日にあちこち行かなあかんねん、と思いつつチラシを届けに行ったギャラリーで今日から展示の始まる作品群の制作者にあって話ができた。
 「空のかたち」というタイトルのこの作品群は何と形容したらいいのだろう。例えば、チタンなどの軽量金属のパイプを組み合わせて大きな羽根のようなオブジェを作り、一つの支点でこれを支える。そしてこれが生き物のように動くのだ。ビデオを見て凄いと思っていたが、実物は実にずっしりとした存在感と有機的な浮遊感とが時間とともに移ろってゆく希有な作品に仕上がっている。
 チタンなどの軽いが硬い金属は、飛行機や宇宙船に使うだけあって工作が難しい。彼は工房にボール盤や旋盤を備え、外部設置の物などは1/100ミリ(10ミクロン)の精度で穴を開け、ベアリングを取り付けて組み立てる。それを楽しみながら膨大な時間を掛けて作品にしていくのだ。イメージとそれを形にしていく手の業。温かい人柄の彼は自分を職人と呼ぶ。アルチスト&アルチザン。ほんの10分ほどだったが、彼と話せたおかげで随分とストレスが和らいだ。

('04.7.12)今夜は飲み会。ご近所さんと最近はじめてなったパパ。行った先に居た方とも共有する濃い時間。みな、いろんな理屈を持っている。でも職業である以上、それぞれの限界はある。
 俺は、どっちでも良いと思う。出来無くったって良いじゃないか、自分がやっていることを自分に恥じなければ。

('04.7.11)暑”いよ~~と、皆が言うのでもう夏なんだと気づいた、今日この頃。今年は去年にも増して一層の軽装(要するに人様には見せられないカッコ。)で普段過ごしているので、余計そう感じたのかもしれない。
 でもパソコンのキーボードに汗が飛び散るようでは、ちょっとなー、という感じで冷房を入れたり消したり。大阪っていつの間にこんなにくそ暑い街になってしまったんだろう。

('04.7.10)うまく時間が空いたので、気功ツアーの相談がてら元町の東亜食堂へ行ってきた。
45分も気功を全身に受けると流石に凄い、痛い、効く。へろへろになって、結構疲れる。痛いのは2種類あるそうで、ツボを押さえると誰でも痛いが、悪いところが治っていけば痛くなくなるところもあるんだそうだ。これだけ痛いのはあちこち悪いわけだ。でも痛いのに逆らわずに受けていると、あちこち血液が流れはじめていくのが分かってくる。
 おし、これから月1回は行こう。まず気功、それから美味しいものを食べる、これがただしいあり方だ。よって、ツアーは時間配分してやろう。手の空いた人は帰っても遊びに行っても良いし、また後でどこかに集まっても良い。のどかな夏の一日になりそうだ。

('04.7.9)来月6日に隣のギャラリーでやるイベント「大人の時間」まで、1か月を切ってしまった。今のところ20名あまりの予約なので、もう一押し二押しせねば。でも麗しのメル友はじめ東京から2組も来てくれるし、そんなのを聞いただけでも、頬がゆるんでくる。
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」なんて誰もが古文でならって知っているけれど、まず聞いたことはないと思う。平家物語の琵琶の弾き語りは勿論、この中東起源の楽器の多彩な音を、とても響きの良いギャラリースペースで、ソプラノサックスとの即興演奏も含め聞くなんてのは、まず珍しくておもしろい企画だと思う。
 まだ席はあります。インターミッションにはワインも出しますので、夏の夕暮れのひとときを楽しみに来てください。

('04.7.8)大植英次。大フィルの新音楽監督。次期バイロイトの指揮者。今夜はブルックナーの8番を聞きにザ・シンフォニーへ。
 日本のオーケストラは、というほど沢山聞いていないのですが、概して「積極性」と「大局観」に欠ける。両者は密接に関連していて、ここいちばんと言うときに遠慮して唄わないし,積極的に表現しないから、メリハリというか山谷が見えなくなる。朝比奈隆の時にはそれが肩の張った教養主義と一応セットになっていたのだが、今夜の大フィルは唄うこと唄うこと。
 例えばチェリビダッケの血が吹き出るような8番とは違うし、沈潜した深さや凝縮したアダージョの表現力はない。しかし、確信を持って叩くティンパニーや前のめりなコントラバスなど、これまでにない濃い集中力がある。
このオーケストラはようやく豊穣な唄の海になった。まずは、大阪の住民としてそのことを喜ぶべきだろう。

('04.7.7)ウイスキー、特にシングルモルトは味は大好きなのだが、ハーフ&ハーフやストレートで美味しく飲もうとすると、あっという間に酔っぱらってしまうので、そんなには普段飲まない。最近のお気に入りはアイリッシュのジェムスン。何ということはない普通の感じなのだけれど、バランスが凄く良くて仰々しくないのがとても好きだ。タリスカーは苦い後悔の味か。
 こういうのを飲むときは大体祝杯かどうしても飲みたいか、ま、それ位の時なのだが、今夜はささやかな前祝いになにもならなかった。

('04.7.6)ハードな打ち合わせが終わり、ひたすらビールを飲みたかったので、久しぶりに台湾料理屋に顔を出す。ぼーっとしながら客の話を聞いていると、若い(中学)時代から酒を飲んでいて、20歳で尿酸値が高くなり、このままではヤバイと言うことで医者のすすめで結婚して落ち着いた話。
 クラブの女の子を呼ぶお金の話(お金持ち~~!)。阪神の優勝の話。その他諸々。こうやって、生ビールなど飲んで過ごしていると、なにやら夢のようにうつつに儚い。
 世は全てかくのごときか。

('04.7.5)世の中には森を見る意識すらなく、木しか見えない人がいる。それも変な木を。忙しいときに、平気でしようもないことを言う。何で身内で余計なエネルギーを使わなければならないのか?
 といってもしょうがないんだなあ。その年までそれで来てるんだもんなあ。あーあ、もうマンションはあきたよ。
 遊びたいなあ。

('04.7.4)今日は日中はパソコンに向かい資料を作っては各方面にメールで送り、いつまでに回答せよ、の世界。
 音楽はこういうときは元気な方が良い。ビートのきいたのをある程度の音量で欠ける方が、のりよい感じではかどる。
 今日かけたのは、
B.フリゼール「スイーテスト・パンチ」
P.グレイヴス「ジャコ・パストリアス・ビッグバンド」
上原ひろみ「アナザー・マインド」
渡辺香津美「モーバップ」

ま、何とか夕方には一段落。今夜の飯はどうしよか?

('04.7.3)何か良いことがありそうな感じがするのは、朝早くからの電話のせいか。忙しいときほど、内容を選んで積極的に遊ばなければ、バランスが取れない。なんてのは、理屈なんだが。
 今日は午前中で作業を終えて昼からは預かり物のアンプ(フォノイコ)のチェック。フムフム。やはりプロが作った物は勉強になるわい。
 オーディオというのは要はどんな音を求めるかだ。それがハッキリと頭の中に無ければ、作業はタダの手探りと成り行きになる。機器もただ入手してつないだだけになる。結構難しいモンだ。センスと経験値の練り合わせみたいなモンだ。

 ところで沖縄では盛り上がっているだろうか?皆元気かなー?

('04.7.2)昨日母と他愛もない話をしていて、このところ忘れかけていた大切なことを思い出した。
 それは僕が結構幸せだと言うことだ。母は元気でいてくれる。いい友人が一杯いるし、これから新たな出会いもあるだろう。ごくささやかだが、好きな仕事もある。いいオーディオ装置がまとまってきたし、良い音楽やアーティストにこれからも出会うだろう。心の中には、美しい言葉が少しばかりの引き出しに入っており、これからも良い本や話に巡り会えるだろう。みんな宝物だ。心の中でぎゅっと抱きしめる。

 これからも色々あるだろうが、これが僕の原点だ。日々忘れそうになるときもあるが、深呼吸一つして、思いを巡らそう。
 サンキュ。

('04.7.1)日中は殆どパソコンを叩き続けて資料作り。
 母は同じ事を何回もききながらゆっくりと動き続ける。さっきのことは忘れているのに、昨日のことは覚えていたり、まだらな記憶になっているようだ。お昼にパスタを食べると夕食が食べられなくなったり、いろいろあるが、元気だからとりあえずは安心だ。夜寝る前の一杯飲みもご機嫌に続いているようだし、まずは重畳か。

('04.6.30)急に母が来ることになったので、朝から部屋を片づける。暑い。
 午後からは用件の合間を縫って、暑い昼日中に日本橋に行ってきた。結構有名だが、何となく縁がない感じで行ったことがなかったパーツ屋さんに部品を引き取りに行ったのだが、狭い中で4階に渡って結構気合いの入った品揃えを展開している。予約していた部品以外にもいくつか欲しかったものをみつけてホクホクして帰ってきた。やっぱり見てみなければ分からないものだし、日本橋も捨てたもんじゃない。

('04.6.29)手を動かしながら考えるのは精神衛生上大変よろしい。忙しい時期にヘッドアンプがらみでいろいろ起きたので、チェックと修理に追われていただけのことだが、手を休めるときに資料をまとめると、それまでに考えていたことをすぐにアウトプット出来るので、とても良い感じだ。

('04.6.28)午前午後とも殆ど家を離れられず、電話とメールを待ち受けて、それを読んで考えてまた皆に流す。何とかして、中身を決め携帯とメールで根回しして、夜の打ち合わせを設定する。何とか形は付いたが、結構離れ業だった。
 家にいてもスリルは味わえる。

('04.6.27)智恵は集めるに限る、と実感。煮詰まってしまうのが一番ヤバイ。冷静になるべき時は人に相談するのがやはり良いようだ。
 寝るのが一番、って時もあるよな。ま、後は明日考えよう。

('04.6.26)今晩は友人宅でのホームパーティー。日程は色々重なっていたが、行きたかったので強引にスケジュールを動かして行った。音楽もいっぱいあったのだけれど、いろんな人がいろんなおしゃべりをしている。その沢山の話し声を聞きながら、夜をたゆたっているのが僕は好きだ。いろんな人の思いやつぶやきや、そういうものの中に漂って、自分の中のいろんなものが目覚めてくるのを感じる。だからぼーっとしていても全然不機嫌ではなくて、むしろ酒など必要ないのだけど、その辺を何も言わず放っておいてくれるところが、皆とても大人で有り難い。
 持つべきものは絶対に友達だ。

('04.6.25)醒めた夢は苦い。
不用意に背負い込む荷物は重い。
届かぬ言葉はむなしい。

されどオーケストラは、舞台は続けなくちゃならないのか.....。
それでも、いつまでも手作りの成り行き任せじゃねえだろう。

あーあ。やれやれ。

('04.6.24)プロというのは優先順位を心得ている人間のことだ。例えしんどくても真っ先に取りかからなければならない事もあれば、例え延ばすのが厳しくても延ばさなければならない時もある。
 プロでない奴はうっとうしいことや面倒くさいことを先送りして、せかされてからいやいややる。だから失敗する。学習効果がない。人間、そう何回も我慢できるわけではない。一応我慢するが。

('04.6.23)台風のおかげで東京滞在が1日延び、昨日午後に帰阪した。
 帰った当日の夜に打ち合わせがあり、メールはたまり、宅急便は数珠繋ぎで来るわ、発送品も荷造りが続くわで、バタバタ。今日も今日とてその調子で、リストアップした作業を順番に片づけるので精一杯。
ということでごく簡単に成果を書くと
1.新しい知己を得た。古楽に詳しく背筋のとおった人、あれこれ今回の東京滞在をプロデュースしてくださった気配りの人、夜遅くまで飲み話し続けた名幹事長、新宿の街を案内してくれたこれも気配りの人、もうみんなお友達。LPも凄いのを持ち帰ったし、次に遊びに行く先も何軒か出来た。
2.英国の古いモニタースピーカーの素性に触れたこと。だてに由緒あるものにはならないのだ。
3.大井町や新宿などを飲み歩いて、少し東京の地べたに触れた気がしたこと。
4.連日旅先で動いて、自分の体力とペースを確認出来たこと。
ま、楽しかったし、良かったって事です。
でも結構疲れた。う~~。

('04.6.18)今朝のNikkei Netに「国債費の増加、長期金利1%上昇なら税収増の3倍に」の記事。「税収増で吸収できない国債費が8000億円規模になる可能性もあり、.............2004年度予算の国債費は前年度比4.6%増の17兆6000億円。個別の歳出項目としては年金給付や医療などの社会保障費用(19兆8000億円)に次ぐ。.............国債発行残高が500兆円近くに達する」
 要するに社会保険以外の最大の支出は借金返済で、しかも金利が上がるのでさらにそれが増える。年金という隠れ債務は遠い将来の話に棚上げして、目先でこの状態。
 昨日の日経新聞のアナリスト・インタビューでは、日銀の政策転換==と言っても、金利上昇・景気回復の追認みたいなモンだけど==が、大量に国債を抱える金融機関へ与えるショックを懸念していた。国債がダブダブでいずれは弾けると言うことは、みんな知っている。だが、何もしないし、出来ない。1臆総思考停止。いや、百万人も考えてすらいない。
 個人的には、個人向け国債は有利だと思うが、今更こんなのに突っ込む気にはなれない。すぐに、どーこーならないにしても、一体この国はどーなるんだろ。

 閑話休題。明日からは東京3日間遊び放題!今晩打ち合わせを片づけて、行ってきます。
 ※と言うことで、更新も3日間お休みれす。

('04.6.17)明後日から東京行きなので、それまでにいろんな事を片づけにかかる。資料作り、メールうち、その繰り返し。何とかボールは投げ終わった。後は返事待ち。Tommorow is another day.
 でも胃の調子がイマイチスッキリしない。丁度香菜もあるので、こういう時はビールも止めて、中華粥を作る。僕のはいわゆる白粥なのだが、この前元町で食べたのを思い出して濃い味付けで皮蛋(ピータン)のお粥を作った。生姜をきかせてハフハフ。
 時あたかも好きにせん会メールを見た一人から東亜食堂についてのお尋ねメール。うむ、行くよろし。

('04.6.16)2~3時間で目が覚めてしまってもう眠れない。最近こんなのばっかりで、スッキリしない。ぼーっとしてても仕方がないので、朝一メールを何件かうって、朝から絶食したまま月一の検査と薬をもらいに天王寺に行く。その後この前から見つけた料理屋さんで刺身定食を食う。旨い!
 んで、帰ってから昼寝するかなー、と思っていたらメールや電話や何やかやで機会を逸してしまい、スキャナのマニュアルを読み、夕方から昨日届いたLPを聞き始める。
 J.D.サウザー「ユア・オンリー・ロンリー」
 ジュリア・フォーダム「ジュリア・フォーダム」
 マッコイ・タイナー「ソング・フォー・マイ・レディ」
 ロバート・パーマー「シークレッツ」
 ディープ・パープル「ファイアー・ボール」
 グランド・ファンク「ウイ・アー・アメリカン・バンド」
 マイケル・ヘッジス「ライブ・オン・ザ・ダブル・プラネット」
 サン・コロンブ「2台のヴィオラ・ダ・ガンバのためのコンチェルト」サヴァール&クイケン  (まだまだ他にも残ってます。)

 一番良かったのは、バーブラ・ストライザンド「ワン・ヴォイス」(Columbia 1A/1A)。彼女と聴衆の一体感が伝わってくるいいライブだった。
 People, People who need people......

