お気に入りのLPやCD
音楽がなくては生きていけない、とまでは言わないが、それには近いのかもしれない。昔、誰かが「音楽というのは、『僕がここにいるよ』ということを伝えようとするもの」と言っていたのを読んだことがある。
森本レオは、若い頃、高ぶった神経をほぐすために、音楽と熱い風呂が必要だ、と言っていた。
シューベルトのピアノソナタを弾く私立探偵は、こう言う。「時が経てば、誰しも生きていく力が湧くものだが、それは最初の数日、最初の数週間をどうにか乗り切ってこそだ。そのための方法を、私はふたつしかしらない。ひとつが酒瓶で、もう一つは音楽だ。」(S.J.ローザン「ピアノソナタ」直良和美訳、創元推理文庫)
酒が現在も過去も不安な未来もごったまぜにして、時間の流れ方を変えてしまう一方、音楽はバイブレーションであり、たぶん体の中の呼吸や脈拍やいろいろなリズムに直接作用するのではないかと、前から思っている。
音楽も酒も熱い風呂も、全てが僕には必要だ。(あと必要なものは何だ?)
誰しもそうだけど、お気に入りといっても、好きな音楽は山ほどあって、話し出したら、という感じだと思う。
とりあえずは、「無人島へ持って行くとしたら」的に、ぎゅっと絞ってみた「コアな」セレクションから載せます。
それに、「今これがお気に入り、すごくいいと思う」的なものを、別に載せていきます。LPで持っているのが、かなり多いのですが、CDでもたいてい手にはいると思うので、気にせずにどんどん載せていきます。
(P.S.)と言いながら、好きなディスクは他にも一杯出来て2002年8月のスタート以来追加していません。個々に「よしなしごと」や「オーディオ日記」に書いていますので、よろしくお願いいたします。
無人島へ持って行くコアなセレクション
ジョン・コルトレーン・クインテット「アット・ザ・ビレッジ・ヴァンガード・アゲイン」(Impuls)
トレーンはびらびらと、ファラオ・サンダースはブワブワとやかましくて、何がなにやらよく分からないと言われている晩年のコルトレーン。昔口説きかけていた女の子と一緒に、今はなき難波の5スポットで聞いたとき、『「君はここにはいないんだ!」と言われてるような気がして、しんどい。』と言われたことを覚えている。こんな事言われたら、何にもできなくなってしまうじゃないか?
完全燃焼の境地をトレーンは求めていたのだろうか?久しぶりに聞いて、思ってたよりずっとシンプルな音で、思えば、ここまで来てしまったのかと、不覚にも涙が出てきそうになった。
いつか、あぶく銭を握ったら、アンティークのJBL(075,375,LE15)を買って、場末の街の完全防音の地下室で、思いっきり鳴ならしてやるんだ、くそ!
ジョン・コルトレーン・カルテット「至上の愛」(Impuls)
これは、今のシステムでもかなりいけてる。もう切々と粛々と、ひた寄せる。
でも、あぶく銭は欲しい。
ボズ・スキャッグス「シルク・ディグリーズ」 (Columbia)
大人というものをボズはさりげなく、教えてくれた。「ロウダウン」も「ハーバーライト」もいつ聞いても、いい。
ルーサー・ヴァンドロス「ネヴァー・トゥー・マッチ」(Epic)
「シーズ・ア・スーパー・レディ」はマーカス・ミラーのベースが凄い。とてもハイセンスな歌と曲と音。でも、「家は待っている人がいなくては家庭とはいえない」(そんなことは分かってる!)と告げる、最後の「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」が結構つらくて、ひとりになってから、再び聞けるようになるまで、2年くらいかかった。
家に明かりがついていて、ひょっとしたら、と思って階段を駆け上がったら、自分の消し忘れだった、というようなバカみたいな経験は、他の人にもあるかもしれない。こんな時、チャーリー・ブラウンなら”Sigh!”といって、うつむくのだろうか?
