2003年の日記のページ



('03.12.31)東急ハンズに諸々仕入れに行って、アメ村でコーヒーを飲む。最近ヒップホップのビデオがかかっていて少しうるさいときもあるが、読むものがあれば気にはならない。アセンスで洋書や雑誌を見るが、あまり欲しい物はない。ヴィジュアルではなく、コンセプトが欲しい。
 帰ってきて、メール年賀状の準備。果てさて、回線の混み具合はどうなるだろう。ワインを開栓して、気長にまいろう。夕食は、韮と9ヶ月熟成グリエールチーズをとろとろにかけたパスタ。最近のオリジナルでのヒット作。おいしーんだぞー。

 振り返れば色々あるけれど、今年は人間関係がいろいろと広がった年でした。いろんな人から、いろんなパワーをもらった年でした。来年もよろしくお願いします。

 ※明日からしばらく母と弟の所へ帰るので、更新はお休みです。姪っ子の大学合格を祝って、大宴会を挙行いたします。

('03.12.30)ディスプレイでそこそこ見られた年賀状の絵がプリントアウトすると、何とも冴えない。大した絵ではないが、でも作った方の意図が伝わらないのは困る。と言って、レタッチするのは時間もなさすぎる。う~~~、どうしよっかな。っと、山本氏的実況中継モザイク風に。

 まあ、何も考えずに描き直し。だんだん訳が分からなくなってくるような気もするけど、まいっか。いろいろプリントしてみるが、このエプソンの古いインクジェットではICM色あわせもしてないし、細かいかすれなんかの部分は印字されない。うむ、これを持ってメール年賀状の理由にできるな。

 AVの師匠のHPを見て出した、日本橋の新しい部品屋さんについてのお尋ねメールの返事が今朝帰ってくる。立川のオーディオ部品屋さんからはメールが来たが、ややこしい内容なので電話する。思いっきり、こっちも東京弁でしゃべると、なんか遊んでいるみたいで楽しい。
 「こともなく  暮れなずむ年の  日溜まりや」

('03.12.29)「水彩」アプリケーションで年賀状の殴り書きを一つ、でもいろんな事を考えながら作った。もちろん紙にしないといけないところへは、紙で送るけれど、今つきあっている沢山の人達にはメールで送ってみようと思う。文字は文字だし、絵は絵だ。デジタルでもアナログでも伝わる物は伝わるし、つながる物はつながるだろう。
 マリア・アナ・ボボネというポルトガルの若いファドの歌い手の声を聞きながら。
 「この年も  暮れ行きかけて  暮れ惑う」

('03.12.28)ジョンレノンが40歳で死んで、今年で23年。彼は僕より10歳年上だったので、暦はよく分かる。クリエーターでも何でもないのだけれど、僕は音楽の力を信じる。映像の力を信じる。
 何か特別な物に触れたとき、人は少しだけ崇高になる。人間性の根本に立ち返ろうとする。まわりの世界を少し違う目で見るようになる。だから、そういう作品を見せることは、守るべき多様性がたくさんあることを、いろんな価値観の存在を人々に思い出させることになる。
 Imagin all the people living life in peace.

('03.12.27)午前中資料作りをして、昼から日本橋で試聴会。デジタルの深さと難しさを知る。
 早めに帰宅して食事してから、夜は打ち合わせ。いままで、お互いあまり好印象の無かった人とも、親しく意見交換が出来たのが嬉しかった。こういうまっとうな人たちもいるから、世の中やっていけるのだ。いろいろ腹はくくった。これで少しは年末年始心安らげる。
 明日はお隣のギャラリーも年内最終日なので、夕方顔を出そうと思う。

('03.12.26)年賀状を作らなければならないのだが、まとまって作業に入る態勢になれない。メールを開くとあちこちから意見や問い合わせ。いろいろ作戦を考えて関係者にメールする。そうすると、またメール。その繰り返し。
 気分転換を兼ねて、夕方、液晶テレビの安売りを見に野田阪神のジャスコに行く。台湾のメーカーとの提携で30インチが20万少々のさらに5%引き。端子などはハイビジョン対応も十分で、機能はOKのようだが、どうもデザインや納まりが全体にスッキリしない。こういうときには買わないことにする。
 野田の商店街は久しぶりで、なじみの店がやっているのを見るのは懐かしかった。でも、いつも魚を食べに言ってた店が閉まっている。老夫婦で殆ど趣味のようにやっていて、随分と魚の勉強をさせてもらった。元気なんだろうか。気になるので、また電話でもして、年明けにのぞいてみよう。

('03.12.25)気が付けば今日はクリスマス本番。今年はいろいろと事が多かったので、いつの間にか紛れていた。
 今夜は太谷事務所で忘年会。カルテットの名にちなんでオーパス・ワン。まさかワインのOpus 1(Robert Mondavi &
Barron Philip)を飲めるとは。
 一応、幸せな一日の終わり。

('03.12.24)賀状のために、「水彩」のソフトをヨドバシに買いに行く。ついでに食材も仕入れる。近くのスーパーが廃業したので、ちょっとそこまでの買い物が出来なくなって不便だが仕方がない。
 録り溜めていたBSの番組をいくつか見る。スティングのインタビューとライブなど見ると、とてもやる気が出てくる。平井堅の生放送とはボルテージが違う。といっても、これはこれで安らぐのだけれど。
 夜は自分のシステムの音をいくつかのポイントで聞いてみる。昨日のオフ会で随分いろいろとヒントがあったので、当分遊べそうだ。といっても、考えているだけで何もしていないのだが、世界が少しでも整理できるのは嬉しい。

('03.12.23)昼間から男3人でひたすら聞く。評価する。やってみる。聞く。5時間。面白かった。
 今日伺ったお宅はその2時間前にスーパーウーファーを鳴らし始めたばかり。だから立ち上がりはまだこなれていなかったが、3人で持ち込みの機器も聞きながら、ああだこうだやっているうちにいろんな事が見えてきた。ううむ、殆ど大人の耳を持った子供だな、こりゃ。(→詳細はオーディオ日記

 一段落してから奥様の手料理をいただく。美味しい。ポートワインを使うスチュワートのシーフードパスタのレシピを教わった。ドライトマトの塩味がキモ。
 すっかり、満ち足りて家路に就いた。幸せな一日。

('03.12.22)電源が完成したので、チェックを兼ねてLPを聞きながら、資料や雑誌を読んだ。今まで余りよい響きではないと思っていた盤が、よく聞こえるようになるのはとても嬉しい。久しぶりにゆっくりと音楽に浸った1日だった。
 近頃、マーラーのアダージョをよく聞いている。結構パカパカしたところもあって、全曲聴くのはつらいところがあるのだが、3番のアダージョや5番のアダージェットなどは、本当に美しい。ブルックナーと違う意味で、涙が出そうになることがある。どういう訳か、マーラーのために最近SACDを買うようになってきた。ブルックナー、シューベルト、ブラームス、そしてマーラー。多分俺も年取ってきたんだろうなあ。
 さあ、明日はこの電源などを携えて、千里でオフ会。友人と音楽やオーディオの話に半日興じよう。

('03.12.21)電源作りの傍ら、昼食を兼ねて、源八橋の通りの扇町側にできた阪急ファミリーストアに行ってみた。以前は、確かサンクスだっけ。なかなか広い。でもフルーツトマトはあるのに、バジリコはなく、ルッコラはあっても高い。どの辺にターゲットをあてているのかよく分からない品揃えだ。桜宮パントリーは高いが、高値安定で確実性がある。成城石井は狭い店舗ながら、わくわくするような品揃えの密度と、安い物ははっきりと安い点が、行くたびに分かる。
 阪急あたりに頑張ってもらわないと、やばいんだけどなあ。高い安いも大事だが、はっきり言ってセンスの問題だと思う。大阪がんばれ。

('03.12.23)それはとうめいな声たちでした

それはとうめいな声たちでした。
いくえにもかさなる声たちが
そこにいる人のこころにふれて
そこにいない人に祈りをとどけ
いくえにも、いくえにも、ひびきつづけておりました。

こんなにもたくさんの声や音やものたちが
つなげていてくれるのだから
違うところにいても
同じ時がながれていく。

いくつもの夜と、いくつもの昼のなかで
いくえにも重ねられた思いが
ゆっくりと、それらをはぐくんでいくのだから。

(ラルテ・フィオレンテ 「ルネサンスのア・カペラの響き」 第26回演奏会に寄せて)

('03.12.19)結構あわただしい東京行きで、昨日は結局秋葉原に寄っただけで、すぐ帰ってきた。疲れて、体調が悪くなっている中で、いろんな意味で耐久力不足を感じる。ままよ、過ぎたことは戻らぬ。落ち着いた生活に戻りたいが、考えても始まらない。頑張るしかない。
 今日はとても前向きのことをやるコンディションではなかったが、何かしないと紛れないので、ヘッドアンプの電源作りをゆっくりとやる。手を動かしていると心が軽くなるし、形がまとまってくるのは嬉しい。測定はOKなので、欲張らず、店じまいする。とりあえずの一日。

('03.12.16)フセイン逮捕に関して思うのは、アメリカの情報操作が行われている様子が感じられること。おそらくイラク人は参加させても、裁判の主導権はアメリカが握ろうとするだろう。大量破壊兵器などの証拠が見つからなくても、有罪にしようとするだろう。戦争裁判の醜さは東京裁判を見るだけでも事足りる。
 問題なのは、イスラム社会はそれを許さないだろう、と言うことだ。対立は激化するだろう。「文明の衝突」(これもはっきり言ってまやかしだ。「侵略」と言うべきだ。)ならともかく「宗教の衝突」に転化した場合はどうしようもない。ローマ法王暗殺未遂はバチカン内の超保守派との説が有力だそうだが、何せ神はイタリア語をしゃべると思っている連中だからさもありなん。ヨハネス・パウロ2世が死ねば、バチカンはどうなるのか。カトリックの右傾化は致命的だからだ。

 最近バカの壁に毎日のようにぶつかるので、つくづく思うのだが、戦争はバカと欲が起こすのだ。バカはバカだから、自分の信条や世界観だけで、怒りや正義感を簡単に燃え上がらせる。そして、横で欲をしこたま持った連中がそれを煽るわけだ。つくづく情けないが、それが現実だ。

(P.S.)明日から18日まで、東京に行きますので、更新はお休みです。

('03.12.15)母を送りがてらOAPタワーでコーヒーを飲み、母とひとしきり松江の話をする。魚が美味しくて温泉があると聞いて、ふやけたような顔をするのがとても可愛い。

 夜は市役所時代の研修仲間の年1回の忘年会。去年は東京行きと重なっていけなかったのだが、今年は僕以外にもOB&OGが2名もいて驚いた。いろいろと厳しい状況が続いていて、ますます難しくなっているようだ。給与も切り下げ続きだそうだ。でも、案外とみな屈託無く明るい。身内に厚い組織だなと改めて思う。でも変わろうとしているのが分かる。来年も楽しみにして行かせてもらおう。済みません、写真は手ぶれていたので、載せるのに適当なものがありませんでした。また、次回に。

('03.12.14)いろいろと疲れていたので、昼近くまで寝る。泊まりに来ていた母と、お昼に懐石を食べに行く。いつも足りないなあと思いながら、1時間半したらしっかりお腹もふくれている。毎日こんな食事をしていたら、バランスよく痩せるだろうなあ。財布の方がもっとやせるだろうけど。

 暖かくなったら松江の温泉にでも行こうかというと、嬉しそうな顔をする。その後、どこに行くのか何回も聞かれたが。海外や風習の違うところは疲れるだろうから、近場の温泉が一番だ。この冬は暖かくて良かったと、今日はおもった。

('03.12.13)隣のギャラリーでリュート・ソングのコンサート。アーチリュートとバロックギターでクリスマス中心の唄の伴奏と、ソロ。リュートの音色がバランスよく、バロックギターの強い音色はそのままに、いろんな表情を楽しむ。ギャラリー主催なので、現有人員でお互い気を配りながら、流れを作る。ほぼ満足のいく流れを作れたと思う。このチームもなかなかまとまってきている。
 終わってから忘年会を兼ねた打ち上げ。アーティストも交えいろんな話をする。いろんな事にチャレンジしたい意気込みと、それを冷静に事業化するセンス。でも何と言っても音楽が好きな人たちの思いが推進力。力を合わせれば、常にではないが、何かをすることが出来る。

('03.12.12)ユンタク:(ウチナーグチ=沖縄方言)おしゃべり、井戸端会議、ゴシップ
gossip:①うち解けた無駄話、雑談、人の噂話 ②噂ばなし、ゴシップ、漫筆(新英和大辞典:研究社)
gossip:①conversation or report about the details of other people's behaviour and private lives②to spend time in gossip(ロングマン・現代英英辞典)
 俺は世情に疎いので、現代日本語でどんな定義や意味理解をしているかは知らん。

('03.12.11)IBMホームページビルダーの新バージョンをインストールして、日本語入力のレスポンスが向上した。Atokとの相性があったのだろう。ワード2000はアップデートで少しましになったというものの不安定さが残る。ぼちぼちオープンオフィスの出番かもしれないが、禁則処理が効かないというのは不便だし、Star Suiteなど使ってみようかな。

 昨晩は心斎橋で打ち合わせがあったので、前のオフィスのあったビルの付近など行ってみた。南堀江は店もあちこち変わっていて、へえー!、と言う感じがあっちこっちにあったが、それなりの人出もあり街が動いているからだろう。新しい小さなインテリア・ショップで耐熱ガラスとメタルコーティングのコースターセットを見つける。くりぬき円のシャープなデザインに惹かれたのだが、値段を見て安いのでびっくり、思わず買ってしまう。一応プレゼント包装にしてもらったが、どんなグラスを載せることになるのか。
 「オーディオ・ベーシック」誌には知人宅が掲載されていて、コロッケの美味しい行きつけの店で夕食をとりながら、何となく心楽しかった。

('03.12.10)昨日はご近所でお誕生会を開いて頂いた。自分の誕生日を祝ってくれる人がいるだけで十分嬉しいのだが、とびきりの焼き肉を思う存分食べさせてもらい堪能した。すぐ近くにこんな店があるとは知らなかった。たまに美味しい肉を食べられるなら、多少のダイエットなど厭いはしない。
 満月の中、ゆったりと家路に就く。影達が長く重なり合っている。

(P.S.)あまりにも穴場なので、すぐ満員になるので、この店のことは一切載せません。行きたかったら、私を誘うよーに。

('03.12.9)今宵は満月。分かったのは、教えてくれた人がいるから。月の満ち欠けは、海の満ち引きと引き合っているし、女の中の海とも呼び合っている。僕らは常に同じ形の太陽よりも、日々姿を変える月のほうにずっと深くリンクしているのかもしれない。日の光が命を育むのなら、月の光は夢や異世界への思いを育むのかもしれぬ。豊穣な夢。影の中から立ち上がる影。闇の中からほとばしる声。ランダムな縮尺とオーバーラップする切れ切れな映像の記憶。夜だ.....。

('03.12.8)音と戯れる会の巡回試聴で真空管OTLアンプを試聴させてもらう。我が家のアンプとかなり近しいところがあり、すぐに聞き込んでいける。ダイレクト感のあるとても良いアンプだと思う。
 趣向を変えて、BSアナログBモードのDVD-Rの音声部分を聞く。準・メルクル/N響「ばらの騎士」組曲。僕が生まれた年に死んだリヒャルト・シュトラウスなんて、考えてみたら殆ど20世紀の人だ。過ぎ去ってしまった事どもへのノスタルジーと移ろいゆく美しいかげろい。
 ヴァレリー・ゲルギエフ/キーロフ歌劇場管のマーラー3番。深く切々と美しい。涙が、出る。

('03.12.7)昨夜帰宅してメールチェックをしたら、AVの師匠からメール。12年前のBSアナログ、BモードステレオのN響をDATで録音したテープが見つかり、SACDを凌ぐ凄い音質だという。げに宜なるかな。最近サントリーホールでのN響しか聞けてないので、是非聞いてみたいものだ。こうなるとDATも大事に使わなければいけない。

('03.12.6)午前中は、東京からのお客様。ご家族と一緒なので、限られた時間だったが、このHPも子細に見てこられたうえに、とても真剣に音を、音楽を聞いてくださって、いろんな話をした。音は聞いてみなければ分からないので、お互いの理解が深まってとても嬉しい。遠い場所から飛び越えてこようと言うだけで、すでにいろんな距離が埋まりだしているように思う。帰路平安。
 午後、日本橋へデジタルクロックの試聴会に行くが、はっきり言って時間の無駄に近かった。その後、アサヒステレオの社長にOTLアンプのノウハウなどを教わる。なるほど、こちらは年季の入った経験と意見で、説得力がある。もっと勉強しなければならないのだろうが、何もかもやれるわけではない。
 その後、気になることもあったので、いつものスナックに顔を出す。おお、忘年会を一つ忘れていた。結局夜半まで飲んで帰ってきたのだが、ミナミの夜は結構静かだった。疲れて眠かったのがいつの間にかどっかに飛んでいた。

('03.12.5)明日は東京からお客様が来られるので、その準備をしたり、片づけたりする。ま、なんだかんだ言ってもこういうのが好きなんだ。それに、あちこち片づくし。でも、捨てなければならないものが沢山溜まっている。再来週の日程を聞かれたが、金曜以外全部埋まっている。いつの間にこんなにスケジュールが詰まってきたのだろう。まあ、悪くはないが、とりあえず、年末気分を楽しむことにするか。
 でもクリスマスをどうやってやり過ごそう?何の作戦も浮かばない。流れるままの人生よ。世は全てかくのごときか。

('03.12.4)どうも体調がスッキリしない。眠い。でもそんなこと言ってられないこともあるので、整理すべき事を整理する。パソコンを叩きながら、気が付くとTシャツ一枚になっている。何でこんなに暖かいのだろう。衣替えが終わっていない気分だ。
 
('03.12.3)ここ何日かずっと外に出ていたので、今日は家でゆっく過ごす。戦いの予感は抑えて、結局一日あちこち片づけたり、音楽を聞いたりしていた。
 巡回試聴用のアンプが届いたが、このペースを乱したくなかったので、開梱は後回しにした。この前から「幸せ」と言う言葉が何度も浮かんでは消える。どんな顔をしてそうつぶやけばいいんだろう。答えは分かっているのに、パラメーターが分からない方程式のようだ。

('03.12.2)今日は商工会議所で土壌問題のセミナー。募集よりずっと多くの参加者で、関心の深さが伺える。
 その後、大谷事務所で、後援会HPの更新作業。こうして、コンサートの一覧を入力していると、一人のアーティストの軌跡の様なものがかいま見えてくる。音楽というのは、かくも人に莫大なエネルギーを要求する。だから、僕らも違う世界に触れられるのだ。

('03.12.1)今夜は、元職場のダチ達の忘年会。みんなそれぞれに年をとって、それぞれにこれからのことを真剣に考えている。コートを忘れたことにして、久しぶりの20年来の飲み屋に戻った。さっきの若い人たちがいたので、そのまま歌うままに飲んでいたが、彼らの優しさと計算を出す早さのギャップに少し違和感を感じた。「俺はこう」「私は絶対これ」というものが、ないんだろうか?君らのこだわりって何なんだろうか?
 OK, Everything must pass. Passing-bye.

('03.11.30)今日で11月も最後。心斎橋の東急ハンズでカレンダーと手帳のダイアリーを買う。そうか、あと1月で今年も終わるんだ。ま、いっか。
 その後は、オーディオの試聴会。前の席が空いたら一人で来たらしい若い女性がすぐに座った。香水が強いのには辟易したが、マンションを吟味するように、オーディオを吟味する女性が増えてくれればとても嬉しい。家へ帰ってからも、朝方届いたデジタルケーブルの試聴と、頼まれたVHSテープからDVDへのコピー作成。(→オーディオ日記

('03.11.29)いくら何でももうオンエアしているだろうと、受信したまま流れているはずのCATV経由で地上デジタル放送のチャンネルをスキャンする。おお、テレビ大阪も頑張ってやっている。(UHFなんだから当然か。)
 早速画面を見るが、大体BSデジタルと同じ感じの画面だ。新聞では一部チャンネルでハイビジョン画質が確保できてないらしい。CATVにはインターネットのデータも流れているくらいだし、はなからこちらはそんなに画には期待していないが、NHK教育が一応ノイズなしで録れるのが有り難い。以前、チェリビダッケのブルックナーのミサ3番を練習風景付きで放映していたのをアナログのCATVで録ったのだが、ノイズがひどくてつらかった。

 パソコンもあるから、おそらく双方向なんてのは実際には大分先になるだろう。第一、キーボードか何か入力デバイスを付けなきゃ。リモコンで文字を入力する手間はモータマラン、という感じだからね。
 ユビキタス社会なんてのは、言うほど簡単な物じゃなさそうだ。

('03.11.28)今日の日経に東芝&NECの次世代高品位DVD「HD DVD」が各国の映画会社を含む「DVDフォーラム」の承認規格となったとの記事。容量が3~5倍になり、しかも現行DVDとの上位互換性も高く、現行製造設備もかなり活用できるとのことで、来年末にはレコーダーが発売されるようだ。
 裏を返せば、「ブルーレイディスク」で先行したソニー・松下・フィリップス陣営は映画コンテンツとの関係構築が出来ないまま、取り残されそうだ。液晶やプラズマより高品位ブラウン管との読みがハズレ、技術流出のリスク覚悟でサムスンと液晶パネル生産で提携し、今また技術先行で規格競争に敗れようとしている。ソニーが優良銘柄の代表だった5年前に誰がこんな事態を予想しただろうか?現代の技術的リスクとボラティリティは高まる一方で、しかし先行投資に遅れると開発者利益を失う。ソニーの危機は深まりそうだ。

 でも、考えてみるとなんでこんなにあれこれ開発しなくちゃならないのか?そりゃあ、ハイビジョン規格は一般化していくんだろうが、音声までリニアにやるだろうか?それよりも余計なコンテンツをごたごた入れるんだろうな。せめて44Khzで16bitの非圧縮LPCMにして欲しいが、多分無理なんだろうね。
 そんで、SACDやDVD Audioはどうなるのかね。どうも、音の未来はあまり明るくない。映像人間達よ、良い映像は良い音を必要としているんだ。圧縮まみれのスカスカの音でいいのか?
 もっと音を、音楽を!

('03.11.27)昨夜、沖縄から帰宅。実は今回、大変嬉しいことがあった。このHPで僕が那覇に行くことを知ったオーディオ好きのかたから、自宅へのご招待をいただいたのだ。多少ためらいはあったが、せっかくのご厚意を無にすることはないと、おじゃますることにした。夕食までご馳走になり、オーディオやソフトの話だけでなく、沖縄のこと、民謡・島唄や三線のことなど、いろいろ教えて頂いて凄く楽しかったのだが、何よりもそういう知己を得たことが嬉しかった。
 こんなふうに直接教えて頂くことや、今回仕入れたいろんな沖縄本をよんで、少しずつ沖縄のことを知り始めた。去年母と来たときに、首里城の警備の方から、1972年5月に本土復帰するまで、沖縄県民は米軍の軍政下にあり、憲法上の基本的人権は保障されていなかった事を、不明にしてはじめて知った。僕らが、日本という括りの中で何となくいずこも同じように思って育っていったガキの頃に、そうでない人たちがいたわけだ、彼は、本土復帰は憲法への復帰だったと言い、タクシーの運転手さんも同じ事を言っていた。そして、今、沖縄には軍政の結果、この夏開通したモノレールをのぞいて鉄道はなく、港も土地もかなりの部分を基地に取られている。ひめゆりの塔や南部戦跡にたつと、唯一の上陸戦であまりにも多くの非戦闘員が死んだ事実の重さが、胸に迫る。夫や息子や家族を亡くしているのだから、これはまだ生きている事実だ。
 でも、一番印象的だったのは、基幹産業もなく国内最下位の失業率など、いろいろ問題を抱えつつも、人々には悲壮感が無く、とても表情豊かだったことだ。まちぐあー(市場)ではおばーが幅をきかせ、子育ても皆でするので公園デビューなど沖縄にはない。「なんくるないさー(なんとかなるさ)」と、出来る範囲で夜遊びもする。(沖縄は夜型社会だ。)
 ちゅら島(美しい島)とだけ褒めそやすのもどうかと思うが、この島には僕らが耳を澄まして聞かなければならないことが沢山あると思う。

('03.11.23)良いパーティーの条件ってなんだろう。多分次の3つくらいかな。
1.良い会話と音楽があること
  (雰囲気をほぐすアイスブレーカーや、エッチでないジョーク)
2.良い料理とお酒(高いものでなくても良い)
3.手づくり感があること(プロの芸人などに頼らない。あたたかさや親しみがあること。)

 【明日から3日間沖縄に行くので、交信&更新をお休みします。】


('03.11.22)夕方、所用あって前の勤務先に行く。後任の課長と話すうちに、飲みに行くことになり、談論風発、なじみの中華屋さんを借り切るように話を続けた。既に片づいた事もあり、片づかない事もある。なかには永遠に片づかない事もあるだろうが、確かなのは危機が少しずつ迫ってきていると言うことだ。いつか先送りできない時が来る。若い人たちはどの程度理解してくれているんだろうか?

('03.11.21)来週から沖縄に行くのだが、あの寄せては返す波のような静かなうねりと、不思議に暖かいグルーヴを思い出すと、どこか懐かしい場所に帰っていくような気持ちになる。勿論、「そんなに気に入ったんだったら、基地の一つも持って帰ってよ。」と言われたら、正直なんと答えて良いか分からない。問題だっていっぱいあるのだろう。でも、年寄りを大事にして、子供をのびのびと沢山育てる土地というのは、やっぱり健やかな土地なのだと思う。去年は母を連れていたので、ゆっくり出来なかったが、これから少しずつあの島を歩かせてもらおうと思う。

('03.11.20)昨日の余波で気分が晴れない。こういう日は定番、ブリティッシュ・ハードロック+80年代マイルス。あいつもコイツも、みんなまとめてぶっ飛ばせーーーーーーーーーー!
 と、やりかけていたら、今日が解禁日のボジョレヌーヴォーの試飲会がとなりのホテルであるので行きませんか、というご近所さんのお誘い。有り難くご一緒してして、久しぶりにゆっくりおしゃべりをする。おかげで、かなり心安らいだ。

('03.11.19)あ~疲れた。やっとられんなあ。なんでええ年こいてちゃんと読むものを読んで、人の話を聞くことが出来んのか。ほんま、マンションというのは人生の縮図や。

('03.11.18)一昨日は東京でオーディオの例会、一個1万円から45万円までカートリッジ(レコード針)の聞き比べの後は、2,000枚のLP大バーゲン。1箱弱買って、その後は有志で飲み会。
 昨日は夕方から仕事が入っていたので、午前中だけだが、六本木ヒルズをさっと回った。ここを設計した奴は楽しかっただろうなあ、とつくづく思ったね。今度は森美術館も行かねば。11時からは、お目当てのAGITOで土産物探し30分1本勝負。北のコンランショップ、南のAGITOという感じで、素敵な空間だった。なかなか良い物を見つけたし。仏ライヨールのソムリエ・ナイフが安かったので、思わず買ってしまった。
 帰ってきたら、すぐギャラリーでのハープのコンサート。ワインサービスがあったので、開栓を買って出てソムリエ・ナイフを試してみるが、これが絶好調で気持ちよく開く。終わったら流石に疲れて、昨日の夜はバタングーだった。でも楽しかった。

('03.11.15)急ぎの用件を片づけて、今週は波乱含みで色々あったので、ひたすら今日は休養。あすの東京行きの準備をしたりする。月曜日はギャラリーの仕事の関係で、早めに帰ってこなくてはならないので、あまり時間がないが六本木ヒルズのAGITOくらいは見て帰ろうと思う。滞在中に携帯が鳴るかどうか、ふむ。
 【16~17日は東京滞在のため交信をお休みしまふぅー。】

('03.11.14)メリーランド州ハンプステッドからタキシード用のズボンやウイングシャツなどが届いた。ズボンは裾揚げをこちらですることにしたので、早速着てみる。むむっ。少しきつい。(誰だ笑ってるのは?)
 最近少しゆるみがちだったのが響いている。あと10日もないが、しょうがない努力してみよう。人生いつまで経っても努力と勉強ってか?

('03.11.13)新しい才能めーっけ!ジャズピアニスト上原ひろみ。コピーによると「16歳にしてチック・コリアと共演し絶賛を浴び、バークリー音楽院在学中にテラークとの契約が決まったピアニストのデビュー作。」を以前東京で聞いて、シカゴからSACDが届いたというわけ。
 バックもなかなかで、凄くシャープな激しさと、リリカルな感じが共存している。山中千尋もいいけど、他にも日本女性のジャズピアニストは一杯いるけど、彼女は一頭地を抜いていると思う。

('03.11.12)アナログWowowにまで入るつもりはないが、要するに僕にとって映像のメインはBSアナログ・Bモードステレオだ。「薔薇の騎士」「B.ミケランジェリ・ピアノリサイタル」「元ちとせライブ」。楽しみだなあ。

('03.11.11)何人かの人達から聞かれているのだけれど、僕のマトリックス熱は急速に冷めている。あの世界の基本構造は大体予測に近かった。どちらかと言えば僕は「異世界構築愛好者」であり、成り立ちというかコンピュータで言えばOSに関心がある。細部の設定と理由付けは、ストーリーもあるのでこだわってもあまり意味がない。何回か謎ときを書いた映画.comの掲示板でもいろんな書き込みがあるが、参加する気分にはなれない。(ファンレターならぬメールをいただいた方ご免なさい。)

 一つには見るほどの物は見たからだが、もう一つはメッセージの質あるいはタッチに違和感が残るからだ。神話的でもない、アクション的でもない、多様な解釈は良いが、少なくともポッドの中の人類の帰趨について位は触れるべきだった。オラクルとアーキテクトの会話で終わらせるのは、役不足と言うべきだろう。ストーリー的には少し目をこらせば何とか絵は見える。そう、しかし何か美しさが足りない。悲劇でも良いのだが、文字通りデウス・エクス・マキナっぽい所があり、カタルシスが不足している。"War is over!"結構、しかし終わったのはどの戦争なんだ?なんで地下のキッドにその中身が見える?平和ってなんだ?キーコンセプトが解かれないようでは、気持ちの持って行きどころがないじゃないか?

 もちろんこれは僕の好みだ。だが、文化現象にはなったが、映画史上に残る「三部作」というには、何か足りない物があるという気がしてならない。
 Everything that has begining should have end.

('03.11.10)DVDに焼いたBSアナログ/Bモードステレオの「リゴレット」を聞く。映像はあえて出さず音だけ聞いたが、なかなか良い。このくらいなら、CD並みと言っても許されそうなレベルだ。ドルビー・デジタルはやっぱりしょぼい。

 試聴用アンプを今週いっぱい借りられることになったので、隣のギャラリーで録音作業をされていたエンジニアにも一緒に聞いてもらったりした。こういう作業をすると自ずと自分の位置が見えてくる。

('03.11.9)ギャラリーでヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの演奏会。朝の搬入から立ち会ったので、チェンバロ(ハープシコード)について調律師の方にいろいろ教えて頂けた。
 ピアノがハンマーで弦を打つのに対し、チェンバロではアクションの先に付いた「爪」がスチール弦をかき鳴らす。この弦には「デルリン」というプラスティックも使われるが、一番良いのは「ヴァイパー」と呼ばれるハゲワシの羽根の軸の部分だそうだ。低弦には白鳥の羽根が使われることもある。実際に音を聞かせて頂いたが、ヴァイパーの方が圧倒的に表情豊かな音になる。
 あちこち位置を変えて音決めしたが、とてもデリケートなのは勿論、結構ダイナミックな演奏にも反応する。フランス製をコピーして日本で作られた物だが、チェンバロの最後期の型だそうで、おそらく表現力も大きいのだろう。

 本番では人も入っているし、後側なのであまり細部は聞こえなかったので、リハーサルの時の音が一番印象に残っている。言葉と、味と、音の引き出しの中にまた一つ財産が加わった。そう、美味しい音だった。

('03.11.8)今日は隣のギャラリーで藍染めの作家のトーク。遅れていったので、もうレセプションが始まっていたのだが、藍染めの布を一杯に幕に引いたり、タピスリ風に垂らしたり。しっかりした藍と透けていく感じの布のバランスが美しい。面白かったのは、アンティークな椅子の座を藍で染めたコットン・ベルベットで張ったいくつかの作品。
 
 部屋のカーペットの継ぎ目がほぐれてきて、丁度ネイティブ・アメリカンのブルーストライプ・ラグを敷こうかと考えていたので、イメージがふくらんで楽しかった。

('03.11.7)夜中の12時からオペラの放送があったので、BSアナログの「Bモード」ステレオ音声をはじめてリアルタイムにオーディオで聞いてみた。ヴェルディの「リゴレット」。これは素晴らしい。デジタルのしょぼい音より遙かに良い。映像だって暗い部分がよく沈んで階調が深くて良いと思う。これが、早ければ2007年にはなくなってしまう。これって明らかに文化の後退だよな。
 また、ひとつ美しいものが失われていく。デジタルにしてお手軽に詰め込むだけのものを、進歩とは言えねえよな、くそっ。

('03.11.6)ハンブルクの上映会の件で、随分久しぶりに中之島の市庁舎に行く。少し懐かしかったが、ずいぶんと隔たってしまった自分を感じる。国際交流課のスタッフと話をしていても、複眼的に見ている自分がいる。自分はロケットを打ち出すカタパルトとしての役割を的確に果たせればそれでいい。

 その後、マトリックス・レボリューションズを見に行く。概ねは予測の線だが、結末は予測よりもう少し手前でぶった切った、という感じだ。説明はほとんど無く、台詞もごく短く簡単きわまりない。完結感の無い人が多いだろうし、何じゃこれと言う人もあるだろう。だが、その違和感自身がメッセージだとしたら、どうして彼らもやるもんだと思う。

('03.11.5)アナログの「Bモード」ステレオのオペラなどをリニアPCM音声、つまりDAT並のフォーマットで録画予約した。果たしてどの程度の音で録れるだろうか?複数枚になってしまうが、DVDに焼くのが楽しみだ。

('03.11.3)雨。静かな一日。ハイエンド・オーディオショーでもらったカタログや資料にゆっくり目を通す。心の中にいろんな音楽や音が聞こえるので、それに耳を澄ますのに気を取られて結局パワーアンプには灯を入れなかった。次に使うならアレかな、というスピーカーなどはあるが、非常に高価だし、やはり分というものがある。いろいろ情報が広く入ってくるようになったし、積み重ねていくことはたくさんあるので、まだまだ遊べそうな感じがする。

('03.11.2)心斎橋で開催中の「大阪ハイエンド・オーディオショー」に行く。特に大きなサプライズは無いが、一人で来ているらしい女性を何人か見かける。普通はBFにくっついてきたGF,連れ合いに引っ張られてきたヨメ、というのがパターンだ。(見ていると2人の力関係がすぐ分かる。)
 おそらく、マンションをあちこち選ぶように、オーディオも選んでいるのだろうか。

('03.11.1)夜中に思いついて電話機いじり。前の電話機の本体は故障して雑音が入るが、子機は大丈夫。そこで親機は鳴らさず、子機のみを使えるよう接続してみたら、これがバッチリOK。予備の子機を買わずに済んで、凄く得した気分。

 午後は伊豆から遠来の客。思わずレコードに拍手するくらい盛り上がる。自分が知らなかったり、あまり聞いていなかったソフトを知ったり再認識するのも、とても嬉しい。共通する部分がいっぱいあるのは、凄く楽しい。

('03.10.31)最近、電話機に結構雑音が入るようになって、何人かの方から指摘されている。子機で話す分には問題ないのだが、本体の受話器だと盛大にブ~~。IP電話のせいかな、と回線をチェックし、電源の誘導かと電源にフィルターを入れたりとか、色々やってみても改善されないので、本体の故障だと見極めした。
 デザイン家電関係であちこち調べて、友達にも当たってもらったのだが、海外デザインでは子機付きすら珍しく、ましてやファックス電話などはかけらも見あたらない。この辺は、電話に求める機能や、オールインワンかシンプルさか、という生活感覚の違いかもしれない。
 
 そこで、中ではまあ小ましなデザインのパナソニック/Will Faxの値段をサイトでチェックしたら、色数増えたが機能ダウンの新製品が出て、型落ちのはずの旧製品は掲示板でも人気で、むしろより高い値段となっている。おまけに、掲示板には梅田のヨドバシで阪神優勝セールで格安との情報。こんなのを載せるのも価格.comの太っ腹なところだと感心した。早速明日の食材の仕入れを兼ねて買いに行ったが、メール関連も含め設定項目がやたらと一杯ある。まあ、少しずつやっていこう。要は人とのコミュニケーションがちゃんと効率的に出来ればいいのだ。

('03.10.30)昨夜遅くに東京からメールをいただいた。「音と戯れる会」のメンバーのお一人で、時々このHPもご覧いただいている由。 みんないろんな思いを持ってオーディオをやっているのだけれど、音楽が好きだという点では強い思いを持っている。
 明後日はそのうちの一人が遊びに来てくれる。まだ2回くらいしかお会いしてないのだが、気分はもう友達だ。要は音楽が好きかどうかって事だと思う。若い世代にこういうのを伝えるのって、どうすれば良いんだろう?

('03.10.29)11月も予定が埋まってきた。マンションの理事会や委員会。伊豆からオーディオ仲間が来てくれたり、心斎橋でハイエンド・オーディオショー、ギャラリーでのコンサート・録音が数件、東京での「音と戯れる会」、神戸でのコンサートなどなど。そんな中だが、JALの航空券のバースデー割引やホテルのディスカウントもあって、今年の誕生日は那覇で迎えることにした。
 南部戦跡をちゃんと見に行って、ソーキそばやテビチを食おう。ナーベラーもいいなあ。島唄のライブなんかも良いし、古酒も少し味わってみよう。ゆる~~~いグルーヴで国際通りを歩こうか。 Yah Man.