('04.6.15)8月6日に企画しているコンサートの案内メールを出したら、あちこちから返事が来る。「行くよ~」とか「いきたいよ~」とかいろいろ言ってきてくれる。久しぶりの人もいてとても嬉しい。メインの好きにせん会メーリングリストに出したメールは2回とも不着で帰ってくる。多分添付ファイルの関係だろうなあ。分け分けして再度送る。ちゃんと着いてね。
 今週末から3日ほど東京に行くのだが、これもメールがあちこち行き交って最終日のお昼まで日程が埋まる。沢山の人と話が出来て、これも嬉しい。


('04.6.14)昼前に、超低域スピーカーの制作者の方が来てくださった。非常に博識かつ面白い方で、4時間ほど話し続けたが、全然飽きなかった。このところ、こういうプロの方と話をする機会にめぐまれているが、どの方からも大切なことを教われて、とても嬉しい。

 その後は、早起きしたせいか眠くなったので、軽く昼寝をする。くたびれているのがよく分かる。でもいろいろとしなければならないことが溜まっているから、その一つは今夜片づけなきゃ。

('04.6.13)電話がかかってきて、「今南森町でみなで飲んでるから、出てこない?」。いいねえ、嬉しいねえ。いろいろ作業の見極めだけして、家を出てゆっくりと歩いていく。
 こういうのは、なんか楽しい。明日はがんばんなきゃならないけど、それもまた良しか。でも、締めラーメンは食わねえゾ。

('04.6.12)昨日は疲れ果てて帰ってきたので、更新をさぼった。好きでも嫌いでも。ま、時間が片づけてくれるのを楽しみにしようか。

 日記の更新を毎日とは宣言していないので随時でも良いのだが、結局は書くということが自分にとって必要なのだろうと思う。いろんなものが大なり小なり自分の中で動いたり、溢れたりしているし、出口というかコンセプトさえ決めれば、言葉や文章はすぐにあふれ出てくる。問題はこの出口というかコンセプトというやつだ。時にはため息であったり、笑いであったり、涙であったり、歌であったり。誰かが言っていた。「書く才能が溢れているか、どうしても書くべきものがある場合以外は、書くべきではない。」そりゃそーなんだが、でも日々の祈りみたいなものもあって良いだろう?

('04.6.10)体調は今いちだが、何か片づけたかったので、ヘッドアンプ電源の左右セパレート化の作業を一気呵成に片づける。良い気分転換になる。
 
('04.6.9)「回復期」というのが僕は好きだ。「恢復期」と書いた方が堀辰雄や立原道造のような気分が出るかもしれない。
 例えば風邪を引いて熱があったのがようやく納まってきて、考えもまとまるようになり、もう少ししたら起きられるのが見えた頃。なんにせよ今よりよくなる希望がある。当たり前の生活に戻れる。そんな期待感が好きだ。小さい頃はよく熱を出す子だったので、これについては、短編小説群を書けるくらい材料と記憶をいっぱい引き出しにしまってある。
 人生の回復期や都市の恢復期などもあるのかもしれないな。
 土曜日の元町での気功以来、体調がおかしかったのは、血流が戻ってきて恢復しようとする体が主張し始めたからだろう。アンダーバランスがもはや通用しなくなったわけだ。さて、どうしよう。流れに任せて、体のいうとおりにするしかなさそうだ。本当に欠けているものは何か?

('04.6.8)傷つけたくないのに、人を傷つけてしまうことはある。しかし、明らかに目的を持って人を傷つけようとするのはどういう人々か?利害、遺恨、好き嫌い等々。しかし、それを公にやろうとする人は確信犯だ。人の名誉や評判を貶めようとするのは人格低劣なヤカラだ。
 だからといって、彼らと同じレベルに落ちることはない。よって、無視する。存在を否定する。だが、それだけではすまない日がくる。その時はきっちりとやろう。義は我にある。

('04.6.7)今日の午後からは、頼まれて東梅田教会でのコンサートのお手伝い。
 リコーダーのペドロ・メメルスドルフとチェンバロのアンドレアス・シュタイアーで17世紀イギリスの2重奏曲。殆どアイコンタクトもなくはじまり、自在にテンポを動かし、即興も交えて次々とテンションの高い名人芸を繰り広げる。特にシュタイアーのチェンバロは音が多彩で、例えば「バトル」という戦争めいた曲では殆ど打楽器と化してしまう。かのレオンハルトがお気に入りだったチェンバロの音色も素晴らしい。単鍵盤でこれだけの表現力があるのも凄い。終了後見たら、メメルスドルフのリコーダーにも穴の周囲にあちこちテープが貼ってある。とても生々しい舞台裏をかいま見た感じだった。
 体調が悪くて、しんどかったのだけれど、音楽的にはいろいろな収穫があった1日。

('04.6.6)昨日は美味しくて、気持ちよくて、楽しくて濃い一日。
 神戸元町での上映会はばっちりの精細画面でふむふむの映像。暑さにばてていた人たちと上映終了後抜け出して、東亜食堂へ直行。ビールで一息つく。
 ここは学生時代≒約30年前から来ている広東料理の老舗。でも学生が来るくらいだから、何せ安くて美味しい。久しぶりのおばちゃんとアホな事を言いながら、次々に出てくるご馳走を片づけているときに、後発隊が参加。さらに大阪から駆けつけるメンバーもあり、お粥と豚まんに舌鼓。持ち帰りの豚まんもまけてくれて、みんなどっと買う。
 んで、極めつけは気功の若き名手毛さん。21歳の留学生だが、5歳から気功を始め、チャンピオンにもなっているから腕は確か。サービスということで、一人ずつ、揉んでもらう。痛いが気持ちいい、びりびり来るが気持ちいい、皆一人ずつマッサージする箇所が全然違う。体も気持ちも心も軽く皆々納得の中国4先年。すッきりくっきりでさわやかな2次会。
 毛さんのお父さんの達人が8月に来日すると聞き、8月に皆でご馳走を食べに来て、その合間に食堂の2階で揉んでもらう美味悶絶ツアーを満場一致で可決。これも楽しみだ。

('04.6.5)色々あって、昨日も更新をさぼってひまいました。ふみまへん。
 でも、いろんな人からのメールやHP更新もあったりして、怒苦中楽憩あり、という感じだった。中でも、音楽でシンクロしていた、東京のpipinechoseさんや、福知山の友人の近況がとても嬉しい。

 今日の午後は神戸で愛しき友人のショートフィルム上映会(がその一部なんだけど、我々には上映会)。終わったら元町へパーッと繰り出す。好みはあるが、イタ飯なんかは大阪でもかなりあるから、まずは中華だよね。学生時代からいってる東亜食堂(おばちゃん元気かなあ。)の幻の鳥マン・ブタマンと絶品のお粥、安くて美味しい広東の杏花村、愛園のメバルの天ぷら、梅龍鎮の牛肉の包み焼き、民生の餃子、ええい面倒くさいほどあるだよ。
 どうなるかな。楽しみだな。ぬ~~。

('04.6.3)今日の夜7時現在で、着信メールが36通。うち約4割はメルマガやお知らせメールで、後は友人やオーディオ仲間やマンションの知人など。その全てに返事を書くだけで、結構長い時間パソコンの前に座る事になるが、出来るだけ早く返信することにしている。
 おかげで、一度会った人と、さらに突っ込んだ音楽の話も出来るし、沖縄が今日雨だと言うことも分かる。19日には東京でオーディオ仲間の飲み会もやる。いろんな人とつながっていることを実感する時間でもある。

 帰ってきたスキャナは本体交換で新品になっており、すこぶる好調。紙コピーよりずっといい。

('04.6.2)資料作成などで、作業が続いており、昨日も更新をスキップした。ここ何日か考えても仕方のない思いや後悔を抱えているので、忙しい方が良いのかもしれない。

 スキャナが故障したので、キャノンのHPから修理を申し込んだ。翌日ヤマト運輸が引き取りに来る。梱包もヤマトが専用ケースに入れるので必要ない。追ってキャノンから故障状況と費用の見積もりがメールで来て、修理するか返却するかをHP上から回答入力する。そして今日メールが来て修理完了して発送したという。おそらく明日には届くだろう。この間約1週間。本体部品の故障なので、送料も入れて費用は1万2千円余り。
 忙しいときに出向いて、また引き取りに行く手間と時間、期間が長くなることを考えると、すこぶる便利だ。キャノン偉い!これからは、全てこんな感じでやって欲しいものだなあ。販売店にとっても修理は余りメリットがないだろうし。

('04.5.31)秋にはドイツにいかなきゃなんないし、とにかく出来るだけ進めようと思う。やれやれ。

('04.5.30)アメリカから届いたLPの中に、「ラム・チョップ」というバンドの「イズ・ア・ウーマン」があった。臭いそうな名前だが、とても緩い感じのソウルっぽい曲が続く。オルタナ・カントリーというらしい。黒っぽい声ととても手の込んだ抑え気味のバックとが、切ない感じをゆるゆると醸し出す。

 ちょっとヤバイ気もするが、ま、いいか。

('04.5.29)
人生というのは
うまくいかない。

涙が
出る。

('04.5.28)昨日BSデジタルチューナーと液晶TVをつなぐためのD4端子ケーブルを買ってきた。音声はまだだが、早速映像を見ると、やはり綺麗なこと。こんな映像がオンエアされているのに、視聴者は殆どそれを知らない。つまり、DVDに何千円も払わなくても、WowowやNHKで放送されているハイビジョン番組をそのまま録画すると、ハイビジョン画質で映画ソフトを持てるわけだ。勿論、ブルーレイディスクは機器もメディアも高いが、デジタルVHSでは機器も安いし、テープだって安い。だから、業界としては積極的に宣伝できないわけだ。ハリウッドなど、コンテンツ業界もまずはDVDで儲けたいので、次世代メディアはほっといて、せっせとDVDを売るわけだ。勿論、それ自体は悪いことではない。つい先頃までVHSを使っていたユーザーからすればDVDでも大きな改善なのだから。

 でも、どこかでこの構造にキャッチアップしないと、既に音楽CDで顕著になりつつある、ダウンロード≒放送の世界に取り込まれてしまう。しかも、有料放送とはいえダウンロード自体の費用はBSではかかららない。僕が映像マニアならパソコンでのDVD再生などはやらない。フォーマットが低い以上、どんなに高度なグラフィックボードを使っても勝てるわけがない。
 その代わり、とりあえず、D-VHSでBSデジタルハイビジョンを録画して映画コレクションを作る。
コピーワンス規制がかかっているのでダビングや編集は出来ない。しかしハイビジョンの規格は次世代でも変わらないのだから。でも確かに皆がこういう事をやり始めたら、パッケージメディアは売れないよね。その時はどうするんだろう?


