2002年の日記のページ
(’02.12.30)今年も終わろうとしている。(まだ終わってない人、すいません。)今日はマーケットも大納会で動きも少ない。久しぶりに、ゆっくりと音楽を聞いた。新しいレコード・プレーヤーはとてもいい。まだ荒削りなところはあるが、心のひだに届くように柔らかくて、しかもクリアな音。いろんな想いと一緒に心にしみこんでくる。
明日は掃除をして、メールを書いて、狭山の母と弟の所へ行こう。よって3日まで更新はお休み。
新しい生活に踏み出した年だが、いろんな人の力を借りて良い方向に転がりだしたと想う。気が付くと、もう根をおろしはじめている。人生を楽しんで、いろんな人とのつながりを深めていきたい。改めて、感謝、深謝。みんなありがとう。
(’02.12.29)新年を迎える準備にかかる。といってもいろいろと片づけたりするだけだけど。一昨日ギャラリーから納品された写真のフレーム2枚を玄関に飾った。なかなか美しいと一人悦にいる。(別項「アートの話」に写真をアップ)
そして、新しいターンテーブルをセットしたLPレコード・プレーヤーが届いた。これもまた美しい。(別項「アナログ・プレーヤーの話」)機械達も当然美しい方がいい。外箱の共振的な音が殆どでない、正確な音。31日に母の所に帰るので、年内は少ししか聞けないが、まあじゃじゃ馬馴らしでゆっくりと行こう。
ウイルスではなさそうだが、弟のマシンの動きがおかしいらしい。例年通り、年末は彼のマシンのチェックと調整を仰せつかった。それにしても、インターネットは仁義なき世界になりつつあるのかもしれない。今日はコンビニでMS
Office互換のフリーウエアOpen Office.orgのCD-ROM付き解説本を買った。日本語サポートには限界があるようだが、SUNのStar
Officeといい、マイクロソフトのでかすぎ、重すぎ、高すぎソフトには、やはりみな嫌気が差しつつあるのだろう。様々な変化の兆し。
(’02.12.28)年賀状がようやく出来た。今年からは遊び心を出してみようと思って、描画ツール「水彩」でコンポジションを描いてみた。まだまだイメージ通りに行かないが、まずは第1弾ということで中郵に出しに行く。まだまだ仕事を抱えている人や、僕のように手仕舞いに入っている人。暮れゆく年の、何ほどかうれしき事を想おう。
(’02.12.26)昔の職場のみんなに送った葉書の反応が帰り始めてきた。上司だった元局長は電話をくれて、来年飲む約束をした。メールも何通か、若手の係長からは話をしたいとのことで、セッティングを依頼した。こうしてみると、結構俺も幸せな人間だったかもしれないと、思えてしまう。
でも過去のことは過去のことで、これからのことを考えて行動しているからこそ、昔の知り合いとも話ができる。そのことを忘れて感傷に浸ってはいけない。
一番うれしかったのは、アメリカへの視察団で一緒に出張した大先輩からの絵手紙と、色紙。今だからいえる本音も書かれていて、涙が出そうになった。その色紙の中の言葉。「人生は、どこにおっても、おらが月」
(’02.12.25)昨日、忘年会に行く直前に「好きにせん会」メーリングリストに送信すると、文字化けして泡食ってしまった。メールでは初めての経験でエンコードとかチェックするが原因不明。少し遅れて忘年会に顔を出す。
大体、24日のイブに集まって大丈夫なのかと思っていたが、23日が祝日なので、家族持ちはみんなそこで既にクリスマスをやっているとのこと。子供と教育の話や、早いのは結婚話まで出ていて、孫の話も視野に入ってくる。上海に行ったばかりの者もいて、いろいろ教えてもらう。タラタラと心安らぐ。
今日は、年賀状の準備をして、本・雑誌を精力的に読んで片づける。その合間に気合いを入れてコーネリアス(小山田敬吾)の「ポイント」をCD1枚通して聞く。単なる打ち込み(パンチング)だけでなく、アコギやいろんな効果音が入ったループ。普通ビートには体が反応して動き出すのだけれど、このループの音は、まるでアフリカン・ドラムの様に揺らぎを持ちながら呪術的に繰り返され、鮮烈な音に驚きながらも、静かに意識が広がって行く。新しい才能に出会うことはうれしい。
(’02.12.24)今日は、朝から内科のドクターとの面談。21日の胃カメラとその他検査の結果。
○相変わらずの慢性胃炎と肝機能(γGTP他)→「酒を控えなさい。」むむ、分かってるんですけどね。
○中性脂肪、血糖値他→11月結果より減っており、4月からはかなり減っている。「食事に気をつけ酒を控えなさい。」
21日はかなり脅かされて、少しめげていたのでほっとした。ダイエットサプリメントも、一時ほど体重に変化がないので、こりゃ効かんかなと思っていたが、目に見えないところでちゃんと仕事をしていたわけだ。でかした!