('03.10.28)考えると、今月は5回コンサートに行っている。結構なことだ、しかも来月も数回予定がある。正直、どれもこれも最高では無いけれど生音の良さは十分に分かる。どのホールも一長一短あるが、やはりステージに近づいて聞かなければ、細かいところは分からない。
 生音はエッジが立たない。だから、そのためにはスーパートゥイーターは本来必要がない。では、昨日のマーラーのような空気感は果たして出せるのだろうか。バランスをよく考えないと、ミニチュアール的なところへすぐにはまってしまうと思う。所詮は小さい振動板で表現しに行くのだから、何を主として出し、何を二グレクトするのか、その判断が大人というものだと思う。

('03.10.27)針の穴を通すように、ひたすら純度を高めた弦の音が、純度を保ちながら少しずつピアニッシモに凝縮していく。その間、千人あまりが殆ど息を止めながらそれを見守る。そして返す波も終わるときが来て、終わりを確認できてから、ほっと息をつく。
 万雷の拍手が続く。D.バレンボイム指揮、シカゴ響のマーラー9番の演奏会。
 大事な友人の誕生祝いに重ね合わせて良いものか、少し迷ったのだけれど、来て良かったとつくづく思う。
 よくコントロールされた、柔らかく美しいマーラー。最後の弦だけの中でのヴァイオリンソロも静かに、しかもクリアに美しい。音楽を聞いていて本当に良かったと思える、特別に貴重な時間だった。これは、会場にいた千人余りの人間にしか、本当は分からないと思う。こんな気配や呼吸を伝え、残せたらどんなに素晴らしいかと思う。

('03.10.26)昨日、仙台からどっとLPが届いたので今日は一日それを聞く。

スーパーギタートリオ「パッション、グレース&ファイア」
スパイロ・ジャイラ「モーニング・ダンス」
ウェザーリポート「ドミノ・セオリー」

昼寝をしてからは、冷えたガヴィなど飲みながら聞く。
イエス「危機」
ジェファーソン・スターシップ「レッド・オクトパス」
マイルス・デイヴィス「TuTu」
ピエルロ&イ・ソリスティ・ヴェネティ「アルビノー二/オーボエ協奏曲」
東京カルテット「バルトーク弦楽四重奏曲4番」
サンタナ&マクラフリン「魂の兄弟達」
サイモン&ガーファンクル「ブックエンド」
マンハッタン・トランスファー「ブラジル」「メッカ・フォー・モダーンズ」
ジャニス・イアン「ビトゥイーン・ザ・ラインズ」
スティーリー・ダン「ロイヤル・スキャム」
エリック・カーメン「チェンジ・オブ・ハート」
キース・ジャレット「サンベア・コンサート」
スコット・コス「ウインド・ダンス」

それでも悲しいものは悲しい。ま、そんなもんだな。

('03.10.25)昨日、マトリックスがらみで仏教の話が出たので、ついでに明確にしておきましょう。
 僕は不完全な原始仏教徒です。不完全なのは大きく2点。

1.輪廻(サンサーラ)を信じていない事。
 無常、つまり「一切は常ならず、一切は燃え、一切は流れていく」、というのはまさにその通りだと思ってます。が、全ての生き物は生まれ変わり善悪のカルマ(業)を積んでいく、というチップの積立貯金みたいなシステムは信じられない。勿論、エコロジカルに循環していく、と言う点はネイティブアメリカンと同様に自覚していますが、明確な我=アートマンが輪廻するとは思えない。インドのような風土ではそれが当たり前のように感じられるのかもしれませんが。

2.ブッダの思想の根本は、正しい生活と修行により渇愛=煩悩から自由な境地(涅槃)に至り、無間地獄のような輪廻から離脱する、と言うものですが、僕にはあまりに執着を強く持っているものがいくつもあり、その見込みは極めて薄いと言わざるを得ません。

 僕の理解するところでは、原始仏教は宗教哲学であり、信仰ではありません。絶対者がいないのです。つまり、自力救済です。この辺のケツの穴の狭さ(失礼)に耐えられない人たちが、大乗仏教を起こしました。そこで、如来や観音や阿弥陀仏など救済者が現れ、西方浄土が提示されるわけです。でも弥勒菩薩のように56億7千万年後に救いに来てくれたって、おらっちにはカンケーないもんね。
 今週のAERAでは、日本は空前の仏教ブームなのだそうです。が、どうも「何事のおわしますかは知らねども」的な、ムード的な様相が濃いようです。言挙げせぬ極東の島ぞ、いとおかし。

 今朝はマンション管理組合の総会。ここは言挙げだらけで、いろいろもめそうで、波乱の雲行き。夜は伊丹でコンサート。麗しき人にも会えるし、こはまたいかなる雲行きか。今宵は新月ぞ、せめて心には光あれ。

('03.10.24)11月5日が近づいてきたので、マトリックスの謎ときが借金の期限のような気分になってきた。(笑)
 HPにも書いたが、僕の目的はマトリックス世界の構造と、その中での機械達の考え方を把握することだ。中林さん流に言えば、マトリックス世界のOSが何であるか、と言うこと、つまり異世界構築のほうに関心がある。 ハッピーエンドやアンはピーエンドなど、ストーリーは何通りでも描ける。だが、論理的な一貫性を重視するなら、ある世界の構造はそんなには変えられない。

 といっても演繹的推理はそろそろ限界なので、帰納的に進めるために(何のこっちゃ?)「レボリューションズ」の予告編をダウンロードしてみた。うむ、なにがなんやらよう分からん映像だし、英語オンリーなのでモーフィアスの早口は分からんし、まあでもネオの敵役は確定したな。
 ついでに謎ときをしているサイトを検索してみたが、ほとんど収穫無し。救世主という役名(といってもザ・ワンであってメサイアではない。)、ホバークラフトの名前(グノーシス号)や人物名(セラフ=セラフィム:天使の名)などから、いろんなキリスト教との関連や、仏教との関係を指摘したりする掲示板もあったが、イメージ優先で基本的な勘違いも多く、あまり的を突いているとは思えない。グノーシス主義はどう見てもこのストーリーに直接関係ないと思う。仏教で言う覚者=目覚めたものはブラフマンよりも上だって?違うよ。彼は輪廻の外に出るだけだ、小乗(原始)仏教的には。

 それよりも、みんな何故「マトリックス」という言葉を英和辞書で引かないのだろう?そこから謎とき編を始めようかな?

('03.10.23)時代の進展は素早いもので、つい先日スタートしたIP電話(050ー.......)に一般固定電話からかけられるようになった。我が家の場合は東京から掛けようがオキナワから掛けようが3分間10.5円になったわけだ。個人の場合、遠方に実家がある場合を除き節減効果はしれているが、企業の場合は大きく異なる。まもなく、名刺に050番号が当たり前のように書かれている時代が来る。それにしても、シェアが減っていくNTT東西やコミュニケーションズの危機感の無さはなんだろう。ドコモもFOMAについて判断すべき時期だろうに。

 マイクロソフト本社の副社長が東大の坂村健教授の所へ仁義を切りに行った話には驚いた。トロンはオープンソースだから、本来断りなしに使っても良いのだが、そこをちゃんとアナウンスしてパブリシティに載せる周到さ。
 それに引き替え、我が総務省は未だにLinux。なぜ、トロンと大声で言えないのか。なぜ、自国が持っている貴重な資産を活かせないのか。

('03.10.22)「オーディオベーシック」誌を見た高校時代のコーラス仲間から、メールが来た。今は東京の社宅でオーディオもままならず、通勤1時間10分で殆ど休みなしに働いているとのこと。うらやましがられたわけだ。
 時々、幸せな生活ですね、と言われるときがある。だが僕の人生はあるところで大きくねじ曲がってしまっている。その後の諸条件の中で、自分にとってより楽で充実した方を選んだだけだ。だから、そんな事は思ったことはないし、考えない。

 それでもいろんな記憶や思いが襲ってくることがある。無防備なとき、夜、それも大抵は寝入りばな。やり過ごせれば一番良いが、そうできないときは、逃げてはいけない。答えのでない思いだと分かっていても、とりあえず正面から向き合わなければならない。自分から逃げることは出来ないのだから、ブラックホールであろうと何であろうと、向き合うだけだ。
 何も考えずに眠れたときは、とても幸福だ。朝が祝福に満ちる。

('03.10.21)アジア出身と言うことで東京カルテットのような颯爽たる感じを期待して、いずみホールへ上海カルテットを聴きに行った。
 第一・第二ヴァイオリンはとても良い。よく歌い、表情も豊かだ。それに比べて低声部、特にヴィオラが弱い。室内楽は緊密なアンサンブルが殆ど全てなので、少しつらかったが、アダージョはとても暖かくて良い感じだった。ベートーベンの初期と後期のカルテットを続けて聞いて、ほとんど時代の違いを感じなかったのも、彼らならではの感性かもしれない。
 まずは重畳と言うべきか。

 マトリックスは考え中。ネオの言うように「問題は選択だ。」が、なにをどう選択するかがまだ見えない。もう少しのような気がするのだが。

('03.10.20)故あって、没後約30年後になったが、菩提寺に昨日父の遺骨を納骨した。母も懸案が片づいて一段落と言うところだった。

 君たちは考えたことはないか?自分の葬式を出してくれるのは誰か?自分の遺骨を墓に納めてくれるのは誰か?そして、その墓に参る者はいるのか?いるとしたらそれは誰か?
 生きていくというのは要するにそういうことで、自分が死んだ後のことまでイメージを求めてしまうんだ。俺?ふむ。多少のお金があれば、もう少し近代的に薄めることは出来るが、ほとんど気休めだなあ。それよりも人とつながる努力をすべきだと思っている。ま、これがまた、なかなかうまくいかないんだけどね。やれやれ。

('03.10.19)ゆんべは先日の上映会関係者のための「プライベート上映会」。いろいろ見たが、VHSが思いの外、写りが良かった。ピークで12人。空いたワインが12本、日本酒(760ml)1.5本、焼酎(1升瓶)1/5本、何とよく飲んだ上映会か。1時半ころまで「マトリックス・リローデッド」を見たが、観客5名は実質寝ている時間の方が長かっただろうと思う。
 今は朝の7時前。おお今日は父の納骨の日だ。よく気が付いたものだ、昼までもう数時間寝ゆ。

('03.10.17)昨夕は最高に特別な時間だった。アファナシェフはやっぱりアファナシェフだった。オランウータン(森の人)とあだ名される長い腕から繰り出される透明で美しいクリスタルのような音は、フォルテでもいささかもにじまない。そのまま凍り付いてしまいそうな危うい一瞬達と、さりげなくそれを引き取りつつ流れていく息の長い詩。少しばかり異形かもしれないがとても深く感じられた自在なベートーベン。31番の冒頭のフレーズが始まったときは、クールな暖かさに思わず涙がこぼれた。

 昔、村上春樹がもうどこへ行く力も残っていない、という疲れ切った状態で聞きに行き、終わったときには疲れなどどこかへ吹っ飛んでしまっていた、というリヒテルのシューベルト・ライブほどに何かを溶かしてくれたわけではないけれど、それでも何かパワーと形而上学的な気分(何と何十年ぶりかでプログラムを買ってしまった)を与えてくれた。

 明日の上映会もあるので、今日はマトリックス「リローデッド」のDVDと食材を仕入れに梅田に繰り出そう。明日はオリジナルでホウレンソウと生ベーコン(パンチェッタ)のペンネ。丹波の黒豆が届いたのだが、これはパスタというわけにはいかんだろうな。王道で塩ゆでするか。うむ、と顔がほころびてしまうなあ。

('03.10.16)今夜はいずみホールでヴァレリー・アファナシェフのコンサート。ベートーベンの最後の3つのピアノソナタを続けて聴く、というだけでも一仕事なのに、弾くのがアファナシェフときては、何が起こるか分からず目が離せない。終わったら疲労困憊してるに違いないと思うので、先に更新だけしておこう。

 かなり前に彼が弾くシューベルトの遺作ソナタをLPで聞いたときにはぶっ飛んでしまった。ものすごく遅いテンポ。少しずつ解体されていくシューベルト。でも終わり際には絶望の果ての希望のように歌がよみがえる。哲学的で晦渋な小説群と詩作。ワインのコレクター。
 数年前に聞いたイーヴォ・ポゴレリッチはセンシティブではあるが、かなり普通のピアニストになっていた。果たしてアファナシェフはどうなんだろう。それにしても、今ひとつ体調が優れない。こんな時にアファナシェフなんてのは、トドメになるかもしれんな。

('03.10.15)マトリックスの謎ときの核心にはいるPart5をアップ。機械達が望むものは何か。マトリックスとは何か。とりあえず現時点で答えを出してみる。
 後はDVDを見ながら考えよう。

('03.10.14)秋の日はつるべ落とし。寒くもなってきた。こういうクリアな季節感って良いと思う。人間の身体はすぐにはついて行けないが、これは心がけもあるし。

 映像の師匠から45回転LPのメールが来て、いろんな話が行き交う。はっきりしているのは、この時代に何か貴重なものがどんどん壊れ、無くなっていくと言うことだ。それは味覚などの面でも言えることかもしれない。それしか知らない、というのは認識外と言うことで、機会がなければ知りようがないし、機会があっても感性がなければ、これまたどうしようもない。
 一筋の光と期待していることはあるのだが、果たしてどうなるか。全てはヨーロッパやアメリカのハイセンスな連中のパワーにかかっている。日本?マニアックといわば言え、ディープといわば言え。滅び行く人種たちなりに努力するさ。

('03.10.13)BSデジタル・ハイビジョンのアナログ収録を焼いたDVDの音質は、CDには及ばないが、まあ使える、といった程度。むしろ、ちゃんとアンテナを立てて録るなら、BSアナログの音声は非圧縮(つまり間引きしていない)なので、こちらの方が良いそうだ。「ベルリン・天使の詩」のアナログ盤DVDはやはり大事に残しておかなければならない、ということだ。

 ギャラリーに椅子を片づけに行った以外は、久しぶりにオーディオ三昧。【→オーディオ日記】

('03.10.12)今日はバロックチェロのコンサート。バッハの無伴奏とガブリエッリのリチェルカーレ。いろいろあるけれど、何よりもこれは特別な時間だった。響きが素晴らしいのはもとより、演奏が素晴らしかった。ここまで磨き抜かれた音楽は、ある特別な高みに僕らを連れて行ってくれる。沈潜した深々としたうねりと、一つの楽器で通奏低音や舞曲のリズムをならす多彩さ、ものすごく安定した疾走感、そして深い深い歌。

 打ち上げでいろんな話をお聞きできたのも、幸福だった。明日はC.P.E.バッハのCDをゆっくり聞こう。音楽に少しばかりだが携わることが出来て、本当に良かったと思う。

('03.10.11)変になま暖かく、むしむしと暑さが戻ってきた雨の日。BSデジタル・ハイビジョンのアナログ収録をDVDに焼いてみた。プロジェクターでどの程度に見えるか、チェックしてみよう。最近は地上波はドラマを見て消すだけで、ほとんどデジタルしか録らない。

 夕方、明日のコンサートの設営にギャラリーに行く。ステンレスのオブジェと、竹とブロンズの和風なオブジェとがインスタレートされた中でのアマティのチェロの響。ルイ14世に献呈された14台のうち演奏可能な最後の1台。ストラディバリの師匠でクレモナのヴァイオリン作りの祖が作ったチェロ。演奏するのはベルギーのラ・プティット・バンドの首席の鈴木秀美さん。終わってからは、隣のタワーのレストランでアーティストを囲んでディナー。うむ。ワクワクするなあ。

('03.10.10)アメリカからCD・LPが届く。そのうちの1枚にノックアウトされた。「セラ・ウナ・ノーチェ」(MAレコーディングス)。アルゼンチンの若いミュージシャン達が集まって、真剣にとりくんだタンゴ。この深い切なさは彼らの血の中にあるものらしい。タンゴと言ってもアルゼンチンの数ある音楽やリズムの一つということらしいが、アルゼンチン人なら誰でも無意識に持っている感覚なのだそうだ。

 今夜は大谷玲子事務所で会報第2号の編集会議。

('03.10.9)ホームシアターをはじめた、と言うと「どこにスクリーンを置いてるの?」という質問がよくあるので、いくつか写真を載せます。



 インテリアを触りたくなかったし、当然オーディオ優先なので壁にプラスティック・アンカーでフックを止め、ピクチャーレール用のワイヤー&フックで組み立て式の70インチワイドのスクリーンを吊している。
 スクリーンの大きさは約1m60cm×90cm。丁度、ふすまや障子の端を30cmカットしたくらいの大きさ。テンション・アーム2本をのばしてはめ込むだけなので、都度都度組み立てて取り付けるという形。レコードキャビネットの上をお片づけしなければならないのは、ご愛敬という感じです。













(左)視聴位置正面から見たスクリーン

(中)プロジェクターはPlusのPiano。電源ケーブルはAETのHIN QUAD。

(右)プロジェクターとDVDプレーヤー(マランツSA-12S1)はCanareのコンポーネントケーブルで接続。
 

 もちろん音声はフロント2チャンネルのラージ設定をPCMリミックスして、パーペチュアル・テクノロジーズのDD & DAコンバーターを通してアップコンバートしています。スーパーウーファーD-Cubeのおかげで重低音も十分聞こえるし、定位や広がりもはっきりしているので、5.1をやるつもりは今のところありません。


('03.10.8)遅めの昼ご飯が延々と続く。サラダ、バゲット、ソーセージ、温野菜、ペンネ、とどめはお土産のケーキ。よくしゃべり、ボサノヴァを聞き、映画も見た。夜になってもお腹が減らない。うむ~,ブタへの道をまっしぐだなあ。
 楽しかったから、ま、いいか。

('03.10.7)明日は来客なので、あちこち片づける。数年前にこの近くから引っ越したインテリア・雑貨ショップの元店長さんと彼女のお友達。奈良女子大前の店に移って、買い付けなどもやって頑張っている。以前から一度遊びに来ると言っていたのだけれど、オーディオベーシック誌に載ったのを見てくれて、来訪が実現する次第。バリ島の話なども一杯教えてもらおう。

 さて、お約束のマトリックスの数字タイトルバックはなぜ縦に流れるのか?というお話。
 答え:既に横流れで使っていた映画があったから。「ゴースト・イン・ザ・シェル(攻殻機動隊)」。色も緑色。ここまでウオーショースキ兄弟(ポーランド名は語尾をのばさないそうです)が真似たのは、パクリというよりも尊敬を込めたオマージュだと思う。ジャパニメーションの影響力って凄いのだと思う。それについての本があったので、図書館に予約して見よう。

('03.10.6)昨夜今月公開の「キル・ビル」紹介番組を見て驚いた。クエンティン・タランティーノが日本映画のファンということは聞いていたが、ジャパニメーション、特に「ゴースト・イン・ザ・シェル(攻殻機動隊)」の大ファンで、製作したプロダクションIGに自ら足を運んでアニメ制作を依頼し、今回の映画の中にも取り入れているという。
 アメリカでビデオセールス1位を取ったくらいだから、あちこちにファンがいて可笑しくないのでけれど、これで思い出したのが”GNC”=グロス・ナショナル・クール。日本はこういう分野を含む文化面では国際的評価がかなり高いらしい。うれしいことだが、その割に日本の常識になっていないのが寂しい。一部オタクの世界、という感覚が支配的なのだろう。
 ところでマトリックスで有名な、数字が流れるタイトルバック、あれはなぜ縦に流れるのでしょう?プログラムは英語ベースで横書きだし、横になるのが普通だと思いません?
 ふっふっふ。私はその答えを知っている。というか、そうならざるを得なかった事実を知っている。続きはまた明日。早く知りたければメールか電話をどうぞ。

('03.10.5)泉ヶ丘で母、弟と姪っ子の4人で久しぶりに食事をする。中華を囲みながら修学旅行の話などいろいろ話すが、母がポツポツと今まで聞いたことがない昔話を持ち出す。父の話、父の会社の話、親戚のこと。思わぬ「新ネタ」大会になってしまったが、なかなか面白かった。
 久しぶりに優しい気持ちになってくる。夜は冷えてきたが、心は温かく帰ってきた。

('03.10.4)余り物のオーディオ用電源ケーブルをTVに使っている液晶ディスプレイの電源につないでみた。驚くことに、ものすごく画面が精密で細かくなる。北野武のHANA-BIをハイビジョンで録画したものを見たが、タイトルバックのパッチワークの画の美しく、細かいこと。信号ケーブルどころではない。早速、プロジェクター用にも電源ケーブルを作ることにする。

 夜は、お招き頂いて芦屋交響楽団の定期演奏会でザ・シンフォニーへ。ショスタコービッチの7番という大作で、木管とか所々問題はあったが、弦のアンサンブルなどなかなか見事で、熱気とノリで弾ききってしまった。アマチュアでこれだけやれたら、大したものだと思う。
 その後は久しぶりに福島の寿司屋さんをのぞく。相変わらず魚が旨い。座敷も入っていて繁盛してて良かったと思う。隣の人がお土産を頼んでいたので、ついこっちも頼んだのが、「魚の太巻き」。干瓢や玉でなくて、魚がミッシリはいっている。今それを食べながらこれを書いているのだけど、旨いねえ。

('03.10.3)夜はマンションの管理組合の理事会。断る理由もないので、理事をお引き受けしたが、結構問題もあり、なかなかな時期に役員になったものだと思った。法人だし、権利義務の関係も定められているし、登記もするのだから、なんらかの意思決定をしていかなければならないのだが、人により様々な感覚。決めるということは、全員調和でなく多数決の決定で、そのために議論を尽くさなければならない、という認識が、どうも日本人には苦手なようだ。ともあれ、これを機会に人も建物も知ることが出来れば有り難い。

('03.10.2)「何で毎日日記書いてるの?」と真顔で聞かれてしまった。「本でも出すつもりなの?」
 いろいろ話す状況でもなかったので、いいや、と答えてやり過ごしたが、ちゃんと話出来れば良かった。
 一つは記録。でも何でもかんでもじゃない。
 もう一つは自分の整理と区切り。毎日更新と宣言してないから、たまにはすっ飛ばすのだけれど、書くことによって、その日の集約みたいな作業ができる。
 読んでくれてる人がいることは意識しているので、何でもかんでもは書かないのだが、だからといってその人達の方を向いて書こうとは思わない。時々、ホントは別のことに心がいっているのだけれど、それを書くわけにも行かないので、ヒマネタを書くこともある。最近では、ホームシアターの話の半分くらいはヒマネタだ。
 でも、常に考えているのは、このHPは僕という人間へのポータルサイトだということ。そして多様性を大切にすると言うこと。いろんなツギハギのようなものの中から、何となくイメージや全体像が見えてくれれば十分。
 え、単にいっぱい書いてあるだけだって?う~~~む~~~~。そうかもしれん。

('03.10.1)いろいろややこしそうな事もあり、倉敷のコンサートは取りやめ。日曜は母の顔を見に行くことにする。
 今日はTUTAYAで、DVDを一杯借りてきた。「ベルリン・天使の詩」をエアチェック盤と比較すると、画はDVDが、音はBSアナログのエアチェック盤がいい。他のDVDではそうでもないので、この盤の問題かもしれないが、多少ノイズはあっても、「来る」音の方が良い。音が来ないと、画が良くても感動が薄い。

 左の写真は今日届いたCanareのコンポーネントケーブル5m。DVDプレーヤーで今まで使ってきたSケーブル4mよりもこちらの方が、全体として肌理が細かく、特に黒が沈んで、落ち着く。

 他に今日借りてきたDVD。
「パリ・テキサス」
「仕立屋の恋」
「恋する惑星」
「眺めの良い部屋」
「攻殻機動隊」
「イル・マーレ」

 TUTAYAもまだ大半がVHSだった。もっとDVDの貸出が増えて欲しいな。


('03.9.30)9月も終わりの日。考えてみると今年は何をしただろう。イージーにさえ流れすぎなければ、どんどん当初のプランは変えてもいい。
 今年は人やものとのつきあいがかなり広がった。多少バタバタしても、楽しいしそれで良いと思う。問題は心の中のバランスを見失わないことだ。何を自分が必要としているかは分かっている。本当にやりたいことが一つあるが、それは少なくとも今のところかなえられそうにない。頭では分かっている。でも心が叫ぶことは止められない。ぼくが本当にしたいことはひとつだけだ。それは世界の中心で愛を叫ぶことだ。
 音楽と、美しい言葉達と、少しばかりの愛があれば、殆どそれだけで生きていける。

('03.9.29)ギャラリーでのコンサート、今日はフルートとオーボエ。とりわけオーボエの響が素敵だった。もちろんモダン楽器なので、古楽器と違いややメタリックで均一な感じはあるが、やっぱり人間の声に近い楽器は懐かしい感じがする。を二本の管楽器で奏でるモーツアルトのオペラの二重唱、というのを中心に盛りだくさんのメニュー。オーボエのソロ(B.ブリテンとテレマン)が印象的。盛会で嬉しかった。


('03.9.28)昨日から、隣のギャラリーで3連続仕事。今日は朗読とギターの2日目。初日は何かと事が多かったのだが、今日は穏やかに過ぎる。ギタリストが変わって、今日はとても温かい音。といっても、曲がはっきりと分かるだけに、「伴奏」としては違和感がないではないが、これも朗読者の意図らしい。
 オーディオやホームシアターをやる時間が余りないが、こんなのも良いだろう。
 左はPlusのプロジェクター「ピアノ」(Piano)。2Kgちょいで軽くて小さいのですが、しっかりDLP方式。しっとりした映画向きの画質で、なかなかのスグレモノです。
 生産中止になったので、かなり安く買えました。

('03.9.27)「マトリックスの謎を解いてみませんか?」にPart3を追加

('03.9.26)間宮吉彦氏がデザインしたホームシアターのショールームを見に行く。古いビルの1フロアをまるまる改装して5つのシアタ0ルームにしており、家具もオリジナルが殆どで、タッチパネルで各機器を遠隔操作できる。よくある壁の一面にスクリーンやスピーカーをまとめてみました、という感じのリフォームとは趣が違う。
 プロジェクターは液晶、DLP、3管式の3種類あり、プラズマの他は、80~150インチのスクリーン。特に150インチに3管式で投射した画面はとても立体的で、自然な感触の映像で素晴らしかった。音については、まだ調音の途上とのこともあるが、特に感動はしなかった。

 ここでも走査線が見えてしまうなど、DVDの限界の話を聞き、やはりハイビジョンは凄いという話だった。後で立ち寄った別の店では、デジタルハイビジョンの話を聞き、直接デジタル録画できるのは、D-VHSとブルーレイディスクのみ、インターフェースはi-Linkだけとのことだ。つまりHDD-DVDレコーダーはデジタル信号を一旦アナログ化してからでないと、録画できない。にも関わらず、Wowowハイビジョンなどでは、コピー・ワンスの制限がかかっており、HDDからDVD-Rにはダビングできない。デジタルコピーでもないのに、と思っていたが最近色々やってみて分かった。つまりアナログ化されたデータとはいえ、デジタルハイビジョンで録ると、場合によってはDVDより優れたものが出来かねないと言うことだ。
 この世界も奥が深い。

('03.9.25)雨。強く、弱く、時として煙るように、ほの暗い空の下、アスファルトを濡らし、梢の間を飛ぶ鳥を濡らし、虫たちもしとどに濡らし、降り止まぬ雨。
 あまり考えたこともなかったが、なぜ雨が好きなのだろう。多分、ひとしなみに、あまねく届くものが好きなんだ。陽の光も、雨も、響きも。包まれることが好きなのかな。
 眠れぬ日々のつれづれは、もやのかかった頭の中を、はした事ばかり泡沫のように浮かんでは消える。また、過ぎていくのか、残るのは何か。

('03.9.24)NHK芸能番組部チーフディレクターの小林悟朗氏のインタビューがとても面白かった。
http://www.musicman-net.com/relay/20/index.html

 『テレビ局に入った新人スタッフに「音楽は目に見えない」っていうことをわかってもらうのに10年ぐらいかかると思うんだよね。でも「音楽は目に見えない」っていうのをわかってもらわないと、そこから先に進めないんですよ。
(中略)
だから、音だけのパッケージならすごく簡単なんだけど、絵があるところで目に見えない「音楽」をちゃんと伝えなくちゃいけないっていうのは非常に難しいことなんです。目に見えないって事に気がつくと、音楽であろうとドラマであろうと報道番組であろうと、全部同じになるんですよ仕事が。
(中略)
だから、目に見えないってことがわからないと、目に見えるものを写しちゃうんです。バイオリンが演奏しているとバイオリンを写しちゃう。クラリネットがソロ吹くとクラリネットをポンと写しちゃう。でもそれは「行為」であって「音楽」じゃないんです。見てる人はそれを追いかけることに一生懸命になっちゃうんですよね。』

 音は目に見えないからよく分からん、とある映像作家が言ったが、確かに難しい。人間は視覚の方が発達しているから、例えばMTVを見れば、そのアーティストや曲について『分かった気』になってしまう。でも、ギターのバックで例えばサックスがカウンターメロディーをやってたり、なんて事はテレビで見るだけでは決してわからない。
 最近CDの売り上げが減っているのは単にコピーだけでなく、映像媒体が増えていることもあると思う。音だけを買わなくなっているのだと思う。それはそれで楽しみ方の問題だと思うのだが、見えないことの良さ、楽しさって言うのは、やっぱり分かりにくいのかな。DVDの音が結構お粗末なのが多いので、余計そう思ってしまうのかもしれないが。
 
('03.9.23)秋が深まってくると、少しずつ流れがゆるやかに立ち戻ってくる気がする。夏の暑さは、それはそれでリズムや影の涼しさや、明かりの濃さなどを味わせてくれるが、この熱気はやはりハイな状態であり、涼しくなってくると、身体が微妙に疲れていることを、眠りを通じて告げてくる。
 虫の音がピアノの音と競合せずに響くのは、やはり日本の秋ならではのものだ。季節は巡り、僕らは少しずつ老いる。蝉は一夏を過ぎることはない。命が生まれ、また大地に返る。神の名はほむべきかな。

('03.9.22)溜まっていた資料や本を読む。まだ大分残っている。プロジェクター用に部屋の壁コンセントを3Pに換え、少し贅沢な電源ケーブルタップを用意する。プロジェクター用の電源ケーブルも倍の容量のものにする。
 BSデジタルは快調で、予約も画面からすぐに出来るのが便利だ。EPG予約なんかより、ずっと便利だ。これでレコーダーが連動してくれれば言うこと無いのだが、残念。
 夜は『グラン・ブルー』を見る。電源ケーブルなどの効果で、画面がよりはっきりとしてくる。

 それにしても、したいことがなかなか片づかない。雑誌と新聞だけでも結構時間を取られる。もっと摘み読み、流し読みするか。

('03.9.21)昨夜はおそば屋さんを借りて、好きにせん会で『C級グルメの会』。みなで思い出とこだわりの食べ物を持ち寄る。魚肉入りハムソーセージ・缶詰、コンビーフ、ラーメン、ママースパゲティー、はったい粉etc etc 。ノスタルジーに浸り、皆でわいわいやってる楽しい時間。
 こういうのが、一番安らぐなあ。少し胸焼けしたけど。

 今日はギャラリーでチェロのコンサート。台風がらみで風も強く、OAP界隈には人も少なくて、入りがどうなる事かと思ったが、50人ほどの人が集まってくれて良かった。

('03.9.20)今日、CATVの人が、BSデジタルの設定に来てくれた。
「セットトップ・ボックス」という機器をアンテナ線につなぐと、そこまではデジタルで流れていて、D-VHSまたはブルーレイディスクプレーヤーがあればi-Linkで接続して、デジタル・ハイビジョン画質で録画できる。ディスプレイがハイビジョン対応であれば、D端子かコンポーネント端子があれば、ハイビジョン画質で見ることが出来る。我が家のサムソンの液晶ディスプレイはハイビジョン対応ではないし、D/コンポーネント端子がないので、通常画質(SD)のS端子で接続する。
 画像は美しく、何よりも音声に変なノイズが絡まない。「マジック・スプリッター」を通すと更に、音声が美しく鳴る。
 Wowowはすぐにアナログからデジタルへの切り替えが出来ないので、来週中という感じです。
 これで、エアチェックDVD-Rをメインのオーディオにつなぐ事が出来る。

('03.9.19)昨夜は、好きにせん会で東京に転勤するメンバーの壮行会。まだ30歳だからなあ、若いよなあ。前にお茶の水の山本さんと話してたように、20歳の体力と現在の頭脳があれば、ほとんど怖いもん無しなのだが。
 立ち飲みだし、しんどいから、ゆっくり行って早々に引き上げようと思ったが、いろんな人と話をしてるうちに、看板までいてしまった。意志弱いなあ。ま、いっか。
 それにしても昼間は暑いなあ。大阪は特に蒸すような気がする。とかなんとか言って、明日もC級グルメの飲み会。ま、にぎやかなのは良いことだ。

('03.9.18)CATVのサービスの方からいろいろと話を伺った。現行のアナログでやる限り、BSでも周波数変換などいろんな処理を経るので、ノイズは避けられない、とのこと。映像は大変良い状態だそうで、音声もおそらくこれ以上は無理だろう、とのこと。マンション内でも変な状態のTVを接続すれば、そこからノイズが全体に混入してしまうそうだ。アナログはこの20年来品質は変わっておらず、できれば余り本格的なオーディオで聞いて欲しくないのが本音。

 そこで、BSデジタルについて確認すると、今の同軸ケーブルでデジタル信号を室内の「セットトップボックス」まで送るのだそうだ。ボックスの映像出力はD3端子でデジタル出力、あるいはS端子でアナログ出力。音声はセットトップボックス内でアナログに変換してRCA出力、またはTOSリンクで光デジタル出力。ボックスのDAコンバーターなんて大したものじゃないだろうが、少なくとも現行のアナログよりは格段に良さそうだ。我が家の液晶ディスプレイには残念ながらD3端子は無いが、コンポジットしかない今に比べればS端子でも映像も改善されるだろう。
 ということで色々考えて、BSデジタルを申し込んだ。DVDで保存したいような番組は殆ど、WowWowとNHK BS2なので、これをデジタル化すればほぼ解決されるだろう。土曜日に工事に来てくれるが、さあどうなるか?音楽ライブをメインのオーディオで鳴らせるだろうか?

 地上波デジタルについては、まだ機器の方などはよく分からないらしいが、当分アナログ・デジタルは並行で放送されるので、選択になるようだ。BSデジタルとは機器も含めて、全く別ラインになるらしい。以前、BS導入の時に、3~4年いろいろ混乱もあり、落ち着いてから機器類を考えても遅くなさそうなので、機器類は今のまま行くことにする。

 さてさて今夜は好きにせん会で東京に転勤するメンバーの壮行会。立ち飲みはきついが参加する。パエッリャ食えるかな?