アート・ガーファンクル「シザーズカット」(CBS)
ナチュラルな録音で柔らかい声を美しくとらえた1981年の傑作。1曲目の「ア・ハート・イン・ニューヨーク」からもうハマってしまう。「シザーズカット」とはじゃんけんの事。はさみが紙を切り、紙が岩を包み込み、岩がはさみを砕く、そのように人は順番に傷つけ合っていく。その愚かさを、彼は優しくうたう。一番好きな曲の一つが、「イン・カーズ」。スクールバスの中で、初めての恋に落ち、いろんな経験をする。もう過ぎてしまった夢のような光景。
こういうのを聞いてしまうと、誰かに電話するか、あとは酔っぱらってしまうかしか方法がない。
マーク・アーモンド「アザー・ピープルズ・ルーム」(A&M)
一癖、ふた癖あるデュオが、腕っこきのスタジオミュージシャンを集めて作った1978年の傑作。(CD米国で出てます。)
ジョン・トロペイのギター、ウィル・リーのベース、スティーヴ・ガッドのドラムス、ジェリー・ヘイのフリュ-ゲルホーンなど。特に1曲目のザ・シティ(たぶんNYC)から、「来た来た来たっ!」となってしまう。ヴォーカルも濃いのだけれど、このメンバーでやると本当に上質の音楽。酒はバーボンかフルボディの赤。
ペイジズ「ペイジズ」(キャピトル・EMI)
20年近く前、阪急東通り商店街の奥に、「QueQue(クークー)」という喫茶店兼、飲み屋兼、大阪で一番早く「今い=ナウな」曲がかかる店(自称)があった。すぐ横の「LPコーナー」というレコード屋と直結しており、独自の年間ランキングを作ったりしていた。だいたいが常連ばかりで、曲のサビでは全員がコーラス(入れないやつは肩身が狭かった。)。
中でも人気ドラマーのNo.1はTOTOでやっていたジェフ・ポカーロ。このLPの1曲目からでもそのタイムのとり方のうまさが分かる。要するに「黒い。」「えらくタメが効く。」
彼はこの12年後に38歳で死んでしまう。「クイーン」の残ったメンバーがやった曲のように、”One
by one, the good die young."(いいやつが若くして次々と死んでいく。)
話が前後したが、これは1981年にこの店でも「ヒット」したアルバムで、たぶん余り知られていないと思う。やってるのはリチャード・ペイジとスティーヴ・ジョージの「ペイジズ」。ものすごいハイノートの声の持ち主で、あちこちでバックもやっている。彼らの曲は、辛口の独特のコード進行で、聞いた途端にそれと分かる。クールでシャープ、しかも熱い。(ん?よくわからん?黙って、ぐっと飲み込みなさい。)デヴィッド・フォスターがプロデュースし、これまた当代一流の「プロ」のミュージシャンを集めて作った「何ともいえずかっこいい」傑作。
酒はシングルモルトのスコッチか、アイリッシュウィスキー。
ピーター・アレン「バイコースタル」(A&M)
本人が一番に嫌がるのが「ライザ・ミネリの夫だった男。」という言い方だそうだが、そんなことを吹っ飛ばしてしまった快作。ソングライターとして多くの曲を提供してきた彼が、シンガーとしても真価を発揮した。「バイコースタル」とは西海岸(LAやSF)と東海岸(NYC)のどっちも素敵だというくらいの意味合いで、ドライブなどには最適。特にヒットしたのが、「フライアウェイ」。「きみは錨で、僕は凧。君には理由があり、僕には夢がある。いつか僕は飛び去っていくだろう。しかしそれは今ではなく、今日でもない。」という、男と女の違いや緊張を、抑さえた感じでうたう味わい深い曲。違いがあることは緊張関係をもたらすが、それが直ちに支障にはならない、しかし違いはやっぱりある、という大人の感覚。そして、少年時代に戻ってしまったような半泣きの感じのバラード「サイモン」。
いいよねえ。
マリア・ジョアン・ピリス「モーツアルト・ピアノソナタ集」「ピアノ協奏曲集」(Erato)
彼女の演奏を聴くと、「アップリンク」という言葉を思い出す。衛星への送信電波、というような感じの意味。これらのモーツアルトで、彼女は天国への「アップリンク」を、ときどきつなげてしまう。コロコロときれいな音だけではないポルトガルのピアニスト。「音楽をするときにはいつも自分を無にしていく。」と言い、夫と子供がありながら、「十分に音楽できたら、そのまま死んでもいい。」と言わしめるのは、どのような力だろう。
ブルックナー「交響曲集」E.ヨッフム、ベルリン・フィル(独グラモフォン)