ここ2日ほど休肝日にしたら、なかなか良い調子なので、これからも飲むときと飲まないときとメリハリをつけよう。良い烏龍茶もあるからOKだろう。
といいながら、今晩も20数年来のダチの忘年会。ま、明日からがんばろ。
(’02.12.23)仕事などでお世話になった職場のみんなに、お礼とご挨拶、そして新しいURLのお知らせの葉書を出す。HPを見てメールが来るかもしれないが、パソコンを持っていない人が多いので、電話がかかって来たり、年賀状に何か書いてくるだろう。よって、来年は飲み会を何件かやることになる。これもまた良し。時間が経った方が、何かと話しやすい。
また、「好きにせん会」のメーリングリストにご挨拶兼HPのURLお知らせを送ろうと思う。
それやこれやで初めての人のアクセスも多くなると思うので、トップページを模様替えした。本当はモンドリアン風にやりたかったのだが、ツール的に難しかったので、とりあえずエクセルで表形式にしてみた。コンセプト的には、ある酒好きのメディアプランナーの方のHPからパクらせてもらいました。ここに謹んでお礼申し上げます。(笑って許してください。)
(’02.12.22)今日は寝坊して昼前に起き、紅茶を淹れて頂き物のオートミールクッキーを朝飯代わりにしながら、アヴィシャイ・コーエンを聞いた。若い人たちがやるストレート・アヘッドなジャズで目が覚めてくる。
寝ブタ気味ではあるが、夕べはご近所サンから声かけてもらって、「好きにせん会」の集まりに初参加。みんなで楽しむ音楽と食事と会話。クリエーターを中心に個性的で表情豊かな人たちが一杯いた。意気投合して、うまいもん食いに行く約束をした人もいる。広がっていくのがとても楽しい。そう、深呼吸を忘れずに、ゆっくりと両手を広げよう。人の片手と自分の片手でまた別の音が出る。ありがとう。
(’02.12.19)ギャラリーの貸し室の内容もほぼまとまってきた。これから、形にしていくわけだが、いろいろな工夫が必要になるだろう。必要とされるのはうれしいものだ。まして、大切な場所で、大切な人たちから必要とされるのは、とてもやりがいがある。
(’02.12.18)今晩は、旧職場のそれも旧事務長会(ナイスミドル会)の忘年会。色々あっても、結局、一生懸命やった連中同士が、立場が変わっても集まる。やっぱりいいもんだ。
(’02.12.17)今日はひやっとする一瞬があった。香港への送金用に円を米ドルに替えるため、ねらい目通り週あけから円高になったので、日経ネットで20分遅れで表示される仲値の動きを見て、一方で、インターネットバンキングでクリックする瞬間を待っていた時の話。1台のマシンでブラウザを交互に走らせていたら、底かなと思ったあたりで、突然動かなくなってしまった。あわてて再起動をかけて、予備のノートを仲値ウオッチ用にすぐに立ち上げ、2台で分担した次第。幸い、もう一度円高に向かう動きがあったので、ほぼ底に近い値で実行できたし、金額もたいしたことがなかったので、まあたいした事にはならないのだけれど、起死回生の大一番にこれが起こったら、たまらない。やっぱり、バックアップが必要だ。
あれやこれやにかまけてコンピュータ関係の勉強がほったらかしになっている。マイクロソフトも先が見えてきたようだし、やっぱりPC-UNIXの勉強に何とかして取りかかろう。
来年からお手伝いさせていただくギャラリーの方も、少しづつ手法の輪郭を固めている。まあ、忙しい方がいいか。
(’02.12.15)ここのところ東京の余波でブラジルのカエターノ・ヴェローゾを毎日聞いている。「ソトコト」でもスローライフ大国ポルトガルの特集。やっぱり、ポルトガル語を勉強して来年か再来年はリスボンに行こうか。そんな事を考えながら、またカエターノ。
きょうは、泊まりに来ている母が料理を作らない日。昼はキャベツとアンチョビのペンネ。キャベツは柔らかいところだけ使い、ペンネも柔らかめにゆでる。食後にコーヒーをいれると、日溜まりの中でぬくぬくとご満悦。夜は近所で懐石。これくらいの事ならいつでもできたのに。離れていると、やはりもどかしいこともある。
(’02.12.14)NYCからのANAは無事着いたようだ。良かった。
(’02.12.13)「小鬼の居留地(小難しい与太話)」という新ページをアップした。「海辺のカフカ」といい、お前のHPは文章が多すぎて難しい、という声もあるけれど、とりあえずアップしてみた。「オーディオとインテリア」は僕には大事なことなので、特に音楽とオーディオはこれからも力を入れるけれど、このHPは僕自身へのポータルサイトとしての役割の方が大きくなってきた。まあ、やってみて、考えて、またやってみよう。
(’02.12.12)今年も残り少なくなってきた。そろそろこのサイトもBフレッツ(ISPはぷらら)に移動し、お世話になったみんなに新しいURLのお知らせとご挨拶の葉書を出さなければならない。来年はどんな年になるのだろうか。願わくば愛に満ちた年であれかし。NYCは雪だろうか。一路平安。
(’02.12.10)昨夜、帰阪。昨日の午前中は大雪で、雪の赤坂、新宿を初めてみたが、なかなかいけるもんです。天気が悪かったので、横浜には行かず、東京オンリー。池袋のジャズ・ハウスや渋谷のレコード屋群(いやあ、オラっちには余り縁のないヒップホップ系が多いのだけれど、アメ村的で面白い町だねえ)、おなじみ新宿パークハイアット、ただのファッションビル風でいまいち面白くなかった丸ビル(なんでここが今年のヒット商品なのか、ようわからへん。確かにエミコさんが首を傾げたとおりだった。)、何回も来て定点観測している赤坂見附の田町通り(宿が赤坂見附だったので、朝飯もここ。晩飯にいける広東料理屋発見)。東京の裏町も、何となく香港化してきているように思うのは気のせいかな。
オーディオの会はほんとに収穫も多かったし、楽しかった。(別掲「オーディオ日記」)主催者の方からは、「初めて会ったのにそんな気がせず、不思議な気持ちだった。」とメールが送られてきた。また行こ。
(’02.12.6)今日、懐かしい女性が我が家を訪ねてきてくれた。7~8年ぶりだろうか、肝心の仕事の話はそっちのけで、いろいろと楽しいおしゃべりに花を咲かせた。もう60歳をとうに過ぎているのに、相変わらず若々しいのは毎日あちこち出かけていき、好奇心を失わないからだと思う。見習わなければ。
さて、明日から東京行きで3日間、更新はお休み。新しい丸ビルはイマイチらしいけど、一応はのぞいて、池袋にマイルス・デイビスをコピーしているジャズ・カフェがあるので、夜はライブにも行ってみよう。そいで、横浜元町のスタバでラテ飲むゾ。
(’02.12.5)最近気に入ってるTVのCM。”GAP”のCrazy Stripes。カラフルなセーターとマフラーを一杯着た女性達が、シンプルなビートで踊り出す。見ていて、心も体もうれしくなってくる。も一つ、ユニクロだっけ、これも音楽に乗って老若様々な女性が、次々にタートルネックを着ていく。みんな、なんでそんなに素敵なんだろう。
(’02.12.4)今日Citibank香港に米ドルで送金。香港の不景気も底流にあろうが、米景気への不安か、米ドルの利率が先々月くらいから極端に下がっており、無税というメリットを差し引いても日本の方が高いくらいだ。債券を買って運用するか、まだ高利息な豪ドル、英ポンドで運用するか。オフショアの資金運用は手段が多彩なだけに、きっちりしたリサーチが必要な難しい時期になってきた。