('03.9.17)以前から思っていたのだが、マンションのCATVにはもの凄くノイズが多い。9/3にアンテナ・アース絶縁回路を持つ分配器を入れて、画質もスッキリしたし、TVのスピーカーで聞く限りでは音は随分良くなった。それでも、アンプに出力して、オーディオ用のスピーカーで鳴らすとジュルジュル・バタバタという感じのビートっぽいノイズが聞こえるし、HDD-DVDレコーダーでDVD-Rに焼いてリビングのスピーカーで鳴らすと結構ノイズが乗っているのが分かる。
 市販のDVDを再生しても出ないし、CATVにつなぐと出るので、CATV回線側に問題があるのが分かる。ひょっとして、こちらの線の引き回しなら、むしろ解決策があるだろうから、喜ぶべき事だ。もし、マンションの共用設備の問題と言うことになると、どうしようもない。
 とりあえず、CATVのサービスマンに来てもらうよう依頼したが、どうなる事やら。地上波デジタルとか言っても、ノイズが出るなら艶消しも良いところだ。

('03.9.16)昨日は「音と戯れる会」の例会、内容も良かったが、雑誌に載ったこともあり初めての方ともいろいろお話しできて良かった。夜は、横浜でジョアン・ジルベルトのコンサート。言ってみれば、75歳のじーさんがギター一つ抱えて、ぼそぼそとボサノヴァをやるのだけれど、これは凄いコンサートだった。
 ポルトガル語とボサノヴァのちょっと緩い感じのせいで、結構音程が不安定なシンガーが多いのだけれど、ジョアンはぴしっと決める。しかも、力まずに。そして、絶妙のルパート=テンポの揺れ。同じ歌詞を3回繰り返すが、一つとして同じにはならない。そして、彼が声を低くして、サウダージ=切なさの底へ降りていくとき、僕らは息を潜めてそれを見守る。
 途中で体調が悪くなったのか、テージの上でジョアンが長い間、動かなくなり、荒い息でまたギターを弾きはじめたときには、何か歴史的瞬間だったような気もする。こういう特別な人には、何でも良いから長生きして欲しい。

 今日は横浜の元町をぶらつき、中華街のお粥やのじいさんと仲良くなり、商店街をぶらついて帰ってきた。

  『馬(マー)さんの店』の老馬(ラオマー)=馬じいさん。香港アメリカン大学の卒業生で、81歳。息子さんが同い年だそうで、「あんたの人相見ると、賢いし、お金には困らない。いいか、年取ってお金ちゃんと持ってなきゃいかんぞ。神様も貧乏人の見方はしてくれん。」と人生を教わり、「あんたにとびきりの愛人=アイレンを紹介してやる。」と言ってくれました。後の方は「大阪からきてるから」と言ってお断りしましたが。じーさんも長生きしてね。

 元町は平日なんで、人が少なくて、凄くゆったりした。今夜は、元町で買ってきたユーミンの「ミスリム」を聞いて、「マイノリティ・リポート」(中古激安DVD)を見よう。

('03.9.14)突然のようにどっと秋の気配。喉のことを除けば、一番好きな季節だ。風を感じながら日々暮らすことができる。
 今日は隣のギャラリーで、チェロのコンサート。いつも思うんだが、生音って決してエッジが立っているわけではない。演奏ノイズも含めて、生々しいからオーディオ再生ではエッジを立てに行くケースが多いが、それは陥りがちな問題だ。
 じゃあ、エレクトリックな楽器はどうなのか?これは難しい。コンサートではSR=サウンド・リインフォースメントと呼ばれるように、ミキサーその他で加工して、ホールの中にいかにいい音を響かせるかを工夫するので、これ自体を生音と呼ぶべきかどうか?となると、結局は再生する側のイメージに寄るところが大きくなる。
 結局は、再生する側のイメージが明確かどうかだと思う。

(p.s.)明日は、「音と戯れる会」で東京、ジョアン・ジルベルトのコンサートで横浜に行きますので、更新はお休み。


('03.9.13)
『ベルリン・天使の詩』にはまっている。ギャラリーの山本さんはマニアだが、あれはベンダースがビデオに付いているマイクでとったような音だ、と言っていた。が、違う。人々のつぶやきが重層的に、天使の移動に連れて移り変わっていくのが、はっきりと分かる細やかな音作りだ。天使があちこちに集まっている、図書館のシーンなどは、音楽が凄く効果的で感動した。もう夜も遅かったので、中断したが、小分けしてじっくり見るのも良い。
 でも夜は音楽を聞いたりするメインの時間だ。時間帯が重なってしまう。さりとて、遮光カーテンなどという無粋なものは絶対に使う気がないので、昼間はどうしても限界がある。うむ、困った。

('03.9.12)ナゴヤへ阪神タイガースの応援に行っている知人からチケットをもらい、”Yes”の日本ツアー初日に行く。実は2月の来日が流れて、今日はその代替公演でもある。千人近くの人が払い戻しもせず、半年以上待って平均年齢約60歳のバンドを聞きに来ることに、まず驚く。音楽の力は凄い。
 観客の年齢層は比較的高い。「こわれもの」が1971年の録音だから、往年のロックファンだろうが、結構若い人もいる。
 リック・ウエイクマンは相変わらずの長髪とロングコート。ショートカットにして小太りになったジョン・アンダーソンがひょこhyこ動き回るのが、パタリロに見えて可笑しかった。だけど、独特のハイノート・ヴォイスは健在。
 "Don't kill a tree. Don't kill a bee." スペイシーで、知的な音楽。ソリッドだが彼らの音はクリーンだ。クリス・スクワイアーの骨太なベースと、スティーブ・ハウの繊細なギター。正直言って、お約束の同窓会的なところもあったが、とても楽しかった。
 ただ、厚生年金は既に古い小屋なので席も狭く、僕には前後の間隔もきつい。阪神は負けて胴上げはお預けらしいが、こちらは良かったので、タクシーをおごって帰った。うむ。

('03.9.11)雑誌掲載を知らせるメールをあちこちに打ったら、久しぶりの人も含めて色々レスポンスあり。我が家へ呼ぶ人が増えて、これまた楽しい。

 昨日から少し腰が痛かったので、今日は出歩かず家にいた。新聞や雑誌、資料を読みながら、朝昼は音楽を聞き、スクリーンが届いたので、夜はホームシアターのチェックをしてみた。スクリーンはとりあえずレコードキャビネットの上に置いてみたが、このままでも十分に行けそうだ。マトリックスやブレードランナーを掛けてみる。はじめはややにじんでるなと思ったが、色々やってるうちにフォーカスが合ってきた。なかなかいい。特に細かい音が聞き取れるのが良い。ネオがパソコンの前で突っ伏して寝ているときに、バックでどんな音楽がかかっているのか、はじめて分かった。ただ、やはり低音過多傾向で、スーパーウーファーを一目盛り絞ったが、それでも結構応える。終わってからは、すぐに音楽を聞くモードには戻れなかった。

 驚いたのは、アナログWowWowから録画した『ベルリン・天使の詩』。6.6Mbps、リニアPCMという高規格で録画し、しかも白黒中心ということもあろうが、十分実用に耐える。そして音が凄い。いろんなつぶやきや町の音や細かい情報が、左右チャンネルに別れて一杯入っている。つまりTVで見たり、簡単なAVシステムで見るのでは、この映画の凄さを本当に見たことにはならない、ということだろう。なんて事だ、じゃあ、良い映画は結局ハイレートで録って、DVD-Rに焼き、ホームシアターで見なければならない。う~~む。DVD-RAMは保存データ用か?
 映像における音情報の大切さと凄さを思い知った。いい音でなければ、トータルとしての映像も結局はつぶさには味わえないのだ。

('03.9.10)本日発売の「オーディオ・ベーシック」誌28号に我が家が、というか大阪の3人の仲間の一人として僕のオーディオが掲載された。出てる本人が言うのも変だけれど、とても良い記事だと思う。自分に口当たりの良いことが書いてある、と言うことではなく、見る人が見れば分かるものは分かるのだ、という感じの内容だからだ。
 今回、自分の立ってる位置みたいなものが随分よく見えてきたし、見方に幅ができてきたと思う。メールでやり取りし合う仲間も増えてきた。今回もこの記事をネタにいろんな人を我が家にお招きして、いろいろ話をすることができる。なかなか幸せなことだとしみじみ思う。

('03.9.9)「真昼の月」

それは泡沫(ウタカタ)のごとく
しかしはるかに近く
また遙かに遠く
雨の中、頬を伝う涙のように
紛れるかに見えて、紛れもなく
見えるものだけが存在しているのではない事を伝えながら
空にかかり続けている窓。


 大谷事務所での2日目の作業の帰り、OAPの彫刻の小道の入り口で、ボサノヴァをギターでつま弾く人がいた。暗い中、楽譜もなく、かなりの腕前。すこし立ち止まって耳を傾けた。練習の邪魔になっても行けないので、早々に引き上げたが、何かとても得をしたような嬉しい気分だった。15日のジョアンはどんなだろうか。

('03.9.8)スモークチキンは美味しいが、毎晩これで一杯やってた日にはブタるのは目に見えている。そこで、食事の中に取り込むことにし、帝国ホテルの新しいバゲット(ペイザンヌ)を買ってきて、コールド・ターキーならぬコールド・チキン・サンドイッチでブランチする。旨い。
 いろいろと溜まった新聞や資料をやっつけながら、あることに気づいて愕然とする。先日図書館から借りた本をまだ1冊しか読破していない。期限延長するにしても、読み切れるかどうか。いろいろやることが多すぎて状態になっているが、やめるつもりはさらさら無い。時間を有効利用して、工夫しよう。この間、自分の中をながれていくいろいろな情報の質と量は以前より随分変わってきたのだから、この路線でいいと思う。
 市の先輩から上映会の関係でメールを頂いた。市役所に顔を出せとのうれしいメッセージ。ややこしい時期だが、この10日に我が家が載っている『オーディオ・ベーシック』が発刊されるので、それを持って遊びに行こうと思う。
 今夜は大谷玲子事務所でHPメンテと後援会報発送のための作業を手伝う。

('03.9.7)何とか眠れたので、ほぼ復活。友人が来て、ひとしきり話をする。上映会で残った日本酒の辛口の方をじゃんけんで勝ち取る。まだ修行が足りんよ、いつでもかかってきなさい、なんちゃって。
 夕方、日本橋へプロジェクターを買いに行く。旧型だが、十分な性能でかなり安くなっている。第一小さくて凄く軽い。
 スクリーンは組立型の新しいのが出ており、それを使えばインテリアも殆ど触らずに上から吊したワイヤーに掛けるだけなので、本体だけ持ち帰ってサイズを確認してから発注することにした。
 壁に『マトリックス』を写してみる。やはりスクリーンのような鮮明さは出ない。オーディオ優先でスピーカーの間に納めなくてはならないので、70インチのハイビジョンサイズのワイド型に決定。シネサイズの16:9でもまあ十分な大きさだと思う。冷却ファンの音も余り気にならない。
 音は当然2チャンネルで行く。はっきり言って、梅田のブルク7よりはずっとナチュラルな音だと思う。デジタルになってから、特に低音の品位は堕落した。常に鳴ってる低音なんて疲れるだけだ。ズコバコ量出しゃあいいってもんじゃない。
 よっしゃ、ホームシアター一丁上がり。前に思ってたのより、かなり安く上がったので良しとして、友人からもらったスモーク・チキンで一杯やる。旨い。感謝。

('03.9.6)昨夜の上映会は無事終了。僕はパーティー会場と、そのセッティング担当になったのでスタッフにお願いして、食材を出して、お酒関係の段取りを調整する。早めにやっても結局ジャストインタイム。音響の方もパーティーとしては、結構クールでハイな方向に持って行けたと思うが、まあいろいろ味見もできたし。
 
 今回の収穫の一つは大画面投射映像の面白さが分かったことと、映像・音響のプロにいろいろ教えて頂けたこと。その方のHPの日記にはこんな1節があった。
 『.映像作品の、オーディオ部分だけで感動することはありえる。....(中略 ).......
 その逆で、映像作品の、画像部分だけを見て感動することは、まずないと思う。映像にとって、音は「感動」をつかさどるとても大切な部分だ。』
 今回、2日間音響を担当させてもらって、その辺りが実感として分かったことは、得難い経験だと思う。
 明日はプロジェクターを買いに行こう。

('03.9.4)上映会の主賓ワールドメディアフェスティバルのKojo Chinbuah氏がハンブルクから着く。アテンドのサポートを頼まれたので一緒にホテルに迎えに行く。頭は英語に切り替えつつあるが耳がすぐについていかない。一旦休憩後、ランチしながら打ち合わせ。ガーナ生まれなので、母国語は部族の言葉なのだろうが、公用語が英語でロンドンの大学を出ておられるので、パリパリの英語を期待していたら、結構ブロークンな感じで逆にとまどった。しかし話しながらマルチ言語・文化環境という事を考えざるを得なかった。ドイツ人と結婚し、別途システム関係の会社を経営して、世界中を飛び回っている。多文化環境で意志疎通を図ることが必要なら、端的な表現がむしろ適切だし、それで十分なのだ。
 僕らはもっと多様性の中で柔軟性を身につけなければならない。分かっているのだろうけれど、経験がものをいう世界だからね。勉強になって良かったと思う。
 いよいよ明日は上映会とパーティー。


('03.9.3)HDD-DVDレコーダーにいろいろ録画して分かったのだが、マンションのCATVからハム雑音が乗る。テレビの付属スピーカーで聞いてもよく分からないが、外部アンプ+スピーカーで聞くとはっきりと分かる。市販DVDではノイズは出ない。これは送り出し側の問題というよりも、マンションの共聴設備の問題だと思う。実は元カウンターポイントのマイケル・エリオットのHPで、この問題が指摘されていたので、75Ω~300Ωの変換トランスを2個ずつ300Ω側でハンダ付けして、即席のノイズカットトランスを作っておいたのだが、Hi-8やVHSでは全体のノイズに埋もれて今ひとつ分からなかったのが、デジタル化されて分かったというわけだ。

 せっかく音楽番組を録っても興ざめだが、当面しかたたないと思いながら、シカゴのミュージック・ダイレクトのカタログを見ていたら、Mondialというメーカーのアンテナ・アースの絶縁回路アダプタが載っていた。うちはHDD-DVDレコーダーとCATVの2系統必要なので、Magic Splitterというのを注文した。通常の分岐機では相互干渉が起こるが、これはそれも防止するとのことだ。134.99ドル+送料。

 開けてみると本体は写真の通り入力1個、出力2個のF型ジャックとアース端子を持っており、30cm程度の同軸ケーブルが添付されていた。アンテナからのケーブルは多少長くなっても、本体は機器ラック内に置いて、最短距離で機器と結ぶのが正しい設置方法。

 結果は大成功!TVのスピーカーで聞いても雑音は減ってスッキリした音になっている。しかも映像も綺麗になった。
  デジタルになっても、いままでの同軸設備で送られる限り、雑音は改善されるないだろう。しかもこの絶縁回路は1,000Mhzまでの高周波に対応するので、デジタル化されても伝送スピードには問題がないと思う。
 マンションでの設備共用はやはり問題が多い。マンション居住の映像マニアの皆様に、お勧めする次第。

('03.9.2)午前中はアダプタの交換品が届いたので、IP電話の設定。今度はパスワードもすっと入る。子機でご近所へ掛けてみると、以前はノイズが入っていたのが綺麗に聞こえるという。早速、仙台へのレコードの発注に使う。3分8円。ところが、親機で掛けると、ノイズが出る。原因が分からないので、困ったものだ。

 夕方から「マトリックス・リローデッド」を見に行く。
 キーワードはWhy?「なぜ?」、Reason「理由」 & Choice「選択」。勿論、自己実現と愛するものを守るために戦うのだが、単に勝てば、生きればいいというものではない。見終わっても、いくつかのWhy?が頭の中を駆けめぐる?

 最も重要な、「ソース」でのマトリックスの「設計者」(アーキテクト)との対話の場面。
当初のマトリックスは完璧な計算だったが、完璧さを求めすぎて大失敗。そして、結局はシステムの操り人形だった「預言者」(オラクル)が直感の重要性、より低い知性の必要性を発見する。そして、「選択」をマトリックスの中に、取り込む事によりシステムの安定を実現するが、一方でそれはネオのようなシステミック・アノーマリー(例外=変則者)を生み、システム崩壊の可能性も生じる。
そして、ネオは予測可能であるし、コントロール可能な存在であり、容赦なくここ=ソースへ導かれた。ネオ自身のコードをシステムの中にまき散らすために。
ザイオンの破壊と再生はこれが初めてではない。ネオが6代目の救世主。そして救世主は17人の女と、8人の男を連れてザイオンを再建する。これまでの救世主は人類愛を持っていて、機械達はそれを利用したが、ネオは特定の愛を強く持っている。そしてトリニティーの危機を目前に、ザイオンの救出へつながるドアか、トリニティーのいるところにつながるドアか、ネオに選択を迫る。

(疑問1)マトリックスは人間から生体電気エネルギーを調達するためのものだと一作目で説明されているが、核融合以外になぜこんな大層なものが必要なのか?設計者が言うように、人間なしでやっていくことも機械=AIたちにとって可能なら、なぜ厄介な人間を抱えたシステムを採用するのか?
 機械=AIたちはなぜ人間を本当に必要とするのか?

(疑問2)もしエネルギーのためのシステムなら、人間の意識をなぜこれほどまでに重要視するのか?

(疑問3)エネルギーシステムの確保だけならば、ザイオンは無くなった方が機械=AI(人工知能)たちには都合が良いはずだ?なのに、なぜザイオンの再建を何度も許すのか?

(疑問4)ネオは疑問を持ち、人類救出という使命を持たされて、導かれてきた。それは、救世主あるいはネオに何かをさせるためではないのか?機械達は何かネオから得たいものがあり、そのために彼を誘導しているのではないか?ひょっとしたら、遺伝的に注意深く彼を作ったのかもしれない。

(疑問5)マトリックスの「設計者」(アーキテクト)が、トリニティーへの愛を選ぶ方へ誘導しようとするのはなぜか?

(疑問6)ネオがトリニティー救出のために「ソース」つまりメインフレーム=マスターコンピューターのビルを破壊したのに、なぜマトリックスは機能しているのか?キーメイカーが告げた情報は不完全なものではないのか?

(疑問7)ネオのコードが一部上書きされて復活し、エージェントで無くなったスミスも当然、システミック・アノーマリーになるはずだが、なぜ彼は自己増殖し、自由に動けるのか?ソースのバックドアという重要な場所でなぜネオ達を待ちかまえていたのか?スミスのマトリックス内での本当の位置づけと役割は何か?

(疑問8)スミスが寄生または憑依したべインはなぜ最初にネオを殺そうとしなかったのか?彼がザイオンへの侵入を手引きしたのだろうが、なぜ一人生き残ったのか?
 
 これは思いつきだが、機械達は人間を利用しながら人間とは別の道を選ぼうとしているのではないか?そんな気がする。他にも色々ななぜ?が渦巻いている。さび付いていた細胞を久しぶりに使ったみたいで、ワクワクする。

('03.9.1)「音と戯れる会」は盛りだくさんかつ濃い内容で堪能した。翌日は秋葉原へ買い物に行きがてら、立ち寄ったオーディオ店の店長と話し込んだりして、横浜へは寄らず帰ってきた。
 いろいろと思いつくことや、考えることもあったりして収穫多い東京行きだった。
('03.8.30)昼間に次回上映会のパーティーの料理等の打ち合わせで、インド料理店に。テイクアウトで半額になる。
 夕方は阿倍野のカトリック教会で以前少しいた合唱団の定期演奏会。ヴィクトリアのミサがとても良かった。観客人数さえもうすこし少なければ、となりのギャラリーでできるのだが。
 明日は「音と戯れる会」で東京に行きますので、更新はお休み。

('03.8.29)二回目の上映会が終わった。今日の人数は少なかったが、なかなかいい映像だったと思う。音は殆ど瞬間瞬間で判断しているのだけれど、暖かくかつ柔らかい音を心がけたつもりだ。
 「音は目に見えないから分からない。」と、今日映像担当の人が言ったが、だからこそ面白いのだと思う。一緒に叫び声を上げたいような音や、はね回りたいような音をあなたは定義できるだろうか?要は、感覚の問題だと思う。それにしても、僕らは滅び行く人種なんだろうな。それでいいんだと、思ってはいるのだが。

('03.8.28)明日の上映会で使うCDに一枚付け加えた。
キース・ジャレットの「メロディ・アットナイト・ウイズ・ユー」。大病で死にかけたキースが病癒えて自宅のスタジオで録音したピアノソロ。生きていることを確かめるように一つ一つの音を慈しみながら弾くキース。一曲目の「アイ・ラブユー・ポギー」でもう涙が出そうになってくる。
 献辞は奥さんに捧げられている。「ローズ・アンに。彼女は音楽に耳を傾け、それから僕にそれを与え返してくれた。」
 いつか僕も何かにこんな献辞を書いてみたいものだ。一つは母に。母が毎日病院に来てくれた姿を僕は忘れない。もう一つは果たして届くだろうか。果てさて、「溶けたものやら、凍ったものやら。」(Joni Mitchel)

('03.8.27)いろいろと雑用を片づけ、昼からは隣のギャラリーをのぞき、都島図書館に行く。メールお知らせが来てたのが1冊だけだったので、鞄も持たずに行ったのだが、5冊も来ていた。パソコンで見たら結構予約入ってた本もあるのに、嬉しい誤算で両手で抱いて帰る。株式市場の本、みずほのシステム障害の本、ヴァイオリンの本、服部真澄の「バカラ」、どれも面白くてどれから読もうか迷ってしまう。他の読みかけの本や雑誌も多々あるのに。教訓。パソコンで予約するときは、毎週1/2~1回くらいの少しづつのペースが一番良い。

('03.8.26)図書館から取り寄せした本が入ったとのメールあり。おそらくメアドの関係だろうが、メールが届かずに引き取りの期限切れになっていたケースがあり、別名で登録したら上手く届いたというわけ。借りた本の方が期限があるだけに集中して良く読む。買ってしまうと、安心して読まなくなってしまう。うまく使い分けしないと、結局時間とお金の無駄になりかねないが、実行はなかなか難しい。とばし読みにも結構集中力がいる。それにしても自宅で本の貸出予約ができるなんて、有り難い時代になったものだ。

 昼から銀行に行き相談をする。1年はあっという間にたち、次をどうしていくか考えなければならない。株式や外貨の投資にしてもプロは必ず何らかのリスクヘッジを掛ける。それもなしでマーケットに丸腰で出て行くのは無謀だ。しかし、今よく売れているグローバル・ソブリン・オープンの例を見ても、分配金があるというだけで、詳しいことも知らずに買う人が大部分だ。為替ヘッジを全くしていない外債ファンドでは、マーケット次第では円ベースの分配金すら保証されない。
 深く考えずに人と同じ事をしていたら、どこかで痛い目に遭いかねない。リスクは認識しようとしているからリスクなのであって、目を閉じるのは単なる運頼みだ。といっても読めないのがリスクだ。だから最悪の場合の対応も考えておかねばならない。要するにオーストラリアやニュージーランドのワインや製品を買い、旅行でお金を使ってくる、というようなことも含めて。

('03.8.25)朝、修理が終わった東芝のHDD-DVDレコーダーが届けられた。結局3枚のDVD-RAMが認識されない。うち2枚はパソコンのドライブで難なく開けるのだが。おそらく、最初にミスリードしたときの情報がライブラリ情報か何かの形で残っていて、無限ループに陥っていたのだろう。パソコン側でこれをコピーしたりして、何らかの形でリカバリできないかやってみよう。

 ノートとデスクトップとの連携はうまくいっていて、ショートカット一発で共有を掛けたファイルがお互いに読めるし、画像などでもスピードは申し分ない。
 などとやっていたら、いつの間にかデスクトップ上のあるプログラムのアイコンが変わっていて、呼び出せない。その直前に動いていた「デスクトップのアイコン・クリーンナップ」ウイザードの仕業だ。また余計な時間がかかってしまう。大体が、ウインドウズのウイザードにはろくなものがない。OpenOffice.orgの表計算ソフトなど、エクセルとほぼ同機能なのに、あんなにファイルサイズは小さい。オフィスのサイズのどでかさを思うと、ため息が出る。
 マイクロソフトも500億ドルもの資金をため込み、あれもこれもと赤字の事業をやる前にもっと考えることがあるだろうに。

('03.8.24)暑い。ジョン・コルトレーンが肝臓癌で死んだのは、35年前の夏、1978年7月17日。同じようにくそ暑かった日だ。
 思えば、就職してレコードを買えるようになって集め始めているときに、あっという間に勝手に死んじまったという感じで、当時は情報も少なく、来日公演にも行けなかった僕は、同時代感など味わうヒマもほとんど無かったというわけだ。
 トレーンにジャズの洗礼を授けられたおかげで、未だにメインストリームのジャズには殆ど興味がない。コードお構いなしの丁々発止のフリーな即興がなければ、聞く気にならないし、ビッグバンドなど、ギル・エヴァンスやジャコ・パスが耐えられる限界だ。チャーリーパーカーが一枚もないのはジャズファンの名前に値しないかもしれないが、僕にはどうでも良い。勿論、バードは凄いと思っているのだけれど。

 マイルスの影響も大きいが、それはジャズ的な、音楽的なものだ。でもトレーンのそれは違う。いわば心の姿勢の問題だ。要するにスピリチュアルなものに感動するか、スピリチュアルであろうとするか、ということだと思う。僕はそういうことを感じ続ける人間でありたい。

 EMTのHSD-6は、その辺りの音が濃く太く強く出てくれないかという期待を持って買ったのだが、今のところその期待に応えてくれる気配はない。ふう~。暑い。shit!

('03.8.23)昨日の上映会の続き。
 「音」の力を再認識した。劇伴などという言い方があるが、映像も浸透力のある音が伴って、感動が倍加する。あのギャラリーは音的には上映会場に適しているとはいえない。昨日も、もっとドライな響きだったら、もっ豊かな情報量の多い音が作れるのに、と思いつつ、あえてleanな、つまり痩せた音をまとめていたのだが、それでもレベルとトーンのバランスだけで、表情がまるで変わってくる。スライド上映の時は、説明者が詰まったり、間が空いたりするので、BGMの継続的な鳴らし方で、かなり印象が変わる。このへんはセンスの問題なので、言葉では説明できない。要はよく見分けのつく耳と、こういうふうに響かせたいというイメージと、指がそれに連れて動くか、という事だけだ。次回に向けてCDも選び直そう。

 でも大画面映像はやっぱり面白いな。ホームシアターも面白そうだが、果たしてソースがどれだけあるかなど、条件をよく考えなくては。それに、音とのバランスもあるだろうし。

('03.8.22)上映会が無事に終わってほっとした。今回、音響を触ってよく分かったのだが、このギャラリーでは200Hzあたりの音をどう制御するかが分かれ目みたいな所がある。各メディアによって録音レベルの差があるのは勿論、余りふくらまない様に、しかしカリカリしすぎないように、ナチュラルにマメにボリュームを触らないと行けない。

  はじめから分かっていればプリセットもできるが、都度都度というのは結構スリリングだ。まあ、こんんあものだと思いつつ進めていく。常にマイクに向かってしゃべらない人が相手ならそういう前提でレベルを組まないと行けないのだが、分かっているのだろうか?あのギターのピッキングの音が懐深く聞こえたのを分かっている人なんてほとんどいないんだろうな、と思いつつトータルとしてネガティブな意見が聞こえてこなければそれでよしとしよう。

('03.8.21)かなり寝て何とか持ち直してきた。昼から久しぶりにクレオ中央に顔を出す。みんな元気でやっている様子。上映会のPRも重ねてしておく。図書室でエミリ・ディキンソンの英語と日本語の絵本を借りたかったのだが、まだ貸出できないと聞きがっかりする。久しぶりに「麦の花」でトラディショナル・バケットなどを買う。明日は久しぶりにパンで朝食。

 その後、塗料を買い足しに東急ハンズへ言ったら、金具が届いているとのこと。期待してなかったので塗装の仕上げだけだと思ってゆっくりしてたのに、金具を着けるとなると時間がかかる。急いで帰って、日が沈むのと競争して作業する。塗装は明日最終確認しよう。水性だが夏だしすぐ乾燥するだろう。

 疲れたので自分で夕食を作る気にならず、近くのバールで冷え冷えのビールと熱々のグリエールチーズ入りペンネ・アラビアータ。ペンネのメーカーを替えたのでどうかと感想を聞かれ、少し柔いと答える。もう一人の女の子も同じ感想だった。マスターは気にして、再起を期すのでまた食いに来てくれと言う。実は飲食業で一番難しいのが、同じ味を保つことだ。盗み見で、プロシュート(生ハム)とトマトのパニーニ(サンドイッチ)の作り方も覚えてきた。フィセル(小さいバゲット)を使い、オリーブオイルと胡椒、イタリアン・パセリ。パンチェッタ(生ベーコン)が家にあるから、それで試してみようか。
 今日も早めに寝るぞと思いながら、忘れていた名簿作り。むにゅ。

('03.8.20)午後から、明後日に迫ったアートコートフィルム上映会の打ち合わせ。まだ予約は少ないが、ハンブルクから映像フェスティヴァルの主催者が来日参加する話もあり、なかなか面白くなってきた。それにつけても、こういう催しは機材がいろいろと必要だし、ノウハウも必要だ。

 まあ、風邪気味なので今夜は早く寝よう。

('03.8.19)コンピュータウイルスの関係で相談を受ける。気になったのはその方が、アンチウイルスソフトを「ワクチンソフト」と呼び、感染してから使うものと思っておられたこと。ごく普通の感覚なのだろう。
 確かにそれで常時接続などしていたら餌食になるのが当たり前だ。今回のウイルスも1年半近く前に発見対応済みのもので、メール経由でとはいえ、それに今頃感染するということ自体が、いかに無防備なマシンが多数あるかという実態を物語っている。
 しかしメーカーも販売店もアンチウイルスソフトやファイアーウオールを必需品だとはっきり言わないのが一番の問題だ。マイクロソフトでさえ最近ようやくマニュアルにも書くようになってきたぐらいだが、確かにどのソフトを選ぶかはユーザーの自由であり、DELLの様に60日間試用版を着けるのも一つのやり方だが、本格的なインストールををきっちり促すべきだ。ま、インターネットは使いやすいというイメージが損なわれると売り上げに響くからだろうが、結局はトータルとしてのコストの削減につながると思う。

 MSブラストも作成者が攻撃そのものを目的としていないため、ネット障害などには至らなかったが、マイクロソフトも150万通以上のメールで警告を発しており、努力しなかったとは言えないくらいだ。アップデートについては企業も個人も対応はお寒いらしい。
 Vulnerability=ヴァルネラビリティ、つまり脆弱性。この社会が電子化していけば行くほど、脆弱性も高まる。

('03.8.18)HDD-DVDレコーダーが故障したので、東芝から引き取りに来る。来週火曜日にはP.メセニー、K.ジャレットのライブの放送があり、何とか月曜中に返してもらうよう重々お願いする。IP電話用のVoIPアダプタも故障したので、販売店に送り返す。
 故障ばかり続いてどうも冴えない。こういうときは自分も故障しないよう、気を付けなければ。

 昨日持ち帰った、スピーカーベースの製作にかかるが、金具の件の返事が東急ハンズから来ない。催促すると、それから調べた様子で、「間に合うかどうか分からない」と言う。だから何度も頼んだのに。Sigh!
 ま、最悪対処法は考えてある。かっこ悪いが仕方がない。

 昼食がてら本屋さんに寄ると、まだ8月号も読み終えてないのに、9月号が出ている。う~~焦る。

('03.8.17)いろいろメールを書いたりしてから、午後東急ハンズに行く。インチネジの関係で、金具の手配がなかなか上手くかみ合わない。もっと早く行っとけば良かったとも思ったが、今更言っても始まらない。時間がないので見切り発車で図面を書き、あれやこれや買い集めて、カットしてもらった木材と一緒にタクシーに載せて帰る。

 明日から製作にかかろう。問題はスプレーでやる塗装とか下地の仕上げだなあ。ベランダは限界あるしなあ。宝塚の時のように、マンションの庭の一角を借りてというわけにも行かないし。ま、これまでも、やってきたんだから、工夫しながらやることにしよう。
 
 ドイツのことを調べてみると、ワイン作りの北限に近い地域だというのが分かってきた。気候は赤ワイン用の黒葡萄を色づかせるのに必要な日照を得るには足りず、土地は荒れて乾燥している。少しでも糖度を上げるため、収穫時期をぎりぎりまで送らせる我慢と努力のワイン作り。だから、ドイツワインは初心者用の甘口白ワインぐらいしかない、というのは、地域のワイナリーの苦労を知らない言い方になる。フランスでもアルザスなどドイツに隣接している地域では、ドイツ種葡萄の王様リースリングやシルヴァネーの良いワインが出来るし、僕の大好きなゲビュルツトラミネールもドイツ種の葡萄だ。2匹の猫や聖母の乳は置いといて、質の良いストレートなドイツワインを飲みたくなってきた。ベルギービールもだけど。

('03.8.16)オーディオ仲間がアンプを持って遊びに来てくれた。ま、もともと僕はそういう傾向だが、先月2日間ご一緒して音を聞き合っただけで、もう以前から知っているような気分。

 もう30年余り前、100万円級のアンプとして鮮烈なデビューを果たしたあこがれの名機を家で聞ける幸せ。(→オーディオ日記)
 さて、明日からは東急ハンズに行って、上映会の準備をせねばならぬ。安定した設置をするためのスパイクはアメリカから届いた。同じ塗料がないかもしれないが、それは何とかなるだろう。とりあえず、取りかかる。

('03.8.15)修理の終わった電源がやっと届く。前と同じような所を修理しているそうで、これからもあるかも知れぬ。ふう~。
 音はいい。こうでなくっちゃ。

 日経にワーム"W32 Blaster"のせいで、インターネットが止まるかもしれない、との記事。そういえばここ何日かWindows Updateのサイトへのアクセスがかなりビジーになっていた。世界には対ウイルスソフトさえインストールしてないマシンが山ほどあるから、当然被害は発生するだろう。知恵や金を惜しむようなそんなマシンはネットに接続すべきでないのに、実際は増え続ける。
 明日は、先月知り合ったオーディオ仲間がアンプを抱えて遊びに来てくれる。今夜は早く寝ようと思ったのに、午前0時のマイクロソフト攻撃が気になるので、寝るのはそれから。やれやれ。

('03.8.14)雨。それも結構激しい雨。 It's a hard rain.
 昨夜届いたEMTのカートリッジを聞く。慣らし運転をしてこれから本領発揮という感じで、まだまだ。(→オーディオ日記)

 DELLのノートはOffice2000をインストールできなかった他は、ほぼイメージ通りの環境に設定できたと思う。まあ、マイクロソフトを儲けさせるのもしゃくなので、SunのHPからOpenOffice.orgをダウンロードして使うことにした。今後、Linuxを使うにもその方がなじみが良い。
 Windows XPのネットワーク設定ウイザードは最低の代物なので、全て個別にNetBEUIを使いながらLANを組む。セキュリティ上もその方がベターだし。
 
 今日のホットワイヤード(Hotwired)のメルマガを見ると、ファイル交換など音楽関係の話ばかり。興味深かったのはアメリカでCDの45%を買っている35歳以上の層が、購入を減らしている最大の理由は「買いたいCDが少ないから」だそうだ。最近のアメリカの音楽シーンには詳しくないが、どうも日本と同じような事が起こっているのではないか、という気がする。
 音楽の情報=データ化→消費サイクルのスピードアップ→音楽への欲求の低下←「音」の貧困化
 映像とセットでMTV化して提供される機会も多いので、そちらに引きずられている面もあると思う。3ヶ月で全てが入れ替わるというのは、パソコンの世界でも嫌がられつつある。人間、ゆっくりと暖めたいときだってある。
 でも、この傾向は止まらないだろう。 Think Big! Act Local!

('03.8.13)手違いでCSEの電源が帰ってくるのが15日金曜日になった。くそっ。いや、グスッ。

 仕方がないので、DELLから届いたノートの環境設定に取りかかる。昔は新しいマシンを手にするときはワクワクしたのだが、今は道具(ギア)としての感覚なので、それほどでもない。
 さて、僕の考えるやり方でネットワーク上のデスクトップとやりとりできるだろうか?

('03.8.12)「ペルセウス座流星群へのオマージュ」

流星とは何であるのか?
求めているのは天文学的な答えではない。
宇宙のチリが地球の大気との摩擦で光を出すなどとは聞きたくもない。
あるいは吉凶の兆しの星読みでもない。
世迷い言は既に星の数ほどもこの世界に溢れている。
答えは流れていこうとして、過ぎていこうとしているこの時間の中にある。

物理的には等しく与えられているはずの僕らの時間の長さは、一体何で測られるのだろう?
それを受け止め、感じ、いとおしむ心がなければ、過ぎていく時間は、あっという間に過去になるただの時間だ。
物理的経過時間 × 心のゆとり = 過ぎていく時間の主観的価値
というのは、バイクの後部座席で「ワーフー!」と叫ぶアインシュタインも、唇の片方を上げながら認める公式やもしれぬ。

流星とは頭(こうべ)を高く上げて、宙を、空を、ソラを見上げさせるための、先触れである。
それは果たして、君の心の中に美しく尾を引くのだろうか?

('03.8.11)ホームシアターについて知りたいという友人が今度来るので、液晶ディスプレイをスピーカーの真ん中に置いて色々やってみた。DVD音声はマランツSA-12S1の設定で、リニアPCMミックスでLRに振り分ける。
 オーディオの方が本調子ではなく、D-Cubeも使ってないのだが、「マトリックス」など掛けてみると、効果音が凄い迫力で非常に面白い。
 モニターが17インチのコンピュータ・ディスプレイなので、映像的にはいまいちだが、これで大画面ならまた一段と楽しいだろう。AVにはまる人の気持ちが分かる気がした。これからも時々やってみよう。オペラなんかも面白いかも。

('03.8.10)昨日はDVD-Rをせっせと焼く一方、楽しみながらDVDケース用の表紙をいろいろ作ったりした。人に渡すのも楽しい。そんなこんなで機嫌良くやってたら、夜になってディスクを一切認識しなくなった。トレイが空でも「ディスクをチェックしてください」。また、修理を呼ぶしかない。一昨日は気前よく無料でDVDドライブを交換してくれたが、松下製のDVDドライブは何か問題を抱えているのだろうか。あるいは、いろんな操作をしていくと、プログラムが対応できずに、バグってくるのだろうか。困ったモンだ。

 まあ、人に渡す分や、上げる分は大体できているので良かったが。喜んでくれるだろうか。どんな顔をするだろうか。

('03.8.9)DVD-Rを焼くのも微妙なモノで、焼き上がりをチェックしないと、やはり不安が残る。マシンがちゃんと認識するかどうかが第一歩で、その点単機能のコンピューターといえども、レコーダーはソフト的に頼りない気がする。まあ、せっせと動いているが。

 最近、和歌山産などで、ロケットとかガーネットという細長いミニトマトが打っているが、フルーツトマトに近い感じでパスタソースになかなかいい。といっても、フルーツトマトのように皮ごと炒めるというわけにも行かず、湯むきは必要だが、プチトマトの皮むきに比べればまだ疲労感が少ない。こういう美味しい食材が増えて欲しいものだ。

('03.8.8)HDD-DVDレコーダーの故障はDVDドライブユニットを交換して、無事完了した。といってもある特定のDVDーRAMディスクについては認証・書き込み出来ず、そのディスクを取り出そうとすると、トレイ不良の警告が出て、再起動しないと取り出しも出来ない。おそらく、何か変な書き込みやライブラリ情報データが作成されているのだろう。このディスクのデータをHDDに書き戻しておいたので、もう一度ディスクを焼いて今後はそちらを使うことにする。
 いろいろと、DVD-Rも焼かなければ行けないので、今夜はずっと回りっぱなしになる。

 上映会に向けてスピーカー位置を上げないと行けないので、東急ハンズで材料を見るが、いずれも不安定そうだ。結局箱を作って、スタンドを丸毎立ち上げる方法を考えなければ行けないが、単に載せるだけでは箱が共鳴して、せっかく抑えた低音がまた響き出す。もう少し考えることにする。

('03.8.7)HDD-DVDレコーダーが故障して、DVDのトレイが動かなくなってしまった。修理に出したら2週間はかかるだろうし、その間の空白の方が痛いので、背に腹は替えられず出張サービスを依頼する。まあ、HDDは動いてるので、録画は出来そうで不幸中の幸い。

 IP電話用のアダプタが届いていたので、気分が落ち着いている今日接続してみた。アダプタ経由でウェブに接続できたので、よしよしとブラウザでアダプタの設定に行ったら、マニュアルに書いてあるパスワードを受け付けない。こんな事何でだよ、とぶっちぎれてNTTに電話しようと思ったら、受付時間外。

 これからの時代、接続できるかどうかが、事の立ち上がりの成否の鍵になるんだろうな。やれやれ。

('03.8.6)昨日は隣のギャラリーで、8月22日からのヨーロッパ短編フィルムの上映会の試写会。一番問題なのは、ギャラリーの残響が長すぎてナレーションが聞き取りにくいことだが、手持ちのフォステクスFE103でほぼ読み通りに調整できた。マランツSA12S1はフィリップス設計だけあって、PALも綺麗に再生するし、基本的にはOK。細部は準備がいくつかあるが、まあ何とかなるだろう。
 
 ドック入りしていた電源が13日夜には帰ってくることになった。来週には音楽が聴ける。禁断症状で最近は集中力が低下して、切れやすく(?)なってきたので、助かる。やれやれ。

('03.8.5)今一番聞きたい音楽は何かと聞かれれば、武満徹とバルトークと答えるだろう。非西欧的な先鋭な音達だが、一方が透明な叙情を持てば、もう一方は遠く民族的な調べを奏でる。
 一つの音が他の音を生起する。その間の感覚が何とも言えない緊張と快感をもたらす。自分が非西欧の文化圏の人間であることを、つくづく思い知る。
 でも電源達が帰ってきても、こんな音を出すまでにおそらく1週間はかかるだろう。いやはや、音というのは形がないだけに、うつろうものだけに、始末に負えないし、センスの出番ともあいなる。感覚の冒険へ早く出かけたいものだ。
 (いつも思うんだが、僕が死んだらこのシステムも死ぬだろう。個々の機械達は勿論生きているのだけれど、全体は個の総和ではない。そして、それで良いのだ。)
 
 まあ、朝日美穂やソウライヴなんかも早く聞きたいんだけど。

('03.8.4)ここ何日か見知らぬ人からメールが来るケースが多い。オーディオ日記にあったケーブルの接続方法問い合わせだとか、この日記に書いていたライブ録画をダビングしたいとか。ライブ録画の件は気になってGoogleで検索してみたら、何と検索結果の1ページ目にこのHPが出てくるではないか?
 Yahooには申請してないが、他の検索エンジンに登録されてはいるのは知っていた。それでもこう続くと「公開」ということの意味を考えざるを得ない。HPのおかげでいろんな人と比較的スムースに人間関係が作れたりするのは、大きなメリットだ。しかし、一方で知らない人も見ているのも事実。ま、こちらもどんどん人のHPを見ているんだから、相身互いなんだが、最終的には本人のバランス感覚だ。Webの糸にからまる自分というものを実感する。マトリックスの2作目はまだ見てないが、トリニティーのせりふを思い出すよ。 Dodge this!(「よけてみな!」)

('03.8.3)物覚えの悪い人というのは、救いがたいと思うときがある。というより、気にかけていないんだろう。
 Happy go lucky.  いくらなんでも少し寂しいが、ま、今さらどっちでもいいや。

 音楽が聴けないのが、少しつらくなってきた。気持ちの持って行きどころがない、という感じかな。
 そんなこんなで、今夜は韮とグリエールチーズのペンネ。勿論、オリジナル。韮とか葱には不思議な力があって、油の味をあっという間にニュートラルな感じにしてしまう。葱油しかり。グリエールも柔らかいので、フライパンの底に溶けてくっついてしまいがち。だから、韮をどのタイミングでフライパンに入れ、いつ塩をして、グリエールをどこに入れるかが、殆どノウハウの全て。大体分かったけどね。
 
('03.8.2)クリニックで採血。3ヶ月毎の検査。今度はどれだけ数値が下がっているだろうか。
 絶食後だが軽目の食事の後、お気に入りの天王寺のHoopをぶらつく。これもお気に入りの「和」の店で、それぞれ微妙な色合いと形のアイボリー、チャコールの花器を買う。本当はソフィー・クックの微妙なパステルカラーの細首花瓶が欲しいのだが、とても買えないので、とりあえず。でも悪くない。
 その後、スタバでコーヒーを楽しみながら、新聞や雑誌を読む。いろんな情報が頭の中を行き交うが、夏の午後は静かに過ぎていく。
 直木賞を受賞してくれたおかげで、石田衣良の本が買いやすくなった。近鉄で「波の上の魔術師」を買う。彼はどれくらいお金をすったのだろうか。まあ、誰しも傷を負わないと賢くはならないいんだろうが、これもまた彼一流のおとぎ話か。でも、早くIWGPの続きを書いてくれよな。

('03.8.1)便利さへの誘惑に屈してしまった。
 一つはIP電話。「ぷららフォン for フレッツ」のサービスが出来て、まだ制約はあるものの”050”の番号割り当てがあり、国内の固定電話へは3分間8円国際通話はアメリカへ3分間7.5円でかけられる。”BigGlobe”や”IIJ4U”などの提携プロバイダとの間は無料でかけられる。
 ありがたいことにルータはそのまま使えるので、初期投資として「VoIPアダプタ」なる機器が必要だが、まあ知れている。月額料金も「ぷらら」の割引で実質無料だ。来週アダプタが来たらすぐ使えそうだ。
 (それにしてもNTTというのは、やっぱり難儀なところの多い会社だなあ。アサヒステレオの社長は腐ってもNTTと言うが、こんなふうに固定電話が減っていく中で、僕はこの会社の将来はかなり厳しいと見ている。)
 
 もう一つはDELLのノート。日本橋で中古を買おうかと目星を付けていたら、新聞に898!しかも、Celeron 2GHz。今のノートはあまりに古すぎ、インターネットでさえ見るのがつらかったが、これで快適にベランダ・パソコンが出来るし、音楽やビデオを見聞きしながら、「ながらパソコン」が出来る。

 先月と今月前半はオーディオ強化月間だったから楽しくやってきたが、それにしても何かを読んだり調べたりするだけで、時間がない。Linuxにしても、Webを見ないと進まないことが多そうだ。出来ることはながらでしないと時間がもったいない。だからしょうがないな、と思いながらも、ニコニコしているんだから、困ったもんだ。
 
('03.7.31)9月にジョアン・ジルベルトの公演に行けるかもしれない。東京・横浜なので無理かな、と思っていたが、もし縁あって入手できたら本当にラッキーだと思う。少しずつ期待がこみ上げてくる。彼の歳からして、多分最後の日本公演だろう。ギター一本で淡々とぼそぼそとやるんだろうなあ。絶妙な間の感覚やずらしの凄さ。一回一回新たにその歌を生きようとする集中力。ボサノヴァの神様、というだけでない何か特別なものが彼にはある。あのカエターノが言っている。「沈黙よりも良いものはジョアンしかない。」

('03.7.30)眠くて眠くてたまらない状態が続き、ひたすら眠る。どうも、不規則な睡眠で体の芯が疲れていたのと、ハイになっていた事のツケが来たかという感じ。あっさりあきらめて、ひたすら眠る。

 音楽が聴けないが、その分もう少し元気になったら、自分の心の声に耳を傾けよう。人の心は川に様なものだと、誰かが書いていた。確かに水面と川底では流れが違うし、底にはゴミだって溜まるし、澱みも出来たりする。ある程度の周期で底ざらえが必要なのかもしれない。

('03.7.29)どうも体調がスッキリしない。胃が痛んで、あまりよく眠れていない。こういうときは、何も考えず音楽でも聞いてみよう。案外、心の奥底で何かが動き始めているのに、鈍感で頑固な本人がそれに気づいていない、なんて事がよくあるから。そのうち、なにか見えてくるかもしれない。と思って、ステレオの電源を入れたら、またパワーアンプ用電源が煙を上げて故障。泣きっ面に蜂。あ~~あ。

 こんな時に限って、決断をしなければならない事が迫ってきたりする。香港へは結局なにもアクションを起こさず、税金はかからないモノの、もう一つぱっとしない金利でとりあえず運用することにした。日本国内での外貨運用が広がり、条件も良くなって運用先としての香港や海外銀行の魅力は少しずつ薄れつつある。マイルがたまればクレジットカードでも作りに遊びに行くか。勿論SARSが復活しないか様子を見ながら。

('03.7.28)母が掃除を任せてくれたので、昼過ぎに「楽した。」とか言いながら帰り支度。僕の方は、隣のギャラリーでフルート・ソロのコンサート。演奏者がこんな響の良い場所が日本にあったのか、と驚いておられた。金管楽器と思えない柔らかく深い響。練習で夢中になって吹いておられた、バッハのソロがとても良い感じであった。
 何か疲れが出ているのは、一人時間差か、夏ばての始まりか。もう一度、食事や生活のリズムをちゃんとせねば。
 今日は何も考えず、早く寝る。

('03.7.27)母と過ごす静かな日曜日。昼はパスタを作り、夜は冷蔵庫の中身を見ながら二人で手分けして作る。のんびりして、そのまま昼寝してしまう。普段一人だから逆にあまりテンションを下げられないのかもしれない。誰かいてくれると、逆に気を抜けるのかもしれない。ゆっくりと時間が過ぎていく。コーヒーの香りが流れる夏の午後。

 エミリ・ディキンソンが書いた夏の詩。

 Something in the summer's afternoon.