('04.5.27)午前中でHP作成は一区切り着いたので、午後から母とお片づけ大会。僕がダイソンで掃除し、母が拭き掃除。気合い入れてやったので、母もご機嫌だった。コーヒーを飲んでから、帰る母を送っていく。後ろ姿が少し切ない。

 買い物から戻った後、アメリカから届いていたLPやCDを少し聞く。ジェフ・ベックって、結構ファンキーなギター弾きだったんだ。
 まいったのは、やはりエヴァ・キャシディ。前に友人のところで少し聞かせてもらったのだが、できるだけ良い音で聞きたくて、LPが出るのを待っていた。のっけの"Fields of Gold"からじんとくる。
 ノーラ・ジョーンズがハート・ウオーミングだとしたら、エヴァはハート・シェイキングなシンガーだ。まだ荒削りなところや多彩すぎるところはあるし、ノーラの方が安定感は高いかもしれない。でもどちらかを選べと言われれば、お涙頂戴ではなく33歳で死んでしまったエヴァの方を僕はとる。
 Dreams die young. (Traditional)


('04.5.25)急に母が来ることになって、あたふたと片づける。力と記憶力を必要とするものは、全部すませておく。その後、日本橋へケーブルなどを仕入れに行って、スピーカーまわりをスッキリさせる。なかなか良いと思う。
 LPを片づけただけでも部屋が広くなった気がする。でも、また今日も4枚アメリカから届いてしまった。一時もう買うものが途切れてきたかと思ったが、ロック畑の安いのがはいるルートが出来て、結局月10枚程度は増えている。今は、棚にも空きがあるが、いつまで持つか。

 夕食は久しぶりに、ゴーヤチャンプルー。あっさり仕上げるために豚肉は止めて、パンチェッタ(イタリアンベーコン)で旨味を出して、ゴーヤはあまり苦みが出ないよう薄目に切ってよく炒める。卵は使わず、ゆし豆腐の代わりに少し水っぽいが焼き豆腐を使う。同じ事を何回も確認する母と過ごす静かな時間たち。

('04.5.24) 一昨日はお茶の水で音と戯れる会。久しぶりに凄い音を聞いてしまった。一つの可能性が見える。参加した人に今の業界でのデジタルの未来について聞く。同感だが見通しは暗く、オーディオと音楽の未来も明るくなさそうだ。僕らが滅び行く少数派であることは、やはり間違いなさそうだ。だったら好きにするさー(オキナワ風に)。
 終わってから、別の方の所へおじゃまして、その後終電までの合間に喉を潤す。また遊び仲間が増えたね。

 日曜日はアキバのヤマギワで照明選び。昨日も今日も目当ての店は閉めている。上階の人が「商売気無いネー」と言うくらいだから、多分あの息子は店をダメにするだろう。もう行かない。
 その後、六本木ヒルズに回って森美術館でNYのMOMA展を見る。ポップアートには関心無いから、キャンベルスープやマリリンなんかは素通り。カンディンスキーは1点しかなかったが、大好きなモンドリアンを見られてとても嬉しい。一番素敵だったのは、カルダーのモビール「にわか雪」。黒い針金の先に大小いろんな白い円盤がついていて、息を吹きかけるだけでゆっくりと動き始める。ニューイングランド辺りの雪だろうか?彼は絶対楽しみながらこれを作ったに違いない。疲れたけれども、面白かった。

('04.5.21)大阪・日本橋の電気街の凋落が言われて久しい。アキバもその傾向があるそうだが、アキバにはまだ量販店がかなりある。大阪では、日本橋より梅田のヨドバシのほうがデートコースとしては、はるかにおしゃれだ。値段だけなら、ネット通販が一番安い。どう考えても不利だ。

 でも師匠に教えてもらったパーツ屋さんに行くと、結構整理されていて、製品の写真が常に表示されており、使い勝手がよい。エントリークラスにはもったいないくらいのショップになっている。これはこれでとても良いと想う。

※音と戯れる会で東京に行くので、明日明後日の更新を休みます。

('04.5.20)昨日の続きで書くことはいっぱいあったのだが、まあ雨も降り続いていることだし、レッド・ツェッペリンのライブDVDでも見ることにしよう。でも、ロックって今現役でやってるバンドでメジャーなのって、エアロスミスやストーンズみたいなロートル組を除けば、そんなにいないようで、はやっているジャンルではないらしい。あんな風にノーテンキに弾きまくるなんてのは恥ずかしくて出来ないんだろうかねえ。屈折した時代だ。なんかすかっとしたのってないのかねえ、仔猫ちゃん。
 明後日から音と戯れる会で東京に行く。新しい出会いもありそうだし、また六本木ヒルズとアキバでも歩いてこよう。

('04.5.19)
夜の空に
想いを
解き放とう。

('04.5.18)電源製作に一応けりを付けて、夕方、先日の検査の結果を聞きに病院へ。糖尿の数値はバッチリ改善で、引き続頑張れば良いのだが、中性脂肪がなぜか下がらない。
 でもまあ、この間の体重減少などの効果は出ているわけで、まずは重畳。我々はー、ぐわん張るぞー!
 最近食べないことの快楽をまた見いだしはじめている。最初はつらいが、そのまま動いているとすぐ大丈夫になる。少ない食事で結構持つようになる。

('04.5.17)夜白熱の打ち合わせ中に電話があり、終わってから随分久しぶりに台湾料理屋さんに顔を出す。常連さんが帰ってから、ママさんと2人で飲む。痩せたと想うが、一応元気な中に弱さもかいま見える。旧正月には帰り、晴明節には帰れず、日本にいて子供達と親と故郷を思う。でもまあ、何とか今夜も過ぎていき、大家恭喜。

('04.5.16)
春にして君を想い
夏にして波しぶきにそれをうたい
秋にして夕暮れの浜辺にそれを口ずさみ
冬にして胸の中でそれを暖めよう。

夢見ることが出来るならば
夢見ることしか出来ないならば。

('04.5.15)アナログ用ヘッドアンプの故障のトラブルシューティングと修復で振り回される。細かい作業だけに時間ばかりがかかる。う~~~。

('04.5.14)今夜は旧職場の遊び仲間の会。年2回位なのだが、言いたいこといって飲む会。2軒目に思っていた店が満杯なことが分かって、やむなく道頓堀をさまよって、小ましなカフェバー風の店にはいる。カラオケも無し、ひたすら飲んで話す。現役の連中って本当に疲れているんだと思う。
 あと6~7年後の生活をどう描くか?みんな悩みながらも考えている。がんばれ!


('04.5.13)DELLの17インチ液晶ワイドTVが注文から中2日で届く。何という早さ。画面の精細度はサムスンに比べてかなり良い。料理番組の生々しいこと。
 ただし横にはワイドだが、縦のサイズは小さくなっているので、画面が大きくなった感じはしない。誰かが「ワイドTVというのは縦を損している。」と言っていたが、確かにそんな感じだ。全下面表示で16:9がしっかり表示されるのだが、BS2の映画の日本語台詞が下半分見えなくなる。
 明日、電話で問い合わせて垂直位置を調整しよう。

 で、これまでTVとして使っていたモニタ-をパソコン用に転用。ところが、今の設定では色が良くない。これまでのCRTのような自然さが無い。机の上が広く使えるのは良いのだが、どうも疲れる感じがする。何とか設定を変えてみよう。

('04.5.12)昨日は更新をさぼってしまった。東京の友人から頼まれたマークレビンソン用の電源の仕上げが佳境に入り、何とか仕上げたくて時間も考えず作業してしまったからだ。おかげで本体は無事完成し、既定電圧を測定で確認して、そのまま寝てしまった。
 今夜はイザイの無伴奏ソナタの演奏会。さてどうなるだろうか。余り寝ていないが気分は爽快。

('04.5.10)ゴールデンウイーク特別割引というのに負けて、DELLの17インチ液晶ワイドTVを注文してしまった。従来この辺はサムソンが安かったのだが、サムソンよりも高機能・高性能でしかも3万円以上安い。DELLのシェア拡大の意気込みが感じられる価格設定だ。昨年くらいまでサムスンは輝いていたのに。
 考えてみたら、これまで我が家ではオンエアでもハイビジョン映像を見ることが出来なかった。ハイビジョンの音がドルビーデジタルなどショボ目の音なので、どっちでもいいやと思っていたのだが、どうせならD4端子がある方が良い。これまでの液晶ディスプレイは、コンピュータモニターに戻して、机の上を広く使おう。これで我が家からはCRTは無くなる。ま、いいでないの。

('04.5.9)新しいテーブルをスピーカー間に納めるべく、朝からずっと片づけと家具&LPの移動。いろんなものを捨てる。これまでのことでなく、これからをどう快適に過ごすかだけ考えて、使わないものは潔く捨てる。んで、LPを移動・収納できるスペースを生み出した。同じ内容で2~5枚くらいあるのも珍しくない。盤質的に音的に見劣りしても処分するわけにも行かない。最近ロック系統中心にかなりのペースで増えているので、先のことも考えて整理しておかないと、後で困ることになる。
 かくして、LPは増え続ける。クラシックはもう一段落しつつあり、ホッとしていたのに、ま、仕方ないか。
 う~~疲れた。風呂入ってビール飲んで寝よ。

('04.5.8)朝、オーダーしていたテーブルが届いた。スピーカー間のオーディオ機器が納まりが良くないのと、何よりもパワーアンプのバイアンプにはもう1セットのアンプを置く場所がないので、レコードキャビネットを追い出して奥行きの短いコンソールテーブルを入れ、その下にアンプなどを収納するのが主目的。ドイツ「ブナ」の木肌の色が美しい。ワックス仕上げなので、時間とともに焼けていき、味わいが出ると思う。

 夜は知人が属するオーケストラの定演。ワーグナーの曲には、ワーグナー・ホルンというレアな楽器まで登場して、すこぶる気合い乃入った演奏だった。

('04.5.7)夕方の理事会に向けて資料作りをして、3時過ぎに終えて遅めの昼食。何だか頑張るのが面倒になってきた。誰かにやってもらえることはやってもらう。それが一番。

 でもオーディオの音がさらに良くなってきたので、とりあえず気分は良い。

('04.5.6)今朝は朝飯抜きで天王寺の病院へ定期検査。血圧は全くOK。この間体重は減ってきているのだが、数値に反映されるかどうか。毎月「チムダクダク(ウチナーグチで心臓どきどき)である。連休明けのため結構時間がかかって、病院を出たら昼ご飯。ローカロリーに刺身にするが、ここはなかなか美味しい。

 日本橋で買い物をして帰宅するが、期待していた連絡はまだ来ていない。ま、いっか。と、電話があって、少し動き出すが、何でもかんでもそんなに早くやれるかよ、と言う感じもあり、ま、話しなくっちゃ。う~~、連休はやっぱり平和で良かった。

('04.5.5)今日で連休も終わり。明日から世間は動き出すので、今日はそれに向けて資料作成し、メールをいくつか打つ。名刺がだんだん増えてくる。ローロデックスでも買おうかと思いながら、結局ゼムピンでグループ毎に留めて終わり。

 バルトークの2台のピアノとパーカッションのためのソナタ&協奏曲を何種類か聴く。録音は仏エラートのラベック姉妹盤が、それについで蘭フィリップスのアルヘリッチ・フレーレ盤が凄く、演奏もこの2つが良いと思う。これだけ録音の明瞭度が違うと、演奏の質にも影響する。オーディオと音楽というのは、メビウスの輪のように螺旋を書いて裏表になっている。

('04.5.4)母が帰ることになったので、朝から総片づけ&お掃除デー。多少のし残しはあったが、あちこちピカピカにして、おばあちゃんとしては一段落。昼から食事に出て、桜宮への見送りがてら、仏壇の花瓶を買いに行く。母にとって買い物は多少の混乱を伴う作業になっている。店員さんがものの分かった人で良かった。

 疲れたので軽く昼寝をして、夕方少し音楽を聞く。友人と京橋に寿司を食べに行き、その後持ってきてくれたデジタル機器を聞かせてもらう。一言で言ってCDにはまだまだ可能性が残されていることが分かった。物事の奥行きは深い。

('04.5.3)午前中は衣替えで衣類の整理をしながら、掃除をする。母もダイソンの掃除機が得意ではないので、一応掃除は任せてくれている。昼はパスタを作り、昼寝をする。することがない、ヒマだと母はブーたれるが、新聞やAERAを読む合間合間に居眠りをしている。静かな静かな一日がゆっくりと過ぎていく。
 夕方買い物に出かけたら、以前ミニスーパーがあったところに99円ショップが出来ている。惣菜と日用品中心で、魚は無く、野菜もあまり沢山はないが、何せ近くてしかも24時間営業というのは嬉しい。カゴメのホールトマト缶詰も2005年7月賞味期限で99円。低脂肪乳は脱脂粉乳の味がしてペケだが、上手く使えば便利便利。こういうのがあると、都会のど真ん中暮らしの快適度が上がる。

('04.5.2)HPの更新がストップしたままになっている東京の友人からメールが来て、仕事に専念し元気なことを知る。良かった。電源の製作を進めよう。
 泊まりに来た母と久しぶりに顔を合わせる。思ったより元気でしっかりしている。夜は湯葉と豆乳の鍋を食べに出る。旅行はいつでも行けるし、近場にしようかと思う。

('04.5.1)溜まっていたBS録画を編集し、DVDに落とす。録り始めるときりがないので、最近は厳選しているが、編集が面倒だ。RAMに落とせばパソコンでも出来るが、そこまで行くのが面倒で、リモコン編集する。
 夜は京都へ島唄のライブ。沖縄文化圏は言語・文化・音楽的に、沖縄・八重山・宮古の三つに大きく分けられるのだそうだ。確かに、平均率で均せば同じモードでも、実際には曲によって三線も調子を微妙に変えているし、歌い方も違う。宮古あたりの唄の方がより穏やかで緩い感じに聞こえる。ハワイには「スラックギター」という奏法があり、弦のチューニングを全体に下げるのだそうだ。お客さんの会話を聞くともなしに聞いていると、八重山民謡をならっているナイチャー(内地人)や、明日から沖縄行きというような人が結構多い。
 「月ぬ美しゃ」(つきぬかいしゃ)の歌詞で唄う、「とらばうま」が特に好きだ。「うりずん」も明けて夏が来る。

('04.4.30)今日も電源製作の1日。電源基板をコーリアン(人造大理石)板を介してケースに取り付ける。手間がかかったが、なかなか美しく仕上がったと悦にいる。でもひたすら穴あけとタップ(ねじ穴切り)で、疲れた。
 ジョン・ファディスとビリー・ハーパーのLPを聞く。サックスやペットがぐっと出てきて、昔のジャズ喫茶の雰囲気を思い出してしまう。いいでないの。

('04.4.29)電源作りの作業をしていたら、電話があり、ご近所さんがニューヨーク土産のカエターノのCDとプラリネを持って来てくれて、ティータイム。カエターノの「フォリン・サウンド」というポップスやジャズの名曲のカバー集は、リッツオーリ書店で見つけてくれたそうで、早速聞かせてもらう。ジョアンやマーラーなども鳴らしながら、シャンパンも開けてゆるゆると過ぎていく初夏の午後。また飲んでしまったが、ま、いいか。