ところで、日経夕刊1面の「女と時間と日本経済」の連載がとても興味深い。「柔らかな改革者」として新しい切り口を開いている女性達が紹介されている。こんな素敵な人たちがもっと一杯いたら、日本はもっと型にはまらず、組織の枠にとらわれない社会になるだろうな。
(’02.12.2)美しい人を見た。といってもAERAの表紙だけど。アニカ・ソレンスタム。全米ツアーを制したスウェーデン出身のプロゴルファー。まっすぐな瞳。ふっくらと柔らかく、しかし引き締まった口元。メンタルなスポーツといわれているゴルフで何と59のスコア。(僕は打ちっ放しと数日間のスクールしかしたことのない人間だけれど、その凄さは分かる。)しかし、それでも控えめで柔らかい感じが伝わってくる。彼女のプレイを見たい。
(’02.12.1)最近、読まなければならない、あるいは読みたい資料が山積みになってきた。経済政治のメガトレンドを把握するには、読まなければならない経済書や雑誌が相当ある。新聞2紙もポイントを押さえて読む。コンピュータの方も雑誌だけでなく、PC-UNIXの勉強をしたい。NPOなんかも勉強し、真剣に考えたい。時間はあるはずなのに、思うほど片づかないのは欲張りすぎだろうか?優先順位を考えながら、ともかく努力。
明日は勉強の材料集めをかねてオーストラリア・ドル建て債券の発注をする。額はしれているが、とりあえずポートフォリオだけは3大陸にまたがることになった。これで、当分は様子見にしよう。
(’02.11.30)アナログ(LP)プレーヤーのターンテーブルを買うことに決めた。今のものが悪いわけではなく、大震災も一緒にくぐり抜けて愛着もあり、いいバランスで鳴っているのだが、何か余計な響きがあるように思う。今のアームとカートリッジなら、デジタル的なソリッドさがもっと出ても良いだろう。もう少し極めたい。ロンドンでも探し、この数ヶ月悩んできたが、アメリカで現役でやっているメーカーのもので行くことにした。お蔵入りする今のには悪いが、新しい相棒の事をいろいろと思い描いている。昔ほどではないが、結構ワクワクし始めている。困ったもんだ。
明日はシティバンクのユーロ市場の資産運用セミナー。
(’02.11.29)今年は僕にとって大きな変革の年だった。今、僕の最大の仕事は正直に自分自身であり続けることだ。この間、何人かの人と知り合い、いろんな事を教わり、パワーを分けてもらった。
ありがとう。感謝、深謝の日々。Grateful Days。何ができるか分からないが、これから少しづつ返していこう。
(’02.11.27)ヴォイストレーニングで少しずつ声が出るようになったが、響きを端々までコントロールしていくには腹筋のパワーが足りない。グレゴリオ聖歌のアヴェマリアはほぼ歌える。練習用の一曲である平井堅のリングは、ヴォイトレをすれば、原調で声は出るがまだパワーがたりない。やはり僕の声質ではノンビブラートが一番気持ちよく歌える。経験的には、ここからの道のりがかなり長くかかる。年明けの復帰は無理でも、やればできる。少しずつネジを巻く。
(’02.11.25)今日は一日雨。外を見たときに暗いな、と思い、外出を中止して、前からやってみたかったことを実行した。
イギリスに住む日本人の方が言っていた。「日本の家は明るすぎる。イギリスでは曇った暗い日も多いが、できるだけ外光を使い、照明は余り使わない。」子供の頃の長屋的な日本家屋はその構造もあって決して明るくなかったが、そんな中で特に不自由することもなく暮らしていたと思う。
それにならい、天井のシーリングライトは一切使わない。できるだけ外光だけで、本を読んだりするときは最小限のスタンドライトで1日を過ごす。
外光だけでは確かに少し暗い。でも慣れるとその陰影の柔らかさが、懐かしい奥行きで広がっているのが分かる。雨が強くなったり、あがりかけたりして、空の明るさが刻々変わっていくのが、手に取るように分かる。夕方になるにつれて、陽がその役割を終え1日が暮れていくのを、しみじみと思う。手仕事や読書をするなら、スポット的に最小限の明かりをつければ、十分に明るい。効率は悪いが白熱電球の光はやはり暖かい。
京都仁和寺(禅宗)の紋章にはこう記されている。「唯我知足」われただ足るを知る。さて、音楽は子猫の毛並みのようになめらかで優しいラヴェルのマ・メール・ロワ(マザーグース)。ワインはトスカナの赤サンジョヴェーゼ。(八木さんありがとうございます。)
(一日が殆ど暮れかけてから気が付いたのだけれど、よく考えてみたら誕生日だった。52回目。やれやれ。)
(’02.11.24)昨日から「目を開けて見る夢」の事を考えている。余り人に言ったことはないが、トリガーとなるキーワードや映像やイメージがあれば、簡単に僕はトリップできるし、してしまう。イメージが頭の中で炸裂するように走り出して、一瞬別の世界に行ってしまう。たとえば「海」。鯨が聞く海底の通奏低音は何だろう?それは太古から響くものか、マグマのつぶやきのようなものだろうか?海中から見上げる水面の光は波とともに揺れ、そのリズムと相まって、それはどう響くのだろう。etc
勿論、人前ではしないようにしているし、大抵のものは復元できるので、意識的に止める。それでも、親しい人と一緒だと、気を許してしまうせいか、帰ってくるまでほんの数秒かかる。その人の話を聞いていないのではなくて、ちゃんと覚えているのだけれど、女性は大抵怒る。困った。
(’02.11.23)”ISLAY”「アイラ」と読む。スコットランドの西、殆どアイルランドにつながる島。知ってる人は知ってると思うけれど、磯臭い、潮の匂いがするシングルモルト・ウイスキーの聖地の一つ。今日、その名を付けたオリジナル曲を、何とバロックギターで聴いた。スモーキーフレーバーのような、くすんだ遠いアルペジオから始まり、ケルトの民族音楽のようなモチーフがさりげなく織り込まれている。(スコットランドやアイルランド、ウエールズの人たちはアングロサクソンとは異なる人種で、ヨーロッパの古層に位置するケルト族。トネリコや柊、つまりクリスマスツリーはもともと彼らの木だ。聖パトリックの緑も彼らの色。ケネディ家もケルト族だし、アメリカの警官は主流がアイリッシュ。)
そしてとても優しい透明な響きのパサテアード(全奏)。後で、ギタリストと話をしたら彼もラフロイグやボウモアが好きだといっていた。いつか一緒に飲めたらいいな。
(’02.11.22)昨夕にシティバンク香港からカードと関係書類が届いた。香港でもらった書類と一緒に目を通す。取引約款(Terms&Conditions)など、日本語でもろくに読んでいないが、ドキュメントについては今後は全て英語となるので今回は一通り読んでみる。日本のシティバンクとおよそ同じだが、英文で読んでみるとまた別のイメージがあっていろいろと勉強になった。とにかく個人向け(リテール)業務ということをよく整理した内容だと思うし、Citiの口座をもっていれば自行発行のTCは勿論無制限で、他行発行TCもUS$1,000以下なら、手数料なしで現金化できるなど、なかなか面白い。必要書類にサインして、中郵まで出しに行く。メールで連絡が来たら海外送金して、それからインターネット・バンキング。
ところで、東京のオーディオの会は12月7日(土)の午後に開催されることになったので、出席の返事をする。この際2泊くらいして丸ビルその他を制覇しに行こう。うむ。
(’02.11.20)最近発声練習と腹筋を始めた。話にならないくらいの状態だが、時間をかければある程度の所までいけるかもしれない。どうしても痰が切れないので、漢方薬の力も借りて、少しずつ声が出るようになってきた。僕はまた楽器になれるだろうか?