 そう、確かにこの濃い空気の中には何かがある。

('03.7.26)やはり疲れていたのだろう、起きなきゃと思いつつ昼前まで寝こけてしまった。大活躍のパスタパンなど引き取りつつ、気合いを入れるために、ハードロックをガンガンかける。多少遠慮気味に。
 
 夕方から母が来る。今日は掃除機を貸し出して手元にないし、昨日洗濯もしてるので、ヒマだとブーたれるが、チンと座って機嫌良くAERAなど読んでいる。隣のビルに食事に行くが、鳥料理屋さんが閉店していたので、久しぶりにトンカツ屋さんに行く。
 世は全て事もなく、夜は静かに更けていく。ファ~~~。

('03.7.25)いやあ、パスタは3回作りました。結構飲みました。なんか役割があるっつうのは、酔えないモンで、結構回りました。たのしかったっす。どうもアリガト。
 ん、なんか酔ってるだべ。続きは明日。んじゃね。

('03.7.24)先月皆でワイワイと土をこねて作った陶器が、焼き上がって運び込まれてきた。みな釉薬がのって、綺麗に焼けている。作った人の個性が反映されて、それぞれの味わい。
 物作りというのは、やはり面白い。手を動かすことが、その成果を確認できることが、必要なんだと思う。

 さて、明日は天神祭。皆が集まる。かなりすさまじいことになりそうだ。

  朋ありて来たり、また朋とともに去る。
  笑みは花火とともに消えゆかず、夏の夜をいつまでもたゆたうだろう。
  また一とせの歳でも数えようか。

('03.7.23)久方ぶりにマイクロソフト・マネーで口座情報などの整理。全ての情報を入力できていないが、最近支出超過であることが分かる。まあ、限定生産という言葉に負けて予定外のSACDプレーヤーを買ったり、いろいろとオーディオ関係やレコードなどの支出があったから、仕方ないか。と思いつつ、使ったら少しは稼げよ、ということでいろいろポジションを見に行くが、香港が冴えない。株には手を出してないので、最近の株高も横目で眺めているだけだが、もう少しオーストラリアドルとニュージーランドドルに突っ込んでみるか。債券の動きが気になる。
 どうも考えがまとまらない。こういうときは、動かないことにする。

 あちこち探したが、バリッラのペンネ・リガーテはこの近辺では入手できなかった。よって天神祭はディチェコのペンネにする。ならば買い出しは当日で良かろう。ズッキーニ2本、スピガドーロのダイストマト缶、玉葱、アンチョビペーストぐらいか。
 ま、今夜は胃に優しいシリーズ第三弾で、フルーツトマトとバジリコのソースにしようか。

('03.7.22)今日も結局はゆっくりと家にいた。佐藤史生を読み、武満徹とB.ブリテンを聞いた。武満の音楽の静けさと志の高さが、そして集中力の高さが胸に迫る。イルカの言葉は、鳴き声よりもその間の無音の方に意味があると、彼自身が書いている。僕のオーディオは沈黙と測りあえるところまで来ているのだろうか。

 胃に優しいものが食べたくて、昨日はブロッコリのパスタだったが、今日はプチトマトのソースのパスタ。甘酸っぱく優しい味をチーズがそっともり立てる。明日くらいから、本格的に活動再開しよう。

('03.7.21)今日の昼間はひたすらゆっくり。音楽を聞くこともせず、カタログや雑誌をぱらぱらめくり、午後は久しぶりに昼寝した。できればひねもすのたうっていたかったが、夜は大谷英子後援会の打ち合わせ。会報も原稿や写真が揃ってきて、だんだんと形になってくる。HPにもFMでの放送やCD発売など、タイムリーに載せる項目が増えてくる。
 終わってから梅田までパスタ関連の食材を仕入れに行くが、バリッラのペンネは見あたらない。明日、元気があったらリバーシティーに買いに行こうか。

('03.7.20)いやあ、とても濃い2日間。今日は2軒のお宅におじゃまして、聞かせて頂く。それぞれにちがうのだけれど、でもそれぞれに分かるのが面白いところ。
 オーディオをやってない人には分かりにくいと思うが、今日もある方が言われていたように、自分の音を聞かれる、というのは裸を見られる、というのに近いものがある。どんな装置で、どんな音楽を、どんな音量で、どんな鳴らし方で聞かせてくださるか、それだけでその人の感性が透けて見えてしまう。ごまかしがきかない。
 
 昨日今日で初対面でも、どんなものが嫌いそうだ、とか、どんなことが好きそうだ、というのはある程度分かるし、「そーそーそー。」という通じ方になる。
 まあ滅び行く人種だと思うけれど、そういうひとがいると言うだけで、心強い物がある。お茶の水の仲人さんに感謝、深謝です。

('03.7.19)今日はオーディオに浸った1日だった。午前中電源が届き、チェックして今度はアンプの真空管の動作チェック。OK。

 午後に皆が集まる。とりあえず音を聞いてもらい合間合間に話をする。自分の今の音の特徴らしきものが少し見えてきた。そして、思わぬところで響を変える選択肢を見つけたりした。皆ユニークでしかも心得た人たち。
 終わったらほっとして少し疲れたが、でも面白かった。明日は自分が聞く立場で、楽しもうと思う。音楽って、オーディオってこんなに楽しいのだが、こういうのがもっと広まらないかと思う。

('03.7.18)先日故障した電源は今日の午後岐阜から発送されたとのことで、なんとか間に合いそうだ。やれやれ。
 共同購入したLPの件も、価格が上がっているのは向こうの間違いだと連絡があったので、懸案は概ね解決。

 夕方ベランダのウッドデッキを洗う。乾き始めるに連れて、レッドシダーのいい香りが立ち上ってきて、とても良い感じだ。明日は初めて顔を合わせる人が3人も来られる。どんなお話が出来るか、とても楽しみだ。オーディオ、音楽という共通の絆で少しづつ広がるネットワーク。

('03.7.17)昨日届いたテーブルはベランダに上手く納まっている。高さも丁度良いので、今日は随分溜まっていたものに目を通した。快適。外で食べると食事もコーヒーもなんとなくおいしい。

 夜は招待券をいただいたコンサートを聞きにいずみホールへ行く。大阪センチュリーはとても統制の取れた響でなかなかの感じ。最初の武満徹の「ハウ・スロー・ザ・ウインド」がとても優しく繊細な響で、素晴らしく美しかった。シューマンよりもこちらの方がずっと残るものがあった。

昨夜達成した新記録。蚊を5匹撲滅。ナチュラルに行こうと、線香もたかず耐えた夏のこの戦果を見よ!(アホか)
 
('03.7.16)昨日はあれやこれやで日記の更新をさぼってしまった。
 マルチディスク・プレーヤーの電源ケーブルやラインケーブルの製作やセッティング、オーディオ全体のチェックなどで深夜までかかったが、どうもハムレベルが高いなど、すこしおかしいところがある。
 そのチェックも兼ねてじっくりSACDを聞こうと電源を入れてアンプを暖め、遅ればせながらパソコンを叩き始めると、少ししてバチッと音がして、システム全体の電源が落ちている。あわてて調べると部屋のブレーカーが落ちていた。復旧してチェックすると、パワーアンプ用電源がオンできず、蒸発した塗料のような異臭が漂っている。
 土曜日には来客があるのに。しかもショップは今日明日休み。しかしめげてはおれない、メーカー・代理店と直接交渉。なんとか特急で修理してもらえることになり、急いで発送した。
 まあ、事の前には何か起こるものだ。ぎりぎりで間に合うなんてのは、僕の運の強さだ。(これまでも何とか生き延びてきたし。)
 
 そのあと、上映会の打ち合わせでマルチディスク・プレーヤーでDVDを再生しにかかったり、DVDのデジタル・アナログ両方の音声も再生してみたり、新しい試みも一応やってみた。
 ま、休憩せよというお告げと解して、明日は部屋の片づけをして、いろいろ買い出しに行こう。
 「なんくるないさあー。」(オキナワの「なんとかなるさあー。」)

('03.7.14)アナログのプレーヤーが帰ってきて、同時にデジタルのマルチディスク・プレーヤーが届いた。
 これでLPがよりよい音で聞ける。うっしゃ!
 マルチディスク・プレーヤーはまだセッティングがこれからだが、CDの音だけ聞いても凄く良いし、スーパーオーディオCDもかけられる。
 すぐにやるつもりはないがDVDビデオもかけられるし、ホームシアターも出来る。究極の「ながら」も出来るわけだ。迷いに迷ったが、フルヨーロッパデザインの最終ロットを手に入れて良かったと思っている。これから使いこなし。骨までしゃぶるぞ~。

('03.7.13)隣のギャラリーで八重山民謡のコンサート。三線と声。ツアー最後で疲れているのか、後半にようやくエンジンがかかる。島一つ違うと現地の人でも通じにくいという島言葉は分からないので、自ずと曲を聴いていると、やはりオキナワの音程=「モード」がはっきりと分かる。昨日の現代音楽と通じているのは、コード=調性ではなくまずメロディーや音型だということか。首里が搾取するという、本島よりもさらに貧しく厳しい生活の中での歌は、どちらかといえばゆっくり目の、暗目のトーン。本当は「もーあしび」という毛氈の上での酒盛りのような宴が一番ふさわしいのかもしれない。
 ゲストで南シベリアのトバという少数民族の歌が2曲披露されたが、いろんな意味でインパクトがあった。世界ではいろんな人たちがいろんな音楽を奏でている。耳を澄ませよう。

('03.7.12)いずみホールへいずみシンフォニェッタを聞きに行く。なかなか面白い現代音楽のオンパレードだったのだが、満員に近い客入り。いろいろ関係者もいようが、現代音楽でこれだけの入りがあることに驚く。僕にとっても、もはや調性がなかったり、テンポが一定しなかったりするのは当たり前の世界になってきている。
 とりわけ良かったのが武満徹と今回初演の権代敦彦の作品。やはり日本人的なDNAに合うのかもしれないが、とりわけ権代氏の曲はいろんな先達の成果を吸収して、自分の感性で構築した優しく美しい音だった。
 いろんな事を考えながら、音楽に浸れるのは何という幸せだろう。
 じぶんらしく居心地よく楽しい一日だった。

('03.7.11)いろいろと片づいた。目途も立った。心も決まった。終えるものは終えて、始めるべきものを始める。夏というのはなぜ節目のように思えてしまうのか。
 伊丹十三が書いていたように、姪に子馬を贈るために、一夏苛酷に働く、なんてのも素敵だと思うのだが、一夏では終わらない恋ってのはどうなんだろう。新しい物語や歌を書き始めるなんてのはどうなんだろう。
 要するに夏っていうのは予感なんだ。それを形に出来るかどうかは、状況と本人のリキ次第だ。

('03.7.10)昨日から兆しはあったが、起きてみると左の腰がうずく。がんばれば何でも出来るが、経験上ここで無理すると後が高く付く。よって、出来るだけ動かず、静かに過ごす。
 このところ細かい作業を続けていたし、結構出歩いていたので疲れが溜まったのだと思う。ま、スローダウン。

 電話機の調子がおかしい。もう10年以上つかっているが、子機がときどきつながりにくいので、かけて頂く方に迷惑をかけているときがある。デザインの良いシンプルなのを探しているのだがバング&オルフセンやヤコブ・イェンセンには子機やFaxがないし、韓国のミューテックは木を使ったデザインで、子機はあるがFaxがない。子機・Fax付きでデザインのいいのって無いのだろうか?

('03.7.9)いつの間にか7月で夏本番だということに気が付いた。あまりクーラーを使わずに過ごしている。朝のうちや午後遅くはベランダで何かを読んだりして過ごしている。結構風があって心地よいし、今年の夏は割と過ごしやすいような気がしているし、今年は夜もクーラーを使わず寝ている。
 音楽を聞くときは、アンプも真空管で暑いしさすがにクーラーを入れるがそれでも28度。
 汗をかいてもすぐに水分が欲しいと思わない。(夜のビールは別だが。)夏はいつもうだっていた去年までの姿からは考えられないことだが、一つの理由は体重が落ちてきたからかもしれない。ナチュラルに過ごせることが心地よい。
 心斎橋のアクタスでリゾート風のテーブルを見つけた。ベランダでパソコンをたたくのに丁度良い高さ。しかも格安。今のよりも広いので資料も置ける。ベランダで過ごす時間が長くなりそうだ。

('03.7.8)天神祭で作るパスタを冷製トマトソースにしようかと思い、久しぶりに夕食に作ってみる。しかし、パーティー料理にはどうも向かないことが分かった。パスタというのはワンプレートの下の方にソースが溜まり、それを麺とあえながらいろんな味を楽しんで食べていくものなのだが、これは繊細微妙すぎて大皿で出すと上の方は少ししか味が付いておらず、下はソースにつかったまま、ということになる。秘伝の上だけさっと塩ふりも効果なし。
 よってこれは特別な人にだけ銘々皿で出す料理と思い切る。
 最終案は以下の通り。

1.ズッキーニ、鱸(すずき)とアンチョビソースのペンネ
・・・・あっさり目で、深みのある塩味。冷えた白ワインとの相性は天国的。

2.アマトリチャーナ(湯引きベーコン、玉葱とたっぷりのトマトソース、細麺のフェデリーニ)
・・・・ヘルシーな割にはこくのあるソース。ライトな赤、まったり系のフルボディ向き。

 とりあえず、後はペンネ選び。「ディ・チェコ」は美味しいが厚くて噛みくたびれるときがある。近くのバールのマスターに教えてもらった、「バリッラ」を試してみよう。

('03.7.7)午前中からいろいろな資料や新聞を読んで、隣のギャラリーに顔を出し、午後遅くにアメ村に行く。もちろんオキナワで買ったアロハを着て。
 なんでアメ村が好きなのか考えたことがないのだが、この猥雑なエネルギーにひかれる。「何か面白いことないか、目立ちたい、もてたい、やりたい」なんて感じのエネルギーが満ちている。七夕なんかどこにもない。何せ明るいので、あまり危なさがない。ポップでキャッチーな点はよい趣味とは思わないが、でもこんなにごった煮の様にいろんなものがあふれかえっているストリートがあってもいい。
 タワーレコードで富樫雅彦のCDとハイブリッドのSACDを買う。事故で下半身不随になったこのジャズ・ドラマーは、2本の腕で時間と空間を切り開くパーカッショニストに変貌した。かれがより少ない音の数で表現したのは、「間」。そしてそれを包む「空間」。それらをつないでいくメロディー。
 SACDで聞きたかったのは、こんなアンビエントな音だったんだ。

('03.7.6)本や資料、LPを整理しながら、片づける静かな1日。
 LPを見ていると、10年前には持てると思わなかったような充実したコレクションになってきている。見立て違いで失敗した物や、余っている物もあるが、しかし足りない物もかなりある。これだけあってまだ欲しいというのは、かなりの道楽だと思うが、厳選してそうなのだから、そういうものだと思う。
 なかでも最近、現代音楽への志向がはっきりしてきた。まあ、バルトークやシェーンベルクもそう呼べればの話だが。
 これこそ知の、というよりも感覚の、あるいは想像力の冒険だと思う。
 男の子は一人で行かなきゃならないときがある。

('03.7.5)今夜は川向こうのワークショップで知人のライブ。日本橋でショップといろいろ打ち合わせをしてから、家で軽い夕食をとり、駆けつける。心のひだと闇が少しずつ見えてきたかな。
 そのあと階上のレストランで飲み会。みんな家族や配偶者に一応恵まれていることは分かった。でも彼女がうたうように「僕の家は素敵な家族。梨の木がある限り」。とりあえず平和な日々。

('03.7.4)今日は風が涼やかで気持ちの良い日だ。風に吹かれていて、子供の頃の田舎を思い出した。
 奈良県五條市。勿論、父の田舎というか父の兄の家だ。広い家で、表は薬局だが、裏は畑や草地から広い川に連なっていた。草いきれのような植物と土の匂いと、川風が運んでくる川の匂いがよみがえる。いつも弟とこの裏で遊ぶのが楽しみで、何かとあちこち掘り返しては喜んでいた。西瓜を失敬したこともある。もっとも持って帰るわけにはいかず、今でも思い出すと惜しい。
 西瓜もおやつに食べたし、楽しみだったのは冷たいカルピス。もう少し濃くしてくれたらいいのにと、トラウマの様にいつも思いながら一生懸命飲んだ。だから大人になっても、いつも少し濃く入れすぎてしまう。
 そして蚊帳で眠る。「夏至」だったか「青いパパイヤの香り」だったか、蚊帳で眠るシーンが出てきて、とても懐かしかった。蚊帳にはいるときは、いつもワクワクしたものだ。蚊取り線香の匂いを感じながら、幼い頃は母の団扇で風をもらいながら、遊び疲れでいつの間にか寝入ってしまう。夏は暑いものだし、時に冷たくて美味しくて、楽しいものだった。
 今年の夏はどうなるだろう?

('03.7.3)このところのオーディオいじりも、とりあえず一区切り。この間、あちこちの機器、ケーブルやコンセントを開けては閉めてつなぎ、というのを繰り返していた。別れたかみさんいわくの「線つなぎのおじさん」状態。
 それであちこと触っていると、前に締めたネジが全体に甘いことに気づく。というよりも、今常用している工具「スナップオン」の威力だ。これを使うと、前のドライバーで一杯に締めたよりも、さらにもう1回転くらい締めることが出来る。
 こういうのは、音質に関わるだけでなく、最終的には安全性にも関わってくる。
 単にマニアックと言うだけでなく、やっぱり名品にはそれなりの理由があるんだ。そーだ、そーだとうなずく人が少ないのが少し寂しいが。

 景気づけに、山本耕司さんにならってRCサクセションでもならすか。「よォーこそ」

('03.7.2)友人が大谷玲子さんのE..イザイ「無伴奏ヴァイオリンソナタ第4番」演奏をデジタル・ヴィデオカメラで撮って、VHSに落としたテープを借りて見た。
 凄い。何という集中力とよどみない流れ。カメラ付属のモノラルマイクだが音もなかなかいい。

 昨日会ったときに、皆で、「玲子さんも西本智美さんを見習って、歩き方とかヴィジュアル派の要素を取り入れたら」、などと言ったのを反省した。彼女にはやるべき事があって、ちゃんとそれが見えていてるのだ。限られた時間の中で、優先順位を判断して集中する。これも大いなる才能の一つだ。

 今度やるシュニトケの協奏曲の楽譜など見せてもらって、傍目には見えない苦労も分かった。なかなか大変な商売だと思う。

('03.7.1)遠方からの来客の予定もあり、そのうちやろうと思ってていたオーディオ関係のタスクをどんどん片づけている。集中してやっていると思わぬ発見もあり、とても充実した音が聞ける状況になってきた。ヴォーカリストの声がとても「来る」ようになって、ハートに響いてくる。LPのスクラッチはちゃんと聞こえてしまうが、音楽の邪魔にはならない。もう少し、ケーブルや電源周りを整えて、今週で当面上がりとして、コンピュータその他の勉強も再開しよう。

 今夜は、大谷玲子事務所で事務打ち合わせ。後援会員も90名を越えている由。まずは順調な滑り出しのようだ。

('03.6.30)最近、低GIダイエットを兼ねて、パスタをいろいろと作っている。麺も本家ディ・チェコのペンネやリングイーネなどが入手できるようになって有り難いが、ソースはやっぱり難しい。
 トマト系のソースは、どうしても多めに作ってしまうことが多いが、時間が経つと味は落ちる。やっぱり、作ってすぐのフレッシュなときに食べなければ駄目。ということは市販のレトルトのソースが濃い味ばっかりで美味しくない理由もよく分かる。
 といっても、手間暇がかかる物はやってられないので、煮込み系といってもそこそこ手軽な物。
 今夜は、フィズイッリという、くるくる巻きのショートパスタを使って、ベーコン(湯引き!)と玉葱のトマトソースでいってみよう。このソースは煮込み系の割には、手早くできるし、第一美味しい。最近のヒット作。
 しかしビールを控えねば。夏なのに。でも負けないモンね。

('03.6.29)昨日は凄い一日だった。午後にクレオ中央に西本智美指揮の大フィルを聞きに行く。2列目に陣取って見たので、彼女の指揮ぶりをとくと見ることが出来た。所作が美しいだけでなく、良い耳を持ち、そして表現したいものを明確に持っている。チャイコフスキーが特に良かった。
 その後、飲みに行き、おいしい魚をあてに結構飲んでしまったが、可愛い闖入者は現れるは、いつのまにか妹分は出来るはで、大変幸せな気分で家に戻った。
 そして、録画をチェックしたら、吉田美和のライブ。アメリカジャズ・フュージョン界の凄いメンバー。彼らが心から彼女を愛し、音楽を楽しんでいることがビンビン伝わってくる。Miwaだから38歳を早く大切に迎えたいという思いで始めたツアー。
 久しぶりに、なんかとても無条件に幸せな1日だった。

('03.6.28)今朝メールチェックすると、昨日のメールの主から、懇切な返信が届いていた。物の分かった、さばけた方のようで、ほっとしながら、一方で感心した。こちらも、御礼かたがた返信する。大人の人というのはいいもんだ。

('03.6.27)早朝目が覚めてメールを見ていたら、MLのダイエット論議で、伝聞情報を伝えるメールがあった。百説万話ある中で、経験してないことを軽々にいわないようこれまでも気を付けていたのだが、ずれた事を得々と説くのはどうかと思う。放っておこうかとも思ったが、どうせ後でこっちにおはちが回ってくるのが目に見えていたので、疑問は疑問としてのメールを返した。井戸端会議を重戦車でなぎ倒しにいったみたいで、少し大人げないかな、と反省もしているが、情報を流すなら、それなりに消化してからにせいよ、というのも自覚されるべきだと思う。まあ、周りから何か言われそうな気はするので、スッキリしないが。

 アナログプレーヤーの強化電源が完成した。音もいい。

('03.6.26)いろいろあって、今週はオーディオとダイエット強化週間といった感じだった。今日は昼前に建築会社の方が見えられて、なんだかんだとおしゃべりした。彼女も昔はウエスト56cmだったそうで、いまやどこがウエストかよく分からないそうだ。結局ストレスで寝酒を始めて、もともといける口なので、それが太るきっかけだそうだ。「今のうちにがんばんなきゃと、思うんですけどねえ。」
 僕にも覚えがある。食べたり、飲んだりというのは一番手近にあるので、そこへいってしまう。
 結局、心がバランスを取りに行く結果だ。

('03.6.25)→オーディオ日記

('03.6.24)向かいの中学校前の山桃が実を付けている。摘んでみるとなかなかおいしい。脚立があるから、実を集めてお酒を作らないかという話がある。とてもおいしい話なのだが、さてかなりの実を集めなければならず、しかも場所はおそらく公道。いくらマンションの住民といえども、大手を振っては難しい。少なくとも、事前に声かけするレベルではない。
 学校が休みの日に、実や葉が落ちたりしているので、掃除を兼ねて、という位の名目で、えいやあするくらいかな。でも何かいわれそうな気もするしなあ。ま、閑話休題。

('03.6.23)昨日LPを処分しに行った向かいの店では、昔のJ-POPのLPが概ね1枚千円で売られていた。試しに買った矢野顕子の『長月神無月』を聞いてみるとなかなかいい。テープヒスは多いが、生々しさが違う。こんな事なら復刻版のCDを買うよりこっちの方がよっぽど値打ちがある。今度元町に行ったら、
1.クラシックのLPを処分し、向かいでLPを買う。
2.旧居留地のあたり(関西でのお気に入り#1)をぶらついてジーニアス・カフェでコーヒーを飲む。
3.どこかでおいしいチャイニーズを思い切り食う。
4.南京町の堂記で焼き豚を買う。脂身が少ないことをひたすら祈る。八百屋で中華のハーブを買う。
を実行しよう。観光客の来ない、例えば平日の雨の日など。

('03.6.22)今日は神戸・石屋川の酒蔵でバロック・ヴァイオリンのコンサート。前日ワインをまるまる1本開けてさらに飲み続けていたので、昼に食べる予定で作り置きしていたアマトリチャーナ(ベーコンと玉葱のトマトソース)のパスタも食えずに、二日酔いを振り切って何とかたどり着く。
 木造のオープンな作り。残響は少ない。かなりデッド。それもあってか、こちらが心乱れていることもあってか、最初はなかなか音が来なくて遠い感じでもどかしい。休憩後、こちらにサービスの酒が入ったせいか、弓を17世紀のに替えたせいか、本来の芯のある響きになった。モダン楽器のスチール弦ではなく、羊の腸だけを使ったガット弦の柔らかい響き。心地よくて、何カ所か寝てしまった。

 帰り際、南京町のレコード屋さんにLPを処分に行く。久しぶりに見ると、随分店での売値が上がっており、とても買う気にならないので、引き取りだけしてもらって帰途につく。が、おいしそうな匂いにつられて餃子の店に入ってしまった。ま、体重は何とかなるか。
 いろいろ新しい店も出来て、南京町も昔に比べれば観光街的な密度も上がってきてる。また、観光客の少ないときにゆっくり遊びにいこ。

('03.6.21)焼き肉でどうなるかと思ったが、体重は600g増加、体脂肪率は何と低下している???全体的に大きな変化はないようで、これくらいなら、程なく取り返せるだろう。当分はストイックに行こう。

冬へと帰ろうと思う。こんなにもいくつもの季節が過ぎてしまった後では、何か懐かしいところへ帰るような気さえする。
All those memories will be lost in time, like tears in rain. Time to make it to end.
 
('03.6.19)明日は酒池肉林?の焼き肉宴会。思いくそ食べたいが、リバウンドも怖い。そこで積極的に対処するため、当分ローカロリー&低GIでいく事にする。
 たとえばパスタ・ビアンカ。ビアンカは白ということで、ゆであげたままの素のパスタに軽くオリーブオイルと粉チーズをふり、付け合わせの生トマトや玉葱なんかと食べる。サッカーのイタリアナショナルチームあたりに大好物の選手がいるらしい。パスタはGI値も低いし、ゆっくり自然に消化されて腹持ちも良いので、効果あると思う。オイルを控えたシンプルなトマトソースなんてのも、おいしくてしかもローカロリーで良いと思う。
 コンニャクも例えば、コンソメで煮たのを軽くソテーしてオイスターソースで食べるなんて、結構行けると思うし、あんかけにしても良いと思う。
 まあ1週間くらいこういうのをやってたら、何とか取り返せると思う。
 ということで、明日は思い切り食うぞ!

('03.6.18)このところBSで録画した一青窈のライブをよく見ている。一作目が良くても、僕にはそのインパクトが続かないと感じて次ぎ以降を買わないアーティストが一杯いる。でも、彼女は次もいけそうだ。今段階で好きな新曲が3つもある。特に気に入ったのは、「音木箱(おとぎばこ)」。
 『ひとつ、ふたつ、三つ編みを、数え歌でほどいた。編み込んだのは、愛し母をつむぐ音色.。........これまでため込んできた「ごめんね」ごと、いま開けて、音木箱は君と僕を溶かし、つらら、つらら。』
 微妙に半音が揺れるメロディーと、懐かしくて危うい歌詞。

('03.6.17)注文していた体重計と体脂肪計が届いた。体重計はスマートな薄型のデジタル式で、すこぶるかっこいい。義足の関係で本来の体重かどうかは分からないが、以前測ったときよりは少し減っている。
 体脂肪計は身長、年齢などの個人データをセットし、両手で握って測定する。これもフムフムの数字。
 ま、道半ばと言うところか。
 僕だけで使うのはもったいないので、御近所サンなどにも使って頂こうかな?お互い励まし合って、スマートな老後を目指そうか(^_^;)(^_^;)

('03.6.16)母が掃除機の使い方を教えよと言う。自分は掃除をして帰るのだと思いこんでいるので、説得をあきらめて説明する。恐るべし、おばあちゃんパワー。今年85歳。

 本体についている電源ボタンが分からない、というのでガムテープでマークを付ける。それでも分からず、都度都度迷いながら操作している。スピーカーをはじめ、あちこちぶつけながらも果敢に掃除開始。ホコリがよく取れると母も感心する。
 重いと文句を言ってあきらめてくれるかと思ったが、与えられた条件で何とかやってきた人なので、その辺はこなしに行ってしまう。介添えがいるし、次来たときには間違いなく忘れているので、来たらすぐ全面掃除というパターンはなくなっても、掃除そのものはお仕事からははずせないようだ。ま、仕方ないか。

日本駐在経験を持つ韓国サムスン電子の尹CEOへのインタビュー。(日経’03.6.16)
 Q:日本企業に変化の兆しは見えますか?
 A:ない。封建的な親分子分関係が残り、既得権を犠牲に出来ないでいる。苦労している。


('03.6.15)新しい「アチャラ製の掃除機」を母が首をかしげながら見ている。すぐに手出しする気はなさそうなので、我が家へ来るたびにカンカンになって掃除して、くたびれて夜にはすぐ寝てしまう、というパターンは当面避けられそうだ。
 今回は事前に片づけすぎたのか、することがあまり無くて、すぐに寝てしまう。眠り姫のおばあちゃん。多分、それなりに疲れているのだろう。
 
 それにしても、ダイソンの掃除機は良いなあ。少し前に掃除したところでも、結構ホコリが出てくる。以前、家で黒のコットンパンツなぞはいている時、気が付くとホコリが結構付いたもんだが、最近は殆ど気にならない。高いけれど、その後のことを考えると値打ちあると思う。

 今日の昼は僕の担当でボスカイオーラ(木こり風)のパスタ。キノコとツナとたっぷりのトマトソース。パスタは柔らかめのリングイーネ。食後のコーヒー付き。
 晩は僕のリクエストで、母がおでんを作る。スジと厚揚げ、諸々。平和だなあ。

('03.6.14)今日はギャラリーで、龍笛を始め日本の笛のコンサート。高麗笛は草原をわたる風のように、いろんな付帯音を一杯に含んだシャープな音、篠笛はもっと柔らかく深い音。
 アーティストに聞くと、中国からは律と呂の音階が日本に入ってきており、それらの音程(スケール)は近代西洋とは違う構造とのこと。ピッチは笙が決める感じで大体A=430。(奇しくも西洋古楽器と同じ。)

 いまごろ自分の国の音楽に気づくなんてどうかと思うが、雅楽も「モード」で構成されてたんだ!

 中央アジアに源流を持つ東洋やインド、中近東の音楽は基本が、音階である「モード」とリズムで構成されている。例えばインドの「ラーガ」と「ターラ」。和声つまりハーモニーが支配的な「調性」という近代西洋音楽が当たり前だと思ってきた我々の常識は、ひょっとして全世界的にはおかしいのではないか?
 バルトークが東洋起源のハンガリー民族の民謡をベースに調性とは異なるところで、豊かな世界を形作ったように、調性の呪縛を離れて音楽を作ろうという試みは、もしかしたら凄く根元的なことではないだろうか?

 と言うようなことを思いつつ、今夜は泊まりに来ている母とおいしい物でも食べに行こう。

('03.6.13)今夕はお隣で、井上廣子さんのギャラリートーク。元々沖縄で染織をやっていた彼女が「アートに転進するきっかけは、阪神大震災だったという。西宮北口から、ご両親のおられる仁川まで変わり果てた町を歩きながら、子供達はこれからどう生きていくんだろうと考えたそうだ。そして人間にもっと関わって発信していきたいという思いが彼女を動かした。
 年間の数ヶ月をドイツで暮らすが、その中でアウシュヴィッツやユダヤ人差別のことをずっと勉強しているという。
 そうか、彼女は痛みを受け止め、傷跡をどう共有するかを感じ、考え、表現しようとしているのだ。

 そしてもう一人のキュレーター・評論家、加藤善夫さんの話も刺激的だった。たかだか130年ほど前にキリスト教的哲学を基本としたアートの概念が輸入されるまで、そんなものなしで、春夏秋冬、花鳥風月といういわばテイストの世界でたゆたゆとやってこれた日本では、アートという物は自分たちの中から出たものとして説明できないし、だからポピュラーにならない。これから対外的に発信していくためには、物差しというか、哲学が無くてはならないが、日本というベースでもアジアというベースでも、それが何か分からない。現代アートにとって一番の問題はこれだ、ということ。
 終わってから御本人とも話したのだが、この国にはこれだというプリンシプルはないし、それを持つのは無理だろう、という点では意見が一致した。多神教的な、「多様性」という概念をベースとして、開き直ってプリンシプル無く、何でも受容吸収できることを売りにしてはどうか?と提案したが、「それでも、じゃあお前はどう考えるのか?という問いには答えられないと、話が出来ない。」とのこと。
 誠にその通りである、個人の自立というか確立が大前提なのだが、個々人によって違うプリンシプルという物は、「日本」
のプリンシプルとして説明できるのか?