('04.4.28)久方ぶりに真っ昼間からバカと話さなければならなかったので、うんざりした。で、さっさと家に帰って、カスターニョを開けて、スプンティーノを作って、酔っぱらう体制に入った。
 丁度LPの整理をしたり、新しく届いたのを聞きたかったので、以下はかけたレコード。
メリサ・マンチェスター「ヘルプ・イズ・オン・ザ・ウェイ」25年前はこれを聞いていたんだ。最後の「シンギング・フロム・マイソウル」なんて素晴らしい。久しぶりに裏表1枚聞いた。
 サンタナ「ヨーロッパ」、ジョニ・ミッチェル「レデイス・オブ・ザ・キャニオン」(新しい高音質盤)、カッサンドラ・ウイルソン「グラマード」(昨年の新譜LP)、ホリー・コール「ドント・スモーク・イン・ベッド」(これだけCD)、ニール・ヤング「ハート・オブ・ザ・ゴールド」。
 ジョン・ハイアット「ブリング・ザ・ファミリー」からは「リップスティック・サンセット」。口紅のように真っ赤な夕陽。
 瓶半分くらいで気持ちよくできあがってきた。平和で良い。でも俺達はなんで女に惚れちまうんだろう。くそったれが。


('04.4.27)いや驚いた。「沖縄スタイル」という雑誌を読んでいて、また行きたいなあ、と思っていたら、沖縄の方からスピーカーのことでメールを戴いた。こういう事もあるんだ。
 多分検索されても、このスピーカーのユーザーは少ししか出なかったのだろう。とてもよく分かる。
 ロンドンで一番有名、にもかかわらずミステリアスなショップ、
KJ WEST ONEに行ったときには、僕のと同じ機種が2セット何気なく置かれていた。でも、ここはメーカーのHPのディーラー・リストでもトップに上がっている特別なショップなので、こういうのはまず無いと思う。まあ、HPは出していなくても、他にもユーザーはおられると思うのだが、集まって話したりしたら面白いだろうなあ。

('04.4.26)DVDなどメディアのことを書いたら、AVの師匠からメールが来る。プリアンプやアッテネーターのことなどで、これまた最近出来た友人から電話がかかってくる。東京のオーディオ仲間から、遊びに来ないかとメールが来る。
 何かこういうのは嬉しいなあ。少しずつ広がっていくものがある。

('04.4.25)今日は昼前から日本橋に行く。TDKの超硬DVD-Rの旧型(等倍)がセールで安くなっているので、50枚まとめ買いする。これでも1枚300円だもんなあ。それでも、100円前後の海外製とは全然音が違う。
 一緒に太陽誘電の音楽用CD-Rも試しに買ってみる。僕は気に入ったらCDを買うし、手に入らないものは音的にDATで残してきた。しかし、DATもシステムからはずしてしまったし、今日ディスク屋さんで聞くとDAT自体がもう生産中止になりつつあるという。そこで、ネイティブ・ハワイアンのCD(コピー)をパソコンでコピってみた。やはり音が全然違う。明瞭度というか、情報量が増す。CD-Rも、TDKの最高級品(Theory)は在庫限りで売っていたっけ。今度行ったら買い込んでおこう。

('04.4.24)プリアンプようやく復旧!複合的な故障で、時間がかかったが、勉強も出来た。【→オーディオ日記

 PCのルート・ディレクトリの空き容量が不足してきたと表示。まだ4GBもあるのだが、これはパーティションを切り直さなければ、と思っていたらパーティション・マジックに空き容量をドライブ全体に割り振るというものぐさ向きな機能を発見。バックアップとも思ったが、ノリでやってみる。再起動後、ついでにハードディスクのデフラグもかけると、随分動作が軽くなってくる。

 よっしゃ、こうでなくっちゃ。今日は洗濯して、エアコンのフィルター清掃するぞ!

('04.4.23)メールが来て、プリアンプの電源用トランジスタは20日の夜にニューアークの空港を出たそうだ。来週には入手できそうで、何となくホッとした。これで直らなかったらって?
 その時はその時で何とかするさ。流れるままの人生よ。

('04.4.22)また4時間ほどで目が覚めてしまう。仕方がないので、朝から作業をして、午後には少し昼寝をする。でも、故障中のプリアンプに替わっててアッテネーターボックスを入れて音楽を聴けるようにしたので、気分は良くなってくる。【→オーディオ日記】
 そう、あるグレード以上の音で音楽を聴けないと、こんなにもつらいモンだ。これなら、DVDも十分見られるが、今日はマークレビンソンの電源製作にいそしみ、また日を改めてよう。

('04.4.21)夜は、ギャラリーに遊びに行った後、「HiVi」を読む。オーディオとしてのSACDマルチだけなら、いわゆるAVアンプは本来必要ないと思うのだが、相変わらずセットものの記事が多い。DAC一つにしても、ケーブルにしても、オーディオファイルがどれだけ腐心したのか、そのへんの押さえもないのは、どうなんだろう。一方でITUしか言わないのも、どっちもどっちなのかな。
 マイク通して本当に全て自動で設定できれば、苦労することもないよねー。この文脈の混乱は、そのまま続くんだろうなあ。結局ヴィジュアルが強いし、そこに引きずられるので、今ひとつオーディオの発展にはつながりにくい気もする。エントリークラスの人は情報過多&混乱で大変だなあ。

('04.4.20)windowsマシンを1台セットアップする。新しいOfficeの顔をはじめて見たが、ごてごてして余り好みではない。

 最近また手帳が必要になってきた。人との約束が増えてきたので、なにかと確認が必要なのだ。面倒なような、多少は嬉しいような。ま、ほどほどに。

 NYも暑いのかな?

('04.4.19)日経新聞の「アジア知的財産権シンポジウム2004」での日本レコード協会長の基調講演を読んでため息が出た。国内では再販制度という保護措置をがっちりと握っていることには一言も触れず、中国などの海賊版やCDコピーなどの攻撃ばかりだ。あげくは「日本販売禁止レコードの環流防止措置」は不可欠だとのたまう。
 現在審議中の著作権法改正案では、日本盤が出ている洋楽CDの輸入盤が違法になる。著作権者が外国人なら、国内法でなぜそれを規制しようとするのか。どう考えてもこれは著作権やコンテンツ管理に名を借りた、レコード業界の既得権益保護策だ。
 国内は再販制度で守られ競争もせず、あげくは輸入盤が安いから、禁止せよと言う。理由も分からず高い(時として音も悪い)国内盤しか買えなくなるわけだ。1,500円で買えた輸入盤を2,800円出して誰が買うだろう。税関でチェックもしないなら、ネット経由での違法承知の個人輸入が増えるだけだ。結局、国内での売れ行きは全体として下がるだけだ。何が「知財大国」だ。
 目先の、国内のことしか見えないこんな連中が、結局日本の音楽業界の首を絞めているのではないか。

('04.4.18)プリアンプの故障は結局、入力電圧用トランジスタが飛んだためのようだ。ま、今週末か来週にはアメリカから部品が届くだろう。もう20年くらい前の製品なので、代替機を借りて鳴らしてみても、思うようには鳴らない。
 この世界、年期が一番効くのだと思う。

('04.4.17)BSで録画していた「長岡京アンサンブル」を見る。圧巻はヴィヴァルディの四季。音楽監督の森悠子は言う。「四季の音は殆どが、風の音か、鳥などで出来ている。自然からとった音だから、それを聞きながら、これは風の音にしよう、とか、鳥達は一緒には鳴かないよ、鳥たちは一緒の方向を向いてないよ、とか、出来るだけ自然の中から取り入れたつもりです。」
 ソロでは個々の鳥たちのように強く独自性を持って歌い出し、トゥッティ(全奏)では強力なパワーがみなぎる。ところどころバルトークのようにさえ聞こえる、テンションが高く、屹立するアンサンブル。予定調和とは違う世界で、日本的なようで、フェスティバルでフランス人が熱狂したのがよく分かる、何か普遍的な力学がある。
 外国から来たメンバーが日本文化を見つめ、日本人もそれに触発されて足元を見つめ直す。「間、あるいは空気感をアンサンブルで実現したい。」という森悠子の思いが、メンバーに浸透していく。世界各国から集まってきた青年達を、なぜこの歴史ある小さな古都に集めたのか?その答えがここにある。

 ゲルギエフのマーラー3番と並んで、また宝物のDVD-Rが出来た。

('04.4.16)隣のギャラリーで作家3人のオープニング・レセプション&トーク。実は一番注目していたのが、大理石とブロンズのオブジェ。絵はがきで見たときには布のように見えたのが大理石だったときのインパクト。作家の方から話しかけてくれたので、いろいろと聞かせてもらった。大理石の産地、ユーゴスラビア、そしてミケランジェロも使ったイタリアのカラーラ。確かに間近で見ると質感は違う。でも一番興味深かったのは、素材と対話しながら作品ができあがっていくこと、櫛刃のノミから平ノミあるいは耐水サンドペーパーに至るまで、いろんな工具を駆使しながら、完成まで5年くらいはかかる。一番大変なのはその間の集中力を保つことと、作品に対する意欲や興味を失わないようにすること。
 息の長い人の話は、みな何か表現しがたい説得力がある。

('04.4.15)朝来たメールを見て、嬉しくなった。力を貸してくれる人がいることは、とても心強い。頑張るつもりでも、限りある時間をとられるのはつらい。引き続き、故障したプリアンプの部品関係などで、メールをやり取りする。昨日からずっと回路図を眺めていたおかげで、いろんな事が分かる。

 午後はベランダで肌寒くなるまで本を読んだ。ドラゴンライダー第1巻「エラゴン」。ロードオブザリングばやりに便乗した口かと思ったが、とてもいい物語だった。古代の生き物であるドラゴン(女性)が、ライダーに愛と友情と努力と尊敬を求める。名を知って操るのではなく、対等の関係として彼らはともに闘う。ここには、従来からのエルフやドワーフ達の世界だけでなく、何か新しいものがある。
 風に吹かれているのはとても気持ちが良い。僕の心らはプログラムされたものではない環境が無くては生きていけない。

('04.4.14)すぐ近くの造幣局の桜の通り抜けも今日で終わり。それを告げるように今朝は雨が少し降った。

「花は散りその色となくながむれば むなしき空にはるさめぞ降る」(式子内親王:新古今和歌集)

 式子というのは興味深い女性で、相聞歌:いわゆる恋の歌を殿方と交わすと、技巧に走りすぎてボツなのだが、こういう情景描写では、切々とした気持ちや寂しさが色濃く出てくる。内親王(みこ)なんて山ほどいるし、タイミングは逸するし、寂しかったんだろうなあ。

('04.4.13)隣のギャラリーで筑前琵琶とソプラノサックスのコラボのコンサートを夏に企画中で、昨夜はその2人と痛飲してしまい、今朝は珍しく7時前から早起きした。
 この空間の音の響はやはり素晴らしい。ソプラノ奏者の方が感嘆することしきり。中庭とホールの2カ所で演奏し、間にワインタイムを設けて、平家物語の弾き語りと、2人の即興を入れようか、などと話したが、ま急がずゆるゆると固めよう。でもプロデュースというのは面白いなあ。

 そんなこんなでお昼までに随分と片づいて、少し眠たかったがせっかくの早起きなので、昼からはあまりあれこれせずやり過ごした。ここ何日かは酒も抜く。

('04.4.12)先日からファックスのEメールサービスを申込み、受信ファックスを紙でプリントアウトせず、Eメールでパソコンに転送するようにしている。必要なものはデータで管理してプリントできるし、とても便利な機能で気にいっている。

 ところで、昨日の取材中にこんな事を聞いた。「今回は紹介してくれる人がいて、電話でも話をして気さくな人だと知っていたが、ホームページだけしか見なかったら、もっと凄いこだわりの人だと思っただろう。」
 う~む、そういう見方もあるのか。オーディオに全く関心のないひとからはそう見える部分もあるだろうが、それ以外にもそう見える部分があるのかな。まあ、取り立てて変える気はないが、いろんな人がいて、いろんな受け取り方をすることは覚えておこう。

('04.4.11)今日は昼からある住宅メーカーのウェブページの取材。「うちの台所風景」というコーナーで、料理を披露し、こだわりの一品を紹介する。オリーブオイルを一品として、ラタトゥイユを作り、近くのおいしいパン屋さんのカンパーニュ・バゲットと一緒に食べてもらった。撮影は真剣で、仕事とはいえ皆楽しみながら、和気藹々とした食事会になった。仕上げはペンネ・アラビアータ。シャンパンとワインが計3本。
 またアップ時に報告します。

('04.4.10)夕方、花見客で混雑する中を、明日のウエブページ取材のための食材を買いに、桜宮のパントリーに行く。が~~ん。あてにしていたギリシャ産のオリーブオイルがもう1種類しかおいておらず、しかもセールで安くなっている。これはもう取り扱いが無くなるのではないか。悪い予感がする。
 イタリアやフランスのは変に高級感を出していて、とても高いし、安くて美味しいのは実はあまり見あたらない。ギリシャまでネットで注文できるが、それだと高くなるだろう。もしここがなくなれば、またどこかを探さなければならない。ええい、安いところをさがしてまとめ買いしようか。ホールトマトの缶詰と一緒に。やれやれ。

('04.4.9)今日も前半はほぼ細々としたことどもを片づけた。

 夜、音量を落としてヴァレリー・ゲルギエフ/キーロフ管のマーラー3番を聞く。終楽章「愛が私に語りかけること」。切なさと幸福感を、しみじみとないまぜに噛みしめる。

('04.4.8)静かな一日。いろいろな音楽を聞きながら、日曜の取材に向けて整理したりする。整理と言うほどのものではないのだけれど。
 こんな風にしていると、音楽とオーディオといくつかのことしか考えない。心地よすぎて、少しやましくさえある。そう、他にすることはあるのだが、今日・今しなくても良いというのが、この暮らしの凄いところであり、少し危ういところでもある。
 でもいい音で音楽を聴けるというのは、なんと幸せなことだろう。