(’02.11.19)本日の大阪市会決算特別委員会で、磯村市長が来年度900億円の税収不足見込みをふまえて財政非常事態宣言をされた。遅かれ早かれという気はしていたものの、非常に複雑な気持ちになる。僕が考えても仕方ないのだが、いろいろと苦労されていたあの顔、この顔が思い出されて何ともいえない気持ちだ。
(’02.11.18)今日は香港旅行の精算と口座データ等の整理をして、本棚の整理をした。もともと、「本は1列しか並べない。図書館を活用して、はみ出した本は捨てる。」という決意をしていたのだけれど、やっぱり増えてきてところどころ2列になってしまっている。そうすると後ろ側の本を忘れてしまうので、後ろもある程度見えるようにあちこち動かして、不要な本を捨てた。
といっても、岩波文庫でいろんな詩集をキャンペーンしているのを見て注文する段取りをしているのは、ビョーキに近いのかな。でも、今はいろいろと動くのが先だ。読みたいものはたくさんあるが、テキストの海に溺れに行くのはもう少し先でも良い。
(’02.11.17)今日は暖かい1日。香港旅行の新ページをアップした。
香港ハイスピード/ホンコン、ホンコンどこ行くの
同/香港的笑顔
その後、ベランダで日溜まりを楽しみながら、留守中の新聞や郵便物に目を通す。中国の状況は香港にいてもある程度把握できたが、やはりイラク、北朝鮮関係が気に掛かる。世界の保守化がなぜ進むのだろう。冷戦が終わって「平和が勃発して」、従来の力関係が崩れる中で、経済、環境、民族、いろいろなものに各国が頭を打っている。未来がバラ色ではないことも、薄々、あるいははっきりと見えてきた。平和は不断のコミュニケーションという努力の成果であるはずなのに、皆が他者とのコミュニケーションに疲れ自分の内にこもろうとし始めている。
確かに肉親を友人を失った痛みは何ともいえないものがあるだろう。その理不尽さをのろい、誰かに責任をとらせたいと思うのは人情だ。しかし、初めて本土が攻撃されてとち狂う一方、空爆を受けた人々の痛みは想像できないのか?マーチン・ルーサー・キングが暗殺されたとき、ボブ・ケネディは自分も兄を殺されたが、憎しみや復讐では悲しみは消せないことを、黒人の群衆に語りかけ、爆発寸前の彼らを帰宅させた。アメリカにはそういう偉大な伝統もあったはずだ。
戦争になれば、エコノミストが好む言い方で「ボライティリティー」が高まるだけではない。おそらく世界が液状化していくだろう。米本土は不断のテロにおびえることになり、宗教・民族間の融和が対立へと成り果てて行くだろう。世界経済は急速にその規模を狭めていくだろう。
そんなことを理解する度量を持たず、全国民の14%くらいいしか海外旅行の経験が無く、異なる価値体系を認めることを知らない国民が、内向きの流れに載ることしか知らない愚かな指導者をいただいて戦争に突入しようとしている。(我々も愚かなことでは人後に落ちない。そのツケも併せてやってくるのだろう。)
せめて、ローマ法王の命長きことを祈り、カトリック教会の改革路線が引き継がれていくことを祈るばかりだ。ヴァティカンまで保守化してしまえば、あとは国連しか残らない。
(’02.11.16)昨日夜香港から帰還。今日は、オープニングに欠礼したGHAMIの展示を見に、ギャラリー・クラヌキに行く。写真の展示の仕方をみて壁を真っ白に塗るという理由がよく分かった。そしてモノクロの美しい写真たち。現地の空気をそのまま切り取ったかのような質感。中でも2枚の写真に強く引きつけられた。
1枚は、ホテルか学校かの広い部屋。6人掛けのダイニングテーブルのような黒い大机と椅子をセンターに、奥には黒板とその上に時計(午後1時25分くらい)。黒板にはスタッフがミーティングしたことがうっすらと分かる文字が残っている。透明な空気に満ちた午後の時間。
もう1枚は、別の部屋で白木っぽいテーブルの上に、いくつかのコップなどが置かれ、左の方にバルセロナのアーティストがガラス瓶を上下に張り合わせたオブジェが置かれている。近景での切り取り。何という透明な空気感。見ていると、その空気がこちらにしみ通ってくるような、そしてその空気の中に溶けしまいたいような、叫び声をあげてしまうほど、そんな切ない透明さ。(What
a transparency!テリエ・リピダルのギターやキーボードが聞こえてきそう。)
ギャラリーの八木さんにプリントを分けていただくようお願いした。次の土曜日のギャラリートークにも是非行くことにする。
さて、疲れているので、今日はローカロリーで胃にも体にもやさしい中華粥。香港でも朝などに白粥をよく食べていたが、これはスープ用の鶏ガラを煮込んだ味付きの粥。ショウガとわずかの塩などを入れて2合の米を14合の水で煮込むこと4時間、はやってられないので圧力鍋で炊くこと30余分、10分間蒸らし。できあがったら、中国揚げパンの「油条(ユウジャオ)」を細かく切ってこんがりとトースターであぶり、豆腐を発酵させた中国チーズの「腐乳(フールー)」をお粥に溶かし、コリアンダーの葉っぱ、つまり「香菜(シャンサイまたはインサイ)」をちぎってフワッと盛る。かき混ぜると、ホロホロとほぐれる鶏肉、油条の香ばしさと、腐乳の複雑濃厚な旨味、香菜の清涼感あふれる香りと香味。湯気とともにこれらが渾然一体となった至福。付け合わせには、塩抜きした本物のメンマ(いわゆる桃家のは似て非なるもの)を薄くスライスして、ごま油で香ばしく炒めたのと、同じくごま油をさっとかけた「皮蛋(ピータン)」を別皿に盛る。中国四千年は偉い!いや、うまい!