 他にも韓国や中国の国民性、アートを通じての交流など、とても面白い夕べだった。
 明日は雅楽の「龍笛」のコンサート。古拙で雅な響きが聞けそうだ。

('03.6.12)「最近はものを考えなくなった。」という話の続き。
昨日から今日にかけてオーディオと音楽三昧の生活をしているが、こんなときは本当に何も考えない。新聞すら読まないときは、特にそうだ。
 ただこんなふうにばかり暮らしていると、現実との接点があっという間になくなってしまう。こういうのは20年後でも良い。だから、頭の体操も兼ねてあれこれやっているわけ。

 ずっと夢に見てきたのは、「洗いざらしのコットンシーツ」のような生活。朝起きて、いつも一緒にいられるわけではないが、好きな人とベランダで朝飯を食い、音楽を聞き、本を読む。飯を作り、太陽を一杯吸い込んだコットンシーツに頬を埋めて眠る。
 本当に、僕が欲しいものは、これだけだ。これだけあれば、後は何も要らない。

('03.6.11)サブスピーカーの端子などは手持ちの物で行けるめどがついた。これで安心して使える。メインのオーディオのケーブルを入れ替えたので、AVシステムのケーブルも自動的にグレードアップされている。果たしてどんな音になるか。

 先日来友人に依頼していた、イタリアン・デザインのランプが朝方に届く。いろんな配慮で大幅に値引きしてもらえて有り難い。
 機能的でアームの動きがとても美しい。しかもシェードの色が絶妙な色のブルー。つくづく見とれてしまう。夜になるのが待ち遠しい。

('03.6.10)サブスピーカーとボックスのセットが届いた。なかなかしっかりした感じでイメージ通りだが、ケーブルとその取り付け端子が超安っぽく、頼りない。マニアックなレベルではなく、安定性の1点からでも、安心して公衆の面前に出せないので、とりあえず端子から何とかしなければ、とインターネットなどで探し始める。
 平行して、「音と戯れる会」の巡回試聴で回ってきたケーブルのセッティング。こっちは凄いの一言。値段も凄く安い。うちはバラで組むので更に安く出来そう。いやあ、こういう機会がなければわずかなお金でここまでの
グレードアップは出来ない。有り難いもんだ。

 明日はクレオ中央に行く予定だが、僕の勘ではかなりの時間待ちになりそうだ。図書室という手もあるが、天王寺でマトリックスでも見るのもありか。

('03.6.9)今日は朝刊が休刊なので、何となく朝が手持ちぶさた。(そういえば、「手持ちぶたさ」といつも言ってたあのオッサンはどうしてるだろ?)。
 日本橋にケーブルを買いに行くと、デジタルビデオカメラで撮ったハイビジョン映像が、プラズマディスプレイに映されていて、その鮮明さに見とれた。30万円余りのカメラで素人がこんなのを撮れるんだから、おとといプロの人がいってた「借金して買った設備は何だったんだ。」という嘆きも無理はない。この辺は日本がトップを握る数少ない技術分野の一つなので、どんどん伸びて欲しいのだが、あまり頑張られて規格乱立・共倒れも困る。個人的にもディスプレイなんかを買う上での見極めが難しい。

('03.6.8)今日は神戸へ大谷玲子さんのリサイタルを聞きに行く。今日一番の発見は、彼女自身もそうかもしれないが、コンテンポラリーな音楽への志向が強いこと。言い換えると「危険な音」あるいは、危険をおかす領域に常に片足は置き続けることを求めていること。
 考えてみると、ベートーベンだって、ドビュッシーだって当時は危険な音楽だったはずだ。19世紀までの音をひたすら掘り下げていくのも大切だが、同時代に近い人々が、調性という予定調和をはずれて、どんなボーダーラインを渡りに行ってたかを知ることは、心の運動として必要だと思う。その心意気や良し。

 で、今日飲みながら、「最近はものを考えなくなった。」といったら、「そんなことないだろ。」って言われたのだけど、それはあれこれ物思わなくなった、ということではなく「自分が人からどう思われるか、そういうことをほとんど考えなくなった。」というのが正しいです。要は野生に帰ったと言うことれす。だけど牙をなくしたわけではないのら。ガルルルル......。んな事自慢にならんが。

('03.6.7)横山淳一「イタリアに学ぶ医食同源」(中公文庫)を今読んでいる。著者は千葉大医学部内科で糖尿病・代謝・内分泌診療科部長を務める現役の臨床医。もともとヨーロッパの学会に行くことが多くて、イタリア料理に開眼したのだが、特に南イタリアはオリーブオイルの消費量が結構多いのに心臓病の有病率が極めて低いことから、イタリア料理に注目して研究したという次第。
 
 そもそもイタリア料理は北と南でかなり違い、北はフランス料理の影響もあり、バターやクリーム、獣肉をこってりと調理するらしい。南イタリアの人も、こういう料理を食べるのが、成功したステイタスのような所があって、イタリア料理は脂っこい、というイメージが出来てきたらしいが、南イタリアの伝統的食生活はかなり異なるらしい。

 まずは、実際、使う油脂をオリーブオイルに変えるだけで、コレステロール値が下がることも確認されたという。オリーブオイルは植物油の中でも、唯一絞ったままで利用できる、純粋な自然食品だそうだ。しかもサフラワー油などの精製油は酸化しやすく、悪玉コレステロールをオリーブオイル同様減少させるが、リノール酸のため善玉コレステロールも減らすらしい。オリーブオイルは善玉を低下させず、悪玉だけを低下させる。

 他にもパスタは摂取時のインシュリンの増加が低く、しかも長い時間を掛けて消化されるため、糖尿病や高脂血症の患者にも良い効果をもたらすらしい。栄養士さんに理解してもらうのは、今でも難しいらしいが、それは本来のイタリア的調理法を知らないのが原因らしい。

 だからといって、パスタやイタ飯を食べていれば良いとは思わないし、カロリーには注意すべきだが、コレステロールの問題はまた別らしい。もう少し勉強して、メニューを整理しよう。

('03.6.6)インターネットバンキングや、ショッピングをする場合の注意点。

1.IDや暗証、パスワードはFD、紙などの外部媒体に必ず保存し、パソコンの中には残さない。
 (理由:人間はすぐ忘れる。マシン内部に残すと、侵入された場合などに厄介である。)

2.IDやパスワードは名前や生年月日などと連動せず、覚えやすく規則性のあるものを2~3種類考えておき、用途に応じそれを使い分ける。言い換えると、忘れても2~3回目までには必ずヒットする。

3.パスワード・暗証には銀行用から単なる会員サイト用まで、重要度に応じてランクを決めておけばよい。
その場合、最重要な銀行用パスワードなどは、記憶しておき記録しないのがベター

さて、
最近の日経新聞から。

1.各企業が配当を増加する傾向(6/5)。余剰資金を投資する先が乏しいのと、株式の魅力アップのため。

2.金利指標の翌日物平均金利がマイナスになる可能性あり(6/5)。信用力の高い外銀が、手持ちのドルを円に替えるとき邦銀との信用力の差で、貸し手が金利を払って貸す結果になるというわけ。
 「金融システム不安と量的金融緩和の行き詰まりの産物」。東京市場の各際金融センターとしての地位はいつまで続くか?

3.外資生保が全体として、保険料収入を伸ばしている。ただし、外資の中でも国内生保を買収した所は赤字となり、半数が最終赤字。個人保険の件数では、AFLACが日本生命を抜いた。
契約が伸び悩んだり減少している国内生保の状況とも合わせると、生保も供給過剰のようだ。朝日生命はS&P格付けでトリプルCマイナス。要するに破綻の恐れ大。それでも、ソルベンシーマージンから大丈夫と金融庁は言う。この「使い分け」は、日本の社会では暗黙の了解だが、「二枚舌」そのもの。

4.テロ保険が米企業に浸透し始めた(6/5)。かくして、テロの危険(リスク)でさえ市場原理でコスト化される

('03.6.5)巷では村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が評判で、村上春樹もサリンジャーも大好きなので、本屋さんで手に取ってみた。でも、しっくり来ない。何かサリンジャーらしいパキパキしたところがない。
 実は野崎孝訳「ライ麦畑でつかまえて」を、今は手元に持ってない。持ってないことを後悔するうちの一冊。人生にはまだ長い時間が待っていることも分からず、昔はなんとも高い基準で突っ張って、さっさと捨てていたもんだ。「フラニーとゾーイ」、「大工達よ、屋根の梁を高く上げよ」は流石に持っているが。

 書評では、村上訳でホールデンのさまよえる魂の闇が初めて見えてくる、なんてあったが、それは多分、よく読んでないか、ごますりだ。
 要するに、どうしようもなくストレートで全体性を求める心の、それを受け止める人や場所のない、そのどうしようも無さ加減が、あふれているわけで、野崎訳だって、その点はしっかり伝わってきたと思う。(フラニーが拒食症になったのも同じ理由だ。それと、サリンジャーの最高傑作は他にある。)
 村上春樹は素晴らしい作家だと思うが、ホールデンが村上訳にでてくるような、溢れてしまう感じよりも、理詰めにこねくり回す少年だったか、今、僕にはよく分からない。しかし、少なくとも、読みたいという気持ちにはなれず、少し失望した。世の中は、人間はなかなかうまくかみ合わないものだと、つくづく思う。

('03.6.4)人はいろんなサインを出して話をしている。口に出さなくても、例えば服装やいくつかの言葉で伝わってくるものがある。かなりスリリングでもあり、どう受け止めるか難しいときもある。物事には流れや勢いというものがあり、それはそれで大事なんだけれど、でも大切なものは大切にしたい。といっても、飛び込むときは飛び込むけどね。どっちやねん(笑)。
 Love is touch, touch is love. (John Lennon)

('03.6.3)午後、大谷後援会事務所で作業。プリンタ等の導入、HPの一部手直し、メアド設定等、もろもろ。インターネットの接続が時々切れて、不安定だ。自分で引いてないLANなので、原因がつかめない。
 毎日稼働せず、しかも必ずしもコンピュータを知ってない人が複数でさわるマシンなので、とりあえず自動化できるところはしておいて、シンプルな設定に努める。
 
 各上場企業の決算が出そろってきた。設備投資の状況を見ても、結構健闘している。しかし結局金融などの制度やシステムが足をひっぱっている。                                                          
 国民生活白書のおかげで、若年労働者問題がようやく共通認識になってきた。結局問題は需要とその創造だ。将来の全体像を明らかにして、負担は負担として増加させ、トータルでの取捨選択の判断を国民に求める。この国には無理だろうと思えるところが寂しい。

('03.6.2)随分先だが、今度の天神祭にどんな料理を作るか、久しぶりにボビー・コールドウェルなど聞きながら考える。  oh MY FLAME, something will never change,......
 生姜をきかせた魚の清蒸で、季節柄スズキなんぞも考えたが、これはやはり少人数向き。(日曜に神戸あたりで食べたいな。)
 前回パスタが好評だったので、素直にパスタ2種で行くとしたら、ひとつは夏向きに冷製トマトソース。ニンニクとレモンをきかせた冷たい細麺(カッペリー二)。
 もう一つは違う彩りで、緑色を使うかな。ホーレンソウのパスタ。バターは使わず、麺はタリアテッレかペンネか。これは、もすこし考えるなり試作してみよう。

 てなことを考えていたら、やっぱ食べたくなってきた。最近低コレステロール志向なので、今夜は、鯛とフルーツトマトのソース。甘酸っぱいフルーツトマトを丸ごと入れて、ハーブと塩こしょうで味付け、パキッと焼いた鯛の身・皮の旨味と、仕上げのルッコラで初夏向きの味。やっぱりパスタはやめられん。

('03.6.1)今日はお土産を2人の方からいただいた。ヨーロッパのお土産は、ピカソのデッサンのメモ帳とオーストリアのファーバー・カステルのサインペン。どっちも素敵だが、サインペンの色には感心した。スッキリしたそれでいてケバくない色。特にグレーがいい。こういうのは、ホントにセンスの問題だし、長い時間をかけた文化が裏に蓄積されているのだろう。
 もう1人のニューヨークのお土産は、イギリスの知的なテナー、イアン・ボストリッジがうたったブリテンのセレナードなどのオケ伴歌曲のCDとエール(娘さんの留学先?)のチョコレート。チョコはシンプルな懐かしい味。イアン・ボストリッジはとても伸びのある良い声で、ブリテン独特の陰影をつぶさに伝えてくれる。特に叙情的なセレナードが好きだ。
 それらにお二人の気持ちが加わって、とても嬉しい1日だった。

('03.5.31)台風一過、とはいかず、風が結構吹いた日だった。でも湿度が高い。夏が来ようとしている。
 この夏をどう使うか。ぽちぽちとスケジュールが入ってくるが、それぞれに大事なイベント。ひとつひとつ丁寧にやっていこう。
 それはそれとして、沖縄にも行きたい。旅行社が解散するので、10月のイタリア旅行が飛んでしまった。どうするか。母を連れての台湾行きが延期なので、温泉にでも行くとしよう。
 一夏プルーストに耽溺するというのは、10年くらい早いかもしれない。いろんな経験でも人との交流でも、アクティブな方向に行こうと思う。
 What shall we play today?

('03.5.30)証券会社から、米ドル割引債の出物あり、と電話があり、すぐ送金手続きしに行く。ソニー銀行をのぞき、国内の米ドルはこれでシフト完了。それにしてもソニー銀行は結局使い勝手が悪い。
 香港からは、特別金利預金の案内。SARSで香港も厳しそうだが、とりあえずこれで絵が描ける。デフレがらみで世界的に金利低下傾向なので早く手を打つ必要がある。

 その後本屋で欲しかったのを何冊か入手。特にP.マキリップの「イルスの竪琴」シリーズは復刊を心待ちにしていた。緻密に構築された大人のためのファンタジー世界。単純明白な悪はいないし、英雄もいない。人が傷つけられたり死んだりするが、皆自分の思いを生きようとして争う。世界を支える「偉大なるもの」と、傷つきながら自分を発見していくその世継ぎの物語。ろうそくの炎の下、竪琴の音とともに古の伝説と、今に生きる人々の物語が重層的に繰り広げられる。静かで、美しく、切ない。

 引っ越しなどの度に、「またいつでも買えるさ。」とあっさりと本も整理してきたが、年月が経つと手に入らないものも多い。超A級は大丈夫だが、AマイナスやBプラスくらいが危ない。やっぱり繰り返し読みそうなのは、置いておかなくてはならないかも。難しい。

('03.5.29)ダイソンのクリーナーが届いた。排気はなま暖かいが、匂いは全くしない。ホコリがとれること、とれること。まあ、これで母が来ても掃除の仕事は減らすことが出来そうだ。
 夜は大谷玲子後援会の打ち合わせ。事務面の打ち合わせをしてから、後援会公式サイトHPをようやく仮アップする。また、新しい人と知り合いになる。音楽を共通項に、少しずつ広がっていく輪。

('03.5.28)土曜日の「音と戯れる会」で会員の方に、スピーカーの資料をお願いしたところ、懇切な手紙を添えて郵送してくださった。大変有り難い。やはり人のつながりは大きい。
 自宅オーディオやAVのサブ用としてだけでなく、お隣のギャラリーで映像上映会などする時のモニターとしても使えるものを前から考えていたが、いろんな機種を借りて来るにしても特殊なものになるので、オーディオ店も取り寄せになってしまう。一方、実際に鳴らしてみなければ、使えるかどうか分からないし、ハズレとなったときに困る。
 そこで、定評のある小型スピーカーユニットを使って箱を自作し、しかも低域特性を調整可能にしておく。これならコストも凄く安いし、ハズレてもリスクはない。
 自作だと見映えが悪いんじゃないかって?元(現?)クラフト少年の僕をなめてもらっちゃ困る。モニターブラック仕上げなんかも出来るんだぜ。ふん。

('03.5.27)”WATARIDORI”を見る。美しい映像。一緒に育てた小型飛行機にカメラを載せてとった飛行シーンが凄い。
 彼らは4千キロにも及ぶ旅をする。泳げないイワトビペンギンさえ海流に乗って千キロも移動する。けが、猛禽類、人間や動物。危険が山ほどある。たどり着けない鳥も多い。定住する種も多いのに、なぜこのような苛酷な移動が本能に組み込まれたのだろう。えさ場の分散か、個体数の調節か。
 いずれにせよ、確かなのは、これが彼らにとって生命の営みであり、この星がある限りこれからも繰り返されるだろうということだ。束の間の繁殖と子育て、移動、そして移動。タンチョウヅルはパートナーと毛繕いをし、パートナーと踊る。

 ナレーションは言う。「これは、約束の地へ帰る旅だ。」と。
 「大離散(ディアスポラ)」という悲劇があったにせよ、イスラエルびとにとって、シオンの地が約束の土地ならば、そこに千年以上住んでいたパレスチナびとにはどこが帰る土地なのか。
 ネイティブ・アメリカンが自然から借りて住んでいた土地を、約束の地と勝手に決め込んで「近代」法と私有財産制度を持ち込んで我がものとし、その虐殺さえ正当化する国家が世界をミスリードする。

 人間は本能が壊れているから人間たり得るのかもしれない。しかし、神を唱えるならば、イエスの言葉をこそ思い起こせ。『野の鳥を見よ。蒔かず、刈らず、これを育てず。しかるに汝らの天の父はこれを養いたもう。汝らはこれに勝る(すぐる)ものにあらずや?』

('03.5.26)やっぱ昨日はさっさと帰ってくれば良かった。疲れ気味で余り優しくない自分がいる。
 結局、起きていられず夕方一寝入りしてしまった。それで、思い立ってスピーカー間のキャビネットの上を片づける。花瓶を一個、CDを30枚ほど脇へのけてセンターを開けただけだが、結構音の見晴らしが良くなる。リッキー・リー・ジョーンズのヴォーカルが綺麗に広がって、彼女の唇の濡れ方が感じられる。何と安上がりな音質改善。
 CDラックのデザインの良いのがあったら買っても良いし。

 明日はヨドバシへ、ダイソンの新型の掃除機を買いに行こう。その名も「アレルギー・プラス」。カーペットの奥のダニやハウスダストまでちゃんと吸い込むんだそうだ。これで、喉もスッキリするかもしれない。
 自分で言うのも何だが、こんな風にあれやこれやを前向きに考えている方が、よっぽど自分らしいと思う。

('03.5.25)昨日は「音と戯れる会」で、新旧会員が半々という感じで、新鮮さとまだこれからという感じが入り交じっていた。この3ヶ月続けて参加できたので、かなり集中的に把握したり整理できたりして良かったと思う。
 今日は割と疲れていたので、すぐ帰ろうかとも思ったが、せっかく来たのだからという感じで、ホテルから一番近い新宿へ。もう何も考えなくても行けるパークハイアット。人も少なく、この広々した空間は安らぐ。(六本木ヒルズなんか当分行く気なし。)
 コンランショップで中華の蒸籠2段蓋付き1,980円を見つける。丁度中華鍋に載る大きさ。迷わずゲット。これで、南京町まで買いに行かなくても済む。多人数の時の点心類も一気に蒸せるし、魚の清蒸(チンチョン)なんかも出来る。
 昼食は地下の「茅ヶ崎 海ふね」でしらす丼と「ワラサ」(天然のハマチのやや大型のもの)の刺身。このビルに来る大きな理由はこの店。相変わらず魚の鮮度がいい。(隣の「西安餃子専売所・小桃の里」もなかなか。)地下の紀伊国屋が別の本屋になってたのは残念。結構気合いの入った品揃えだったのに。
 疲れたけど、まあまあの気分で帰阪。
 でも東京には少し飽きたところもある。どうせなら、暑くなる前の沖縄に行きたいなあ。前回行けなかった、ひめゆりの塔なんかの南部戦跡もちゃんと行って、モノレールが出来る前の国際通りでのんびりしたいなあ。

('03.5.23)月曜日の夜はお隣のギャラリーで働く若いアーティストの個展のオープニング。彼女の軌跡が少しずつ分かってきて、特に自分探しでアイルランドやイギリスに行った話はよく分かる気がした。
 今夜は伊丹でご招待頂いたピアニストのシューマンの演奏会。カジュアルなトークが面白いが、そこからまたアーティストとしてのいろんな葛藤も見えてくる。早いパッセージを引くときも彼は急がない。テンションを高めていくよりも、心のひだをなぞる方を、大抵は選ぶ。そこに現れる等身大のシューマン。
 アーティストの顔や声に接することが出来るイベントは、やはり面白い。

 明日は「音と戯れる会」で東京に行くので、更新はお休みれす。

('03.5.22)新聞や雑誌のスクラップを整理した。少しスッキリしたが、経済情勢を思うとため息が出る。最近僕にも資産運用の生徒さんが何人か出来たので、主要なとこだけわかりやすく整理してみよう。

1.国債と借金の話
 日本の国・自治体などの借金はおよそ700兆円くらい。当然、国債がどっと出回っている。日銀がいくら銀行への貸出を増やしても、不良債権が足引っ張りで、リスク管理のノウハウもなく、安全な投資対象がないので、金融機関はじゃぶじゃぶに余った資金で殆ど国債を買っている。それもあって、国債価格は高い一方、長期金利は軽く1%をきるくらい無茶苦茶に下がっている。
 しかも日本国債は格付けがべらぼうに低いので、海外の投資家から相手にされず、9割以上が国内で保有されている

2.米国の財政赤字と国際収支の赤字
 クリントン時代に財政黒字にしたのも束の間、軍事優先のブッシュ政権はせっせと財政赤字を増やしている。
 一方、昨年の国際収支の赤字は5千億ドルを超え、史上最高になった
これは要するにアメリカへの投資(米国債などを買ったり、株・事業・土地の購入など)で、資金が環流してこなければ、アメリカ経済自体が回らない、ということを意味する。

3.日本の貯蓄率が急速に低下している
 日本は1,400兆円の個人資産があるから大丈夫といつも政府は言う。
 しかし、2000年に.9.8%だった貯蓄率が、2001年には6.9%に下がっている。背景を見ると、1,400兆円の個人資産の大部分は高齢者が握っており、一方現役は必死で貯金している中で、高齢化によりあまり貯金しない世帯が大幅に増加している事が大きいようだ。
 つまり、国債を買う原資である国民貯蓄が減少傾向にあり、数年後の団塊世代の引退でこの傾向はより強まると見られる

1の長期金利が超低金利のまま維持され、大量の国債の価格が高く維持されている状況は永続可能だろうか?

答え:最近財務省で「国債管理政策」という言葉が頻発しているが、要するにこれは長期金利を低いままに維持して、国債価格が下がらないようにする、ということだ。(つまり、庶民が貯蓄を殖やせる余地がほとんど無い状態が続くわけだ。トホホ)
 しかし、3の貯蓄率減少が長期的には大きなマイナス
 次に、現在これ以上の超低金利は物理的に余地がほとんど無い。つまり、今後の変化は金利が上がる=国債価格が下がる事しかない。
 国債価格が大きく下がったら、日銀・金融機関の資本・資産内容は大きく損なわれる。
つまり、株安が屋台骨を揺るがしたのと同じ事が起こる。しかも金利が上がると言うことは、国・自治体の借金が自動的に増えていくことを意味する。

2の経常赤字については、グリーンスパンFRB議長自身がこう言っている。
 歴史の教えに寄れば、米国への資本流入が無限に続くとは考えにくい。
 もし止まったときにはどのような事態が起きるか?彼は収支の調整はソフトランディングもハードランディングもあり得るとのべ、いつ、どのように起きるかは分からないと言う。

 要は、今の状況は永続可能とは言えず、なんらかの波乱が発生するだろうと言うこと。我々は何が起こっても不思議ではないくらいボラティリティーの高い世界にいるということ。
 少なくとも、自分の身を守る準備をしておかなくてはね。

('03.5.21)大谷玲子後援会のHP画面の作成を完了したが、事務局長をやってる友人からはむしろ会員管理ソフトの催促あり。こっちの方が簡単なので、すぐにエクセルで組んでメールで送る。要は、申込と会費納入をチェックするのが大事なので、それぞれの日付を入れたら人数や金額を自動計算するよう関数を設定する。単一の発生源入力でやらないと、手間がムダだし、間違いが発生する。
 彼はタックシールにこだわっていたが、シールをはがして貼るのもムダなので、「筆まめ」にデータをエクスポートして直接葉書や封筒に印字するほうが良いことを説明する。あまり難しく考えず、出来るだけ手間を省く方がいいと思うんだが、作業の手応えがないと、イメージが湧きにくいようだ。みんな忙しいんだし、シンプルが一番。

('03.5.20)ふとワインが飲みたくなって、何年か前から置いてあるスペインの赤を見つけて開けたが、てんで駄目。持ち味のとろっとしたのがどこかに行って、ただの酸味ばかりが強くなっている。おそらく3年くらい玄関においてあったのだから、無理もない。料理用に格下げ。これに懲りて、他のもやっぱり早飲みで行かなくちゃ。

 明日はキノコ(シメジかマッシュルーム)とツナと沢山のトマトでボスカイオーラなど作ろう。香り付けにワインが使える。久しぶりに、鶏肉のワイン漬けなんぞやろうか。油まみれの皮は食わないという強い決意のもと。ルッコラと新キャベツなんか合いそうな気もするし。

('03.5.19)昨日、日本橋のオーディオショップの店長といろんな話をしてきた。きっかけはCDの音の質感をかなり改善できる機器の事だった。彼が言うには、『35歳を境に、それより若い人は生まれたときからCDしか知らないので、とげとげしたデジタルの音が当たり前で育ってきており、より自然な音を理解できない人が多い。アナログをきかせても、良さを感じる人は親がLPを聞いていたというような人で、生も含めて経験量の少ない人には反応が少ない。
 確かにこういう道楽は経験がものを言う。昨日の評論家も、『しょうもないアクセサリーにお金を使うよりも、生の音を沢山聞いた方がいい。結果として、その方がよりよい音を出せるようになる。』と言ってたっけ。僕がわざわざ東京まで出かけていくのも、そういう物差しを一杯持ちたいからだ。
 それにしても、オーディオは相当の高齢でもできる趣味だし、おそらく数十年も保存が効かないと言われているCDに比べて、LPはほぼ永久的に持つので、まだ当分アナログを含めたオーディオ全般はある程度の規模を維持できるだろうが、将来的には全く心許ない、というのが正直な所だろう。
 そのうち固体メモリのキャパが飛躍的に上がったら、それがメディアの主流になるだろうが、今でもMDやMP3のようなCDから、さらに間引き(「圧縮」という言葉はごまかしだ。)した音で十分だと思っている人たちが増えている中で、キャパを活かすフォーマットが低ければ結局話にならない。せめてCD並のリニアPCMでやって欲しいが、それもどうなる事やら。
 いつか病院で暮らし始める時までに、いろんな音楽をアーカイブ化して、PCと最高のヘッドフォン、コンバーターを持ち込んで音楽を聞きながら一人で死んでいく計画なのだが、どうも実現は危ういのかもしれない。音楽くらいちゃんと聞かせてくれよ。トホホ。

('03.5.18)今日は昼一からオーディオの試聴会。といっても、コーディネーターがクラシック音楽の雑誌を出すような、オーディオ評論家では唯一スコアを読めるような人なので、アーティストや楽曲の話が多く、なかなか面白かった。出す音も同じ代理店のデモとは大違いで、控えめな音量で空間表現に優れた優しい音だった。
 彼が特に言っていたのは、新しく大フィルの音楽監督に就任した大植英次。再来年にはバイロイトで日本人として初めて招かれてワーグナーのオペラを指揮をすることで先頃話題になった。何枚かCDを聞いたが確かに緻密でしかも切れがいい大きな音楽。1955年生まれだそうだが、イギリスのサイモン・ラトル、ベルギー王立歌劇場の音楽監督に就いた大野一志などと並んで新しい世代の台頭が著しいようだ。
 こんな指揮者を身近に聞けるのだから、大阪の人は幸せだ、とまで彼は言った。確かめに行かなきゃならんなあ。財団の人にチケットを頼もうか。フランチャイズはザ・シンフォニーだし。帰りにとびきりの寿司も食えるし。

('03.5.17)夕べは25年来の友達連との飲み会。一人が昇進したのでそのお祝いも兼ねる。この間、一人が亡くなって人数は一桁になってしまったが、年数回ほぼ全員が必ず集まる。1次会の後は、これも25年来のつきあいのスナックで(といっても僕はそんなに行ってないが)、夜半過ぎまでウイスキーとカラオケに興じる。
 皆もちろん協調性はあるが、それぞれに個性的でわがままな連中。こんなに長い間続いてきたのは、みんなのまとめ役になれる、冷静でバランス感覚に優れた人がいるからだ。
 「好きにせん会」だってそうだと思う。その管理人さんがドイツから今日帰ってくる。どんな顔をして、どんな土産話を聞かせてくれるだろう。一路平安。

('03.5.16)昨日、母から腰が痛いとの電話。弟は仕事があるので、今朝僕が病院に連れて行く段取りをしていたら、少し良くなって歩けるから近くの施設に赤外線を当てに行くとのこと。ちょっと良くなるとすぐ家のことをしたりするので、弟と相談して、出来るだけじっとしているように言い聞かせ、何かあったらすぐ電話をもらうことにした。
 ということで、今日は外出を取りやめ家で待機。夜は弟も家にいるし、昔からの連れ達との飲み会なので、出かける予定だが。離れていると、何かともどかしい。

('03.5.15)雨模様。いろんなタスクを順番に片づける。大谷玲子後援会用のプリンタの発注。会員管理兼収入管理データベースをエクセルで一本化して作り、そこから住所管理ソフトへデータをエクスポートして郵便物関係を出力する構成で組むことにする。ソフトの購入依頼。HP画面をラフで検討。
 各種の振込。LPのアメリカへの発注。ビートルズのアビーロードの特別盤がようやく75ドルで出た。勿論中古だが。
 HDD-DVDレコーダーのインターネット設定。ルータとの関係で手間取ったが、直接パソコン側から管理できるのはかなり便利そうだ。
 
 ところで、ずっと続けているストレッチが効いてきて、今まで血行の悪かった所に少しずつ血がめぐり始めている。やっぱり不自然なことをして歩いているということを実感する。もっといろいろと工夫しなけりゃ。

('03.5.14)今日はこの1年にいただいた名刺・名簿の整理をしてみた。予想よりもずっと沢山あって、こんなに多くの人との出会いがあったんだと、改めて思った。好きにせん会、ギャラリー関係、音と戯れる会、大谷玲子後援会その他色々。感謝、深謝。

 その最中に、先日クレオ中央で聞いたピアニストの田尻洋一氏氏から、コンサートの案内と招待券の打診の手紙がきたので、喜んでお願いをした。以前は、外タレしか聞きに行かなかったのだけれど、日本も凄い国になってきて、それぞれの音楽性や持ち味とポリシーを持った音楽家が身近にいてくれる。そういう人たちと一緒に音楽を楽しんで行けたら、やっぱりすごく素敵なことだと思う。
 何か心嬉しくなる1日だった。

('03.5.13)和室の畳の入れ替えで、朝から業者さんが来られた。畳をはずすと、防湿用のシリカゲルの粉が波のように広がっている。どこかで見た風景だと思っていたら、竜安寺の石庭。そういえば昔、天保山のマーケットプレースで、箱入りのミニ石庭を売っていた。欲しかったのだが、置く場所が無くて結局買わなかった。今ならホビーテーブルか何かに埋め込んでしまうのだが。刷毛目をどう回して、どこに石を置くか、結構ゆったりした時間を過ごせるだろう。

 それにしても新しい畳は匂いも良くて清々しい。こんなに青かったのかと、改めて驚く。よく眠れそうだ。
 夜は大谷玲子さんの後援会の打ち合わせ。これで内容が決まり、僕の担当するHPもようやく仮アップのめどが立つ。

('03.5.12)えらい目におうてもた。MCヘッドアンプの音をスッキリさせるため、アクリルコーンを下に噛まして何とかプリアンプの後ろに押し込んだら、左チャンネルから音が出ない。チェックのあげく、パワーアンプの入力ジャックのハンダ付けが浮いている。カルダスの入出力端子は音はいいのだが、銀ロジウム合金でものすごくハンダ付けが難しい。低融点の専用ハンダを使ってさえ、長時間鏝を当てる必要があり、30年ハンダ鏝を握ってる僕でもそう思うくらいだから、相当のものだ。メンテの度にチェックしなけりゃ。
 ところが、それを直しても音が出ない。結局、プリの後ろにMCヘッドアンプを押し込むときにカルダスのプラグを使って作ったケーブルを曲げる角度が急になったため、ハンダ付けがはがれてしまったのが原因。オーディオクエスト製だが単線なので、ケーブルが硬い硬い。これでもかというくらいハンダ鏝を当て続けて、ケーブルを曲げ伸ばししてチェック。
 これだけをトラブルシューティングしてフィックスするのに何と5時間。その後のLPの音は凄く切れが良くなったのだが、疲れたの一言。
 教訓:スペースが厳しい場合はケーブルは柔らかいものを使うか、徹底的に曲げ伸ばしてハンダ付けのチェックをすべし。
 
('03.5.11)今日は母の日。亡父の遺骨を引き取りに、弟の車で迎えに来てもらって、滋賀に向かう。日曜なので道路も空いていて、お昼過ぎにはOAPまで戻ってくることが出来た。「河久」で個室を借りてゆっくりと懐石をいただく。母も懸案を一つかたづけられてホッとした様子だ。弟とも青臭い話を含めていろんな話をした。
 今年の母の日は、雨模様だが静かなゆっくりとした日曜日だった。

('03.5.10)昨日メールで返事した東京の方に、このHPをどこで知ったか聞いたところ、何とgoogleの検索ページとのこと。Yahooとか検索エンジンには一切登録しなかったのだが、やはり検索ロボットには検知されていたわけだ。本人が知らないところに、リンクが出来ていく。面白いような、ちょっと不安なようなスリリングさがある。それがネット上に公開することの意味でもあるのだけれど。

 午後からは、隣のギャラリーでヴィオラ・ダ・ガンバの伴奏でバロックダンス。ちゃんと聞けなかったのだが、最初のバッハがいい響きで、ダンスも華やかな感じだった。テオルボ(キタローネ)という大型のリュートを初めて見ることが出来た。それにしても90人を上回る凄い人出で、これまでの最高記録。終わってからスタッフと我が家でインド料理のテイクアウトの夕食会をした。なかなか楽しい。

('03.5.9)今日は本町の方で、新しいレストランのオープニングパーティーに行ってきた。その後、色々なおしゃべりをして、機嫌良く家に帰ってきたら、東京の知らない方から、オーディオについての問い合わせのメールが来ていた。確かに特殊な機器で、日本ではもう代理店がないので、詳細が分からないというのはとても理解できる。東京のような情報があふれているところでさえ、情報を必要とする人がいる。知っている限りのことをご返事したが、いってみればこのHPも知らない方々に見られていると言うことだ。
 
('03.5.8)季節が巡り始めている。初夏をはっきりと告げる5月の風。日差しの強さ。土や草花から立ち上る匂いも強くなり始めている。今日は温度も低く雨が降った。それでも、夏は近づいてくる。
 雨がやんだ後も、こんなにも心に忍び入るこの悲しみは何だろう。小さいとき遊んでいる最中に、突然訳もなく悲しくなったときがあった。あれは、このときがいつか終わることに怯えたのだったか。ままよ、分からなくても生きてる証拠なんだから、一緒に通り過ぎていく他はない。
 くたばり損ないのマイルスでも聞き、少し気合いを入れよう。
 
('03.5.7)もう五月。新年の日記を読み返すと、出来ていない目標がいくつかある。母を台湾に連れて行くのはSARSの関係で致し方ないので、どっか近場の温泉にでも行くことにしよう。イタリアには行けそうだ。
 PC-UNIXのマシン立ち上げやNPOの勉強は全くの手つかず。運転免許もいつのことか。でも、一方で人とのおつきあいが広がってきているので、これは嬉しいことだ。やっぱり、そちらをまず優先しよう。
 この日曜日には亡父の遺骨を奈良の菩提寺に移す段取りを始める。いろいろ気をもんでいたが、これで母も一安心だ。母の日には少し遅れるが、滋賀へのドライブがてら親兄弟揃ってみんなで食事でもしよう。

('03.5.6)今日の午後は、ベランダで空の色の移ろいを眺めながら過ごした。

Azure  青、蒼、碧。薄くなっていく空気だけで、実際には何もないのに、届く光の長さで色がついてしまう不思議。海の碧とはそこが大きな違い。光の航続距離はどれくらいなのか?途上で力尽きる光はただ消え行くのか。空に溶けるのか?

Parfume  空気が薫り始める。土や木々や草花やいろんなものの匂い。風の匂い。雨の匂い。川の匂い。夕暮れには夕暮れの胸締めつけるような匂いがある。我が属する夜の匂いは?

Depth  空には底がない。どこまでも広がっている。近視を直すには空を見上げろと言われたものだ。有限しか見えない僕らの目はどこへ焦点を合わせればいいのか?非ユークリッド幾何学なら無限の彼方で平行線も交わるが。

Sounds  風の音、町の音、学校の音、子供の声、鳥の鳴き声、遠い波のような都会の低いノイズ、空をよぎる異物=飛行機の強引な轟音。すべてのものは揺らぐ。たゆたう。もっともっと耳を澄ませれば何が聞こえる?

 Cool Runnings. Everything is all right. 一切があるべき所にある。

('03.5.5)借りてきたDVDを見ると結構傷が入っている。たまたま手持ちのCDを東レのトレシーで拭いてみると、よく聞いているのにはやっぱり傷がある。その部分を再生するときには、補正しているので音は飛ばないが、確実に音質は低下しているのだろう。思わぬところで、デジタルメディアの弱点が見えた。カートリッジ入りのDVD-RAMにも長期使用のメリットがあるというのがはっきりと実感できた。
 それでいくと、LPの場合傷ははっきり音に出るので、かえって識別が可能ということだ。音質のいいものを選択していける。といっても、何枚も買い換えていくのは結構物いりなので、相当入れ込んでいるものしか買わないが。今回入手したE.ギレリスのワルトシュタイン・ソナタのLPは凄く盤質が良くて、2枚目でOKになった。何だか嬉しいが、これってやっぱりディープなのかな?

('03.5.4)『夏至』のメイキングを見る。窪塚洋介にとてもよく似た、シャープな感じのトラン・アン・ユンが主としてフランス語で、そして時々、おそらくはベトナム語と英語で指示を出す。「アクシォーン!」「カットゥ!」
 クルーは各チームのヘッドが概ねフランス人。パリで成長したトラン・アン・ユンらしい編成だ。
 でも、できあがった映像は紛れもなくアジア人のものだと思う。ややアンダーステイトメントで静かな語り口。語られない部分も行間に息づいている。
 メイキングで見る限り、セットではなく実際の建物を使っている。まあ、雨は効果だけれど。
 カメラの外側は画面では見えない。映像というのは結局は切り取り方で決まる。だから、嘘だってつける。津和野で鯉が泳いでいる掘り割りは、ほんの50m位しかない。だが、観光客はそれが続いていると思いこんで来る。僕もだまされた。こういうのは良くない。
 だが、大事な部分に文字通り焦点を当てるためにフォーカスするのは、これとは違う。それは表現というものだ。抽出されたものは、現実より少しばかり美しすぎるかもしれないが、それは現実の、あるいはアーティストにとっての真実のエキスなのだ。
 一緒に借りてきた、前作の『青いパパイヤの香り』も見る。いやあ、心地よくはまりました。
 それにしてもバリ島といい、上海&アジア地域といい、僕が行きたいと思うところは次々にテロやサーズでやられている。
 Let’s all hope for peace. I only want to keep smiling.