('04.4.7)千客万来と言うほどでもないが、何となく出入りの多かった日。
 午後にはCDプレーヤーを直接届けてくださった。まだ全部完成ではないが、早く聞きたがっているのを察してくださったのだろう。
 うちは硬いケーブルをそれもぎりぎりに使っているので、そのセッティングに四苦八苦しているところへ、友達から企業広報HPの自宅取材の依頼。ダチの役に立つならと引き受ける。後で、広告社の方から電話があったが、こういうときにHPを出していると話が早くて良い。
 ん~、予定を組み替えなくっちゃ。電話電話。
 音はいいぞ~。【→オーディオ日記】

('04.4.6)朝から区役所へ国保の加入申し込みに行く。自分が携わったシステムに自分の情報が打ち込まれていくのを見るのは、少し不思議な気持ちだった。知った顔にも会えたし、まあ重畳。しかし、思えば遠くまで来たもんだ。
 午後は光ファイバー増設工事に立ち会い、その後、オーディオいじりをはじめるが、来客もあり、急な依頼もあり、ま結果はOK。待ちに待ったCDプレーヤーの改造もあがったし、何となくいろいろ片づきはじめる。

('04.4.5)今夜はヴィオラ・ダ・ガンバの演奏会。3人のヴィオール奏者によるコンソート(合奏団)。ソロあり、デュオあり、トリオあり。いつもの事ながら、このギャラリーではピッツィカート(つま弾き)でさえ柔らかく響き、3本の楽器が綺麗に溶け合う。中でも印象的だったのは、若いベルギー人によるサント・コロンブのソロ。最近フランスのクリュニュー(大修道院で有名)で手稿が発見されたので、1,700年頃までに亡くなったサント・コロンブの約300年ぶりの「新曲」になる。後で演奏された弟子のマラン・マレは宮廷音楽家だけあって、ゴージャスで開かれた音楽だ。バッハを思わせるような雰囲気もあるが、何よりサント・コロンブのこれは徹底的にパーソナルな音楽だと思う。幸せは短く、人生は長い。彼は、少しの喜びと、大きな悲しみと、わずかな希望と、命長き絶望をひたすら弦の上でトレースしていく。かれも、「メ・セラ・ヴィ」などとつぶやいたのだろうか。(あまりにも伝記が短いので、この辺のイメージは映画「めぐり会う朝」の影響もある。)
 前半早いパッセージでは少しよれていたベルギーの若者も、自分でセレクトして構成しただけに、これはすこぶる気合いが入っていて、とても心にしみいる演奏だった。
 宮廷人達にヴィオール・コンソート(合奏団)が愛好されたのがよく分かる、贅沢なひとときだった。

('04.4.4)昨日から今日にかけてなかなか濃い2日間だった。

 昨日は少し風があったが絶好の花見日より。二次会を我が家でやったのだけれど、なかなかの盛会。いつも思うのだけれど音楽に対する感性は様々で、大きな音や速いテンポだとハイだと思う人もいれば、アーティストのことを知っている人は、まずなつかしいと聞く。例えばザ・パワーステーション。ハイな曲だけど、時代も含めて呼吸しているその場の何人もの人たちには1枚だけで消えていったすこぶる高度な音楽なのだ。
 大体が反応しない人には何をかけても単なるBGMであって、よほどの曲をかけない限りハイギレなどしない。昨夜は僕の感性で音量は余り上げずに中身はそれなりにハイな曲を緩急適当にかけ続けたが、それに反応している人たちはほんの5人くらいで、それも楽しんでいる反応だった。まして、クールダウンしなければならない人間が音楽好きなら、そっちの方が効く。ま、そういうのも面白いんでないの。

 今日は遅く起きて紅茶など飲みながら、メールチェックしていると、CDプレーヤーの改造をお願いしている方から、ケーブルを預かりに来たいとの電話。音楽の話、デジタルの話、アナログ回路の話、いろいろにはずんで軽く食事もしながらシャンパンを開けて半日話し続けた。デジタル回路を組むときに、プリント基板の誘電率や銅箔の厚み、抵抗値とインダクタンス、容量まで計算して基板設計をする。デジタルとアナログのマージナルなところで、性能とコストのバランスをとり続けなければならない、ある種の危うさ。こういう話が通じる人が、通じる感性を持っている人が、どれだけいるのだろう。道楽と言えば道楽だが、みなやむにやまれず、音楽を聞きたい一心でそれぞれに来ているのだと思う。プロの現場の話を聞かせていただいて、ものすごく勉強になった。物事は数字ではないのだ。う~む。

('04.4.3)「春愁」

花の下には
何やあらん。
夢か骸か幻か。

風吹かば揺れ
時来れば散りぬるを
はかなきは人か花か。

時は掌からこぼれ落ち
過ぎゆくのみとはいえ
ただこの時は我が時ぞ。

花映す川面とともに
酔い酔いてたゆたいながら
いずくんぞ流れゆかん。

世はすべてかくのごときか。

('04.4.2)昨夜は京都のライブハウスに、沖縄の島唄を聞きに行った。と言うより、石垣島出身で八重山民謡の中堅、大島保克を聞きに行った。
 とても伸びやかで望郷の思いをかき立てられる三線と歌声。西表島の「たかな節」。もう廃村になってドライブインしか残っていない村の歌を歌い継ぐ唄者(うたしゃ)達の強烈な郷土意識。津波で波照間島から移住させられた村人が、遠く見える故郷を忍んで歌う「さきやま節」の切々とした望郷。
 故郷でもないのに、なぜか帰りたいという思いが募る。

 考えてみたら僕には返りたい故郷なんてあっただろうか?奈良は父が生まれて、我が家の墓のあるところだ。小さい頃父の兄の家に毎夏遊びに行ったが、あれは疑似故郷というか田舎のようなものだ。大阪で僕が生まれた家はもうない。そこに骨を埋めるべき所など僕にはない。正直自分の墓など欲しいと思ったことはない。それが悲しいわけではないが、それでも自分が属する風土や家族や何かが必要な気もする。
 でも一番大事なのは、心安らいで自分自身でいられるところだ。誰の近くであれ、そこがいるべき場所なのだろう。

 今宵もそうだったが、明日は花見だ。一期は夢ぞ。

('04.4.1)あるメル友が命名した「タラスパ」=タラコを使ったパスタ。普通店で出るのは、タラコまぶし麺という感じで、タラコの塩味で食べさせるのだが、もうひとつ面白くない。
 魚卵を使うものではキャビアのパスタという冷製のパスタがあるらしいが、パスタの上にキャビアをおいて混ぜて食べるのだそうだ。冷製とタラコの相性も今ひとつのような気がする。
 結局作ったのは、
1.ニンニクとパンチェッタ(イタリアの生ベーコン)をオリーブオイルに入れ、じっくり弱火で焦げる手前くらいまで炒める。
2.パスタ(フェデリーニ)が煮上がる直前に、8cmくらいに切った韮を入れ、さっとかき混ぜる。
 (早めに入れると、韮が風味を消してしまうから、くれぐれも直前に入れて余りかき混ぜないこと。)
3.ソースに塩をふってから、ゆであがった麺を入れて、エクストラバージンオイルをふりかける。
4.次に火を止めて、ほぐしておいたタラコと細切りにしたチーズを入れて、鍋肌の余熱でパスタに絡ませる。

 ポイントはいくつもの味を重ねたところ。タラコとチーズがまだらに口にはいるのが、変化があって面白い。ここから引き算して行くと、いくつかのバリエーションが出来る。韮なしも良いかもしれないが、やはり青みが欲しい。バジリコもあまり風味が合わないが、胡麻味のルッコラではいけるかも。他には青紫蘇がいけそうだが、日本的に決まりすぎか。
 ワインは当然赤。それも濃いめ。オーストラリア・ペンフォールドのクヌンガヒルのカベルネ・シラーなんて凄く良いと思う。スペインのカゼホも良いだろーなー。

('04.3.31)今日は暖かい一日で、OAPの川沿いはお花見客で一杯だった。ギャラリーの方へは、京都から筑前琵琶の奏者の方に来ていただき、いろいろ語っていただき、聞かせてもらった。思ったよりも打楽器的な音色ではなく、ウードやラベックのような中近東の香りがする嫋々たる余韻のある音だった。楽器本体は結構薄くて、絹を膠で固めた弦を比較的緩く張ってあり、フレットはあるものの、指板から離れているので、かなり微妙な揺れる音程が出せるようになっている。
 柘植と象牙の2種類のバチを使い分けており、特に柘植で奏でるトレモロの音の繊細さにはまいった。打ち合わせの中で、外に出て中庭でやったら、というアイデアが出てきて、奏でていただくと平家物語の声がすこぶる分かりよく聞こえる。夏の夕方に、蝋燭など灯し、中庭で嫋々たる平家琵琶と、他の楽器とのコラボなど出来たら素晴らしいだろうなあ。実現したいものだ。

('04.3.30)昨夜はご近所で小宴会。ドンペリ75年に勝ったというスペインのカヴァ(ロゼ)を開けてみる。本格的なシャンパンはフランス総領事館で飲んだモエくらいしか経験がないが、それに比べても、いわゆる軽い食前酒ではなく、これはしっかりとしたワインだった。フルーティで辛口の白には飽きていたので、これは正解だった。(アリエッラはなかなか入手できそうにない。あっても1本5千円オーバーではねえ。ん~。)

 ベランダで食べたパスタにはガーリックソースを時間をかけながら焦がしてみたが、独特の風味が出る。タイミングがきわどいが、これも正解かもしれない。でもストックしていたホールトマトの缶詰はこれで終わり。重たいので、ケースで注文しないと、近所では美味しいのは確保できないみたいだ。カゴメのは高いし。

 酔いに任せて、シズキのポリプロ・コンデンサに付いていたエアーキャップ(ぷちぷち)に缶ビールを入れて、桜之宮公園に夜桜見物に出かける。夜風が心地よい。土曜日の花見は晴れたらいいね。

('04.3.29)デスクトップのキーボードを換えてみる。パソコンを使い始めてから7年間(まだ7年だった)使ってきた東芝のは結構使いやすくて気に入っていたのだが、ワインをこぼし、ビールをこぼしで、使えないキーが増えてきて、テンキーの6は強く押さえないと入力されない有様だ。
 試しにPC本体に付いてきたのをつないでみる。キーが小さくて疲れるだろうなと思いきや、キータッチが凄く軽くてストロークも小さく、適当に触った感じでもしっかり入力できている。とはいえ、キーが小さいと長時間では疲れる(疲れ気味や睡眠不足の時など、隣のキーに触ってしまったりする。)気もするし、一方で姿勢などを工夫したら大丈夫な気もする。ま、当分やってみよう。

('04.3.28)静かな一日。レコードやCDを聞き、メールに返事を書き、掃除をしてまたレコードを聴く。今週は水・土とお客さんなので、少しずつ片づけていこうと思う。
 また皆に会えるのは嬉しい。

('04.3.27)マークレビンソン用電源の部品を買いに日本橋に行く。ゆるゆると歩いていると、静かな時間が戻りつつあるような気がする。

 CSEの電源はまだ修理に時間がかかりそうなので、アサヒステレオに相談して、少し小さい容量だが代替品を届けていただく。なかなか良くて、久しぶりに「生きてる!」という気分になる。こういうのがないと、やっぱダメだわ。

('04.3.26)今日はあちこちからメールが来たので、かなり沢山の返事を書いた。知り合ったばかりの知己から微妙なところを助けてもらったり、遠慮がちに名乗りを上げたり、それなりに遠回しな答えを返したり、僕にしてはとてもゆっくりとした書き方で。
 久しぶりに時間がゆるやかに流れはじめる。春がゆるやかに螺旋を描いて深まりつつある。蝶はどこにいるのか?
 僕が買うくらいの値段ではあまり深い味の美味しいボルドーはないのだけれど、良さそうなのを見つけたので、今夜は久しぶりに赤を開けよう。よく分からなくても、飲みたいときってのはある。

('04.3.25)音と戯れる会でお逢いした人と、メールでいろいろやり取りする。余っていたレコードの引取先も出来た。結構世間は狭かったりする。
 CSEの電源は鋭意修理中だそうで、まだかかるらしい。早う直してよ。ガクッ。
 気を取り直して、電源の製作にかかる。昨日東急ハンズで、トランスの取り付けネジを入手したが、もう少し良い物がほしいので日本橋に探し行こう。よって、一部取り付け穴のみ開ける。
 プリアンプの外付けトランスも検討するが、結局パーツが必要になって、あれこれ併せてカナダにメールで注文する。
 今週は夜が詰まっているので、どうもまとまった時間が取れない。

('04.3.24)嬉しかったこと。:Office2000のアップデートをようやくインストールできたこと。Office XPのサービスパック3の後にインストールしたのが良かったのかもしれないが、セキュリティがらみなので、これでホッとした。とはいえ、いずれ数年でサポートが無くなるだろう。ま、何とかするさ。
 あまり嬉しくなかったこと:Netsky/Pの感染メールがまたドット来る。それも知らないところから。このままでは、定期的にメアドも変えなくてはならない。やれやれ。

('04.3.23)21日は東京で「音と戯れる会」。盛況でSACDがらみを中心に内容の濃い例会だった。その日の内に伊豆に移動して、下田泊。
 翌23日は朝から、音と戯れる会で知り合った友人宅におじゃまする。南伊豆の暖かい海辺の小さな街で、ゆったりと暮らしている様が、とても良い感じだった。
 時間が出来たら、波に乗り、音楽を聞く。とても贅沢な暮らしだと思う。美味しい魚もごちそうになった。
 オーディオや音楽もいろいろと試したし、収穫もあったが、これでお互いの音を聞き合ったので、音や音楽についての話が、ストレートに通じるようになる。理解し合える友を持てることは、とても幸福なことだ。

('04.3.20)今日は朝からずっと、チェンバロ教室の発表会。皆が皆で聞き合う発表会というのは、アーティストのテンションの高まりのようなものが無くて、退屈なことおびただしい。ま、お仕事。