あしたも粥を食うぞ!酒も控えてダイエットするぞ!我々は負けないぞ!
(’02.11.11)明日から4日間は香港なので、その間は更新もお休み。前回行ったときから20年近くたっているが、今はどうなっているんだろう。前はみんなが努力して金持ちになるんだ、という感じで資本主義的に前向きだったのだけれど、今は、中国の一部に戻って、しかも台湾も含めてややこしくなっている。
日本は大局観の無さと、単純きわまる欧米志向と、地政学的野心の無さで機会を失ってしまったが、これからの世紀は特にアジアでは中国が全ての中心になるだろう。台湾のバックヤードという形をとりながら中国のコンピューター産業は圧倒的な発展段階にさしかかりつつあり、世界の生産現場としての技術経験も多方面で蓄積されつつある。もちろん、インターネットの普及は社会の流動化を否応なく促進するから、政治的な情報管理とはいずれ衝突するだろうし、サイバー的な天安門事件が起きるかもしれない。一方で、中国の全人口が従来の発展パターンで化石燃料の消費を続けたら、早晩エネルギー危機が到来する。ハイブリッドカーが各社で発表されつつあるが、京都議定書も含め、この辺に日本の進路の一つがあるような気もする。といっても環境ビジネスは相変わらず役所主導なのだけれど。(んとに。Sigh!)
いろいろなトレンドを見ていると、やはり中国からは目が離せない。来年は本当に上海辺りに行きたいと思う。大阪市の上海事務所などのルートで情報を集めてみよう。やはり、観光だけでなく本当にエネルギーの満ちているところに行きたいから。
(PS)ほんでもって、蟹も食うべよ。ウナギもうまいだよ。(これではやせへんなー。)
(’02.11.10)昨日はご近所大宴会。いやあー、よく飲んだ、よく食べた。ほんとに楽しかった。食器洗い機がけなげに働くのを聞きながら、寝てしまい、6時前に目が覚めてしまった。コーヒーを持って川沿いにかもめ(たぶん)が飛び交うのを眺めに行った。考えたら、あさってはもう香港に行くんだった。どうもぱっとしないので、ハードロック(パープル、ツェッペリン、イエス、フォリナー、ハート、ボストンetc)をガンガンにならして、ようやく気合いが戻ってきた。
よっしゃ、ぼちぼちパッキングにかかろう。そいで、デイブ・メイスンの言葉を思い出してしまった。
"OK, Babe. It's your own life. Let it go, let it flow." やっぱ、まだ修行が足りん。
(’02.11.8)東京で活動するオーディオの会に入会した。まだ例会にも出席してないので、状況がよく分からず、メーリングリストに載ったせいか、メールの数が急に増えた。12月には出席できるかな?まずはいろいろ飛び込んでみよう。何か見えてくるだろう。丸ビルの新しいコンラン・ショップにも行ってみたいし。(我ながらミーハーだねえ。それにしてもロンドンでも2店しかないのに、何で東京で2店目を出すのか?最近なんでも大阪を通り過ぎることが多い。人口も横浜に大幅に抜かれたし。大阪人としては悲しい。)
(’02.11.6)寒い1日。昨日は風邪気味で1日うっとおしかった。本日、フォルダーボックス完成。デスクの上が少しだけスッキリする。台湾料理屋のママさんから、「フルーツ(柿のこと)たくさんもらったから、もらいに来て。」と電話があったので、晩飯がてら顔を出す。焼きそば大盛りといったら、本当に山盛り出てきて、ビールを飲むのが少し苦しかった。いろんなことを思いながら、でも平和でささやかな1日。
(’02.11.4)今日は風が強く寒い1日。だから、東急ハンズでカットしてもらったフォルダーボックスを組み立てながら、泊まりに来ている母と静かに過ごす。最近、足元も衰えが目立つし、少しずつ自分に対する自信を失っている。だから、食事も替わりばんこに作る。入れ歯だけれど、パスタは好きだし、オリーブオイルも大丈夫。同じ話を何度も聞く。ずっと続いてほしい静かな静かな1日。
(’02.11.3)昨日の続きです。
では、僕は、都会の海のそばで何を眺め、何を拾おうとしているのか?
経済書や経済情報を読むのは、まずもって生活を守り、必要な資産管理をするため。
いろいろな本や、音楽、アートは?