ブルックナーはこのほかにも、ヴァントやチェリビダッケ、ズイットナー、シューリヒト、クレンペラーなどで聞いている。はじめは冗長の塊と思っていたが、4番を聞いていて気づいた。これは、大きな山を登っていくようなものだと。構造などの道筋をきっちり聞かなくても、風景を見るように音楽の中に浸っていれば、いいのだと。そして、頂上についたら見晴るかす全景がパノラマのように広がっていく。その中の、大いなる赦しと救い。
今でも、つらくなってくるとブルックナーの各交響曲のアダージョを続けて聞く癖は変わらない。8番も9番もアダージョは、深く、そして深く、その赦しは涙を誘ってやまない。
アーメン。
イーヴォ・ポゴレリッチ「ショパン・リサイタル」(独グラモフォン)
198何年だったかのショパン・コンクールで、彼を落選させた審査員たちに、「でも彼は天才よ!」とM.アルヘリッチが怒って審査員を降りた、というのは有名な話。その直後にメジャーデビューしたアルバムがこれ。いい状態のLPがなかなか手に入らなくて、もう5枚買っている。これからも見つけたら買うだろう。どれも例外なくプレリュードやエチュードの入ってるB面が傷んでいる。持っていた人は、僕と同じように一生懸命、何回も聞いてたんだろうなあ。
気まぐれなんかではなく、感じぬかれ、考え抜かれた音楽。何というテンションの高さと集中力。この後の彼のレコードは全て傑作揃いだ。磨き抜いた、血肉となった曲だけをステージに載せ、録音する。
M.ポリーニのエチュードを初めて聞いたときのように、演奏に合わせて呼吸をしている自分に気づく。
S.リヒテル「シューベルト・ピアノソナタ9&11,13&14」(独オイロディスク、米ヴォックス、露メロディア)
1979年文化会館、NHKホールなどでのリヒテルの「東京リサイタル」。JVCデジタル録音。村上春樹
【どうでもいいけど僕と同い年で芦屋市出身です】 が、もうどこへ行く力も残っていない、という疲れ切った状態で聞きに行き、終わったときには疲れなどどこかへ吹っ飛んでしまっていた、というライブ。レコードのせいか、僕にはそこまでの御利益はないが、少ない音の一つ一つが心に、体にしみ通っていくような演奏。
シューベルトは他にも、アファナシェフ、ブレンデル、ピリス、ハイドシェックなど、どれも凄い。音の数を抑えながら、いや、むしろそれ故に、どこまで深い思いとなるか?年をとってきて、初めて分かる音楽というのもある。
W.バード「過ぎ越しの日のミサ」シャンティクリア(米ハルモニア・ムンディ)
アカペラというと最近はジャズなどもはやりで、もちろん僕もTake6など大好きだけれど、本来の意味は、「カペラ」つまり教会での典礼音楽。ルネッサンスの教会音楽は僕にとっては別格に大事な世界。近代和音の考え方もなく、小節すらもなく、ラテン語の流れで全てが決まっていき、お互いに聞き合いながら、一つの音楽を形作っていく。難しいのだけれど、響きが合ったときの何という快感、エクスタシー。
1986年当時は何者?という感じだったが、今やメジャーなサンフランシスコのアカペラ・アンサンブル。P・マックグラスの録音も素晴らしい。シンプルで、しかも深く美しいバードの曲が聖イグナチオ協会一杯に柔らかく響きわたっていく。
こんな風にうたうことができたら、至福の境地だろうなあ。
このメンバーで大好きな「三声のミサ」をやってくれないだろうか?
フランス・ブリュッヘン&18世紀オーケストラ/ベートーベン交響曲1番、モーツアルト交響曲40番(フィリップス)
日本人も何人か入っているが、ヨーロッパ古楽のエキスパートを集めた古楽器オーケストラ。モーツアルトも良いが、なんと言ってもベートーベンがイケイケで、そのノリが凄い。爽快丸かじり。しかも渋い。
カルロス・クライバー&バイエルン交響楽団/ベートーベン交響曲4番(オルフェオ)
イケイケをもう一枚。むら気で録音も限られているクライバーがのりに乗った快演。ところどころオケがついて行けていないところもあるが、そんなことはどうでもいい。痛快丸かじり。
いやあ、音楽っていいもんですねえ。
マウエルスベルガー&ドレスデン聖十字架合唱団/シュッツ「十字架上の七つの言葉」(アルヒーフ)
人間の声だけで、どんなに深い音楽を作ることができるか。イエスが十字架にかけられて死んでいく。強い言葉と、神に語りかける内なる畏れとが、深く暗い闇の中から、浮かび上がる。