※明日は「音と戯れる会」で東京(凄い冷え込みだそーです)、明後日はそのオーディオ友達を訪ねて伊豆下田に行きますので、更新はお休みであります。

('04.3.19)HPづくりって、何が難しいと言って、「お、面白そうだな!」と思われることだと思う。次もチェックして見ようか、と思うほどの情報量や何かがあることだと思う。そういう付加価値のあるサイト作りというのは、要は誰のために作るか、という事なんだろう。つまり、自分が見たいというページのことなんだと思う。

('04.3.18)結局、今日もパソコンの前に3時間以上座ってメールを読み、書いて、買い物もして、電話もしたりして、なんだかんだしていた。こちらからの送信メールに文字化けが出来るときがあるのが気になる。
 まあ、道がついたので、これからは精神的には結構楽になるだろう。マンションのHP作りもはじめるし、なにか具体的なものを作るのは楽しい。

('04.3.17)いっやあ、すっごい格好良かったなあ、1988年ミュンヘンのマイルスのライヴ by Wowow。ケニー・ギャレット以外は知らない面子だったが、シャープで分厚いリズムセクションが執拗に繰り出すオスティナート・ベースにからむ、カラフルなラテン・パーカッション。少しよれてはいるが、クールに空間を切り裂くマイルス。死ぬ3年前とは信じられない。
 ポップさの陰に隠された、執拗な繰り返しが、だんだんと呪術的に変貌を遂げていくスリリングさ。
 カムバック後の、新しいスタイルを作り出す旗手ではなくなった80年代のマイルスはあまり高く評価されていないが、ピーター・バラカンが言うように、確かにライブとアルバムとではまるで違う。格好いいでないの、じーさん。

('04.3.16)本格的に音楽が聴けなくなってから、1週間あまり。手を動かしたりしているので紛れているが、結構あきてきた。
 なんで音楽が必要かというと、心を燃やしながら、余計なことを考えないようにするためだ。良い音楽を良い音で聞いていると、かなりゆっくりと時間の中にいることが出来る。
 ここ1年くらいは、過ぎたことや、考えても仕方のないことは、もう随分と考えなくなった。
 でもヤバイのは、結局自分に必要なものはほんの少しであり、それ以外には本当には欲しいものがないことが、もう随分と前にみえてしまっていることだ。だから少しでも飢えを充たすためには音楽が必要になる。
 眠ろう。夢も見ずに眠れるならば。

('04.3.15)窓を開けたままにして出かけてから、帰宅してドアを開けたら鳥の声がいくつも聞こえてきて驚いた。ベランダに来てさえずっていたようだ。
 柔らかい日差しの中で沈丁花の花の香りはより深く強くなり、緑が濃くなってゆく。どこかで、春に向けて大きく舵が切られた。

('04.3.14)メインのオーディオが鳴らせないので、どうしているかというと、寝室=和室=AVルームで、BSアナログをBモード録画したDVDをクイックシルバーのEL34とSL-6Sで聞いている。メインシステムのとは比較にならないが、クイックシルバーのおかげで今まで聞こえなかったり、聞き取れなかったりする音がよく分かってなかなか面白い。会場のノイズなんかもとてもよく分かる。

 とりわけ印象に残ったのがピ-ター・ゼルキンの東京でのリサイタル。アンコールに故・武満徹の「雨の庭」を弾いた。弾きはじめようとして、一瞬微笑んでまたひとしきり静かにしていたのは、畏友・武満の面影でも浮かんだのだろうか?そして、とても繊細で美しい音楽が途絶えた後、かすかにほほえみを浮かべたままじっと動かない。10秒あまりの水を打ったような沈黙の後、ゆっくりと聴衆に振り返る。万雷の拍手。
 この沈黙は武満の指示ではないだろう。「音、沈黙と測りあえるほどに」を書いた友の音楽を、沈黙とともに提示したのだと思う。と言うより、この沈黙も音楽なのだ。

('04.3.13)もう少しで完全復調!なのだが、そこまで手が届かないのは、まとまった深い睡眠が取れないためだ。状況は大体分かっているのだけど、どうにもならないことはどうにもならない。今日お医者さんに薬をもらいに行ったとき、先週の検査結果を聞くと、数値は改善されている。努力は反映されているわけだ。まあ深呼吸して、肩の力を抜こう。

 友達に貸していたDVDが帰ってきて、一緒にオニオン・スープの差し入れ。嬉しいなあ。NYでの上映も決まったそうで、ほんの少しだけ関わった自分もまた、嬉しく思う。世は全てかくのごときか。

('04.3.12)お粥ぐらいしか食べる気にならず、薬も飲めないので、何とか持たせて寝て寝て昼前に起きて、ようやく納まってきたという感じ。今週中に送ると約束したメールがあるので、その資料を作って送ったら、午後4時過ぎ。他にチェックしなきゃなら無いこともあるが、それは明日明後日でやろう。夜は買い物がてら夕食に出かけよう。
 まずは健康第一。

('04.3.11)朝から胃が痛くて、ぞくぞくする。やっぱり風邪だ。急ぎのメールを打ちまくり、午後一で打ち合わせをし、そのほかは寝る。やばい。今週中に直さなけりゃ。

('04.3.10)どーも風邪ッ気が直ったようで、直りきらない感じで、すかっとしない。音楽が聴けないのがつらいが、ま、いつバタバタし始めるか分からないので、「オーディオ・ベーシック」誌が発刊されて、知人も掲載されているのを読んだりして、ゆるゆるとオーディオに浸る。そうこうする内に、お願いしていたクイックシルバーのアンプが届いた。オリジナルの艶消し黒のトランスカバーなので、今のクロームメッキのぴかぴかシルバーよりも小さく見えたりする。ま、これから少しづつレストアして遊ぼうか。

('04.3.9)朝から定期検診に行って、帰りに確定申告をすませる。今年は簡単至極に終わった。有り難い。これで、来月に健保の切替をすれば、完全に民間人。レコードのチェックやオーディオがらみでいろいろやる事があるが、音が聞けなくてはどうしようもないので、これも神の思し召しとあきらめ、溜まっていた雑事を片づけよう。

('04.3.8)夕べ遅くイザイの無伴奏ソナタを聴いていたら、バチッと音がしてパワーアンプの電源が落ちてしまった。すわ、真空管が飛んだかと思いきや、電源が煙を上げていた。2年間で4回目の故障はないぜCSE。
 
 んで、翌日起きて朝いろいろメールしたり、人と会ったり午前中に用件を片づけると、どうも喉が痛くてしんどい。これは風邪だと思い、とりあえず寝る、休む、寝る。でも、当分音楽聴けないのはつらいな。

('04.3.7)隣のギャラリーで午後からチェンバロの「古典調律入門」のレクチャー。題して「妥協と矛盾の美学」。つまりオクターブ内で全ての半音を整数比で調和させられる調律法はなく、何らかの意味での限界と特長があるのだそうだ。理屈はある程度知っていたのだが、実際に音楽として聞かせてもらったのは、すごく実感できて良かったと思う。
 今日の講師のチェンバリストは、純正律にも限界があり、平均率も良い面がたくさんあると言っていたが、ある意味では平均率の嫌いなヒンデミットの言葉は当たっているのだそうだ。いわく「平均率というのは、ゴミを均等に薄く広がるように掃除した部屋のようなものだ。つまり、遠目には綺麗に見えるが、あちこちににゴミが散らばっている。」印象的だったのは、フランス風の調律をしたチェンバロでないと、独特の表情や音色が出にくいことを実際に聞かせてもらったこと。
曲や楽器や時代を考えながら、調律法を選ばなければならない、と言うことで、この辺は日本でもまだ十分認識されていないそうだ。
 夕方からは別の調律をした2台のチェンバロで、現代曲から14世紀までさかのぼっていく、「音楽のタイムマシン」のコンサート。演奏家の方もかなり来られていて、皆いろんなものを持ち帰った満足度の高い1日だった。
 終わった後は、チェンバロの調律師の方やスタッフで食事をしながらいろんな話をした。少しづつ、音楽やオーディオの世界が広がっていくのが嬉しい。

('04.3.6)午後はクレオ中央で大谷玲子さんのコンサート。E.イザイの2曲の無伴奏ソナタがメイン。聴衆が慣れていなくて、1曲ずつ拍手が入ってしまってやりにくそうだったが、朝の8時までさらっていたという熱はしっかりと伝わってきた。5月の6曲連続演奏会が今年の前半の白眉になりそうだ。
 夜は隣のギャラリーで若干20歳の峰本更(サラ)さんのチェロ独奏。バッハ以外は、ブリテン、ヒンデミット、カサドと現代曲が主流だが、思い切りの良い切れ込みと、トリルもちゃんと歌う鳴りの良いチェロ。ご両親によると彼女は今日ことのほか調子が良かったそうだが、ブリテンもヒンデミットもこれくらいの演奏を聴かせてくれれば文句はない。単に将来性というだけでない、とても良い手応えのコンサートだった。
 明日は、チェンバロのレクチャーとコンサート。音楽だけを考える一応幸せな日々。

('04.3.5)また、ウイルスメールの雨あられ。今度はNetsky.D。シマンテックからご注意メールが来ると、大体半日から1日後に感染メールが来る。どうも、ユビキタスというのは危なそうな気がしてきた。とは言ってもその方向しかないのだろうが、リスクが大きすぎるのではないかなー。

('04.3.2)打ち合わせと電話の合間に、スピーカー間に置くテーブルのオーダーのため、波除の木工所まで相談に行く。社長の木に対するこだわりは半端なものではなく、木材の産地や含水率の管理、塗料の調合でもオール自然素材より、一部化学薬品を使って自分で調合する方がはるかに良いこと、建築基準法でのホルムアルデヒドの規制が家具作りの面からはかなり問題があることなど、いろんな話を聞かせていただく。この中で、木材や工法などの技術をデジタル化して共有し、若い人が早くスキルアップできるように工夫していることなど、随分参考になる話もあった。
 こういう風に作り手とフェイス・トゥー・フェイスで話して進めていくと、物作りに参加できてとても楽しい。

('04.3.1)早いものでもう3月。去年の3月を思い返すと、今はアドレナリンの量はかなり増えて、なかなかの様変わり。とはいえ、相変わらず僕は僕で、でも物思うのは大分減ったような気はする。考えても仕方のないことは考えない。過ぎたことは過ぎ去らせる。あまり得意な分野ではないが、それなりに学習効果はあったように思う。ご協力いただいた方々に感謝、深謝。
 
 閑話休題、暖かい日が続くのだが、ぱーっと花見したいなあ。去年は立ち見だったのだが、天候が許せば今年は緋毛氈でなくてもシートでよいから、ゆるりと座ってまいりたいものよ。正直言って気分はかなり違うと思う。ま、飲めればいいのだけど。
 はる。さくら。はなさくほどに、あたたかく。

('04.2.29)パトリシア・マキリップの「イルスの竪琴」シリーズ(ハヤカワ文庫)をずっと読み直したいと思っていた。3年余り前に第1巻が復刊されたので、その後を楽しみにしていたが、いっこうに出る気配がないので、新聞で見たふるほん文庫屋さんに第2巻・第3巻を注文した。昭和55年と61年刊行で古びてちょっと高いが、この静かで格調高いファンタジーをゆっくり読めるのは、とても心嬉しい。単なる英雄物語や、神話世界ではない。ケルト神話などをじっくりと消化してイメージした世界の中で、人々や魔法使いや古きあるじ達が悲しみを内に湛えて謎を解いていき、闘う。この悲しみの影は、多分品位というものだろう。

 そういえば、最近アイルランドが元気らしい。ユーロ圏唯一の英語国として、ダブリンの金融街も活気を増しているそうだ。イェイツやジョイスのふるさと。ヒップなホテルが沢山出来ているらしい。ウイスキーとビール。世界の果ての島。アイルランドにも行きたいなあ。

('04.2.28)昨日の夕方からかける電話全て話中なので、これはインターネット電話のアダプタのせいかと、再起動してみたり設定を確認したが、つながらない。試しに自分の携帯にかけてみると、050の番号でしっかりつながる。外からは加入電話でかかってくる。いろいろ調べて、プロバイダ(ぷらら)の回線=サーバの問題だと言うことが分かった。
 部分的に復旧しはじめているらしいが、今日の午後になってもまだ発信通話は出来ない。
 ということは、
もしIP電話どうしで、加入電話がなければ、どちらも通話不能と言うことになる。あと2年もすれば携帯でも月間定額のIP電話が出はじめる。加入電話が減っていくとNTTが危なくなる話は別として、通信のライフラインが不安定なIP回線にゆだねられる社会というのは、どうも不安だ。経営効率=コストとセキュリティはグロスでは相反するのだから。

('04.2.27)マンションの隣のビルのコンビニが今月いっぱいで閉店する。商品がどんどん少なくなっていて、通るたびに寂しい感じがする。最近、近くの店が減ってきて、だんだん不便になっている。新しい元気な店が出来てほしいものだ。

 久しぶりにパスタを作ろうとカゴメのホールトマト缶詰を開けて頭に来た。実がたったの3個。ジュースがやたら多い。これはひどい。ジューシーなソースを作るなら、別にカットトマトの缶詰があるのだから、ホールトマトと言うなら実がメインだろう。今まで買っていたイタリア産のは近くのスーパーが閉店して買えなくなったので、久しぶりに買ってみたらこういう事だ。近くで買える商品が限られると困るので、カゴメの相談センターに電話して、改善を依頼した。イタリアで加工して、重量検査をして出荷しているそうだが、実とジュースの比率まで管理しているかどうかは調べるとのこと。よろしく対処してね。