結局、僕が求めているのは、「生きていて良かったと思える美しいもの、素晴らしいもの」を見つけることだ。滅多に出会えないのだけれど、求め続けていれば、出会うことがある。もちろん見つけるための時間もエネルギーも必要だけど、それを受けとめられる柔らかい状態に自分が在り続けることが、それ以上に重要だと思う。
この春、マンションの周囲に咲いている沈丁花の香りに、初めて気がついた。自分がどんなに疲れているか、その時つくづくと思った。
美しいものは、実は至るところにあるよね。例えば、雨が降り始めるとき。空気が湿り始めて、地面に雨が当たるときの音、木々や葉に雨が当たる音、鳥たちの鳴き声、地面が濡れていき雨の音が変わっていく様子。空の色や日の光の変化。一つとして、同じ雨はないし、そのたびに美しいと思う。大地が潤されていくのが、まるで自分の心のように感じられる。それはこの世界が美しいからだ。
しかし、人の心はそのようには常にない。そして、人の心は世界が想像もしないものを生み出すことがある。それは世界とは違った美しさや、おそれや、心がふるえるような全てなのだと思う。
そして愛すること。愛するものを見守り、支えるために何かをしたい。できれば必要とされたい。そして、ささやかなりとも、日々の生活の中で何か暖かい気持ちや静かな時間を創り出したい。
僕はそれらを求める者だ。
(’02.11.2)僕が毎日何をしているのか?たぶん、このHPを見てもよく分からないんだろうなあ。
リタイアした人の生活はどうなんだろう?旅行をしたり、いわゆるゆっくりした、趣味の生活になるんだろうか。以前よく出入りしていた叔父さん(といっても元配偶者の方で、昔55歳で商社を定年退職していた。)はそのころ、65歳くらいで、庭いじり、散歩と喫茶店巡りが日課で、貸しビデオ屋さんの上得意だった。よくソファの上で居眠りをし、夜は9時頃にはもう寝ていた。正直僕には、本もレコードもない叔父さんの家にいると、連れて行った娘と遊ぶ(これが一番楽しかった)他には、テレビを見るくらいしかすることがなく、ぼーっとテレビを見ているのは結構つらかった。
だから、毎日ぼーっとテレビを見ているわけではありません。行動としては、毎日、2時間前後はパソコンの前に座り(インターネット・バンキングやショッピング、情報収集の時はもっと長いこともある)、このHPを書いたり、マイクロソフト・マネーを使って預金などの資金管理をし、新聞を読み、本を読み、音楽を聞き(これらを同時にやることもある)、そしてお気に入りの心斎橋(雑貨屋さんや東急ハンズその他)やあちこちに買い物に行き、本屋さんをのぞき、たまに図書館に行き、アメリカや仙台から配達されてくるLP、CDやオーディオパーツを受け取り、時々ギャラリーやコンサートに行く。TVは毎日、ケーブルTVで日経CNBCなどの経済情報をチェックし、録画しておいたドラマや音楽番組などを見る。本や雑誌を読む。料理をつくり、洗濯をし、掃除をする。食事をして、酒も飲む(外で、家で)。風呂もちゃんとはいる。(当たり前だよね。)
さて、分かりますか?もう一つぴんとこないでしょうね。
質問を変えよう。じゃあ何を考えているのか?生活に直結する経済書やエンタテイメントはともかくとして、それ以外に何を読んでいるのか?
意識としては、例えば「晴耕雨読」。雨読はともかく、何を耕しているのか?
また、小難しいことを書いてしまいそうになるので(実は書いてしまってから、それを横へ片づけたのだけれど)、イメージを湧かせてみよう。
イギリス郊外のコッツウオルズに行ったとき、あるアンティークの店にはいった。昔ながらの石造りの家に、選び抜かれたアンティークの家具の数々、その中には現代の陶芸やガラスのアートが納められており、女性が独り、コンピュータに向かっていて、店の中にはバッハの平均率が流れていた。
「こんな生活がしたい!」と、そのとき本当に思った。彼女は例えば零落する貴族から、死亡記事を見て亡くなった遺族から家具を買い付けるのだろう。(うむ。)そして、週末ロンドン辺りからやってくる金持ちを相手に商売をするのだろう。それらは当然駆け引きもあるし、ときとしてうんざりすることもあるだろう。でも、その生活を囲むアーティスティックでクリエイティブな要素は、やはり凄いと思う。こんな「晴耕雨読」が僕の理想のイメージの一つだ。
さて、おまえは何を耕すのか?
やっぱり小難しい事を書かないと納まりそうもないけれど、もうひとつだけ踏みとどまってみよう。
ここが海辺の隠れ家(リトリート)だとしてみよう。そこでは海を眺めるのは、大きな時間の過ごし方の一つだ。潮風を感じ、波打ち際を歩き、海草や流木を拾い、ビールを飲みながら夕日を眺め、夜は流木を彫ったりもする。(いつか、こんなところで犬を2匹飼いたい。実は名前はもう決まっている。)これなら、少しイメージが湧くかな?
では、僕は、都会の海のそばで何を眺め、何を拾おうとしているのか?