('03.5.3)連休らしい晴天。空気が柔らかく暖められている。商店街を歩く人たちも何気に軽やかな感じ。
 昨日からトラン・アン・ユンの『夏至』を見る。ハノイに住む三姉妹をめぐる人間模様。映像が素晴らしいく美しい。アジア人には肌で理解できる、潤いのある濃密な空気。夏の暑ささえ美しく、雨も手水(ちょうず)の水も美しい。開け放した家で、夜は蚊帳を吊って眠る。こんな風景を懐かしいと感じるのは、おそらく僕らの世代くらいまでだろう。昔は日本にもこういう風景があったのだ。
 そして女と男、家族。人生はなかなかのものだ。喜びも悲しみも切なさも、静かでゆるやかな時間のなかで育まれていく。DVDで見たくなってすぐにツタヤに走った。
 南国っていいなあ。オキナワにもまた行きたいなあ。
 というわけで、今夜はゴーヤ・チャンプルー。キンキンに冷えたビールを、苦瓜の青い苦味を味わいながら流し込む。う~~~たまらん。

('03.5.2)一昨日のマネックス証券のメルマガに面白い記事があった。アメリカ在住のジェトロのスタッフが言う。『「着実に日本に対する関心は低下している」と。.................今海外にいる人間として、今の日本には何が足りないかで彼は面白いことを言った。「IPSS」だと。Idea、Passion、Stickness、Speed。順番に言うと、アイデア、情熱、執拗さ、そしてスピード。確かに、と思う点だ。「豊かに衰退できる」と思っている日本人が多いうちは、この状態は続くのかもしれない。
 「豊かに衰退できる」ということは、今の日本の状況をみると、結局何もしようとせず、単に皆がデフレ慣れしていく事ではないか。まだ資産はあるし、すぐにも困らないし、当分おとなしく、つましくしていよう、という感じ。でも、本当に豊かに、ゆっくりと衰退していけるのだろうか?そもそも未来に向けて汗を流そうとしない国に豊かさはとどまるのか?
 といっても、当面自分の個人資産を守りに行くことぐらいしか、出来ることはないか。

('03.5.1)今日から五月。もう始めていた衣替えの続きなどしながら、昨日気になっていたLPの鳴り方を改善するため、MCヘッドアンプの電源コンデンサを交換する。(→オーディオ日記)
 ゆっくりと何も考えず、手を動かす。手仕事が好きな理由はその間何も考えずにいられること。結果は上乗。とても深くて繊細でいい音だ。
 シューマンの「詩人の恋」の「驚くほど美しい五月に」を掛けたりする。フィッシャー・ディースカウの声の生々しさ。
 ボズ・スキャッグスの声の深さ。これでLPを腰を据えて聞く事が出来る。

('03.4.30)いやあ、うまく行かないのは疲れるものです。注文していたDVD-RAMがアキバから届いたので、ドライブのバックアップに使おうとした。同期を取る必要があるので、付属ソフトを使い始めたところ、まずフォーマットが出来ない。いろんな、DVD関係ソフトがじゃまをしているようなので、殆ど使わないものは削除。それでもだめ。何回かやっているうちに、何かの拍子で出来るようになる。パスがようやく通ったらしい。
 なんなんだ、これは!となるのを抑えて、次はバックアップしに行く。こんどは、何回やっても最後の最後でエラー。話にならん。
 以前は徹夜してもやっつけていたが、そんなことはもうしない。さっさと寝る。それにしても、相変わらずコンピュータというのは困りものだ。トホホ。

(PS.)実はこの後も少しじたばたした。結局ファイルやフォルダの中で、そのままコピーできないものがエラーとなるようだ。
 ドラッグ&ドロップで直接DVD-RAMにコピーしに行くと、データベースの暗号化についてストリーム情報が失われる可能性の警告が出る。もともとWebのあちこちからから持ってきたデータなので、色々あるのは当たり前で、そんなのをバックアップできないなんて意味あるんだろうか?異常終了させるなら、せめてもう少し分類したログぐらい吐くのがユーザーへの仁義ってもんだろうが!
 使えないソフトだ!これなら、はじめからドラッグ&ドロップで十分だったんじゃないか。
 一方、USB2.0のDVD-RAMドライブは凄く早くて、ほぼハードディスク並みの感覚で使える。まあ、これでチャラにしとこう。

('03.4.29)ここんとこ、少しへヴィーな事ばかり書いたので、閑話休題。
 10月始めにイタリアへ行こうかなと思っている。フィレンツェの15Km位南のアグリツーリズモ=農家というか農園の地主の館に泊まり、イタリアの田舎暮らしを満喫する旅。静岡の主婦の希望を旅行社が形にしたのだそうだ。村や農園の見学は勿論、ワインのテイスティングもある。オプションでトスカナ料理の講習会や、サンジミニャーノ、モンテプルチアーノ(いずれもワインの名産地)観光などもある。
 自由行動の日にフィレンツェに一日ゆっくりと遊びに行きたいのだが、予想通り車がなければ動けないらしい。まあ、もとから定点観測的な旅をしたかったし、スローフード運動の発祥地トスカナはまた来てみたいと思う所になるだろう。
 それにしても、最近結構体重が落ちてきているのに、どっさりと脂肪という土産を抱えて帰ってくることになりそうな気もする。自慢じゃないが、とても自慢にならないが、誘惑にはてんで弱いからなあ。

('03.4.28)昨日書いてしまったから、最後まで言ってしまおうと思う。
 もともと僕は凝り性で、こうと思ったら延々と積み重ねて行く性格なので、ディープな人間だという自覚は持っている。でもそれは自分にとって大切なものが凄く少なくて、その値打ちが痛切に分かるためでもある。
 あっさりと言ってしまうが、僕という人間の底には欠落感がある。いって見ればブラックホールがこの体の中にある。去年自由人になったときにも、これからの長い秋と冬を生きていくために、どれだけ慰めを見つけられるのかな、と思っていた。自分には愛なんてものは、もう縁がないと思っていた。生きてこのいのちがあることには本当に感謝しているけど、自分が幸せであるなんて思ったことは、比較的最近まで無かった。
 だから、見つけてしまったときには、その値打ちが痛いほど分かる。一見淡々として見えても、こういうときには深い思いを注いでしまう。注がれる側になってみれば、重くてたまらないだろうけど。さほど思いがないときにはさらっと行けるくせに、皮肉なものだ。
 僕にもいろんな事は見えるので、幻想など持っていない。しかし、ようやく大切にすべきものを見つけたら、誰でも同じ事をするだろう。
 これは僕の事情なので、だからどうという事にはならない。でも、できればもう何も失いたくない。

('03.4.27)失わないと分からない事ってあるんだなあ、と最近とみに思う。若い人や若いと思ってる人にはその傾向が強い。デモね、人は歳を取るんだよ。若さも、柔らかさも、しなやかさもいずれは失われる。昨日できたことが、今日出来なくなる日が来るんだよ。
 だからこそ、今しかできない事がある。だからこそ大切にしなければならない事が、その値打ちが分かる。
 いつまでも明日が、未来があるわけではない。人にはいつか過去しかなくなる日が来る。思い出だけで心を温めて、なんとか一日一日を塗りつぶして行かなければならない日が遅かれ早かれ来る。
 でも、人生というものは大抵そうなんだけど、分かったときにはもう遅い。失われて初めて分かる値打ちがある。
 でもあらかじめ失われている人々だって、生きているんだ。求めているんだ。
 せめてそのことだけは分かってほしいと思うな。

('03.4.26)今日は久しぶりに昼前からずっと外に出ていた。夜、結婚披露宴があってとても楽しかったのだけれど、今日の収穫は昼にクレオ中央で聞いたピアニストの田尻洋一氏。ショパンの幻想即興曲からプログラムが始まっていたので、多分テク系のバリバリだと思っていたら、とても柔らかいショパン。ごく自然な呼吸で始まり、少しテレながら終わる親密なピアノ。リストのラ・カンパネラもこれ見よがしでない。テクの方は自身の編曲によるベートーベンの第五交響曲で嫌と言うほど分かる。
 終わってから、御本人と話せたのだけれど、ものすごくまっとうな人。こんな懐の深い音楽家が身近にいるなんて、日本も豊かになったもんだ。

('03.4.25)DVD-RAMを買いに行くと、Video用とパソコンデータ用の2種類がある。論理フォーマットの種類が違うらしい。また一つ勉強する。HDDレコーダーの録画を編集する。普通のレコーダーは15フレーム単位だが、東芝は1フレームずつ切れる。つまりCMの頭からきれいにカットできる。これは凄い。
 そしてDVD-RAMにダビングする。レートの変換なしでの一括高速ダビングは2時間分を10数分で終えてしまう。レート変換やDVD-Rへのダビングの場合は、はほぼ実時間かかるらしい。
 パソコンにもパナソニックのDVD-Multiドライブを外付けする。ここでもやはり速度の速いRAMの使い勝手が良さそうだ。今まで我が家の大量データ・バックアップはMOだったが、スキャナ取り込みなどが増えてくるとMO1枚では厳しくなる。これからは、約10万回書き換え可能なDVD-RAMがメインのバックアップ・メディアになる。コンビニでもRAMやRが売られる時代がすぐ来るだろう。
 
 今年は、映画「マトリックス」が2編も公開され完結する。6月に「リローデッド」、11月に「リヴォルーション」。モノクロの映画や、いま上映中のWATARIDORIのような映像も好きだが、あのCGと実写が一体となった濃密な映像をまた堪能できる。とても嬉しい。

('03.4.24)今年は結構天候不順だと思う。季節の巡りに、体が上手くついていく事ができていない。
 だからといってブーたれているわけにも行かない。どこから始めよう?
 思い切り眠りたい。今はそれだけでいい。

('03.4.23)近頃、いろんなおつきあいでコンサート関係の情報が沢山入ってくるようになった。その中での一押しはバロック・ヴァイオリンの世界的名手の寺神戸亮さんが6月に神戸でバッハを弾く「酒蔵」コンサート。清酒福寿の醸造元の酒蔵ホールで、世界の名だたる古楽器オーケストラのコンサートマスターを歴任した寺神戸(てらかど)さんを聞く。きき酒が1人1個ずつついていて、しかも、すぐ横には自家製豆腐や山菜、手打ち蕎麦のお店がある。酒蔵見学やきき酒コーナーだってある。日曜の午後、ほろ酔いで大阪までいい気分で帰ってこられるだろうなあ。これは行かねば絶対後悔する。断固として行くぞ。

('03.4.22)和室の畳がすり切れてきたので、昨日建築会社の人に見積もりに来て頂いた。後で、歳を教え合ったのだが、僕より2つ下のなかなか素敵な女性。1時間ほどの間に随分話し込んでしまった。
 いろいろな話をしたが、彼女もふくめて同年代の既婚女性たちは、8割までが家庭内別居だというのには驚いた、というかやっぱりそうかと思った。みんな一様に「悪い人じゃないんだけどねえ。」と言ってため息をつくんだそうだ。彼女自身も息子さんとは絆があるが、昔風の価値観の旦那さんとは殆ど話をしない。趣味も合わず、ましてや一緒に出かけることもない。奥さんが仕事をしている事も面白くないらしい。
 どうも最近いろんな人の話を聞く機会が多い。東京では、例会の翌日Studio K’sの山本さんと2人で5時間くらい話をしてきた。みんな色々ある。あるけど頑張っている。

('03.4.21)今日はお金の計数整理と資産運用の見直しをする。一日中マイクロソフトMoneyとエクセルとにらめっこ。大した額ではないけれど、結局リスク分散とドルコスト平均法の実践しかないなあ。日本のじり貧は変わらないと考えて良さそうだ。
 みんなよく分かってないと思うのだけれど、僕らのようなゴミ投資家からジョージ・ソロスに至るまで平等に与えられている資産がある。気づいていないだろうなあ。
 それは「時間」だ。資本主義の世界では全ては複利で運用される。だからリターンを考えながら、時間を味方に付けた者は、すくなくとも大負けはしない。ところが、「自分はそういうことに疎いから。」と言って放っておいて、ある日突然運用を始めようとしたときには、一番大事な資産は既に食いつぶされているというわけだ。
 自由を持ち続けたいなら、この世界ではある程度のお金が必要だ。コーランでは利子をとるのは卑しい行為とされている。しかし、僕はそのための努力は極めてまっとうな行為であり、自分の尊厳を守るための戦いだと思っている。日経をだてに読んではいるのでは値打ちがない。

('03.4.20)
昨日はリュートと朗読、今日はヴィオラ・ダ・ガンバとお隣のギャラリーで音楽漬けの2日間。
 実は、僕も時々声に出して詩を詠むことがある。立原道造やリルケ、旧約聖書。声に出すことで、いろんな事に気づく。言葉にはそれ自体のパワーが宿っているような気がする。

('03.4.19)昨日は、近くの小ホールで一風変わった催し。150人でこぢじんまりとしたいい感じのホールだった。音は思ったよりドライだったが。星をテーマにピアノとヴォーカルと天文学者のトーク。最初はどうなることかと思ったが、この天文学者の話がめっぽう面白くて、中身もかみ合ってきた。

 本日の収穫。2ヶ月ほど前の成果として(NASA
が中心となって進めている衛星探査)では、宇宙年齢が137億歳±1億歳。ま、これはそんなもんかな、という感じ。
 一番来たのは「宇宙には果てがない」という結論が出たこと。そして宇宙は目に見える星のような「普通」の物質が4パーセント、23パーセントが見えない物質(正体不明でダークマターと呼ばれているらしい。)、残り73パーセントが「ダークエナジー」によって構成されているらしい。
 インターネットで検索すると、『「ダークエナジー」とは通常の物質とは異なり,重力的に引きあうことなく,宇宙の膨張を加速させるエネルギーのこと。アインシュタインが導入した宇宙項がその代表。直接そのエネルギーを測定することは困難であり,宇宙の膨張を通じてのみ存在が期待されているため,ダーク(暗黒)の名前がある。』

 終了後、天文学者をつかまえて3つの質問。
1.果てがない『宇宙』の定義は? → 我々が属するその宇宙が果てしなく広がること。その意味での果てがないということ。
2.宇宙では光速が限界のはずだが、光速を越えてそのさらに外側というのはどうなっているのか?
 → アインシュタインの相対論でその外側はない、という形で守られている。
3.熱力学の第2法則が正しいとすれば、広がる宇宙は『熱的な死』に向かうはずだが? → その通り。

 う~~む。ビッグバンで爆発したときのエネルギーだけでなく、それを加速するエネルギーなんてものがあるのか。想像力がピリピリと刺激されるなあ。
 宇宙の膨張速度が光速に達したところに『果て』がある、というのは一応理論的には守られているらしい。光瀬龍が書き、萩尾望都が描いた『百億の昼と千億の夜』の基本フレームは変わってないようで、その辺は一安心したが。何千億年かの後、この宇宙も絶対零度の死を迎える。それもまた良いだろう。
 もう少し、イメージをつかまえに行こう。でも、当分これで飯を食える人が増えそうだな。

('03.4.18)「音と戯れる会」の約束事の改訂版を作り山本さんに送る。元の案は、あまり細かなことよりも「志」というか「心意気」のようなものを大切にして作った文章だったのだが、理解してくれる人がいて非常に嬉しかった。
 CDが何枚か届く。うち1枚が矢野顕子のデビュー作「ジャパニーズガール」の最新リミックス盤。「電話線」や「へこりぷたあ」なんか声が生々しくて若い、若い。なまめかしくて、くらっと来た。この前東京で出た、「理屈抜きに若い女っていいなあ。」という声を思い出した。

('03.4.17)DVDの話のとりあえずの締め。
 ソニーからブルーレイディスク・レコーダーが発売になった。DVDの約5倍の容量を持つディスクだが、重要なのはそれを活かしてBSデジタルハイビジョン放送の高画質信号を2時間記録できるということ。これまでは、デジタルVTRしか高画質の保存手段がなかったので、実質ストリーミングで見るしか方法がなかったようだ。このレコーダーの録画方式にはNTSC以外に、BSデジタル方式とあるので、デジタルのままで録画するということらしい。高度な著作権保護機能をもっており、コピーワンスにも対応可能とのこと。HDDは備えていない。HDDへのMpeg2録画だとNTSC経由で、直接デジタル録画にならないから。
(DVDは定着する途上にあるが、デジタル放送録画でも、結局アナログに変換した信号をMPEG-2で再度デジタル記録するので、アナログ~デジタルの変換の過程が何カ所かある。)

 しかし45万円。ソニーとしても、先行投資のようだが、一方でハイエンド・ホームシアターの映像マニアは、DVD映像フォーマットには限界があり、高級プロジェクターを使用するとアラが目立つという。ブルーレイディスク・レコーダーは、デジタルハイビジョン放送の高画質を保存する方法がようやくできたというだけでなく、高画質・高音質のメディアの録画再生方式が確立されるということを意味するらしい。

 要するに、将来の姿がかいま見えた、という感じで、当分はDVDレコーダーの使いこなしに精を出す事になりそうだ。我が家でもWOWWOWはアナログで加入しようかと思う。

('03.4.16)
午後からヴァイオリニスト大谷玲子さんの後援会事務所。マシンを確認して、HPの案をプレゼンして関係者の了解を得る。合間合間にいろんなこぼれ話があって、終わってから事務局長をやる友人や朝日新聞出身で元フェスティバルホールの役員をされていた方と喉を潤す。カリヨン(鐘を鍵盤でならすヨーロッパの楽器)の話から始まって、関西出身の知られざる世界的音楽家の話まで、縦横無尽に面白い話が飛び交う。その方のインターネットなどのご相談も受けることになりそうだ。いろいろとつながりが広がっていくのが楽しい。
 4月29日の大フィルのコンサートでは、終わってから大谷玲子さんの受賞祝賀会をグランドホテルで40~50人程度でやる予定だが、指揮をする西本智美さんも同じマネジメント事務所所属なので出席する。なかなか多彩で面白そうなパーティになりそうだ。

('03.4.15)
実はこの2日ほど喘息気味で、少し寝苦しかったりした。4~5月と10月は喘息持ちには魔の季節で、疲れたところへ漢方薬を切らしたりしたので調子悪くなったらしい。明日の大谷玲子後援会の打ち合わせの準備でHP案を作成したり、借りてきたMCトランスやヘッドアンプを聞いたり、録画していたドラマを見たりして、昨日今日は静かに過ごす。今日はもう落ち着いてきた。季節が巡ろうとしている。

 BSデジタルやWOWWOW加入も考え始めたが、考えてみると、この年末には大阪でも地上波デジタル放送が始まり、ケーブルテレビのホームターミナルの機種変更(デジタル対応と端子のグレードアップ)やいろんな要素が変わるだろう。工事費もかかることだし、それを見極めてからでも遅くはなさそうだ。マンションの管理費にも影響あるのかな?

 東芝に聞くとデジタル放送になっても、HDD-DVDレコーダーにはデジタルのままでは録画出来ず、チューナー側からアナログで受けて録画するようだ。
 また、「コピーワンス」の番組であっても、HDDレコーダーはDVD-VR規格なので録画でき、DVD-RAMにはCPRMという著作権保護・コンテンツ管理の規格があるので、HDDから1回だけ録画できる。DVD-Video規格であるDVD-Rにはコンテンツ管理の規格がないので、「コピーワンス」の番組は録画できない。
 我が家の場合、録画という観点からすると、要するにSケーブルがもう何本かいる、ということでそれ以外は余り変わらないようだ。(上位機種のX3だと、D2入力端子があるそうだ。)

 デジタルのクォリティで放送を見たければ、D3またはD4入力端子を備えたディスプレイを買えばよい、ということになるが、我が家ではこれはまだ先のお話。まだまだ高いし、でかいCRTはご免だし。
 液晶の中はデジタルで動作しているので、できればフルデジタルで動かしてやりたいが、録画という点をかますと、そうもいかないらしい。アーティストとしたら、デジタルコピーがどっと出回るなんて、確かに困るよね。
 あ、HDD-DVDレコーダーって結構うなるよ。うちのパソコンよりは、格段に静かだけど。

('03.4.14)Studio K's
での「音と戯れる会」も2年目に入り、いろいろと決め事を明確にしていかなければならない時期に来ている。主宰者の山本さんの好意にばかり甘えるわけにも行かないので、決め事を文章化しようということになり、僭越ながら僕が案を作ることになった。
 朝から山本さんのご厚意でお借りした機器などをつないだりしながら、内容を考える。あまり、ムキムキにし過ぎてもいけないし、オブラートにくるみすぎてもいけないので、その辺を考えて案文を作り山本さんに送る。
 それにしても機器を借りて自宅で試聴できるのは本当にありがたい。やっぱり、聞いた数が、経験量がオーディオライフというか音楽生活のやり方に大きな影響を与える。
 東京も桜が散り際だったが、OAP界隈も順次緑になっていくところだ。
「花は散りその色となくながむれば むなしき空にはるさめぞ降る」(式子内親王)

('03.4.13)
お茶の水のStudio K's。昨日の例会は少なめで、7人の男達がいろんなCDやアナログや機器を聞き意見を交換した。皆鳴り出したら程なく、その音の特徴や傾向を把握できる経験と判断力の持ち主、職業はいろいろだが、結構失敗や道楽もやってきて、遊び心を失っていない。好みと違う音でも、ちゃんとそれを認めるだけのセンスもある。お金も大事だが、使いこなしや工夫で同じ機器でも音は驚くくらい良くなったり、冴えなくなったりすることを知っている。主宰者の山本さんに言わせると「濃い人たち」。
 オーディオがディープで根暗な趣味なんて誰が言ったのだろう。音楽は色々あっても素敵で心を打ち、いらんな人たちの心をつなぐ。みんなとても楽しんでいる。
 たしかに、こういうつながりをもっと広げたいと思う。

('03.4.11)
ハンブルク。ハンザ同盟の盟主だった都市。ドイツの古都の一つ。港町。エルベ川。トーマス・マン「ブッデンブローグ家のひとびと」のトニオの独り言。「何だったかしら?なあーんだったかしら?」
 エリオット「夏は突然の驟雨を伴ってシュテルンベルガー湖にやってきて、我々を驚かした。」ノイシュヴァンシュタインまで足ものばせるのかな?フリードリッヒは趣味ではないし、あの濃密な空間は吐き気がするが。遠目に通り過ぎるくらいが多分ちょうどいいのだろう。ヨーロッパは文化の爛熟の匂いがする。俺達もそうなのか?エリーザベト! 

 と、これを書いたのは飲み会の後、家に帰ってからだったのだが、後で、ヤバイことに気がついた。バーを機嫌良く出たところまではしっかり覚えているのだけど、そこから家に着くまでの記憶が飛んでいる。(-_-;)
 50歳を越えてからこういうのは一~二回あったのだけれど、久しぶりに蒸留酒をまとめて飲んだせいか、そこだけ飛んでいる。おそらく、ご近所さんに車で連れて帰ってもらったのだろうが、変な事を口走ってないだろうなあ。m(_ _)m
 多分大丈夫だろうとは思うのだけれど、すご~~~く気になる。トホホ。

 「ホットマン」に出てるちっちゃな女の子、可愛いなあ。あんな風に娘と遊んだのは宝物のような記憶だ。同時に胸をかきむしられるときもあるけれど。
 明日からオーディオの会で東京に行くので、更新はお休みれす。
 となんだかんだいいながら、気になるなあ。う~~~む。('_')

('03.4.10)友達のHPを開くと、ドイツのワールド・メディアフェスティバルで作品が金賞受賞とのビッグニュース。凄いな。やったね。いろいろ思いが詰まっているのを、横で見ていただけにとても嬉しい。
 クリエーターというのは、こういう作品で何かを形作れるのが凄いし、メッセージを表明できるのがいいなと思う。You've got it! Go ahead!

 というのは、昨夜、HDD-DVDレコーダーのセットアップとテストランを終えてから、ようやく見ることができた次第。
 最近、いろいろと買い物をしたが、一番値打ちがあったのは、超低域用のサブウーファー。これは、その次に値打ちがあった。DVDもとても良かったが、HDD録画がいい。少し録画しただけだが、SPモードの普通音質レベルで、十分綺麗な映像。テープ特有のにじみが無く、安定した画と音。しかもこれで52時間録画できる。テープの事を考えずに、見たい映像を録画できて、ほぼそのままDVDに残せる。火曜日朝のサンテレビだって毎週録れる。これはいい。
 もし、賞金が出るのなら、これは買う値打ちあると思うよ。

('03.4.9)
桜が散り始めた。雨と、風と。エリオットが「四月は残酷な月」と言ったからではないが、春の訪れは結構暴力的というか、力まかせのような気がする。生命の芽吹くエネルギーなんだろう。
 いろんな人と会うことが増え始めた。変化の時期かもしれない。春の嵐?
 「浅き夢、淡き恋。遠き道、蒼き空。今日を駆けめぐるも、立ち止まるも、蒼き、蒼き空の下の出来事。」(井上陽水)
 ま、ゆっくり行こうぜ。

('03.4.8)昨日は遅ればせながらも、友達の誕生祝い。いやあ、楽しかったなあ。

 昨日、HDD-DVDレコーダーを注文し、明日の午後届く予定なので、昨日からDVDの規格・フォーマットを勉強している。
1.メディア(媒体)とドライブについては、当初からの RAMの他に、R,RW,+R,+RW
(圧縮すればCD-R,RWなどのメディアにも焼ける。)
2.動画録画(圧縮)方式としては本来は非圧縮のAVIだが、そのサイズが大きすぎるため、圧縮のレベルや方式によってMpeg1、Mpeg2(圧縮率AVIの約1/40),最近のMpeg4、の他に、DV-AVI(1/8)、DivX(1/320)まで色々ある。【これらを「動画圧縮コーデック」という】
 DVD-VideoはMpeg2を採用
 しかも、1秒あたりのデータ量(密度)は可変ビットレート(VBR)が普通なので、それもSP、LPなど数段階のレベルがある。
3.音声記録方式についても圧縮レベル等で、非圧縮のリニアPCM(CD並)、ドルビーデジタル(AC-3)、Mpeg1 Audio、Mpeg-2 Audio、DTSなど色々なフォーマットがある。要は最高でも音楽CD並だがデータ量が大きくなるため、通常は圧縮してそれ以下にしているということ。
4.録画モードとして、市販DVDなどでは、再生専用のDVD-Video形式が取られているが、追記・編集が必要なレコーダーではこれに準拠したDVD-VRあるいは、DVD+VRが使われる。(完全な互換では無い。)
5.これ以外にもCDに記録するための規格などあり、またパソコンでの対応のソフトが多数ある。

 もうこれで、頭が痛くなるのが普通だと思う。僕もきっちりとは分からない。
 一つはっきりしているのは、動画や音楽はデータ量が膨大であり、非圧縮のリニアデータとしては、現行技術ではメディア等のキャパがあまりに不足しており、圧縮などの技術により、あの手この手で詰め込む必要があるということ。
 しかし、あの手この手が多すぎるのがつらい。メーカーによって考え方が違うから、どこのメーカーの機器をたまたま買ったかで、実質的にやり方が決定されてしまう。
 東芝は今後のBSデジタルや地上波デジタル放送でコピーワンス(1回コピー)しか許されなくなる、という点を見込んでDVD-VR規格を優先して、DVD-RAMとDVD-Rを採用したという。DVD-RAMには直接録画も出来るし、DVD-RにはきっちりHDDに確保したデータを録画する、という使い分け。
 とりあえず、これだけの多様性の前で、悩まなければならないことからは解放されそうだ。
 それにしても、何でこれだけややこしくなるのか。早くキャパがあがって、リニアで全てが記録される日が来ればいいのだが、多分そうならないだろうなあ。やれやれ。

('03.4.7)ところで、新しい才能をまた一つ見つけた。鈴木杏(あん)。TVで見たはじめの印象はセーラー服の似合う女子高生、といった感じ。舞台で「奇跡の人」のヘレン・ケラー役をやってたときから、ただモノではなさそうな感じがしはじめたのだが、そこへ今回の映画「リターナー」。未来から戦争を防ぐためにやってきた戦士ミリの役。単なる若さだけではない、凛とした雰囲気の持ち主。声と表現力がいい。引くときも踏み込むときも、ストレートに出てくるモノがある。ネイティブ並の英語力。
 これからどんな女優になってくれるか。ダイエットしない方がいいかもしれない。
 Ok,the mission is completed. Good Luck!

('03.4.6)大川端は花見も満開。税の方は申告通りに還付されてきた。Got it!
 スピーカーの分を越えて、結構余ったので、HDD-DVDレコーダーなど買おうかと思っている。以前はPCをビデパソ化しようかと思ってたが、あまりにも作業効率が悪そうなので、やんぴしていた。情報として、結構見てみたい番組はあるのだが、わざわざそのためにTVの前に座ったりテープを回すのも、という感じで結局見ない事になりがち。HDDならば、テープの限界に縛られず録画して、気楽に「見たら消す」というタイムシフトできるのが大いに魅力だが、少数ながら音楽番組や大事なコンテンツをDVD保存、というのも嬉しい。
 東芝の新しいRDシリーズなんか、音楽番組録画マニアの広告部出身の人がコンセプト・メーカーなだけに、DVDへの高速ダビングは勿論、LAN経由でPCから設定・録画予約、ライブラリデータの管理、リニアPCM音声録音など、ふむふむのスペックと使い勝手。RD-X3とXS40では、プログレッシブ再生やHDD容量の違いはあるが、値段も5万円位違うので、安い方のXS40かな。ホームシアターには手を出さず、和室での炬燵・蜜柑的AVライフを当分続けることにする。前のアンプとスピーカーも、スピーカーケーブルを替えたりしたら、結構いい音になってきたし。「リターナー」なんてなかなかの音だった。日本人がくつろぐ時はやっぱ畳だよね。

('03.4.5)
もう15年くらいつきあいのある心斎橋の喫茶店「ガネーシュ」から、スリランカの紅茶「マ・スケリァ」と「ディンブラ」が届いた。もう30年くらい紅茶を飲み続けているので、いろんなものを試したが、やはり普段飲むのは、この辺がいい。スリランカでも「ウヴァ」みたいにぴりっとしたのもあるけれど、この辺は全体としてはマイルドで懐が深く、ミルクにとてもよく合う。
 もう10年くらい前だがスリランカの人と話をした。彼が言うには、紅茶の木は「高い木」と「低い木」の2種類あり、ダージリンやアッサムは「低い木」であり、ヒマラヤのような寒暖の差の激しい、やせた土地で必死に養分を集めて育つので、濃い味がするという。ちぢれた感じの葉っぱが特徴。ワインの葡萄やイタリアのトマト、蕎麦と同じだ。確かに深い味がするが、奥が深くて求めればきりがない。
 スリランカの紅茶は、温暖な気候の中でのびのびと育つ「高い木」が大部分。細かい感じの葉っぱ。ブレンド用によく使われる、素直でカジュアルな紅茶。でも、「マ・スケリァ」なんかは、とても気品のある香りと味がする。アールグレイもダージリンも濃いのには少し飽きた。基本に返ろう。
 ついでに言うと、「ガネーシュ」のレア・チーズケーキは日本一旨い。トロトロのレアチーズにかりかりのガナッシュ。器に入れて焼くので、テイクアウト不可。食いたいなあ。

 今年は開花を心待ちにしていたので、毎日桜を見ている。昨日の雨もあるが、気温が上昇してきたので、これからがいよいよ桜の情趣の本番と言うところか。

 夜来風雨声(夜来 風雨の声)
 花落知多少(花落つること知る多少か)


('03.4.4)
雨。大川沿いの桜が雨に打たれている。昼食を食べに行った帝国ホテルの側から眺める。濃い色と薄い色と、枝垂れ系と、高低の桜の木。薄く煙りながらゆっくりと流れる川面。やはりこの星は水の惑星だと思う。
 ベランダのアイビーのうち、ちょっと頼りない感じだった一鉢が、ここ何日かであっというくらい沢山の若葉をつけだしている。これからTシャツで過ごせる季節が来ると思うと、何だか嬉しい。
 春だ。春が押し寄せてくる。

('03.4.3)ある人が「障害を克服」とか何とか言っていた。違う!分かってない。克服できないものが残るから後遺症と呼ばれるのだ。それは日々乗り越えていくしかないものだ。外からは見えなくても、日々闘いは続いているのだ。
 あるいは何年も経ってから、一人時間差攻撃で襲ってくるモノもある。いずれにせよ、覚悟を決めて、受け入れて、少しでも事態を改善するために努力するしかない。
 努力しても、いつかは乗り越えられない日が来る。年を取れば、皆そんな風になっていく。体の機能や美しさや柔らかさは失われていく。結局遅いか早いかで、たどり着くのは同じようなところだ。

 人は皆自分が死ぬなんて言語道断だと思っている。今日と同じ明日が続いていくと思っている。しかし、人生は平坦な一本道ではない。(そうであるならば、まことにそれは祝福すべきものだ。退屈だなどと文句をたれるのは欲張りの言うことだ。)ほんの一瞬で人は傷つく。人は思いもかけぬ病を得る。人は年を取る。人は死ぬ。
 そんなことは考えたくはないのが人情だ。しかし、少しずつでもそれを考えておかなければ、シミュレーションをして、準備をしておかなければ、目をそらし続けた後に直面した場合の苦しみは、より大きいものになる。
 結局生き方とは死に方と同じ事だ。だから、今しかできないことは今やっておいた方がいい。出来るだけ思いを実現するよう努力する。後悔は長い時間の友としては最悪の連れだ。

('03.4.2)自由人になってから1年が過ぎた。なかなか面白い1年だった。前半は、仕事の時の人間関係からは意図的に距離を置き、すごく静かな生活の中でいろいろ方向を探りながら、自分がどうなるか見るのが主な課題だったかな。先日「仕事を辞めたら、感覚がぼけません?」と質問された。僕も一番恐れていたのがそれだった。結論的には「そんなこと無いよ。」もちろん、人によって違うのだけれど、好奇心ややりたいことをどれだけたくさん持っているかが一番大事だ。そうでなければ嫌いな仕事でも続けている方が無難だ。少なくとも時間つぶしにはなる。
 勿論、仕事してたときとは感覚が違う。まずもって自己分析をしなくなった。以前やってきたのは、むしろ自己分析という形で、いろんな事を自分に納得させる作業だったのだと思う。今はその必要が無くなったと言うことだ。もともと考えすぎるタイプだが、野性に返った今は殆ど考えなくなった。
 仕事はつらいこと、やりきれないことの方がずっと多かった。その中で、自分の限界や力の無さや醜さも思い知った。だから、単に生活の糧を得る手段としてだけでなく、仕事をしてて良かったと思っている。もし、若いときから仕事をしないでも生きていける環境にあって、そうしてきたら話にならないくらいダメな人間になっていただろうと思う。
 だけど、野性に返った今思うのは、やっぱり人間は好きなことを仕事にするのが一番だと言うことだ。その意味では、僕は選択を誤ったのかもしれない。
 しかし、過ぎたことは、もうどうでも良いことだ。

 この1年の後半は、いろんな人と知り合い、広げていく時期だった。良い友達が得られた。その点で僕は本当に幸運だったと思っている。普段あまり言わないが、その事にはとても感謝している。(それだけで満足せず欲深く求めてしまうのは困りものだが、ま、ワン・オブ・ゼムということで。)
 母ともそんなには会えないが、海外旅行にも一緒に行き、静かな時間を持てた。
 オーディオや音楽の世界でも、いろんな出会いや広がりがあった。
 海外にも行き、たくさんの事を勉強するだけの時間があった。(余り賢くはなれなかったが、見えてきたモノはある。)
 身体的条件という点では、かなり改善できたが、まだ相当の努力と、変化を受け入れていく覚悟が必要だ。克服できないモノは克服できない。日々乗り越えていくだけだ。備えをしていくだけだ。正直そんなに長生きするタイプでもないし、長生きしたいとも思ってないが、自分の体と命は大切にしなければならない、と思う。
 残り時間が限られていることを、皆もっと考えるべきだ。今日あったことは、明日も約束されているわけでは無いのだ。いろんなシミュレーションをして、経済的にも準備は整えつつある。

 難儀なところはあるが、そう悪くはない、と言うのが正直なところかな。
 なにか流れのようなものがあると思う。無理に何かを形づくろとせず、素直に在り続けることが大切なんだと思う。ディープでコアな自分の世界なんかはほっといてもあるんだから、もっと人の言うことを、考えていることを(両者は同じではない)理解したい。コミュニケーションがこれからの課題。
 感謝、深謝。Here I am. Thank you for these Grateful Days.