('04.2.26)努力していると、何か良いことが起こってくれるのかもしれない。ここ数日音楽を聞く時間もあるし、音の方も見通しがつかめてきたように思う。
 
('04.2.25)アサヒステレオの社長と閑談して家に帰り、夜はLPを整理しながらゆっくりと聞く。まだ聞いていないものが山ほどある。時間と健康がとても大切だ。

('04.2.24)アリス。
鏡の国のアリス。
自分の城を建てようとして、背伸びをしようとする君の目には何が映っているのだろう?
とりあえず僕でないということは、もうとっくの昔に知ってはいたのだけどね。ふむふむ。
今欲しいものは何?
ハンプティ、ダンプティ、壊れるのは形あるものだけではないんだったね。
そう、僕はロルカではないから、新しい夢遊病者のロマンセなんか書くわけにはいかないのだよ。
宙ぶらりんの午後の5時であったとしてもね。

('04.2.23)この週末は東京でオーディオと音楽三昧。土曜日はお茶の水で、音と戯れる会。参加者はすくなかったのだが、その分濃いというか、一見あちこちへ話が飛んでいきながら、しっかりと聞くべき所は聞き、意見交換や情報交換が出来たと思う。こういう大人の集まりは、参加していて気持ちがよい。若い人の参加もあって、みな心強く感じていたと思う。ただ主宰者には、同じ時間ご苦労をおかけするので、やはり多くの人が集まるような工夫か、少人数でも効果のある催しにするか、こういう貴重な場を続けるために我々も努力しなければならないと思う。
 翌日曜日は杉並の是佐さんのリスニングルームでオフ会。いやあ、これも濃い内容だった。(追って、オーディオ日記に書きます。)
 2日間遊び倒して、一杯心の中にお土産を持ち帰った。音楽ってオーディオって良いなあ。

('04.2.20)昨日は断続的にしか眠れなかったので、今日は起きても調子が良くない。こういうときは医者に行くに限る。薬をもらって、本屋へ寄ってケルト神話を題材にした小ましそうなファンタジーと、沖縄で暮らす特集のマガジンがあったので買って帰る。
 ケルト神話・北欧神話は大好きな分野なので、これまでにも色々読んでいる。あらゆる技芸の神ルー、海神マヌハン、英雄クーハラン(山岸涼子の「妖精王」ならクーフーリン)などなど、指輪物語も何度も読んだ。(あのくだらない「ロード・オブ・ザ・リング」の映画なんかもう絶対見ないぞ!何で裂け谷のエルフの王エルロンドがエージェント・スミスなんだよ。)
 お気に入りを2つも見つけたので、急ぎの作成資料をメールで送った後は、今日はひたすらぬくぬくとのんびりして体を休める。ふにゅうう~~。

('04.2.19)税務署へ確定申告の用紙をもらいに行った帰り、キッチン用品の専門店を見つけた。あまり小洒落たものはなかったが、使いやすそうな菜箸を選りたおして、ミニサイズのイーゼルとで〆て210円。かなり濃そうなビストロやイタ飯屋もあって、いちど来ようと思っていた一角なのだが、一人ではねえ。
 と家に帰ってきたら、少しぞくっとして眠い。これは風邪の前兆かと、すぐに寝た。夜起き出したら、ましになっていたので、良かった。夕食は小松菜と薄揚げの煮浸しと、白甘鯛の一夜干しを焼いていただく。これで酒を飲まない日が2週目に突入した。その分、いろんなお茶を飲む量が増えている。
 土曜日の夜は池袋のマイルスカフェにライブを聴きに行く予定をしているので、今日明日はよい子にしていよう。うにゅ。

('04.2.18)内閣府発表の10-12月期のGDPは、実質で1.7%増(年率7.0%増)、名目でも0.7%増(年率2.6%増)だそうだ。回復基調が定着してきたとしたら嬉しいのだが、雇用にはどこまで反映されるのだろう?ジョブレスあるいはジョブロス・リカバリーの傾向が強いのではなかろうか?長期金利の動向が気にかかるが、この年末にはどうなっているのだろう。

('04.2.17)忙中ひとときの閑という感じで、のんびりする。が、メールを開くたび何かあり、気が付くと数時間メールを読み、書き、文章を作っている。
 週末の東京行きが今のところ一番の楽しみだ。ひたすら遊ぶぞ。

('04.2.16)夜はカリフォルニアから届いた中古LPを聞く。ハーブ・アルパート「ライズ」(モービル盤 1979)。かっこいい音楽と見通しと厚みのある音。ウェザー・リポート「ミスター・ゴーン」(1A・1Aのオリジナルプレス 1978)。おお、ピーター・アースキンのシンバルワークの切れ込みとジャコのベースが良く聞こえて嬉しい。
 真打ちは
マイルス・デイビス「マイルス・アット・フィルモア」(1A・1Aのオリジナルプレス。1970。どうだ凄ぇーだろー!)から「フライデイ・マイルス」。ご存じロックの殿堂への殴り込みライブ。もう30年以上前に、FMラジオで聞いて「何じゃこりゃ、滅茶苦茶な音楽!」と思い、「ビッチェズ・ブリュー」を聞くまで電化マイルスはあかん、と思ってきた。分かる奴だけついてこい!式のマイルスはやっぱり過激は過激だが、今聞くと、音がよく見えてスリリングで楽しい。
 こうして聞くと、元のソースが良ければオーディオって随分楽だと感じるなあ。

 
はっきり言おう。オーディオを衰退させた元凶はCDだ。LPが良いと言うよりも、最初のデジタルフォーマットが悪すぎたのだ。釜飯、つまり録音も再生も同じフォーマットなんて!せめて48Kサンプリング再生(できればそれ以上のフォーマットで録音)なら少しは違っていただろう。SACDの登場はその意味では遅すぎたのかもしれない。でも、良い音を聞く機会が増えれば、少しは音楽を良い装置で聞こうとする人が増えるだろう。僕らもそれを願ってるんだよ、朝倉店長!

('04.2.15)今日は自分のためだけの日曜日。朝早く起きて、来週末の東京行きの準備などする。ひたすら音楽とオーディオにふけって、いろんな人に会う土曜日と日曜日。細々と手間取り、夜までかかったが、準備完了。夜はシャドウファクスなど聞きながら、ひたすら漂う。酒を飲まなくてもトリップできるときもある。夜が短い。

('04.2.14)淀屋橋で打ち合わせの後、タクシーを飛ばして日本橋の試聴会に行くが、期待はずれ。で、いつものショップに行ったら、例のカートリッジが回ってきてるので、聞いてみませんかのお話。我が家のスピーカーにかなり近いタイプだったので、とてもよく分かった。魅力的だが、もう少し先のお話になって、少しホッとした。(→オーディオ日記)

('04.2.13)ロバート・ハインラインの言葉を思い出してしまった。「人生における智恵の80%は、いらぬことにお節介を焼くな、と言うことに関係している。」
 確かにその通りだよ、師匠。もしやり直せるなら、とっくにそうしているさ。

('04.2.12)「揺りかご」

           In our daydreams, the house is a large cradle.(Gaston BacheLard)

夢の育つ場所はどこか?
ほの暗い幼年期のかげりの中。
砂場や鉄棒(挫折の記憶)、もうとうに捨てられてしまったおもちゃ箱のまわり。
(ほこりをかぶっている人形達。)
果たせなかった夢や愛、出せなかった手紙や伝えられなかった言の葉。
あふれる思いと、小さな心。
記憶と感情と限界と挫折とささやかな満足と、砕けた心のかけらと。
(恐ろしく幼いときに僕らは限界にたたきのめされる。人は空を飛ぶことは出来ない。)
でも、それらが属しているのはみな目覚めている時間だ。
目覚めながら、いかにも大人のすました顔の陰で、もう忘れてしまったつもりの悲しみやあきらめとの背中合わせで、僕らはそれとは知らず夢を育てている。
もしかしたら、目覚めながら、しかもどこかで夢を見ているのかもしれぬ。
見果てぬ夢。
尽きぬ夢。
人生。

('04.2.11)いずみホールで「いずみシンフォニェッタ」の演奏会。J.イベールの「アルトサキソフォンのための室内交響曲」での須川展也のサックスの何とつややかな音色。美しいロングトーン。彼のトルヴェール・カルテットのCDを買って帰ったが、これまた優れて楽しいベストアルバム。こんな素晴らしいアンサンブルがもっと聴かれても良いのになあ。クラシック音楽でのサックスアンサンブルはとても、とても面白くて楽しい。

('04.2.10)エミリ・ディキンソンが好きだ、なんて言うとスノッブな詩のファンからは「少女っぽい趣味ねえ。」なんて言われるかもしれない。
 でも彼女の密やかで深い慈しみと祈りには、いつも心を動かされる。
 「もし私が一羽のコマドリのヒナを巣に帰してやれるなら、誰かの心が砕けるのを防ぐことが出来たなら、私の人生は無駄ではなくなる。」
 人はいろんな人からエネルギーをもらって生きている。
 心が弱くなっているときは、そのことを、絆を心強く感じる。サンキュ。

('04.2.8)音楽を心に伝えるのにはこれほどの集中力とパワーがいるのだ。イシハラ・ホールでの二期会ソプラノの方のリサイタル。前半シューベルトで、後半ワーグナー。よく響く声質から言って、やはりドラマティコで、弱音を綺麗にレガートしたりするのは少し苦しく、前半は、頑張ってはるなあ、魔王でようやくエンジンが、という感じ。
 でも最後のトリスタンとイゾルデは、ここに全てのフォーカスを当てていたという覚悟みなぎっていて、凛とした佇まいが潔かった。
 そう、生半可なことでは人の心は動かないのだ。

('04.2.7)相変わらずウイルス感染スメールは多いが、何と今日だけで6通。おまけにうちのメアドからウイルス・メールが来たというお知らせメールまで、どこかのサーバから来た。うちのマシンは全く問題ないのだけれど、メアドがウイルスのせいで、あちこち出回っているので、恐ろしいことだ。一段落したら、変更しようかな。
 みんなセキュリティはどうしているんだろう。考えると、ぞっとする人が何人ぐらいいるのだろう。こんな事でユビキタス社会なんか実現できるはずがない。でも、相変わらずほったらかしなんだろうな。だから。それを前提としてセキュリティを考えていくしかない。費用負担の問題はあるが、プロバイダ=サーバサイドでの出来るだけの、セキュリティ対策、アップデートの半強制化(考えるだけで嫌だが。)、ブラウザ上での各種スクリプトの規制。でも、無理なことも多いし、ネットの拡大を制限しかねない。

 ところで、今日は日本橋の試聴会で凄いカートリッジ(レコード針)を聞いた。う~~む。30万円。でも凄いなあ。【→オーディオ日記

('04.2.6)村上春樹の「ポートレート・イン・ジャズ」を夜食時に読む。殆どが50~60年代のメインストリームのジャズメンを書いた話。前から知っていたのだが、こうしてみるとやっぱり基本的な嗜好は違うのだろうなあ。僕には、こういうのは即興製が足りない気がして、感興があまり沸かない。といってもオーネット・コールマンやエリック・ドルフィーの章を読むとぴたっと来ることが書いてあったり。ま、十人十色で良いじゃないの、疲れてるんだよ、きっと。

('04.2.5)深呼吸をしよう。嫌なことや先のことはひとまずおいて、ゆっくりと息をしよう。自分の中にある力を信じて、体を休めよう。出来ることは出来るし、成らないことは成らない。それも流れと言うものだ。自分に恥じることさえなければ、あとはなすべき事をなすだけだ。

('04.2.4)ひとつの映像作品には、本当に多くの人が関わっている。今日の上映会では英語キャプションの担当をしたネイティブの人と、出演された琵琶の奏者の人といろんな話ができた。皆、いろんなつながりを感じながら、作品は既に一人歩きをはじめていた。一作目は六甲の山荘という具体的な対象があった。その次はインタビューによる肉声がリアリティをささえていた。そういう前2作と違って、同義語 Equivalent も類似部分 Counterpart もない、コンセプチュアルなこの子は結構きかん坊な気がする。少なくとも欧米文化圏の人には、少しで良いから補足が必要だろう。次の作品はどうなんだろう。親戚の叔父さんとしては母親のことを考えてしまうので、余り手がかからなければ良いのだけれど。

('04.2.3)メールが来てから気が付いたのだけれど、今日は節分だった。節句。鬼って異界のものだと思ってるだろうが、実はすぐそこにいるんだ。人は簡単に鬼になる。地獄は足元にある。僕はそれを知っている。知らない方が、どれだけ良かったかといつも思う。豆をまいて払えるものならば、いくらでもまこうものを。

 苦しみを経由しないと喜びは分からない、とロシア的感性は常に告げるのだそうだ。確かにそうだけど、人生って理屈じゃないんだよね。エネルギーはどこからとろうか?もらおうか?