続きは、明日書きます。書けるかな?やれやれ。
(’02.11.1)以前、会社帰りにちょくちょく寄っていた南森町の台湾家庭料理のママさんの店が閉まったままになっていたので、どうしてるのかと思ってたら、何とすぐ近くの扇町商業のグランド横に、まえよりもずっと大きな店で営業していたのを見つけた。顔を出したら、相変わらずの上手くない日本語で、「いやあー!久しぶりねー!」。慣れないおでんづくりに苦労しながら、でも常連らしいお客さんも優しそうな人たちで、何かぬくぬくとしたパワーをもらって帰った。みんながんばってやってるんだ。来年2月には旧正月で台湾に帰るとうれしそうに言っていた。また晩飯食いに行こ。
(’02.10.31)料理の話の続き。前にプロヴァンス料理をスクラップしたのを見ていたら、こんな話が載っていました。著者がパリで一緒に住んでいた南仏出身の老婦人の不満は、パリのレストランや総菜屋さんの「ラタトゥイユ」の煮込み方が足りないこと。つまり、どろどろに煮込むべきなのだそうです。確かにそのほうが絶対においしい。でも、レストランなんかの気持ちも分かるのですが、そうするとトマトの赤やピーマンの緑もまぜこぜになって、「見ば」は圧倒的に悪くなる。僕だって味を知っているから、冷えたって、何回も煮込んだって、せっせと食べるけど、知らなかったら箸、もといフォークも握らないかもしれない。
まあ、もう食い終わったから、今日は鳥もも肉を赤ワインとニンニクにつけたのを、こんがり焼いて夕食にしよう。レタスをニンニクと軽く炒めて、ビネガー、塩、オリーブオイルで味付けしたのを、付け合わせとして。モロッコ産の赤ワインも安いがなかなかの味わい。
小説での話ですが、さる国の情報部員が、フランスに住んでいる元CIAの凄腕に協力を依頼しに行きます。市場で会った元CIAは殆ど彼の話には答えず、ひたすら食材選びに精を出します。そして食材の仕入れが終わった元CIAは、こう答えます。「話は分かった。だが、条件が一つある。これから作る料理を一緒に食ってくれ。どんなにできが良くても、一人で食ったら余りうまくないんだ。」
僕はそんなに料理上手じゃないけれど、大事な人のためには一生懸命作るし、うまいと言ってくれたら最高に幸せになる。誰か飯食いに来ませんか?今からでもいいよ。
(’02.10.30)古くからの同い年の友人が近々我が家に遊びに来ることになった。酒豪で大食通の彼も、最近は野菜中心に切り替えたとのこと。それで、思いついて今夜は地中海風お袋の味「ラタトゥイユ」を久しぶりに作ってみた。フライパンで順番にいためた玉葱、ズッキーニ、ピーマン、なす、トマトを、先にニンニクをいためておいた深鍋の上に積み重ねていき、あとは塩こしょうして、コトコト30分ほど煮込むだけのシンプルな料理。水は一切加えず、野菜とオリーブオイルなど、ほとんど素材の味だけで作るのだけれど、びっくりするほど濃厚な、畑の恵みというような味がする。よし、当日はこれを中心に、近所のおいしい豆腐や厚揚げも使って、オール野菜メニュー(といってもチーズくらいは使わせてもらって)で行こう。
友人がどんな女性を連れてくるのか、これもまた楽しみだ。
(’02.10.29)新聞では竹中金融相と与党との妥協が成立しそうな報道で、少しほっとした。ラストチャンスには何とかつながりそうだ。とりあえずマーケットの大混乱は回避できるかもしれない。それにつけても、もう少し何とかならないものか、ため息が出る。
(’02.10.26)今日は、フェスティバル・ホールでハンガリー国立オペラ劇場の「カルメン」を見てきました。チケットの入手まで結構スリリングだったりしたのだけれど、とても面白かった。特に、ドン・ホセのアリアには参った。恋する男というものはどうしてこんなに切ないのだろう。どうして女はこんなに愛しいんだろう。
「一つの沈黙が生まれるのは、頭上で天使が時をさえぎるからだ。」と田村隆一はうたった。担当天使も本人も不器用な場合には、どうしたらいいんだろう。祝祭は終わる。何気ない日々がそれに続く。スペインなら、ガルシア・ロルカならそれも「深い歌」になるのかもしれない。ゆっくりしたグルーヴで生きたいと思っている俺はどうしたらいいんだろう。
ままよ、当たって砕けよう。砕けるのはなれている。でもあきらめるのはやめよう。全てに優先するものが、人生にはあるんだ。
(’02.10.21)インターネットにBフレッツ100Mbps(ニューファミリー100)もつかえるようにして、約2週間。OS(Windows XP Pro)がPPPoEをサポートしていると言っても、LANボード2枚差しは想定していなかったようで、接続に手間取ったり、常時接続環境が2つあるので、マシンが両方にパケットをとばして判断して動いているようで、その辺の様子がようやく落ち着いてきた。ブラウザもInternet Explorerの重さには前から参っていたので、最近はOperaをよく使っている。確かに速くて、また前に見たページに瞬時に戻れるので、なかなか良いのだが、ページによってJavaスクリプトのエラーが起こるので、やはりIEも併用せざるを得ない。それにしても、回線の早さだけでは、体感速度は決まらないことがよく分かった。香港のシティバンクのHPは相変わらず遅い。同時接続ユーザー数は勿論、経路や向こうのサーバのパワーやいろんな物に左右される。テレビ感覚でインターネットが使えるようになるまでには、まだ時間がかかりそうだ。
偉そうな事を言うわけではないが、最近、Windowsマシンに飽きてきたし、将来性もよく分からなくなってきている。また、バンキング、ショッピングや情報収集などインターネットにかなり依存している僕の生活では、1つのOSに頼っているのはセキュリティ上も問題がある。LinuxなどのPC-Unixで古いマシンを活用したり、同じくUnix系統のMacなど、別のOSが必要だと思う。特に、Linuxは直接手動での設定や確認が多く、マシンと対話する本来のコンピュータの形に近いような気がするし、基本的な勉強ができそうだ。オープンソースならではの様々なフリーソフトや情報提供のサイトも多く、アクティブに関わっていくなら、面白そうな気がする。もう少し勉強して、来年の方向を決めようと思う。
(’02.10.18)今日は出身局の組合の支部長さんや、一緒に仕事をしていた若手の人が一席設けてくださった。昔話や今の話や、いろんな話に花が咲き、本当に楽しい一夜でした。皆さん、本当にありがとうございます。また、支部の方ものぞかせてもらいます。
(’02.10.16)今日の朝日新聞の「海辺のカフカ」書評には、怒り、あきれてしまった。素直に人の文章を読めないやつに評論家などと名乗る資格はない。もっとも、だからこそ評論家をやってられるのかもしれないが。村上春樹を全面的に持ち上げるつもりはないが、なぜ柔らかな感性が素直に受け止められないのだろう。頭に来て、徹夜で新ページを作ってしまった。
(’02.10.15)最近知り合った同じマンションの人(実は上記映像作家の方)のHPなど見ながら、このHPの運営方法を考え直す時期に来ているのかもしれないと考えている。オーディオはやっぱり同好の士の限られた情報だ。いろんな人が見てくれている以上、近況報告のページという初心に返るべき時かもしれない。でも、うまく整理しないと、やたら文章だらけのサイトになってしまう。近況報告ページもメンテしながら、じっくり考えよう。
(’02.10.13)ロンドンから帰って1週間ほどだけど、もうずいぶんたったような気がする。勿論、異国なのだけれど、それなりにリラックスできたのは良かった。でも12時間のフライトはこたえた。飛行機は次から絶対ビジネスにしよう。あるいは、どこか経由でゆっくり行くのもいいかもしれない。
昨日(12日)、お隣のギャラリーKuranukiで映画の上映会があった。短い映画だけれど、とてもいい余韻が残った。どちらの映画も一番鮮烈に印象に残ったのは、一面の雪で覆われた山荘や家の風景だった。時間をかけて、手をかけていることがこれからだけでも伝わってくる。そして日本語と英語を併置したキャプション。共通するものを持ち、しかし異なる意味を持つものを並べることで、見るものに考えさせ、映像の外にまで様々なイメージを広げている。これを見事にコラージュした構成作家は上の階に住まわれる素敵な女性だった。笑顔は勿論、たぶん、いろんな引き出しを持っている人だと思う。(知らない人ばっかりでも、パーティも行きたかったな。)久しぶりにゆっくり話をしてみたい人と出会った気がする。
今日はOAP界隈は天満音楽祭だが、今年は全員参加型で、その分面白くなさそうだ。パーセルの歌曲でも聞いてゆっくり過ごそう。「この束の間の音楽があなたの憂いを慰めるでしょう。」
(’02.8.20)暑い、暑い夏ですが、皆さんお元気ですか?