('03.4.1)面白い本を見た。見た、というのは立ち読みしたと言うこと。生物学者の池田清彦氏の『他人と深く関わらず生きるには』。何だかネガティブな感じのタイトルだが、逆に、個人はそれぞれに違いがあり、社会的な幻想に振り回されることなく、正直に自立して生きて行くにはどうすれば良いか、という捉え方。そのためには他人の自由を尊重し、社会・国家という装置をどう再構成していくか、といった結構大胆な提案もあったりする。
 僕が既にやっていることや、知っていることが結構多かったから買わなかったのだが、それでも『女(男)とのつきあい方』という章なんかは、いろいろと納得し反省もさせられる内容だった。自分がどんな人間かよく自覚して、相手がどんな人間か理解して、人と気持ちよくつきあいながら生きるってのは、結局バランス感覚なんだろうなあ。
 バランスといえば経済の方は、イラクのおかげというか、日本は年度末は越えたが、株安でボロボロ。日経のコラムには、大手銀行の奉加帳増資や、与党の減損会計導入延期論、西友の産業再生法適用のマスコミ・政界の扱いなど、『このところの報道を見ていると、おかしな事が多すぎるように感じられる。.....もはやこの国の政治と経済は救いようのない弛緩状態に陥ってしまったと思わざるを得ない。』と書かれてあったが、その通りだと思う。

('03.3.31)昨日、井上陽水のライブ&ドキュメントがあって、彼が言っていた言葉。『昔はライブでも全力を出し切らないと納得できなかった。いまは、終わって残っていることが嬉しい。』多分、そういう余韻というような、余裕のようなモノなんだろうな。
 考えると、仕事でも僕は新しい分野、何かしなければいけないんだけどよく分からない分野、絶対に期限までに何か形にしなければいけない分野、そんなことばっかりやらされたり、やってきたような気がする。もともとがそういうキャラクターなのか、そんな事ばかりやってきたからそうなったのか。妥協はしない。しかし、あきらめない。これと思ったことは、ありとあらゆる手段を講じて、食らいついても実現しに行く。
 そんな事がうっとうしくなったから、バックれたんだよね。でも、分かっててもなかなか人間て変われないんだよね。とりあえず、気持ちだけ、ちょっと残そう。思いも、飯も。

('03.3.30)花見の後は全員が残るわけではないので、まあこぢんまりとかな、と思ってたら何のことはない殆どそのまま、むしろ後で人数は増えるわで、いやあ夕べは盛況の二次会でした。オーディオの話にも花がさき、パスタもリクエストがあって二回作りました。みんな食べ物は結構持ってきてくれるので、ボリュームのあるものを合間に出し、おいしいワインなどを用意する、というのが良いように思う。
 午後3時から夜中まで飲み食いした余波で、今日は片づけたりしながらゆっくり過ごす。タワーレコードから今日届いたCDの中で、良かったのはキャロル・キングの”Love Makes the World”。60歳を越えているのだけれど、はじけるように喜びを愛を歌う。僕もこんなふうに歌いたいな。

('03.3.29)
昨日の『池袋ウエストゲートパーク』特別編にはがっかりした。いろんなゲストが多すぎて、遊びが多すぎる。今をときめく宮藤官九郎の脚本だか何だか知らないが、あの緊密な構成と一種の緊張感はどこへ行った。堤幸彦の才能がどこかへ行ったとは思わないが、はっきり言って期待はずれもいいところ。
 まあ、気を取り直して、花見だ、花見。みんなに会える。

('03.3.28)家を掃除したり片づけたりしてゆっくりと過ごす。お客様をすると、家が片づくのが嬉しい。
 いろいろと思い惑うことはあるが、すぐに結論など出るはずもない。とりあえず、頭の中を少しでもクリアにするため、十分寝てリカバリするのが一番。
 などと言いながら、今日はIWGPつまり『池袋ウエストゲートパーク』特別編の放送があるので、楽しみである。意外に思われるが、僕は堤幸彦監督のちょっとばかしアナーキーな映像が好きだ。『溺れる魚』、『チャイニーズディナー』はDVDも買った。IWGPが放映されてた3年前くらいの金曜日は9時から『Quiz』、10時からIWGP、午前1時過ぎから『YASHA』という凄い流れで、土曜日に仕事さえなかったら、実にアナーキーでハイな週末になっていたところだった。
 ま、今夜もビールは冷えているので、そのころの良い事だけを思い出しながら、明日の花見に向けて気合いを入れよう。

('03.3.27)
明後日の花見に向けて買い出しに行くと、穴子の稚魚『のれそれ』と新玉葱。夕食にいただくが、白魚のような『のれそれ』はトロリとして絶妙、新玉葱は甘くて優しい味。ご機嫌である。

 しかし、日経新聞によれば、厚生労働省が公的年金基金で『株価支持』のため株式運用した結果、昨年4月~12月の間に2兆1530億円の損失が出たと発表した。この間の運用利回りはマイナス7.26%。国内株式相場の下落が原因だ。昨年末の市場運用資産は約30兆円だから、そのうちの7%あまりが1年も経たないうちに失われたことになる。2001年度末までの累積損失約3兆円加えると、2002年度末のトータル損失は5兆円を超える見込みだ。ただでさえ厳しい状況の年金財政の悪化は必至だ。しかも来年度も株に1兆7千億円運用するという。
 大体が、市場も株高要因と評価すらしないのに、多少の資金を投入しても根本的な対策を講じなければ、一時的に株価を支えるだけで、すぐに蒸発してしまう。一時しのぎに他人=国民の金の投入を平気で要求する政治家の無定見。それに安易に迎合する厚生労働省の無責任。国民の納付した年金保険料をこのようなムダな使い方をして、どう説明するのか?なんの反省もないのか?みんなもっと本気で怒るべきだ。なんともやりきれない。

('03.3.26)今日はヴァイオリニスト大谷玲子後援会のHPサイトの打ち合わせ。新装の事務所で、業者さんなどとマシン選定や環境設定の打ち合わせ。両方の立場が分かって、なかなか面白い。ご両親や本人といろんな話をする。ご両親も単なるステージ・パパママなどではなく、いろんな人との交流を楽しむ、とてもクレバーなご家族だった。アーティストというのは、こういういろんな人のサポートの上で思う存分活動できるし、それが文化というモノの余裕だと思った。
 その後、古巣の合唱団をのぞく。かって一緒にやっていた連中が今でも中心でやってくれていて、歓迎してくれた。いろんな人の消息を聞けてなかなか楽しい。プッチーニとアニメソングという変わった取り合わせだが、とりあえず顔を出すことにしよう。

('03.3.25)
実はこの2日間ほどは体調すぐれず、ひたすら寝てリカバリに努めていた。その間に、昨日今日とギャラリーの関係の打ち合わせ。昨日はドイツ留学中のチェリスト(19歳の女性)の、来年のコンサートの打ち合わせ。試し弾きをされたが、とても構成力のあるいいバッハだった。若い才能に出会うのはやはり嬉しい。
 この間、いろんな出来事があって、心の中がずっとざわついていた。不安があると、余裕がなくなる。もっと率直で人にも優しくしたかったのに、思いと違うほうに転がったりしてしまう。初心に返ろう。要するに生きていて今命がある、ということが何より先決で、日々楽しく充実して生きることが一番大事だ。

('03.3.24)『ゲド戦記』の最終巻"The Other Wind"(邦題「アースシーの風」)が発刊され、1日で読んでしまった。昨日の朝日新聞には『指輪物語』と比べた書評が出ていた。僕は、『ゲド戦記』の方をずっと上位に置きたい。指輪物語にも主人公達の悩みや成長はある。しかしそれは、誘惑に負けそうになったり、つらい境地を堪え忍ぶものだ。善悪ははっきりしている。そして、これは何よりも英雄達の、男達の勲功の物語だ。勇敢な女性も登場するが、深い存在感を持つ女性は闇の森の妃、ガラドリエルくらいしかない。
 『ゲド戦記』では主人公達は悩み答えを探し求める。全体像はメタファーの森の中で直ちには見えない。そして、人間の欲望がしばしば世界の均衡を崩すのを我が身を張って食い止めようとする。バリ島のレゴンダンスが魔女ランダと王子の善悪・攻守を入れ替えるかのように、善悪は必ずしもはっきりしない。しかも、女達が重要な決断と役割を果たす。この最終巻ではゲドは島で留守番をしており、王は女達の勇気と知恵にしばしば圧倒される。世界が癒され、竜の娘達が空に帰り、テナーは夫ゲドの元に帰る。二人の静かな語らいでこの壮大な物語は幕を閉じる。
 同時代にこのような物語世界を持てたことを、じみじみと幸福に思う。

('03.3.23)楽譜を読むのをやめると、ぽっかりと時間が空く。寂しいが、同時に少しほっとしている自分もいる。いきなり全力疾走はやはりハードだった。
 といってもヴォイストレーニングはやめない。
 この1か月あまりの間には、随分多くの発見があった。一番大きな発見は自分の声についてだった。小さい頃から『いい声だけど声量がないね。』といわれ続けて、それが固定観念になっていて、腹式呼吸を鍛えて、体を共鳴させて声量を出そうとしてきた。高い声をコントロールしようとしてきて、自分には殆ど裏声はないと思いこんできた。
 今回ヴォイストレーニングを受けて分かったのだが、僕の喉の力はかなり強いらしい。だから、裏声の領域まで地声を引っ張っていけるので、パワーは必要になるが、これはロックやソウルのヴォーカリストにとっては大変強力な武器になるらしい。
 ところが、裏声というかそういう声が僕にもあったのだ。あご下の力を抜き、声帯を前に広げるようにして声を出せば、弱々しいが柔らかい頭声が出る。下のBかH辺りで、声がひっくり返る。こういうのはいけないのだと思ってきたが、まさにカウンターテナーはこういう声を使っているんだそうだ。
 まだコントロールは効かないがこういう声をのばしていったら、より少ない力で、喉の負担を減らして声が出せるのではないか。いままで使っていない筋肉を少し鍛えて、いままで力を入れてきた筋肉をどっと緩める。この声がコントロールできるようになれば、新たな音楽が開けるかもしれない。どっちにしても、以前よりもずっと軽々と声が出る状況を失わないためにも毎日ゆっくりとトレーニングしていこう。決してあきらめた訳ではない。

('03.3.22)
今日も痰が溜まったままの状態。漢方薬の効果もあって、かなり良くなったとはいえ、まだ長時間歌うと喉が持たないようだ。ドクターと、その後コーラスの指導者と相談して、当分お休みということにさせてもらう。もっと気楽な音楽なら、だましだまし行けたかもしれないが、アカペラは、しかもこのグループのアカペラはものすごく響きに対する要求水準が高い。その苦労は厭わないが、今喉がついて行かないのに無理をしても苦しいだけで、どうにもならない。
 いきなりまっしぐらに目標に向かうのはまずかったのかな。傷を負ったアスリートがいきなり100m競争に出たようなものかもしれない。だからといって、この間の努力を無にはしたくない。古巣に戻るか、いずれにせよ、歌い続ける環境を何とか維持しよう。

('03.3.21)
今日のコーラスの練習はいささかまいった。僕の出す音の高さが皆と純正律でクリアにハモらないとのこと。長年の間平均率的な感覚で音取りを続けてきたので、それなりの高さにはなっているのだけれど、こんな事は初めてだ。本当に困った。当分は控えめに声を抑えて周りに合わせるよう努力しながら、個人練習を頑張って、いろいろやってみる他ない。明日は合宿で更新はお休み。

(ps)おかしいと思いながら、後で練習しながらチェックしたら喉に痰が溜まって少し痛い状態になっている。なるほど、響きが不安定になるはずだ。他のピアノ伴奏着きコーラスか何かだったら、これでもだましだまし歌えたかもしれないが、ポリフォニーの場合は少人数で響きもはっきりしているのでごまかしがきかない。明日は、合宿前に久しぶりにドクターの所へ行こう。

('03.3.20)
ストーンズ行ってきました。正直言って一番恐れていたのは、年取ってもよくやるよね的雰囲気。
 そうじゃなかった。今日改めて思ったのは、ストーンズはブルーズバンドだということ。ハードロックはギターが限りなくエクスタシーを求めて拡散していく。ロン・ウッドのギターはそういう感じだった。
 キース・リチャーズのギターは基本がブルーズ。きちんと小節の頭をたたきながら、いつのまにか主導権を握っている。タンタアーーンタタタ、タアアーーンアンという感じで、きっちりリードを取っていて、泣いている所もあるギター。いやあ、堪能しました。

('03.3.19)何の気なしにメールチェックしていたら、チケットぴあから明日のローリング・ストーンズ大阪ドーム公演招待のお知らせ。まさか、と思いつつHPから応募したら当選してたって訳。正直言って最近のロック系のコンサートはものすごい音で、観客は踊りまくるってのが多い(らしい)。一番最近では96年のザ・パワーステーションに行った。これは大人のロックなので十分いけたが、もっと前のプリンスでは大阪城ホールいっぱいにバカでかい音が響きまくって、オールスタンディング状態だったので早々に出てきた。大きすぎる音をずっと聞いていると、人間アホになってしまう。
 実はストーンズは1枚しかレコードを持っていない。だけどずっと気になっていた。明日のがどうなるか、最後まで持つかどうか分からないが、60歳になろうとするミックやキース、既に65歳を越えているチャーリーがどんなステージをやるのか、やっぱり見てみたい。
 いやはや、人生ってのはどこでどうなるか、面白いもんだ。

('03.3.18)戦争が始まる。人が死ぬ。男も死ぬ。女も死ぬ。老人も子供も死ぬ。兵士が死に、市民が死ぬ。
 支持だって?この国の憲法にはどう書いてあるのか?なぜ、だれもそこから説き起こさないのか?この国の国益ならどんな国益なのか、だれかまともな議論はしたのか?
 少なくともギュンター・グラスは『ドイツ、なによりだめなドイツ』(Deutschland, Deutschland unter alles.)という本を書いた。
 Japan, Japan unter alles. 日本、なによりだめな日本。
 
('03.3.17)ヴァイオリニスト大谷玲子さんのABC音楽賞受賞パーティーに行く。思ったよりもずっと少人数で、音楽界のきら星のごときビッグネームがたくさんいた。声をかけてくれた我が友人はせっせとあちこち回って名刺交換するなど、なかなか大物ぶりを発揮していた。公務員よりこっちの方が向いてそうだ。
 記念演奏では大谷さんのよく歌うブリリアントなチャイコフスキー、もう一人の受賞者の日溜まりのように優しく思慮深いバッハのラルゴ。
 終わってから後援会立ち上げの打ち合わせを兼ねた食事会。フェニックスホールの前の支配人や京都コンサートホールの元チーフプロデューサーの方などもいて、いろんな楽屋話を聞けて楽しかった。我が友人が後援会事務局長になり、僕はシンプルな後援会HP作成とマシン設定を担当する。来週26日にマシンとインターネットの打ち合わせに大谷家に集まることになった。
 音楽という共通項でいろんな人と話が出来る。

('03.3.16)今日はクレオ中央のお祭り(フェスタ)に行く。みんないろいろと工夫を凝らしてやっていて、なかなか嬉しい。『少子化』のシンポジウムを聞く。女性問題の関係者だけでなく、企業の担当者や、渋谷ビットバレーの起業支援NPOの代表も参加して、多彩な内容だった。これについては、別ページで印象記をアップするつもりだが、特に印象に残った事を二三。
 ミノルタの人事課長さんは、『「自立した個」がのびのびと生活し仕事が出来る環境を創って、はじめて起業としてもその能力を活用できる。育児支援などのポジティブ・アクションは企業のトップの理解がないと出来ない。』
 ビットバレーの起業支援NPOの代表は、『ITの世界ではむしろ男女差は縮まっている。若年層については長時間労働がひどく、子育て以前にその問題がある。全体に経験が少ないので、結婚についても子育てについても観念的に考える傾向が強く、将来の夢とか展望に欠ける。価値観形成について、自分がどんな人間になりたいか、何をやりたいかなど、小さい頃からの教育が必要。
 大きなおなかを抱えつつ取材し続けた現役の政治部記者は『日本では社会福祉の大半が高齢者に投じられ、子供には数%しかない。先進国中最低だ。高齢化・少子化対策はこの5年くらいが勝負。実際に、どの層の給付を削減するかなどの議論が来年度くらいには必要になる。』

 今朝の日経1面には、「日本経済の先行き不透明感が高まり、従来のような成長が見込めない」ため、シティグループが日本を『要注意国』に指定し、消費者金融の500店舗閉鎖など、日本での事業縮小を開始した。理由は違うがアルゼンチンと同じ指定区分だ。
 約10年前シティグループは多額の不良債権を抱え、リード会長がトップ行脚でサウジを始め世界各地の投資家や富裕層から資本調達した。一方、みずほ銀行は、殆どの増資を非投資家である貸出先から受ける形にし、株価評価の不透明性を高める一方、この株安でその大半を失ったあげく、来期以降は配当負担が約200億円増加する。ちなみに欧米では、貸出先からの増資は禁じ手だそうだ。
 この彼我の違い。ムーディーズの大手邦銀の財務格付けは殆どが最低のE。日本の金融システムは世界市場から見放されつつある。急速な高齢化で社会の活力は失われていき、年金や国債を始めとする抜本課題は先送りされ、若年層の負担が高まり世代間対立が深まる、という最悪のシナリオは現実化しつつあるのだろうか。

('03.3.15)今日は久しぶりに日本橋に遊びに行く。アサヒステレオでDAT(デジタル・オーディオ・テープ)の店頭在庫がなくなる、と聞いて、いつものテープ屋さんに行くと、ほんの2ヶ月ほどの間に店先は圧倒的に各種DVDになって様変わり。ディスク屋さんと言った方が正確なくらいだ。
 あまり知られていないが、音楽CDをデジタル録音するのに最も音が良いのがこのDAT。なにせ元のCDよりよく聞こえるときすらある。主に業務用で使われ、最近は業務用もハードディスクに移行しつつあるので、供給が減ってきているというわけ。
 その次に良いのが、オーディオ用レコーダーで焼いたCD。ただし、音楽専用のCDメディアを選び倒す必要あり。(今日会ったティアックの技術屋さんもそう言ってた。)
 一番手軽で音が悪いのがパソコンで焼くCD。最近はCDメディアの質がどんどん落ちてきているということもあるが、PC内部がデジタル・ノイズの塊であることが最大の原因。このデジタル・ノイズ、直接雑音にはならないが、アナログに戻すまでの間に音を確実に悪くする。
 大体、デジタルは雑音が出ないので、音は悪くないと思われているが、実際には記録精度(エラー)も含めて問題山積。MDの様にデータ圧縮するのも音は悪い。それくらい音楽信号は膨大なデータ量で、傷つきやすいアナログ信号で出来ている。
 なにはともあれ当分必要な分は買い込んだ。みんな、CD貸してね。今のうちに吸い取っとくから。

('03.3.14)確定申告提出。かなり還付される計算で、スピーカーの分に当ててもおつりがくる。
 今日は日経平均が8千円を回復したが、この期に及んで、打つべき政策は殆ど残されていない。巷で論議されているのは、単なる一時しのぎばかり。この3月は越せても、残り時間は余り無いとみるべきだろう。

('03.3.13)タワーレコードから通販でCDが届く。前はアメリカのCD-NOWから買っていたが、輸入盤の価格も下がってきて、国内で買っている。というか内外価格差がこんなに大きいこと自体がおかしかったのだけれど。今円が強いので、送料を入れてもアメリカから買う方が若干安いのだが、今回はそんなに大きな差でもないので、国内で買う。国内盤はヨドバシでポイントを含めて定価の18%引きで買う。おそらく、ヨーロッパの人はユーロが導入されるまで、こんな感覚の買い物が当たり前だったんだろうな。今でも国境を越えて買い出しに行くんだから。マルチ通貨のグローバルな世界に僕らは生きている。
 届いた1枚はメゾソプラノのアンネゾフィー・フォン・オッターがエルビス・コステロと共演した素敵なポピュラー・アルバム。彼女の深い息づかいとエモーションがひたひたと来る。クラシック畑の彼女がとても楽しんで創ったレコーディングセッション。美人で低く柔らかい声。暖かな笑顔。大人の女性。知的でディープな感性。俺が好きになる女性の特徴そのものだなあ。
 確定申告とコーラスの練習でゆっくり聞いている時間がない。来週は泊まり込みの合宿もある。ま、時間は出来るさ。

('03.3.12)昨日の晩は僕にとっては初めて、指導者の方と一緒に練習できたコーラス。透明なハーモニーを作ろうとする明確な意志、流れを形作るテンポの振り方。これまでとは違うクリアな響き。後で何人かの人と話をしたが、みんな純正律という響きに魅せられて、最初のいろんなとまどいを乗り越えて、週2回の定期練習、年3回の演奏会というハードなスケジュールをこなしている。家で何回もさらわないと、とてもついて行けない。もうやめよう、と思う時もあるそうだ。でもやっぱり続けている。今日、その理由の片鱗が見えたような気がした。
 この団に加わることで、かなりの時間とエネルギーがとられるだろう。コンディション的に喉が持つかどうかの不安も残る。勉強も必要になるだろう。第一、この少人数で、この多声の音楽でもしトチったら、みんなの何ヶ月かの努力を一瞬でムダにすることになる。それなりの覚悟も必要だ。
 正直、不安はないではないが、何かを創るためにはそれなりの努力がいるのは当然の話。当分の間、うたうこと優先で行ってみよう。

('03.3.11)ひとつ言っておきたいのだけれど、僕はしゃべりながら、書きながら考える癖があります。ですから、『とりあえず、こんな考え方でどうですか?』というふうに、「仮のまとめ」をして、次に進むという事をしばしばやります。新しい要素が出てくれば、当然まとめ方も変わります。『そやから、結論はどうなんねん?』と急がずにおつきあいください。プロセスって大事だと思うんです。

「性差」の話(1)買い物編(続き)
 一昨日は、少し結論を急いだかもしれない。全体像を構築したがるのは、僕的でもあり男的でもあるんだろうなあ。
 『買い物そのものを楽しむ。』という事を考えてみよう。男の場合も、趣味関係なんかで特に目的はないが何となく、というケースはあると思うけど、女性の場合はもっと何となくという、いわば気分転換、ストレス発散型の買い物が結構あるように思う。売り場に行って、あちこち観たり触ったりしながら楽しむ、という感じ。そういう点では、男性の方が、目的探求的(?)な買い物が多いような気もする。
 これは、やっぱり買い物そのものをまず楽しいと思うかどうかだろうね。そういう点では、女性の方が圧倒的に携わる品目が多い、というのが大きいと思う。つまり、ネタの数がたくさんある、ということかな。それと、細々としたものが好き、という点が大きい。例えば、キッチン用品のいいのを、かっこいいのを、可愛いのを見つけただけでホクホクする、という感じ。
 だから、
やっぱり家事を含めて、生活全般での性的な役割分担の持つ意味が凄く大きいと思う。南伸坊が『対岸の家事』という本を書いていて、要するに奥さんから色々教えてもらって、自分でやるまでは家事は対岸のもの、つまり自分の問題ではなかったことに気づく、というのがタイトルの趣旨らしい。
 例えば食事やそのセッティング、お客様を呼ぶときのいろんな段取り、などなど、生活の中の細々としたことを大切にし、喜びを見いだすこと、これは "Art de Vivre"(アール・ド・ヴィーヴル=生活の芸術)の感覚そのものだと思う。スローライフといっても、こういう生活全般に目を向けてないと、単にゆっくりするだけ、ということになりかねない。

 だから男性諸氏よ、 南伸坊氏にならって家事やいわゆる細々としたことに目を向けて、自分のモノにしよう。そうすれば、自分の人生も豊かになるし、女性とも共有できる接点が増えるじゃないですか。男女で買い物の相談したり、主婦の会話するなんてなかなかいいと思うんだけどな。(この項終わり,でいいですか?)

('03.3.10)フェリシモから届いたコミック『ツンドラ・ブルー・アイス』(安野モヨコ)を読む。うるうるにジワッと感動する。春は3日くらい、夏は10日くらいしかない、世界で2番目に寒いまちに住む2人の子供ノムとカラ。今年の夏が終わってしまうので泣きやまないノムに、カラはこう言う。
『あの星が見えるだろう。あの星もいつかは「終わる」んだよ。けど.....それはきっと、そんなに悪いことじゃないと思うんだ。....終わるってことは.....今まであったってことだから、なかったことよりどれほどいいだろう。他にも、ノムがなくした白フクロウの羽根のお守りがどこに行ったかとか、とても佳い。
 決めた、大切なひとたちの誕生日やクリスマスにはこれを贈ろう。みんな待っててね。

('03.3.9)女性協会が設立10周年で記念誌を出すので、寄せる言葉の寄稿依頼があった。それでいろんな事を思い返し始めている。

「性差」の話(1)買い物編
 女性の買い物につきあうのはこりごりだ、という男達はたくさんいる。
 勿論、「メンドクサイ派」の男あるいは女もいて、これは買い物そのものがめんどくさくて、家事も含めて極力やりたがらず、趣味も特になく、ゴロゴロその他というパターン。これは、女性よりも男性のほうにずっと棲息率が高いと思う。この手の人にとっては、買い物とは憎むべき時間の無駄。「じゃ、ムダでないこと何?」って聞いたら、たぶん具体的な答は期待できないだろうけど。ご免なさい、要は生き方の問題なんで、好きにやってください。

 僕自身は買い物大好き派だ。ウインドウショッピングも楽しい。結局何も買わなくても、いろんなものを観てそのイメージを持って帰るだけでも楽しい。これは、一つには一人暮らしをしていて、しかもインテリアや雑貨や細々としたものが大好きだということが大きいと思うが、それだけだろうか?

 例えば、オーディオショップや釣り道具店、カメラやゴルフショップにいるときの男どもは、結構細々とした事を、あーでもない、こーでもないと、ためつすがめつ吟味に余念なく、長っ尻である。
 つまり、男性でも関心を持つモノなら、結局買い物も好きなはずだ。ってことは「メンドクサイ派」を除くと、関心の対象の違いと、その範囲が広いかどうか、ということになりませんか?
 
要するに、女性の方がいろんなモノと広くつきあわざるを得ない生活環境や役割分担にいる、ここんとこがキモだと思います。
 でも、話をこれだけで終わらせちゃ、何にもならない。つまり、男も女も自立した個人として生活出来るようにちゃんと育てば、あるいは訓練すれば、このギャップは随分縮まると思うんですが、どでしょ?
(特集続く。てんてんてん。)

 というような話は話として、今晩はお泊まりの母に「おでん」を作ってもらった。好きなんだよね。特に厚揚げやすじ肉なんか異常に好き。コーヒー飲みながら、片や新聞を読み、片や楽譜を読む、なんてのも悪くない。こんな静かな日が送れるなんて、結構幸せだと思う。感謝、多謝、謝々。

('03.3.8)楽譜の矢印付けはまだ終わらない。ふう。今日は午後からお隣のギャラリーでコンサート。コントラバスの即興の前半と、身体表現とのコラボレーションの後半。正直後半はリハーサルで観ていて、もうひとつピンと来なかったが、前半はジャズとはまた違う形で面白かった。受付を手伝ったので、知り合いも増えた。
 夜は泊まりに来た母と外へ食事をしに行く。思ったよりも元気で少し安心した。少しずついろんな事がかみ合って、バランスが整い、調子が戻ってくる。

('03.3.7)雨。体調が優れないと、人間余計なことを考える、ほんとに。今日のキース・リチャーズの記者会見じゃないが "Shit!" とか言いたくなる時がある、まったく。

I get along without you very well
Of course I do
Except when soft rains fall
And drip from leaves, then I recall
The thrill of being sheltered in your arms.
Of course I do
But I get along without you very well.(Hoagy Carmichael)

('03.3.6)雨。もう忘れかけていたが、久しぶりのストレス。珍しく食欲がなく、昼ご飯をぬいた。悪寒が夜になってひどくなった。やっぱり風邪だった。しんどい。寝る。む~~~~~。

('03.3.5)雑誌や資料を読みながら、気分転換にいろんなLPを片っ端からかけて行く。音を聞きながらプレーヤーの微調整をする。アナログは追い込むときりがないが、アートだからまあ仕方がない。
 コーラスの楽譜にピッチを表す矢印記号(何とマニアックな!)を写しながら、読譜して練習する。時間が足りない。金曜日の練習まではこのまま頑張る。ラテン語の辞書か教科書を買わなきゃいけないかな。
 
あちこち、最低限の片づけしかできていないので、紙類が散らかったままになっている。今、余り人に見せたくない様子だ。立ち上がりの時は、こんな事もあるさ。Let it go, let it flow.

('03.3.4)
合唱団の練習2回目。イタリアへの演奏旅行の相談で一杯飲みがあり、
ようやく自己紹介がちゃんと出来た。(かな?きっかけくらい、もっと早く誰か作ってよね。)指導者の方が親御さんの具合で休まれているので、見えてくるのは、おそらくこれから。ディープでコアなコーラス。トホホ。
 楽譜に取り組んでいると、どんどん時間がなくなってくる。まあ、忙しい位を良しとしよう。

('03.3.3)
昨日は東京・お茶の水でオーディオの会。宮崎、福島からと僕も入れて遠方組が多く、なかなか楽しい集いだった。やっぱり情報が多い。2回目ともなるとまた聴き方、見方が広がってきて、山本さんの音が別の座標軸として定着してきた感じだった。
 今日はおなじみ新宿パークハイアット。リビングセンターOZONEの各ショップに行く。開放的な作りで、横浜元町商店街と並んで、お気に入りの場所の一つ。コンランショップでCD(センスの良いコンピレーション)やワインストッパーなど細々したものを買ってコーヒーを飲んだだけだが、いろんな空間や、その中のインスタレーションを観ると、心安まり、結構アイデアも湧いたりする。麻布十番のアンティーク通りなんかも行きたいが、また時間のあるときにゆっくりと。疲れ気味なので、早めに買ってくる。
 楽譜を持って行ったのだが、明日はまた、コーラスの練習。週2回はあっという間に来るなあ。ま、いっぺんに出来るはずもない。明日から、がんばろ。

('03.3.1)夕べは合唱団の練習を見学。指導者の方から、ピッチ(純正律)についてのごく簡単な説明があり、楽譜と資料をどさっと渡される。彼が早めに帰ったので、自主練習の形になる。少人数。お互いの声が手に取るように聞こえる。ハモらなかったり、間違ったら一発で分かる。濃い。
 指揮がないので、テンポを設定し自分でキープしなければいけない。大きなくくりのテンポ設定なので、細分化されたリズムの取り方が所々よく飲み込めない。
 音程的にはそんなに高くなかったけれど、ブレスはしっかり要求される。ラテン語だけでなく、フランス語もある。う~~~。頑張らなきゃ。
 明日から1泊で東京なので、明日の更新はお休み。ま、夜は池袋のマイルスカフェにまた行って、明後日は新宿界隈などでゆっくりして、おいしい魚食って、さっさと帰ろう。

('03.2.28)
昼過ぎに起きる。切れ切れだが、よく寝たおかげで相当楽になる。メールチェックすると、このHPに試聴記を書いたサブウーファーのメーカーから、試聴記のページにリンクを張った、との連絡。夕べ確認してどうしようかと思っていたが、あくまで個人の試聴記なので、誤解を招かないよう若干の手直しをしてそのまま置くことにした。なるほど、こういうつながり方もある。
 夕べの破れかぶれの気分は、どこかへ行った。今晩は、合唱団の練習を見学に行く。週2回6時から9時半までの練習。密度が濃そうだ。何にせよ、体調が少し戻って良かった。じゃ、ま、とりあえず行ってきますね。

('03.2.27)やっぱり今週は体調が悪かったんだ。今朝は何とか起きて飯は食ったモノの、新聞読んでも頭にすっと入らず、気が付くとパソコンの前で居眠りしている。あきらめて寝た。寝た。寝た。なんでこんなに眠れるんだろう、と思うくらい寝ても、疲れがとれない。しょうがない。体のいう通りにしよう。そのうち良くなるだろう。たぶん。
 
(PS.)寝て、起きて、夜マーラーの2番を聞いたりした。ブルックナーが一番きつかったときの俺を救ってくれたようには、マーラーは響いては来ない。でも、クタクタの今の俺には少しは分かる。これは壮大な悪あがきだ。コイツも救われたかったんだ。遠くから聞こえてくる角笛と、天使の歌声の中で、天国に行きたかったんだ。でもな、そんなものはねえんだよ。女房のアルマがどんなひどい女だったかしれないが、理想化した女性なんてなんの慰めになるよ。別れちまうか、そうじゃなきゃあちゃんと向き合うしかねえじゃねえか。そりゃ、気持ちは分かるけどさ。覚悟決めるしかないよ。死ぬときは一人なんだぜ。
 Death is a lonely business,you know!

('03.2.26)
3月2日の音と戯れる会で、東京に一泊で行くことにした。今度は自分のパーツも持って行って聞けるし、一度ゆっくり話してみたかった人とも会えるので楽しみだ。ノーラ・ジョーンズがグラミー賞5部門を受賞した。シンプルな曲、シンプルなバック。でも一度聴いたらはっきりと刻み込まれる声と存在感。彼女の確乎とした、しかし暖かいハートがひしひしと伝わってくる。
日経の夕刊に連載されているミック・ジャガーのインタビューもとてもいい。ステージの上の自分と、普段の自分は別の存在であることや、いくつになっても音楽をやり続ける思い。今週は結構めげかけていたので、そんなこんなで少しずつ回復しつつあるような気がしてきた。やっぱり音楽がなければ、やっていけないような時もある。

('03.2.25)
河合隼雄さんの『ナバホへの旅 たましいの風景』を読んでいたら思いがけない一説にぶつかった。『ナバホ(のみならず、アメリカ先住民)のメディスンマンたちのしていることの本質を知りたいのなら、むしろ、ル・グインの「ゲド戦記」を読むのが一番だ』彼が感動して鶴見俊輔さん(なつかしいなあ)に勧めたら、かれも感動して、あのすばらしさの秘密はネイティブ・アメリカンから来ていると言ったとのこと。なんと、北米最後の野生インディアンの記録を書いたのが、ル・グインの父親である文化人類学者のA.クローバーで、その記録をまとめて出版したのは彼女の母なんだそうだ。そうか、彼女の多元的文化の考え方や、この世界の均衡の概念はそこから来ているのか。ヤッホーKy,「ピアノ・ソナタ」を読んだ次には、言ってた様に「ゲド戦記」を貸すからね。

('03.2.24)
前から思ってるのだけれど、中央市場の人たちも言うのだけれど、日本の野菜は味が薄くて水っぽい。イタリアン・トマト(千葉県産、オーガニック)というの見つけて、形はもろそれだったので、喜んで買ってみた。切ってみると果肉は赤い。でも味は水っぽい。桃太郎と同じように水耕栽培なんだろうか。ワインの葡萄と同じで、やせた土地で水も十分与えず、いじめて、いじめて濃いトマトが、イタリアでは出来るんだそうだ。
 とりあえず、パスタ、イタ飯の場合、味的には缶詰とフルーツトマト(高いが、ほの甘くて優しい味)ぐらいしか、当面使えないことは分かった。(サラダとか食感用として生は使うけれど。)

 日本の在来種の日向くさいトマトが食いたいなあ。調理用トマトというのも、あまり酸味が出ないものが多いみたいだ。日本の消費者は甘さには敏感だが、酸味は好まないようだ。プロは蜜柑なんかでも、酸味と甘みがバランスしたものが一番おいしいと言うんだけど。
 日本の、この土地のスローフードって、じゃあ何なんだろう?蕎麦?うどん?他には?

('03.2.23)狭山の弟の所に12MのADSLモデムが届いたので設定に行く。ルータタイプでブラウザからの操作であっという間に設定完了。アメリカは幹線としての高速回線は確保されているものの、「ラストワンマイル」という家庭までの光ファイバー網が十分でないため、高速ブロードバンド普及が韓国、シンガポールに比べても遅れており、そのため政府が旧ATT各社に光ファイバー網の通信事業者への接続開放義務を規制緩和する、という日経の記事を思い出した。クリントン&ゴアの情報ハイウエイの話も、幹線はバブルになるほど出来ても、玄関までのドライブウエイ段階で詰まっていた訳だ。
 一方で、アメリカは今後とも人口が増え続け、日本は言うに及ばず、欧州も下降線をたどるばかりで、経済的にも長期トレンドとしてはアメリカ優位が続くそうだ。最も、人種構成は大きく変化していき、50年後にはヒスパニック系の大統領が誕生するだろうとのこと。
じゃあ、一番増加率の高い国は?中国?ノー、勿論上向きだが、毛沢東の人口増加策と一人っ子政策のツケで少子高齢化に向かう。インド?ノー、勿論高い増加率だが。答えは、イスラム諸国。アッラーの御心のままに子供が生まれる。
 僕らが後何十年生きられるにせよ、限りある資源の星の上での争奪戦の時代、大変動の時代に足を踏み入れていくことは間違いなさそうだ。
 日本の命運は、ホントどうなるんだろう?
 とりあえず、何かうまいもん食お。今夜は鯛とルッコラ(胡麻の味がする野菜)とトマトソースのパスタ。最近はバゲットを焼いて付ける。今日は1本だけ残ってた新製品のカンパーニュ・バゲット。

('03.2.22)僕は片づけるコツをある探偵小説で学んだ。「いいか、毎日のちっぽけな用事を、ある程度の秩序をもってかたづけていくだけで、のんびりとソファーに座って、ビールを飲みながら、テレビで野球中継を観る時間が稼げるんだ。自分がいちばんやりたいことをやる時間をな。」(D.ウインズロウ「高く孤独な道を行け」)問題は「ある程度の秩序」というものが、個々人によってその定義は違うって事だ。僕は片づけるのはそんなに好きというわけではないが、片づけ終わった後は本当に気持ちが良くて好きだ。考えてみると、一目で(at a glance)全体を見渡せるからだと思う。常に全体像を把握しておきたいというのは、僕の習性のようなものだ。(年をとって放っておいたり待てるようになったが、ほんのときたま、もてあますときがある。)
 だから、積み重ねてある本でも、資料でもそれが秩序として把握されていればいいのだ。

 一方、掃除ははっきりと好きではない。ハウスダスト・アレルギーがあって、喘息持ちで、綺麗にしていなければならないのに。というよりも、むしろ掃除の時のあの匂いが嫌いだ(といって自分を正当化する。本当はモノホンのずぼら)。雑誌PENの今月号でみると、ダイソンの新しい掃除機は排気の純度が99.9%だそうだ。母が使うには重そうなので、買わなかったのだけれど、俄然欲しくなってきた。といっても、モノを買ったからと言って、マメに掃除するようになるかどうかは、自信がない。
 でも、も少し暖かくなったら家中ぴかぴかにして、ベランダのウッドデッキも洗って、清々しい香りの中で、ワインなど開けよう。

(’03.2.21)今日前の職場の若い人からメールをもらった。この前もURLの問い合わせがあったし、どうもこのHPを見てくださってる方は、思ったより相当たくさんいるようだ。他に、好きにせん会メンバー、K’s オーディオと戯れる会メンバーなども。あまり意識せずに書いているが、反響があるのは楽しい。ある時期には整理と引き算を考えなければ、と思っているが、まあ、当分はこのまま行こうと思う。

(’03.2.20)ルネッサンスの教会音楽を唄う合唱団に来週28日に見学に行くことになった。正直コンディションはそんなに良くない。でも、ぐずぐずしていても仕方がない。とりあえずやってみよう。HPを見ると、4月29日(祝)に演奏会の予定があり、ジョスカンやモラエスの名曲がプログラムに載っている。何度も聞いたことはあるが、まさか唄う日が来るとは思ってなかった。出来るだろうか?とにかく、飛び込んでみよう。

(’03.2.19)最近、自分は何のために自由になったのか?と考える。というよりも、考えることをやめようとしている。要はやりたいことをやりながら、面白いことを探しながら、自分らしく生きていく、ということだ。だから、シリアス路線はやめる。勿論まじめにやるんだけど、楽しくやろう。日々きらめきがあちこちに転がっているはずだ。自由である喜びに、笑いがこみ上げてきたのはつい最近の事だったのに、もう忘れてしまっていた。
 Open your eyes, and you can fly. Close your eyes, and what can you see?