('04.2.2)やけ酒で、ワインを1本開けたがほとんど酔わない。そんな中で、10日ほど前の、ドラゴンアッシュのライブのことを書いたこの日記の事でメールを戴いた。いやあ、嬉しかったなあ。前にも言ったけど、僕は音楽というものを信じる。心から心へ、伝わる物はきっとある。

('04.2.1)実は今日、京都へ八重山民謡の若手ホープ・大島保克の泡盛付きライブを聴きにいくつもりだったのだけれど、行けなくなったので、届いたばかりの元ちとせのCDなど聞きながら、これを書いている。
なんでみんなこんな風に伸びやかに、しなやかに生きていけないんだろう。
なんで人と人とが角突き合わせなければならないのだろう。
みんなで理解し合い、話し合えれば、力を合わせればもう少しましになるはずなのに。
そんなもんだと言うのは簡単な話だし、大抵そうやってやり過ごしていくのだけれど、やはりどこかで悲しい。

美しいものに触れたい。

('04.1.31)もしこれからもここにいるとしたら、これから知り合う人たちが、それなりの人たちであるかどうかと、言うことだ。出来れば、良い人たちに会えればいいのだが。

('04.1.30)昨夜見たブルース・スプリングスティーンのライブはなかなか良い感じだった。30年ほど前に故郷で立ち上げたバンドのオリジナルメンバーが全員現役で音楽をやっており、20年ぶりに彼らとツアーに出るなんて言うのもカンドーものだが、特に最後の曲 If I should fall behind.
 もし僕が遅れたら待っていて欲しい、手をつないで一緒に歩いていこう、なんて曲を、フロントラインの連中が代わる代わるソロを取る。うまいのも、余りうまくないのも、良い声もだみ声もあるが、ハートはつたわってくる。そして全員でラストのリフを終える。こういうツアーだと、息子がやってこいと喜んで送り出してくれるんだろうな。

('04.1.29)高音質盤LPのサイトを色々探し、ジョン・レノン「イマジン」(モービル盤)、ビートルズの「レット・イット・ビー・ネイキッド」と「1(アンソロジー)」、それにゲイリー・カーのコンバスとオルガンの「アルビノーニのアダージョ」、電源のノイズキャンセラー「クワイエット・ライン」をアコースティック・サウンズに注文した。昨年買った「イエロー・サブマリン/ソングトラック」やモービル盤の「アビーロード」とあわせれば、ビートルズの主要な曲が市販のLPやCDよりずっと良い音質で聞けるわけだ。エヴァ・キャシディの「ソングバード」のLPはまだ入荷がない。
 SACDも増えている今、これからはある程度以上のクォリティを持っているLPを買う方が値打ちがあると言うものだ。

('04.1.28)デスクの下、パソコン裏のケーブルジャングルから、目星を付けたケーブルを抜こうとして、起動中のパソコン本体の電源ケーブルも抜いてしまった。すわ!と、再度電源を入れ直したが、ディスプレイは立ち上がらず、PCのハードディスクは回りっぱなし。サポートセンターに電話すると、BIOSも立ち上がっていないとしたらハード故障の可能性大とのこと。トホホ。
 今メールで重要なやり取りをしてるので、メール環境だけでも確保しなければならず、急遽バックアップ用ノートの設定をして、メールはOK。
 持ち込みオンリーなので、タクシーに載せて昨日サポートセンターに行った。さすがプロで、メモリー1枚状態から順次チェック。結局原因はビデオボード。AGPスロットに差し込むのだが、マザーボードとの関係が直角ではなくケーブルを引っ張ってしまったためか、経年変化かは分からないが、結局スロットから浮いた状態になっていたというわけ。これじゃ、マシンも空回りするわな~。
 でも、リカバリできて本当に良かった。バックアップノートも役に立ったし、やっぱりバックアップは必要だ。
 ということで、本日から更新再開。

('04.1.24)新しくできた知人とワーグナーを聴きながら、いろんな話をする。珍しい物も聞かせて頂く。音楽もそうだが、デジタルの世界も奥が深い。

('04.1.23)う~~寒くなってきた。冬らしくて良いのだが、年を取ってきたせいか寒さが少しずつ応えるようになってきた。
 じゃ、メインの暖房は何?と聞かれたら、答えは「真空管アンプ!」。よほど寒いときはオイルヒーターを付けるが、どっちにしてもすぐ暖かくはならないし、滅多に使わないんだな。
 スイッチオンしてCDなど聞いていると、だんだんと温まってきて、そこそこになったらLPを聞き始めるという感じ。かくして冬の夜はぬくぬくと過ぎていく。ふにゅ。

('04.1.22)東大の坂村健教授の文章を読むと、いつもこの人の柔軟性に打たれる。ご存じ国産OSトロンの生みの親だが、かってマイクロソフト対トロンというマスコミの切り口に、「問題はオープンとクローズドの関係だ。」と鮮やかに切り返していたのは、強く印象に残っている。
 ちょっと古いが、先週14日の日経でIT産業の水平分業こそこれからの進化だという論議に、それは事業のリスクとコストにより、むしろ傾向は多様化の方向だと警鐘をならしている。
 「問題なのは知識ではない。.....問題なのは無知を自覚せず、生半可な理解で議論に加わり、またそのままでいいと思っている人たちだ。」凄くよく分かるなあ。

('04.1.21)「オレンジストリート」って、どこのことだか知ってます?家具の街、立花通り。橘からオレンジと言うことらしい。昨日思い立って南堀江まで足を伸ばした。水曜夜で大手の家具店は休みが多かったが、こちらはそんなところにははなから関心なし。
 実は、いずれ今と同じパワーアンプをもう1セット入れなければならないのだが、現状では無理。で、スピーカー間のレコードキャビネットを移して、丁度その大きさの幅の狭いテーブルを置いて、レコードキャビネット上のディスプレイはそのまま維持する、ということにしたので、そのテーブル探しに出かけたというわけ。
 勿論、特殊なサイズで、しかも脚はスチールにしたいので、オーダーになると思う。イデーのプランクスを幅細にしたイメージ。とはいえ東京のイデーまで行くのもイマイチなので、出来ればじっくり相談できる地元で探したいというわけ。アメ村的な50年代、60年代風でプラスティックやアクリルという比較的チープな店が多く、これはと思う店はほとんどなかったのだが、何せ開いているのは一部で、Bo-Conceptのようなメジャーな所は見てないので、今夜は雰囲気だけか。土日の昼間にでもゆっくり来よう。
 夜のアメ村はあまり好きではないので、早々に帰る。

('04.1.20)ノートン・インターネット・セキュリティのプロフェッショナル版2004年バージョンをインストールして、マシン全体をスキャンしてみたら、ダイヤルアップしに行く「ダイヤラー」が1個検出された。うちはBフレッツだが,バックアップ用にISDN回線を使えるようにしているので、余計なダイヤラーは勿論削除した。油断も隙もあったもんじゃない。最近着信メールでもウイルスがいくつか検出されるし、相変わらず物騒なインターネット。
 夕食は近くの白川豆腐店の「刺身ゆば」、「黒豆寄せ豆腐」と「白子揚げ」。「白子揚げ」はじっくり焼いて、黄ニラを沢山散らして、鶏ガラスープのあんかけにしよう。美味しい鰺の開き。小ぶりの内地産ブロッコリ。湊屋藤助。

('04.1.19)Wowowで録画したドラゴンアッシュの昨年最後のライブ「House of Verovity」を見た。いやあよかった、感動した。前座で出ていたバンドのいかにもなれなれしいヒップホップとラベルが全然違う。出してる音の多彩さや密度が違う。凄く切れのいいスペイシーな音になっていて、いろんな音楽がクールに熱く消化されている。そして、kj:降谷建志の存在感。よりよく通るだみ声にしていくために、声をどんどん潰していってるし、彼はほかのMCとは違い、語ることと歌うことを同時にやろうとしているような感じがする。より音楽をやろうとしている気がする。そして、ヒップホップにかける覚悟みたいなものが伝わってくる。
 こういう密度の高いものに接すると、充実感が残る。レッチリよりこっちの方が、僕には性に合う。

('04.1.18)いろいろと会合や折衝が重なったので忘れていたが、震災からもう9年が経った。宝塚での被災した経験をつい忘れて、棚の上に本や重量物を置いてしまっている。これが夜中に落ちてきたらと思って、とりあえず寝る位置はずらしたが、一番の備えはいざとなったら何とかなる、という経験・心構えと通信手段だ。
 などと言いながら、教えてもらったエスクワイァの沖縄特集を読む。ふむ、桜坂という飲み屋さん街があるのか、おー、こんな店があるのか、行ってみたいなあ、と思う。

('04.1.17)この四月には母と松江に行く予定だ。家族風呂付きの部屋でゆっくりするのが楽しみだが、いつか実行したいプランが一つある。
 雪の季節に、そういう内風呂のある旅館に泊まる。そして、雪を身ながらいろんな本を読み、温泉に入り、酒を飲む。本当はスキーがしたい。もう一度雪の上で思う存分滑り、膝を抱えてこぶを飛べたなら明日死んでもかまわないと、本気で思っている。一度、これは夢だと言うことを自覚しながら、滑る夢を見続けていたが、それはもう良い。
 いまは雪の上に立つだけで良い。そして、何も考えず、それだけを楽しみたい。外を吹く風は、時折心の中にも吹くだろう。それが僕の人生だ。

('04.1.16)今夜はお隣のギャラリーご近所関係者の新年会。個性豊かで、多彩なメンバーが集まり、いろんな話題で談論風発。インド料理も美味しくて、あれやこれや沢山食べ、飲む。結局つま先も見えないほどに明かな食べ過ぎ。美味しくて、楽しかったが、この落とし前はどうつけるのか、トホホ。

('04.1.15)久しぶりに桜宮のパントリーに買い物に行く。ギリシャ・クレタ島産のオリーブオイルや、野菜、チーズを仕入れる。で、中の酒屋さんで最近は手に入らない湊屋藤助を見つけたので、夕食は急遽和食に変更。おいしい豆腐。昨年末に友人にいただいた下田の鰺に開きを解凍してあぶる。いや、なかなかのものである。レコードの音は良いし、飯も旨いし、少しぬくぬくしてきたかな。こういう路線がやっぱり良いねえ。

('04.1.14)やはり風邪気味で喉が少しいがらっぽいので、おとなしく家にいる。東急ハンズからアルミ合金板が届いたので、ラックを組んで電源部を載せる。音は、非常に整理されてすっきりしてきた。少しスッキリしすぎかとも思ったが、レコードによって表情がかなり違うのが分かるし、くるものはくる。ま、これで一段落して、音楽を聞こう。
 岡島直樹氏改造のDACが夕方届いたが、開けるといろいろやってしまうので、明日開梱することにする。

('04.1.13)大分疲れが出てきているので、ここ何日かあまり本も読まず、音楽を中心にゆっくりしている。今日は東急ハンズに仕入れに行った後、夜LPを聞いたが、このバランスなら、ほぼいけるだろううと判断。おそらく明日には、電源部をラックに収めてセッティングも完了するだろう。いろいろ勉強した。面白かったが、金属加工は当分やりたくない。

('04.1.12)音というものの、精妙・不可思議さに振り回された一日。試聴しながら、ヘッドアンプのサポートの方法を色々変えたりして悩んだが、結局最後の決め手は薄いスポンジ1枚のようだ。とりあえず、耳が張った感じで体調も優れないので、詳しくは明日以降に。

('04.1.11)アンプ作りは勿論嫌いじゃないのだけれど、金属加工が一番疲れる。穴を開けて広げて、取り付け、削る。いくら、正確に位置を出しても、穴あけは必ず少しずれる。だから、一つ一つ開けては、現物あわせでだましだまし追い込んでいく。電動ドリルのおかげで随分助かるが、いやあ、大変。ヤスリがけも不可欠。切るのは苦痛そのもの。こういう事をやっていると、例えばジェフ・ロウランドのようなアルミの塊の凄さがよく分かるし、それなりの値段がするのも、よく分かる。でも、夜遅く、ようやく完成。ふう~。

('04.1.10)打ち合わせの後、クレオ中央に情報収集がてら、新年ご挨拶。情勢は厳しくなってるが、やはりのどかな感じは悪くないのだけれど、諸君、お楽しみはこれからだよ。
 夜は、MCヘッドアンプの改造作業。

('04.1.9)とてもすっきりしたとは言えない一区切り。ひたすらアンプをいじり、音楽だけを聞いていたいと久しぶりに痛切に思う。まあ、こういうときもあるのか。沖縄に行きたい。眠りたい。会いたい。

('04.1.8)今日はさぼろうかと思ったけれど、思い直して、アントニオ・カルロス・ジョビンの『三月の水』の歌詞を引こう。三月のブラジルは雨期。雨が全てのものを等しく洗ってゆく。これを読むたびに、僕はポール・エリュアールの『自由』を思い出す。「僕は書く、....」で始まり、「自由を」で終わる有名な詩だ。違うのはエリュアールは書かなければならなかったけれど、ブラジルの大地の上にある物は、はじめから自由だ、と言うことだ。沖縄はどうだろうか。近いような気がするのだけれど。

『三月の水』

棒きれ、石ころ、道の終わり
取り残された切り株、
ちょっと孤独
ガラスのかけら、命、太陽
夜、死、ロープ、釣り針
平原のシロケブラコの木、
幹のこぶ
カインガーのランプ、西洋なし
空洞の材木、崖崩れ、
それは深い神秘、
望もうが望むまいが、
吹いている風、坂の終わり
(中略)
美しい地平線、三日熱
夏の終わりを告げる雨
人生の誓いを、心の中で
(the bossa style, Mercury PHCR-1646)

('04.1.7)あー、疲れた。ほんとにそれだけ。

('04.1.6)どうも風邪っぽい感じなので、今日は早めに寝ることにして、洗濯物や新聞の片づけだけして、後は新聞を読んだり、音楽を聞いたりする。
 Tomorrow is another day.

('04.1.5)年賀状雑感
1.もう職場を離れて2年目になるので、年賀状は抑え気味に買って、100枚で事足りた。実は新しい友人達はほぼ皆メールでやり取りできるということもある。この好対照。

2.定年退職間近のもとスタッフの人から、一度会いたいとの賀状。退職ってなかなかのものだよ。なんでも根性いるもんだよね。よっしゃ、元水産係の宴会セットするぞー。

3.銀行にいる大学同期から、この3月末で出向先のメーカーに転籍する賀状。30年の銀行生活で辞めようと思ったことも何度もあったそうだが、今度は物作りの現場に飛び込むという。フレーフレー瀧端!東京へ会いにいくぞー。

('04.1.4)あけましておめでとうございます。昨夕母の所から帰ってきました。今回は完全な寝正月。なんでこんなに寝るんだろう、と思うんだけど、ずっと寝て、食べてはまた寝てました。姪っ子の合格祝いはセンター試験もあるので、まだちょいと早いのですが、皆で焼き肉に行きました。穏やかな正月。
 今日は、「午後から高校の同窓会。会いたい人物が欠席していたので、何か仕事上の会合みたいな会話を交わしてきたが、まあ、平和な世界。毎年は行かないが、ときどき行ってみるのも良い。



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