自由人(そんなええもんか?)あるいはプータローになって、ようやく5ヶ月が過ぎようとしています。最初はどっと疲れが出て、胃は痛むわ、そのせいもあり夜はよく眠れず、喘息はしっかり出てくるし、ガードを下げると満身創痍という感じがよく分かりました。毎日ストレッチをしていますが、体の中に少しずつ血液が巡り始めている感じです。
「深呼吸」ということに気づいたのは、7月初めに奈良東大寺の大仏殿前での加古隆コンサートに行ったとき。夕暮れていく古都の空の下、草いきれの中で幾重にも重なって降りてきたピアノの響きの中で、心がゆっくりと「深呼吸」しているのが、よく分かりました。
スローフードという言葉があります。マクドなどのファーストフードではなく、手をかけて作った料理を、(できれば大切な人たちと)ゆっくり時間をかけて味わう。そんな風に「スローライフ」というのがあっていいのではないでしょうか?ゆっくりと歩く。疲れたら休む。人生は短い。どこでどうなるか分からない。親孝行もできるだけしたいし、思い出も作りたい。体が動くうちに、例えばトスカナの風に吹かれて小麦色の平原やオリーブ林を見晴るかす眺めたい。どこまでできる体でいられるか分からないが、大好きなルネッサンスの教会音楽を唄いたい。(だって「アヴェマリア」と唄い出すだけで、別の世界にトリップできるんですから。)
9年前の交通事故で本当は死んでいても不思議ではなかったと、ずっと思っていました。生きていることはそれだけで奇跡のようなものです。風が吹き、太陽が昇り、雨が大地を潤す。厄介なことも山ほどあるけれど、この世界は本当に美しい。ゆっくりと過ぎていく時間を楽しむことが、今はできます。
遅かれ早かれそうなるのですが、ベッドの上には、結局、訪ねてきてくれる人を待つ気持ちと、思い出しか持っていけない。人生でやり直しがきくことは何一つない。できるのは、これからのことだけ。ならば後悔だけはしたくない。
フランス語に「アール・ド・ヴィーヴル」という言葉があります。生活の芸術というのか、毎日の暮らしの一つ一つを大切にしていく、という感覚です。料理も大切です。よい本もたくさん読みたい。東京くらいならば、好きなアーティストのコンサートや展覧会には行ってみたい。
LPも千枚近くになると、しかもこれまでちゃんと聞いていないものの方が、圧倒的に多いとなると、それをちゃんと聞く時間を生み出すには何かを決断しなければなりません。
すこしでも健康であり続ける努力はもちろんのこと、これからやってくる可能性が高いこの国の経済的な困難を生き延びていくために、経済やマーケットの事も十分に勉強し、ウオッチングして、必要な対策を打っていかなければなりません。
指一本でも動けば、パソコンは操れるのですから、長い人生を最後まで自分で管理していくならば、ちゃんとITの動向も把握していなければならない。限られた時間を効率的に使うためにも、コンピュータの勉強はさぼりたくない。
自分の事だけでなく、趣味を通じて人の輪も少しずつ広げて行きたい。したい事、そのためにしなければならない事は一杯ある。
とか何とか、とりあえず、いまんとこ元気で何とかやってます。
9月26日から10日ほどロンドンに行きます。
また、日程未定ですが、10月下旬におばあちゃんと一緒に香港に行きたいと思ってます。銀行に口座を開き、おいしい飲茶を堪能してくるつもりです。詳細後報
(’02.5.29)おばあちゃん(=母:83歳)を連れて、沖縄に行って来ました。梅雨の合間ですいていて、結構ゆっくりできました。沖縄は全体として、「おじー」や「おばー」が幅を利かせていて、昔を思い出した懐かしいような感じで、国際通りを歩いていても、全然ハイソではなく、その辺の街といった雰囲気で、この「ゆる~い感じ」が大変気に入りました。住んでみたい、という気さえします。
E.クラプトンの「レプタイル」を新品LPで見つけたり、といった収穫もわずかながらにあり、おばあちゃんも温泉でほどよくふやけて、「てもみん」でほわーっとほぐれて、首里城を一生懸命回ったりして少し疲れながらも機嫌良く帰ってきました。主要産業がない、基地問題が有事法制とからんで重くのしかかっている、とかいろいろあるのですが、是非また行ってみたいと思っています。
(’02.5.10)横浜、東京に行って来ました。(最後の旅行券を使いに。)東京は新宿のザ・コンラン・ショップとレコード店、アキバ巡りが目的、横浜は個人では初めてで、矢作俊彦の小説ではないですが、関内・元町かいわい巡りが目的です。特に、元町が気に入りました。アーケードもなく開放的で、スタバのオープンカフェでのんびりラテ飲むのも、まことによい気分です。メフィストのよい靴屋さんも見つけ、ポピーで夏物のジャケットを買いました。(分かる人には分かるよね?)それにしても向こうの女の人は、何でこう美人が目に付くのでせうか?
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