(’03.2.18)お昼に夢屋さんへ蕎麦を食べに行く。う~む~、香りと歯ごたえが素敵だ。こういう店が近くにあるのは幸せなことだと思う。
 その後買い物。スローフードの本(もっと味と生活のイメージを広げたい)。東急ハンズで防震材料(サブウーファーの隣で盛大に振動しているチェストの鳴りを抑えたい)。アンチョビ・ペーストとライスペーパー、干し無花果(腹減った)。宝塚ホテルのパン(明日の朝飯)。
 夢屋サンでもらったチョコレートケーキを食べながら、新聞、雑誌を読む。全てはイラクがらみだが、改めてみると北朝鮮のリスクがやたら大きい。日経に不良債権処理についての語録が載っていた。’95年からあと5年以内だの、峠を越えただの、言い続けて何年が過ぎたことか。森毅氏がインタビューで「日本人は協調性を重んじすぎ。みんなと違う事こそがええんや、という価値観を持つこと。時代の常識は10年しか持たない。」
 ところで、イタリアもいいが、パリもいいなあ。なんて、スローなこと言ってるなあ。すんません。(^_^;)

(’03.2.17)資料を読んだり、確定申告の準備をしたりしながら、新しいサブウーファーを本格的に聞く。やはりバランスが大事と言うことで、低音バンバンではなく、彫りの深い、艶のある方向にチューニング。自分の好みって、やっぱりこの方向だなあとつくづく思う。量ではない。質が大事なんだ。大きな音量でなくても、大事な情感が十分感じ取れればいいんだ。ボサノヴァでいつも出てくるポルトガル語の「サウダージ」。哀愁、切なさ。
 やばい、いろんな思いに火がつき始めた。先はまだ長い。ゆっくりとチューニングを続けるとして、今日はこれくらいにしよう。最後はジョニ・ミッチェルのウッド・ストックなんかいってみる。

(’03.2.16)おとといの徹夜がまだ一人時間差攻撃でやってきて、少しかったるい。いろいろ片づけをしながら、サブウーファー(超低域専用スピーカー)の電源ケーブルを待ったが来ないので、しびれを切らしてパーツを買ってきて作った。ついでにアメ村のタワーレコードでチェック用のCDを買う。久しぶりだが、アメ村なんかに来るとワクワク、うずうずしてしまう。いつもの珈琲屋でゆっくりしたかったが、とりあえず帰る
 ま、凄い超低音が出ることは分かったが、要はバランスなので、これからの調整。ゆっくりと追い込もう。

(’03.2.15)昨日はお隣のギャラリーでの上映会3回目。いろんな人が来てくれて盛況で良かった。その後、慰労会というか打ち上げをする。飲み、食い、しゃべり、酔っぱらって楽しかった。いろんな人と今回は話が出来たので、随分おもしろかった。三々五々引き上げていく中で、結局コアでディープな同じようなメンバーが残っていく。やれやれ、といいながら全然懲りていない。ま。みんなそんなタマではないが。
 夜明けまで話をしていたので、(Hey Ky!なかなかいい話だったよ。)ともかく寝て、起きる。そうこうするうちに、東京からサブウーファー(超低域専用スピーカー)が届いた。電源ケーブルを先方が入れ忘れていたり、まだ接続用のケーブルを作っていなかったりで、今日はまだ鳴らせない。今晩ケーブルを自作して(完成品の4分の1くらいの値段で出来る)、明日からようやく聞くことが出来るだろう。コントラバスは地を這い、ホールの空気のうねりが聞こえるだろうか。
 かって、実現すると思ってもいなかったことが、少しずつ現実になっていく。あとどれくらい時間が残されているのかは、お互い誰にも分からない。ともかく、あきらめないで、欲しいものを求め続けよう。

(’03.2.13)昨晩は汗をかいて途中で起きたが、そのままよく寝た。風邪の引きはじめだったかもしれない。少し元気になって、買い物に行って、一番のお目当てがなかったので、予約してきた。
 たまっていたメルマガなんかを読んだりする。インフレターゲット論の話。この国の経済論議は、熱しやすく冷めやすく、部分の議論に終始する。財政政策が手詰まりだから、デフレが貨幣的現象だから、日銀の出番だと。これだけ既に量的緩和していて、必要なところへお金が回っていかないという実態がありながら、まだ日銀に責任を押しつけて、目をそらそうというのか。インフレになったら皆が良くなるいう漠然とした期待の他に、中央銀行の役割と管理通貨制度についての基本に立ち返って頭の中が整理できているのか。
 実際に5兆円あまりしか自己資本のない日銀が「非伝統的金融政策」に手を染めて、その資産価値をどんどん悪化させ、人々がインフレ期待を抱いて行動し始めたら、既に言われている「国債バブル」がはじけて、金融機関も日銀も資産価値が大幅に低下して、持たなくなるだろう。
 ダヴォスで竹中氏は頑張っていたと松本大氏は言う。竹中氏は経済理論に即した議論は出来るだろう。だが、そもそも政策論議の基本となる日本が目指す社会経済の姿、あり方については殆ど何も持っていないだろう。どこでも議論されていないのだから当たり前だが。日経団連の奥田会長が消費税引き上げを含む将来像についての提案をしている。しかし、それを議論していこう、というような動きはほとんどない。
 失敗を許さず減点法の人事をし、オープンな議論が存在しない縦割りの組織では当たり前のことだ。個人としてはともかく、そんな国が何について発言できるのか?影響力を持てるのか?
 全体像についての議論を避ける。足元の揺らぐ話は先送りする。全体としてのプリンシプルがないのが、この国の最大の問題だと思う。この点について危機意識を持って、利害の対立も明確にしながら議論を深め、政策を選択していかないと、いずれは財政破綻が何らかの形で爆発するだろう。メディアも学界も総合的な試算と政策提案をなぜしないのか?
 はっきり言って、期待できないと、僕は思う。この国の一員として、とても残念だが。

(’03.2.12)日本語入力ソフト(FEP)のAtok14が、XP対応とはいえどうもシステム的に不安定だったので、ここしばらくMS -IME2002を使ってみた。前よりはかなり改善されているとはいえ、辞書機能の働きがいまいちだったり、変換がもどかしかったり、その修正に時間がかかる。ストレスが少しずつ高じてくる。Atokは毎年5千円かかるわけで、それを2年間使ってきたわけだから、まあいいか、と思いAtok16を買ってインストール。動きも軽い。これで余り考えずに、キーをたたけそうだ。

 少し頭と体が重い。今日は資料や本を読むのは控えめにしよう。明日は出かけて、いろいろと片づけよう。
 それにしても、上海はおもしろそうだなあ。9月にイタリアに行くとして、母とは11月に台湾かな。香港はマイルを貯めていきたいが、ま、いつでもいい。今年のスケジュールをぼちぼち考えなくっちゃ。

(’03.2.11)独仏ががんばってくれているし、イラク攻撃はひょっとしたら回避できるかもしれないと期待。ラムズフェルド米国防長官は「古い欧州」と軽蔑したが、例えば企業格付けにしても財務的要素だけでなく社会的投資・責任を加味して行う、などといった方法がフランスで始められたり、ドイツも株主本位制といったアメリカ的スタンダードと違う形を企業経営に盛り込みつつある。ブッシュの馬鹿が戦争を長引かせたら、相対的に欧州のプレゼンスが増すという可能性もあるが、それだけでなく欧州にはちゃんと注目すべきだと思う。
 翻ってわが日本ではどうか?繊細な感覚はあるだろう。それは良しとしよう。では、プリンシプルはどこにあるのか?
 キーコンセプトは多様性と自然との調和だとしてみようか?では、何を持ってそれを体系付け、生活を含む全体の考え方として打ち出すのか?実際にこの社会は一見多様性を内包するようで、漠然とした一体感のなかで、結局は個人の多様性を尊重できないのではないか?われわれができていないものを、他国の人に伝えることはできないだろうに。「茶の本」をもう一度読んでみようかな。

 ま、そんな事を考えながら、買出しに行き、夕食を作る。鴨の燻製と大蒜の芽と香菜のごま油和えは、鴨の良いのがなかったので馬の燻製「さいぼし」にして、大蒜の芽(というか台湾では葱)のかわりに黄ニラを使ってみた。美味。名古屋的に言うと「うみゃーでかんわ」。明日は、プロシュート(生ハム)でやってみよう。イタリアンサラダにチーズと一緒に「さいぼし」や黄ニラを入れる手もある。牡蠣は軽くいためて、レモンソースにするか。中国の黒酢はどうかな?
 ま、うちのキッチンでは国際交流は順調に進んでいる。

(’03.2.10続き)台湾料理屋に顔を出したら、台湾産の「香菜」(しゃんさい=コリアンダーの葉っぱ)を土産にもらった。ちょっと嗅ぎには余り香りはしないが、噛むと強い香りと味が広がる。やっぱりいつもパントリーで買う静岡産のとは違う。
 こうなったら、蒸し鶏と中華粥しかない。そいで、今日食べた鴨の燻製と大蒜の芽とをごま油であえたのをコピーしてみよう。(鴨が高ければベーコンにしよ。)台湾料理は全般に味が濃いようなので、あっさり目にいこう。これで青島ビールがあればいうことないが。酒屋さんに電話してみよっと。

(’03.2.10)昨日はアメリカの有名なブランドの新作アンプの試聴会にいった。世界のオーディオアンプのコンセプトを一新させた程の天才肌のセンスを持ち、人間的には結構奔放というか、難儀なプロデューサー。バブルで彼が投げ出したブランドを、ほとんど一からトレースして検証し、世界中のユーザーのために修理し新作を出す体制を作り上げたアメリカ人オーナー(今回来日)。20年来の付き合いの彼を理解する日本の評論家。おたがい音にははっきりした意見を持っている。つまり、自分としてのプリンシプルを明確に持ち、しかも音楽とオーディオを愛する気持ちはしっかり伝わってくる。
 輸入代理店のスタッフがセットしてガンガン鳴らしていた機器を聞いたとき、今日もデモンストレーションを聞かされるのか、やれやれと思ったが、評論家は自分のCDを使って、慈しむように、むしろ控えめな音量で鳴らした。「アルジャーノンに花束を」のテーマが心にしみた。終わってからも誰も席を立たず、オーナーへの質問が相次いだ。この60人くらいのうち何人かは、無理してもこの高価なアンプを買うだろう。(僕もこの夏出るというプリアンプを久々に欲しいと思った。)音楽という大事な宝物を扱う機械ならば、音がいいだけでなく、作り手の顔と思いが見える機械を使いたいに決まっている。人生なかなか悪くないじゃないかと思える1日だった。

(’03.2.9)東京のオーディオの会(音と戯れる会)の山本さんのお世話で、サブウーファー(超低域用スピーカー)を我が家で近々試聴できることになった。気に入れば購入可で、少し割引もしていただけそうだ。
 大体僕は何でも長く使うほうで、前のアナログ・プレーヤーも、上物に変化はありつつも約(およそ)20年余り手を入れて使ってきた。新しいプレーヤーも手を入れることを前提に中古で入手した。アンプも15年余り前の中古品を大幅にブラッシュアップして使っている。衝動買いはしない。お金は大事にする。しかし、やはり機器の限界はある。この1年くらいの間が、久しぶりにオーディオの上でも大きな転機になりつつある。
 今度は、それに超低域を強化するスピーカーを導入するわけだ。スピーカーをより上位の機種に換えれば低音もそれなりに出るようになるだろうが、限界もあり、第一費用がべらぼうにかかる。今あるものを生かしてよりワイドレンジにするには、専用機を追加するほうがはるかに経費も安く、質も確保しやすい。しかも、より小さい音量でワイドレンジな音を楽しめる。ようやく長年抱いてきたイメージにほぼ近づけることができるようになってきた。この形で当分の間落ち着いて音楽を聴くことになるだろう。

 ところで、好きにせん会や上映会で知り合った人たちからレコードコンサート(+一杯飲み)の声もある。サブウーファーの使いこなしが一段落したら、ディープな同好の士の集まりを考えようかな。LPとCDを聞き比べたり、CDのアップコンバートの有無を聞き比べる、なんてのも面白い。相当濃い感じになるだろうなあ。んむ。
 もうすこし工夫して、隣のギャラリーで催しなんて手もあるが、残響の多さを考えると機器の選定やセッティングなどかなりの工夫が必要になるだろう。ま、この辺のメンバーを核にして、その中の専門家の知恵も借りて、実現できたら面白いな、と思う。LPの次は「真空管」という手もある。スローでディープなオーディオライフ、音楽生活といったところかな。
 遊びをせんとや生まれけん。 

(’03.2.8)昨日は第2回目の上映会。先週は料理の仕込などあり、準備段階から入れなかったが、今回は全体の流れが見えて、楽しかった。いろんな人の動きも興味深い。やはりキーになるのは「ものづくり」感覚かなと思う。映像を見ることができなかったのは残念だけれど、また違った面白さがあった。そしてこのギャラリーのスペースとしての貴重さを改めて感じた。さて、僕は何をつくろう?

 ところで、コミック文庫で懐かしいサラ・イイネスの「大阪豆ゴハン」が出たので2冊買って読み始めている。いやあ、面白い。ある家族の日常的な出来事を描いてるのだけれど、結構不合理なことをひょいと通してしまうくらい自己主張がはっきりできる大阪弁がとても決まっている。大阪弁てこんなにクールでパワフルだったんだと、改めて大阪に生まれた喜びと、少しばかりの難儀さを(笑い転げながらだけど)、しみじみと感じてしまう。みんなこんなだったら、肩の力が抜けたいい感じになるのにな。こういうのが大阪のよさだと思うんだけれど、例えば小田実がアメリカ南部方言を大阪弁で訳しているように、ローカルカラーってのをスローなネタにできないもんかな。ヨシモトだけでなく。

(’03.2.7)「ゲド戦記」を読み終えた。ル・グインにはいつも驚かされる。思いもかけない、しかし、やはりと思えるような大団円だった。この世界の均衡を破る扉を閉ざすために、全ての力を使い果たし傷ついたゲドは、故郷へ帰る。彼を癒したのは女だ。この話は、ほとんどが女の側から語られる。そこでは、男たちはその理解不足を、狭量さを、かなり手厳しくやり込められる。なんだか胸に詰まるときさえある。いや、俺も分かってないんだと、正直に思う。
 これは、家のことに手を動かしながら、物語を、噂話を、子供へのいたわりを語る女たちの物語であり、時を経てようやく向き合い、話し合うことでいろんな空白や溝を埋め、意味を見出そうとする、物凄い遠回りをしてきた男女の物語でもある。
 うまく言えないのだけれど、今からでも遅くはないことを願う。

(’03.2.6)ル・グインの「ゲド戦記」を全巻買って読み返している。「さいはての島」に向かう船の上で老魔法使いゲドは言う。「わしにとって、すべては終わろうとしている。ここにいたって、わしにはわかるのだ。本当に力といえるもので、持つに値するものは、たったひとつしかないことが。それは、何かを獲得する力ではなくて、受け入れる力だ。」胸にしみ込む。寒い。早く寝よう。

(’03.2.5)最近、交友関係が広がってきたおかげで、このHPも読者が少しずつ増えてきているようなので、見やすくなるように、サイトのあちこち手を入れる。興味のある人は多少のっぺりとした画面でも読んでくれるが、やはりどの点を重視しているのか、見てわかるようにしておかないと、いろいろな人が見てくれたときに、こちらのイメージが伝わりにくくなるのではないかと思う。
 なんだかんだで、サイトの総ボリュームは10MB近くなっている。少し削ろうかとも思ったが、いろんな人がそれぞれの関心で読んでくださるようなので、むしろ間口は広げておいて、見易さを工夫したほうがよいかな、と思っている。好きにせん会もメーリングリストが皆をつなぐ上で重要な役割を果たしているようだ。デジタルでも伝わるものは伝わる。要は人間次第だと思う。

 エネルギーは拡散し、情報は離散する。それを再び繋ぐのは生命あるものたち。生命がバランスを保ちながらユビキタスに偏在するにはどうすればいいのか。ネイティブ・アメリカンたちの智恵に学ぼう。われわれの長老は何を語り、どんな物語を言葉を残すのだろう。もし、われわれの長老がその役割を果たしていないのならば、僕らがそれを担わなくてはならないのか。それは、われわれの伝統の中にある物語でなくてはならないのだろうが、そんなものがあったっけ?
 単にエコロジカルな白昼夢に終わらせないためにはどうすればいいのか。おそらく、ビジネス・モデルならぬライフスタイル・モデルが必要なんじゃないか、と思うが、たとえばこの都会でこのマンションでそれは可能なのか?
 ライフスタイルでないとすれば、偏在するものは思想か?多様性を保存しようとするスローフード運動。多様性とは多元的価値観を受け入れる想像力でもある。今は間口を広げておこう。何か見えてくるだろう。

(’03.2.4)自分の足をチューニングするなんて普通ない事だが、僕には日常茶飯事だ。近頃スピード重視の、やや過激なバランスになっている。なぜ、人ごみを肩で風切って歩こうとするのか?でも、時には街の尖ったところにいたいじゃないか。
 今日は、昼前から夜までずっと街にいた。少しゆがんできた眼鏡を直してもらい、アイリッシュ・ウイスキーとイタリアン・パセリと田舎風バゲットを買い、オーディオ部品を買った。夕方からオーディオの大先輩と、半分は日本経済の行く末について話し合い、後の半分はレコードプレーヤーのチューニングについて話し合った。そして、気づいた。自分の話す声が、柔らかな声になっていることを。話をするから声が出るんだ。なんてことはない。それが一番ナチュラルなヴォイストレーニングなんだ。参ったな。

(’03.2.3)節分。結構暖かい日。昨日この何ヶ月かの件で気づいたことがあり、雑用しながら、いろんな事を考える。思いだけで走ってしまうのは、やはりいけないことだ。1年ほど前までは、自分の持っているものしか数えないようにして、静かに日々をつないで生きてきたのに、やはり欲深いものだと反省。足元を見つめて、大事にしなければ。人の言ったことを、大体こうだろうという近似値で受け止めて、とりあえず引き出しに入れるのは悪い癖だ。聞くときには、ちゃんと聞かなくてはいけない。まず、目の前のことをちゃんと受け止めなくては。一人ではキャッチボールはできない。

(’03.2.2)今日は一日、たまっていた新聞や資料を読みながら、音楽を聴いて静かにすごす。ノーラ・ジョーンズ、リムスキー・コルサコフ(シェーラザード)、イヴォンヌ・ロリオの弾くメシアン(鳥のカタログ)、ベロフが弾くバルトークのピアノソナタ、etc。人とつながっていく世界も面白いし大切だけれど、こんな風に深めていく世界も両方が必要だし、好きなんだと思う。
 日経新聞に面白い記事があった。少数の勝ち組と多数の負け組みに分極化しつつある中で、多くの人は自分が勝ち組に残れるという幻想を抱いている。これから必要とされるのは、お金や成功にこだわらないラテン型人生。自殺率と失業率の「反相関」の度合いを「ラテン度指数」とすると、1位は沖縄で、大阪も上位にあるそうだ。
 してみると、沖縄でささやかな店など開こうか、というような考えは、ラテン思考の発想かな?この経済アナリストも数年後には沖縄に住み、時々上京して仕事するために貯蓄に励んでいるそうな。
 ま、過ぎたことは考えない。これからのことを思おう。明日からは、また新しい可能性を試してみよう。
 終わりの始まり。始まりの終わり。

(’03.2.1)宴会後の後片付けなんて好きな人はいないだろうが、実は僕は嫌いではない。こんな人とこんな話をしたな、こんなことを聞いたなあ、などと思い出しながら、けなげな食器洗浄器をせっせと働かせて、ゆっくりと片付けていく。昨日は、ギャラリーでの上映会の後、我が家でその関係者と好きにせん会との飲み会。始まる時間が遅く、しかも大人数なので、いつものイタ飯中心にゆっくり順番にのやり方では正直しんどかった。好きせんメンバーは大人数での場合、結局、段取りをしてそれぞれに手伝ってもらうような形(たとえば鍋物や作り置きのきくもの)が一番いいようだ。それでも、いろんな人と話をできたのは楽しかった。少人数のほうが、やりやすいが、また腕を磨いて勉強しておこう。
 寝不足だったので、少し仮眠してその後は、片付けがてらアメリカから届いたばかりのターンテーブルシート(レコード盤の下に敷くマット)を鳴らしてみた。いやあ、目が覚めた。すごい音だ。さすがに純正品はいい。これまで、十分に鳴らせていなかったのが良く分かる。とはいえ、今日はほどほどにして、早めにさっさと寝よう。ファ~~イ。

(’03.1.30)以前からほしいと思っていた工具を昨日プレゼントでいただいた。ハードラバーのグリップを握っては悦に入っている。精密工具の世界は、機械いじりをしてきた人間でないと、ピンと来ないかもしれないが、自分の指の感覚をより正確に伝えることができるツールは、細かい調整が必要になるほど、ものすごく値打ちが出てくる。そのメーカーの標語は、”There is a difference”
 というよりも、やっぱり基本的に好きなんだろうな。何で機械いじりが好きなのかは、うまく説明ができない。「機械は嘘をつかない」という人もいるが、そんなに大層なもんじゃないだろう。
 でも、コンピュータなんかは、スペックや機能が陳腐化するのが早いから、はっきり言って余り愛着がもてない。いまは、むしろソフトの機能やその美しさのほうに関心がある。家電製品なんかも機能優先で、どちらかといえば使えなければ、さっさと新しいものに買うほうだ。
 でも、基本的には僕は物を大事に使うほうで、まず必要性も考えて余計なものは買わないようにする。(ま、好きなものは仕方ないが。)デザインや使い勝手も吟味して、そのうえで機能が同じならできるだけシンプルなものを買う。そして、いろいろ手を入れては長く使うのが好きだ。使い捨てというのは、やっぱり好きになれない。

(’03.1.29)先日の検査結果の残りを聞きに昨日病院に寄ると、ドクターから「ピロリ菌」の除菌に成功している、とのこと。胃にはびこって胃酸を過剰分泌して悪さをするバイバイ菌がくたばったらしい。しかし、実際に胃の状態が良くなるには2~3年かかるので、当分は気をつけてください、とのこと。まあ、良い子にしていれば結果が出るわけだから、先は明るい。いい気になって飲みすぎないよう、節制、節制。体重も落ちつつあるし、皮が身についてこないのは悲しいが、やせるってのは久しぶりでやっぱり嬉しい。がんばりませう皆様(^。^)。

(’03.1.28)先日ご夫妻でお会いした国際交流センターの先輩からメール。奥さんがすっかり僕のファンになって、ご夫妻でこのHPの銀行選びを読んで、新生銀行に口座を開くことにしたという。いかに農耕民族といえども、しっかり新聞読んで、パソコンも勉強して、自立した個人として判断した上で、自己責任でやってくださいね。(ダイジョブかな?)
 UFJ銀行が自己資本欲しさに新生銀行に触手を伸ばしているらしい。新生銀行の顧客はシビアだから、もしそんなことになったら、一斉に資金を引き揚げ始めるだろうに。分かってないなあ。

(’03.1.27)雨。久しぶりに台湾料理屋に晩飯食いに行くと、客は僕一人だけ。2月1日から旧正月なので、3年ぶりに両親と子どもの顔を見に台湾へ帰る話など聞きながら、ビールを飲む。31日の宴会の段取りなど考えながら、焼きビーフンを食べる。合唱団のHPを思い出し、あの少ない人数の中で自分はやっていけるだろうかなどと思いつつ、暖かくなったら歌い始めようと思う。寒いのも悪くないが、春にも来てほしい。嬉しいことがあった日は、たゆたゆと、時がゆっくりと過ぎてほしいと思う。

(’03.1.26)朝新聞を開くと、1面に「世界規模でネット障害~ウイルス攻撃か」。シマンテックのHPで確認すると、W32.SQLExpというワームでマイクロソフトのSQL Serverが稼動しているサーバで、内部ポートにパケットを送信させて、システムに負荷をかけるものらしい。直接メモリ上で常駐動作するので、アンチウイルスソフトも効果がない。一昨年のCode Redに似ているようだ。
 疑問1.なぜ今なのか?
 疑問2.対象OSはNT、2000、XPだそうだが、なぜWindowsだけで、サーバの主力OSであるUNIXは攻撃しないのか?
 疑問3.なぜアジア地域中心の発生なのか。(製造元が近い?中東への通路?)
 Yahooの米債券市場のHPによると、アメリカ政府から国外居住米市民に緊急時には直ちに移動できる準備をしておくようアナウンスがあったらしい。小春日和の暖かい日だが、世界はきな臭くなっている。
 

(’03.1.25)香港へ、昨日ドルを送金。巷では、コトあればドルを売るぞ、下がるぞ、の通奏低音。ドル、株、債券のトリプル安になりそうだ。マネックス証券の松本大氏が、タイム誌のヨーロッパ版のウェブ・サイトで、世界の平和を脅かしているのは誰かというオンライン投票で、1位はフセイン、ビン・ラディンをおさえてブッシュだった、と紹介していた。要はブッシュ政権には足りないものがあり、その信任の低さがドルを揺るがしていると。僕もそう思う。円もユーロもその相対関係で高くなっているとしか、考えようがない。ブッシュ政権がいつまでも続くものでもなかろう。イラクへの空爆でこれまで市民の死傷者が多数出ていることだけでも、個人的にはすぐにつぶれてほしいと強く願う。
 ま、ドルを持っているのだから運用するしかない。いずれにせよ債券か他国通貨しかないが、この土日で決断して香港に連絡しよう。

(’03.1.24)昨日は国際交流センターで新年会というか、先輩と同期とで一杯のみ。考えてみれば、ついぞ組織の主流に向かない3人が吹き溜まったとでも言う感じ。名前で呼んで、肩書き抜き。お愛想なし。先輩のジョークでもつまらないものは笑わないし、つまらんとはっきり言う。(普通のサラリーマンの一杯のみでは偉い人がジョークを言うと、みなが一斉に笑うので、誰が偉いのか秩序がすぐ分かる。)同期の奴はいつの間にか、関西のクラシック音楽界で結構おおきな人のつながりを持つようになっていた。上海の事情にも詳しそうだし、いい旅行会社も教えてもらう。またピアノ・カルテットのHPつくりで会うことになった。
 去年は足元を整える年だった。今年はとりあえず、つながりを広げよう。人も思いも。

(’03.1.22)今日はいずみホールで若手のピアノ・カルテットの演奏会。ザ・シンフォニーに次いでできた中型ホールだが、響きの性格はかなり違う。いずみは、あまり響きを乗せずに音を広げる。だから、アーティストの力量や集中力を結構厳しく伝えてしまう。きょうも2曲目の中ほどから、エンジンがかかったのがよく分かった。3曲目で結構いい線まで行き、4曲目のフォーレでは集中力が人によりばらついたので、いかにもフランス的な香気は薄れてしまっていいた。
 そう考えると、隣のギャラリーのホールなんて、楽器を選びはするものの、響きの長さで演奏する人を幸せにするホールかも知れない。

(’03.1.21)日々、刻々思っているのだけれど、生きていることは素晴らしい。死にぞこないだから言うわけじゃないが、切ないのも、苦しいのも、嬉しいのも、痛いのも、みんな生きている証拠だ。だから、この世は愛したもの勝ちだ。砕けたってかまわないじゃないか。生きているから、ぼろぼろになることだってできるんだ。それが人生の醍醐味というものじゃないか。
 映画「GO」の主人公はGFに拳を見せ、こう言って彼女を抱き寄せる。「この円の外には手ごわいやつがいっぱいいる。ぶち破れ、そんなもん。」
 変わらないものは決して変わらないし、終わらないものは決して終わらない。この胸の思いを全部抱きしめて、しかしありったけの勇気と智慧をかき集めて、ゆっくりと大切に、傷つけないように歩いていこう。俺は、今、生きている。 

(’03.1.20)野菜がたくさんあったので、今日は夕食とは別に野菜の煮込みラタトゥイユをたくさん作った。コトコトと煮込んで、さめてから冷蔵庫で一晩寝かせる。明日には味がなじんで一段とおいしくなる。冷蔵庫にはロワールの白ワインをキンキンに冷やしてあるし、よさそうなソーセージも見つけた。ボイルして粒マスタード。明日はこれで宴会やりたいなあ.......。

(’03.1.19)狭山での2台のマシン設定は、時間はかかったけれどまあ順調に終わる。そのインストールの合間、村上龍の「マクロからミクロへ~日本経済からあなた自身へ」を読んでいた。メールマガジンで連載されたエッセイ集だが、そのキモは「日本人」というような大きな括りの中で、階層や個人の違いを認識しようとせず、むしろ覆い隠してしまう日本社会やメディアへの違和感です。
 集団のなかでの相互依存が前提となっている社会は、高度成長のように一丸となって進むときには、一体感が感じられてまことに都合がよかったのかもしれないが、財政危機でもはやバラマキは許されなくなり、個別の個人や企業の活力が求められている環境には対応できない。
 日本には、個人の「自立という概念と、そのメリットについての社会的なコンセンサスがほとんどない」ということ。
 不良債権やデフレをめぐる全体像についての議論がほとんどなされず、先送りされてきたことの基盤が見えてくる。危機感がない。最悪のケースについてのシミュレーションもない。当然、将来どうありたいのか、守るべきものは何かというビジョンも、何を選び、何を捨てるのかという政策のセレクションもない。
 「私は」という主語をはっきりとつけて発言でき、違う意見を持つことが秩序を乱すものとして排除されない集団や社会。多様性を前提として、異なる利害を前提として議論し、決定していく社会。そんなふうにはならないもんですかねえ。
 ま、気分を変えて「ソトコト」のスローフード特集でも読もう。

(’03.1.17)震災から8年。逆瀬川で被災したときのことは、もう遠い思い出のようになっている。一番印象に残っているのは、やはりいろんな人たちに助けてもらったことだ。水を運んでいるときに、見も知らぬひとが車に乗せてくれた。ご近所の人とは、いろんな情報を分かち合い、給水車が来ればドアをたたいて知らせあった。離婚後、なんとなく近所の人とはぎこちなかったのが、どっかに吹っ飛んでしまった。寒かったけれど、いいこともあった。
 あの経験は僕の中でも大きな意味を持っている。今夜はデュリュフレのレクイエムを静かに聴こう。

(’03.1.16)この前から読んでいる英国のSF作家アーシュラ・K・ル・グインの「言の葉の樹」がとても面白い。辺境の惑星に派遣された宇宙連合の女性監察官。バガヴァッド・ギーターとシェークスピアを吟じるインド系英国人である彼女は、星々へ向かうテクノロジーと一つの神を喧伝するその星で、禁じられた伝統文化「語り」に出会う。「この世界をありのままに語ることこそ精神が到達しうる最高のもの」と信じ、語り手たちは多様な世界を多様なままに受け入れ、死者を、生者を、神話を、歴史を、医学を語る。神を持たない宗教哲学の世界。
 ル・グインはフェミニストの旗手である一方、多文化共生社会の可能性を推し進めている。こんな柔らかな試みが一人の主婦の手で続けられている。
 高校時代に僕に決定的な影響(小難しいことを考え続けるという救いがたい性癖)を与えた友人が、いつも言っていた。「多様性とは力だ。」
 児童文学の傑作でもある「ゲド戦記」の最新作が18年ぶりに出たそうだ。逃げ出した自分の影と合体した魔法使いゲドはどうしているんだろう?読みたいなあ。

(’03.1.15)市役所での課長研修メンバーから新年会のお誘いの電話あり。近況を知りたがっているとのこと。HPのURLも含めて出席の返事を出す。横のつながりのほうが、結局は人間同士でつながるし、結構呼んでくれるもんだ。

(’03.1.14)先日土つきの立派な大根と蕪をいただいた。切ってみると身がしまっていてしかも甘い。どういう風に食べようか。いろいろスクラップやレシピを調べて、前菜には大根おろしであえた牡蠣、蕪は牛すじ肉と煮込んで、鍋は鶏つみれの雪鍋などと大根尽くしのプランを考える。なかなか楽しい。
 弟から電話がありパソコン2台が届いたとのこと。この土日は狭山でセットアップとLANにとり組むことになる。
 明日は、あちこちに挨拶かたがた出かけよう。

(’03.1.13)今日は好きにせん会の新年会。ハイアットバスで梅田から、40分。ロビーでコーヒーをお代わりしながら、日経新聞とル・グインの新作を読む。とてもゆっくりとくつろげて嬉しい。このホテルはいい。
 そして熊野の笛と、「ライア」というケルティック・ハープを小型にしたようなドイツの楽器を弾き語るソプラノの方との、ソロやコラボレーションをまず聞く。素敵だ。水の流れが広がりを感じさせてくれる。
 その後、隣のワイン館でワインをあけて新年会。いやあ、みんな個性的で面白い人たちだ。僕もやっぱりそう思われているらしい。(余り自覚症状はないが。)何はともあれ、混ぜてもらってすごく楽しかった。ワインもいくつか発見があった。友達が増えるのはなんといっても嬉しい。やっぱり自分はこういう柔らかな個人主義のような感じが居心地がいいんだと思う。
 美しき女性たちをはじめとして何人かが、うちに遊びに来てくれるとのこと。これまた嬉しいじゃないか。

(’03.1.12)昨日は1日パソコンとにらめっこ。CATVインターネットを今月末で解約するため、Bフレッツに新しいルータをつけて、光のみに切り替えた。やはりLANボードを2枚刺して、パケットを2系統走らせるのはマシンにかなり負担がかかっていたようで、パケットだけでも1系統にするとかなりサクサク動くようになる。念のため、LANボードは2枚刺したままだが、この辺も全部取っ払えば、かなりすっきりした動きになるかな。メモリも安くなったので買い足して合計1GB(えへん!)にしたしね。
 それにしても、相変わらずネットワークは微妙なもので、マニュアルは説明不足で手がかかるが、ルータ自身がBフレッツに接続しに行ってくれたり、セキュリティのログを吐き出す点など、新しいものの機能は充実している。かなり遊べそうだ。
 メールアドレスの変更手続きもボチボチやっていたが、メルマガだけでも30件以上もあると時間がかかることおびただしい。めったに見ないのも多いのだが、ときどき大きな収穫があって、やはり情報源としてはキープしておきたい。ネットに依存していることを実感する。しかし、どんなに年をとってもデジタルの海の中で物思う存在でありたいと思う。暗黒の水底を巡る盲いた魚の見る夢のように、星の巡りに目を凝らす月読みの心の天体図のように。
 今日もがんばって、いろいろ片付けてすっきりさせよう。
 明日からは、お外に出るんだ。海のそばで熊野の笛を聞いてワインを飲むぞ。

(’03.1.11)一緒に行きたい店のページをアップした。食品流通に長いこと関係していたので、実を言うと、日本人の食生活はちょっと異常かも、と思っている。世界中からかき集めてきて、季節感も関係なしにセールの材料に使われている。その土地のものをその季節に食べるなんて、そんなことをしたらものすごく貧しい食卓になるのは、まともなことなんだろうか?長期的に円が下落したらどうなるんだろう?
 もちろん、輸入食材がなかったら、イタ飯やチャイニーズもできないわけで、そんなことを否定するわけじゃないんだけど、少なくともグルメとか食通とかを誇るようなことは、あんまりしたくないな。
 大事な人のためなら、ちゃんと体にいいもの選んで、豪勢なものでなくていいから、それなりのシンプルなものを作って、一緒に食べようよ。それなりの店に一緒に出かけようよ。よっしゃ、パット・メセニーなんか、かけようぜ。Are you going with me?

(’03.1.10)一人で生きているような顔をしているが、本当はいろんな人に助けられていることを今日もひとつ教えられた。ありがたいな。うれしいな。

(’03.1.9)今日はご近所で食事会。京橋の寿司屋さんでいろいろ食べて、ニューオータニのバーでカクテル。いろんなおしゃべりをして、ずいぶん笑った。
 最後の仕事が女性の地位向上や、ジェンダーの問題を扱う財団だったので、多少はわかってるつもりだが、女性である当事者は結構いろいろ抱えている。男の病気は面子。女の弱点は罪悪感。夫や子供の世話を世間的なレベルでしなくても、共同作業ならタメの世界だろうに。性別で分業するなんて、コラボレーションとは言えないじゃないか!
 自立した人間同士なら、時間と距離があったほうが、うまくいくのじゃないかなあ。というか、おそらくそうだろう。時間と距離を味方につけよう。待つことができるなら、難しくはない。

(’03.1.8)朝から愉快でない電話。元上司から。その団体で会計担当の派遣社員がやめてしまったので、困っている。それを引き継いでくれないか、出来るだけ早くフルタイムで来て欲しい、との話。どう考えても、僕向きの話でないのに、昼飯をおごるから明日来てくれ、とのこと。元々実務を余り考えない人だから、そのあおりでも食らったのだろうが、こっちに矛先を持ってこられたって、暇をもてあましているわけでもなく、予定もあるしできるわけがない。仕方がないから行って、角が立たないように断ってくるつもり。やれやれ。

(’03.1.7)今日は七草。七草粥は作れないので、中華粥をつくって、殆どパソコンと向かいながら、一日静かに過ごす。そんな事があるとは想っても見なかったが、待つ間は充たされる、というのは本当にあることだった。ゆっくりと静かに待つときも心うれしい。暖かく、柔らかで、透明なものが僕の中に充ちる。僕は今幸福だ。

(’03.1.6)朝からパソコンの中に変なファイルが起動しているのを見つけた。3種類のプログラムがOSやファイアーウォールの認識外でダウンロードされており、うち2件は起動時から立ち上がっている。アンインストール・ソフトで削除し、検索で元のダウンロードファイルも見つけて削除し、レジストリを修正する。2件は以前、ちゃんと片づけていたはずなのに、レジストリまで変更されていたのはショックだったし、uninstall.exeという名前で実際は違う働きをしたり、手が込んでいる。色々調べて、スパイウェア対策ソフトをダウンロードして、スキャンする。以前削除し切れていなかったソフトのレジストリ内の残骸と、疑わしいクッキーが見つかったので、削除する。Windowsのアンインストール・ツールはXPでもザルのようなもので、あてにならない。日本語サポートはないが、このアンチ・スパイウェアソフトは使いやすそうなので、活用を考えよう。厄介な時代になったもんだ。これで、半日余りつぶれてしまった。やれやれ。
 その合間に、お隣のギャラリーに年始の挨拶にゆく。おしゃべりも楽しい。
 本日の夕食は白子揚げの生姜あんかけと、もやしのオイスターソース炒め。当分ヘルシーメニューで行く。夜はインターネットバンキングとデータ整理を片づけてしまおう。今日も酒を控えてさっさと寝よう。

(’03.1.5)宴会と餅で疲れた胃をいたわりながら正月気分とおさらばする(よう努力を始める)。そして、今年の「当面の」目標を決める。
Q:全部出来るやろか?
A:ま、とりあえず前向きに。一度に欲張らずポイントと優先順位を決めてぼちぼちと。
Q:分かったような分からんような話やなあ。これで目標かいな?
A:..........(そやかて余りやったことないことばっかりやんか。ブチブチ。)

1.1月中に債券(米財務省証券等)の香港での手配をすませ、ポートフォリオをまとめる。(あとはイラクを含む情勢ウオッチング。)
2.年末までにPC-UNIXでマシンを立ち上げる。オフィス系のソフトも今後はマイクロソフトに頼らなくてもいけるよう、オープンソース系の勉強を始める。
3.体のコンディションを整えて、春には合唱団に入る。
4.「好きにせん会」に積極的に参加する。アジア旅行を含めて。
5.超低音用のスピーカー(サブウーファー)を導入して、オーディオシステムを一応完成させる。東京のオーディオの会も2~3回位は行きたいな。
6.ギャラリーの施設管理を担当する。
7.NPOなんかの勉強をする。コンセプト、マネジメントetc.
8.母を台湾に連れて行く。僕はイタリアかポルトガルに行く。上海も。香港は銀行がらみで1度行く(クレジットカード作りそのほか)。
9.義足の修理調整をする。運転免許を取る。(いつ行くねん?ほんまにいけるかな?)
10.ゆっくりと、その他もろもろ(実は、これが一番大事だったりして。)

(’03.1.4)今日は昼間から高校同期の同窓会。学年10クラスで出席していたのが35人なので、出席率は低く、僕が出た一昨年よりもかなり小さな会場だった。何せ30年以上前のつきあいで、最近まで殆ど出てなかったので、人数が減ると話できる相手が少なくなって寂しい。しかし、同じコーラスで唄ってたテナー、ベースが指揮者の僕も入れて4人も揃うのだから、やっぱりいい機会だと想う。生徒数減で府立高校も統廃合の話が出ており、この3年程度の間に決まるとのこと。存続運動の動きが始まっているらしい。人口減と少子高齢化と財政難。
 岩国からきた奴は車で帰ると言っていたが、中国地方でもかなり雪は降り続くらしい。無事の帰郷を祈る。

(’03.1.2)今夕、狭山の母と弟の所から帰る。弟のマシンの不調はOLEの例外のようだが、マイクロソフトに聞かなければ分からない。それよりもかっこいいNECのマシンを新しく買うというので、その相談に乗り、結局ディスプレイはそのまま使い、DELLで弟用のデスクトップ本体と姪っ子用にノートを1台ずつ買うことで落ち着いた。NECには悪いが、デザインとおまけソフトだけでは高い価格に見合うだけの魅力がない。届いたら、2台のマシンと家庭内LANの設定に行かなければならない。「やれやれ」などといいながら、必要とされるのはやはりうれしい。
 帰ってきて、年賀状とメールを読む。こちらの読み通り、飲みの誘いが数件ある。おまけに高校同期の同窓会を4日にやることになり、岩国から出てくる奴もいるので是非来いとのメールが飛び込む。「行く!」と返事する。正月からにぎやかで、何となくうれしい。溜めていた本や雑誌も結構片づいて、それもうれしい。

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